34.最初の仲間



 勢いよく啖呵を切って「京に残る」と宣言したさくらたちであったが、その威勢の良さはたちまち萎んでいく危機に瀕していた。というのも、「将軍の警護」とは何をすればいいのか、そもそも「自分たちで浪士組を作る」としてもどうすればいいのか、途方にくれたままいたずらに時が過ぎ、三日が経とうとしていた。

 江戸に戻る浪士たちもいきなり今日明日で帰るわけではなく、現状としては二百三十余名の浪士が壬生村に分宿しているという事実は変わらない。

「で、どうすんだよ」

 八木家の一室に、「残留宣言」した十四人は額を突き合わせ座っていた。しばらく重い沈黙が流れていたのだが、芹沢が口火を切った。

「このままここでうだうだしてたって始まらねえぞ」

「それは重々わかっているのですが」さくらが眉間に皺を寄せた。

「とりあえず、仲間を集めましょう」歳三が言った。その発言に、皆が注目した。

「仲間など集まるか。内実、皆家族に会えるなどと言って嬉々として東帰の準備をしているではないか」

 こうくってかかったのは新見錦にいみにしき、もとは源三郎と同じ三番組にいた男である。さくらはまだこの男とそんなに話す機会がなかったから、その人となりは未知のものであったが、源三郎によれば「良く言えば頭が切れる、悪く言えば理屈っぽくて融通が利かない」だそうだ。

「何も内側からだけとは言っていない。もちろん、内側から囲い込む働きかけもするが、在京の浪士を集めることもできましょう」歳三が続けた。

 芹沢は新見と顔を見合わせた。その表情はしかめ面である。芹沢はじろりと歳三を見た。

「やれるものならやってみろ。言い出しっぺのお前らが外回り、俺たちは内側から固めていく。そうと決まったら行った行った」

 面倒くさそうに言う芹沢に追い立てられるように、さくら達九人は部屋を出た。

「ったく、俺たちに面倒くせえ方押しつけただけじゃねえか」左之助が悪態をついた。

「まあまあ、芹沢さんにも何か考えがあるのかもしれないし」源三郎がなだめた。

「そんなのないですよ、ありゃあ。左之助さんの言う通りだと思いますねー」と平助。

「言い出しっぺは歳三だ、というのは確かだしな」さくらが続いた。

「だがちょうどいい。そうと決まれば、九人で四組に分かれて道場破りだ」歳三が、いかにも悪だくみを考えています、と言った顔でそう言った。

「道場破り?なんでまた」

「勝っちゃん、俺たちだって道場で剣を振る毎日だったところに、今回の浪士組の話が舞い込んできて乗ったわけだろ。この京の都にも『道場で稽古はしているが、己の力を試す場を欲している』という奴は必ずいるはずだ」

「なるほどなあ。そんなに上手くいくかなぁ」

「よし、善は急げだ」


 かくして、勇と源三郎、さくらと平助、山南と総司、歳三と新八と左之助が組になって、道場破りに繰り出した。

 なぜ一人ずつではなく組になるんですか、と総司が問うと歳三から返ってきたのは「仲間になりたい、と思わせるのが目的だから複数で行った方が説得力が増す」というものだった。


「なんだか、こうしてサク…島崎さんと二人で道場破りに行くなんて、面白いですねえ」平助が陽気に笑った。

「面白い…まあ、そうだな」

 どうせなら、山南さんと組ませてくれたらよかったのに、とさくらが内心歳三に文句を言ったのはここだけの話だ。

 それでも、京の道場にはどんな剣客がいるのか、さくらは楽しみだった。

「どんなやつが待ってるんだろうな」

「どんなやつでも、僕が必ず打ち負かして仲間に入れてやりますよっ!」

 そう意気込む平助を、さくらは不思議そうに見つめた。

「なんですか?」

「その『僕』という言い方、あの二百何十人の中でも誰も使っていなかったなぁ、と思って」

 男子の一人称「僕」は、明治以降になってから使われたものと言われているが、長州の吉田松陰よしだしょういんが開いた松下村塾しょうかそんじゅくでは、「私たちは皆等しく帝のしもべである」といった意味合いで使われていたようだ。

「それを北辰一刀流の仲間から聞いた伊東先生も使い始めたんです。それで僕も。もっとも、外で初対面の人に会う時なんかは使わないですけどね」試衛館に来たばかりの頃、平助はそんなことを言っていた。ちなみに伊東先生というのは、平助が試衛館に来る前に通っていた道場の主だ。

「いいんです。いっそ、僕が広めますよ」ニッと歯を見せて笑う陽気な若者に、さくらもつられて微笑んだ。

「私も使ってみようかなぁ」さくらは冗談混じりに言った。

「いいじゃないですか!島崎さんの男っぷりが上がりますよ!」

 そんな他愛もない話をしながら、二人は手頃な道場を求めて町はずれまでやってきた。そして、吉田道場という看板のある小さな道場を見つけた。

 さくらと平助が「頼もーう!」と声をかけると、男が出てきた。

「何だ」

「江戸市ヶ谷天然理心流道場試衛館より参りました、島崎朔太郎と申します」

「北辰一刀流、藤堂平助と申します」

 男は二人を訝しげに見ると、「要件は」と言った。

「実は、公方様の警護のための浪士組として江戸から参ったのですが、今のところ十四人しか人員がおらず、一緒に任に就いてくれる方を探しているのです」

 さくらはそう説明したが、男はまだ訝しげな顔をしていた。無理もないだろう。今のさくらと平助は完全に不審人物である。

「要は、とりあえず私たちのことは道場破りだと思っていただいて、手合わせをしていただければと」平助が元気よく言った。

「お待ちください」

 男は奥へ引っ込んでいった。恐らく、師範にあたる人物に許可を取りにいったのだろう。

 やがて男は戻ってくると、「どうぞ」とだけ言った。


 道場の主はその名の通り吉田と名乗った。

「やあ、江戸からはるばるご苦労さんですなあ。せっかくですから、師範代の斎藤がお相手させてもらいます」

 京なまりの混じる言葉でそう言うと、吉田は道場の端に座った。

 斎藤と紹介されたのは、先ほどさくら達を出迎えた男であった。

 ――あの人が、師範代だったのか。

 さくらは斎藤をまじまじと見た。よく見れば、まだ若い。総司や平助と大して変わらないようである。

「島崎さん、まずは僕が」

 平助は言うが早いか防具を身に着け、斎藤の前に立った。

 斎藤も防具をつけた状態で立っている。

 防具の奥からでも、鋭い視線で平助を見ているのが、さくらには見てとれた。

「始め!」

 審判を務める門人がそう声をかけると、二人は同時に動いた。

 竹刀と竹刀のぶつかり合う音が響く。

 斎藤は、ぶつかってきた平助の竹刀をさっと振り払うと、一気に間合いに入り込み、思い切り面に打ち込んだ。

「一本、斎藤先生!」

 さくらはぽかんと口を開けてその様子を見ていた。

 何が起こったのか一番わかっていないのは平助のようである。本当ならすぐに竹刀を収め、お辞儀をするのが礼儀であるというのに、その場にただ立ち尽くしていた。

「平助!」さくらが小さめの声で呼ぶと、平助はハッと我に返ったように頭を振り、一歩下がってお辞儀をした。

 ――なんだあの者は。並大抵の強さではないぞ。

 この勝負、決して平助が弱いわけではない。相手が、各段に強いのである。

 平助は防具を外すと、未だに信じられないといった顔で、ふわふわした足取りでさくらの元まで戻ってきた。

「島崎さん、あの人、やばいですよ」

「言われなくとも」

 言うが早いか、さくらは防具を身に着け、面紐をぎゅっと結んだ。

 そうして、道場の中央に躍り出た。

「始め!」

 さくらは面金めんがねの奥にある斎藤の鋭い目を見据えた。

 射貫くような眼に気圧されそうになるが、竹刀を握る手に力を込める。

「ヤッ!」

 さくらは竹刀を振りかぶり、斎藤に向かったが、ひらりとかわされた。体制を立て直し、再び構える。

 一撃で決めるしかない、と判断したさくらが取った構えは、天然理心流の一撃必殺・突き技を繰り出すための平晴眼ひらせいがん。他の流派の者からすれば変わった構えであるから、最初の一度だけ、この構えをするだけで相手の虚を突くことができる。

 案の定、斎藤の目の色が少し変わった。

「エーイ!」

 さくらはそのまま真っすぐに斎藤の喉元を突いた。瞬間、斎藤は竹刀を振りかぶり、さくらの面を狙った。

 二人の攻撃は同時に入ったかに見えた。

「一本!」

 時が止まったように動かない二人の頭上に、審判の声が響く。さくらが目の端で捉えると、手は自分の方に上がっていた。

 安堵と嬉しさが入り混じったため息をつくと、さくらは竹刀を収めた。

「ありがとうございました」

「参りました」

 道場破りに来たくせに二人揃ってあっと言う間に返り討ちでは面目が立たぬと、さくらも平助も内心ヒヤヒヤしていたから、ここでさくらが一本取れたことで二人ともひとまずは安心した。


 その後、さくらと平助は吉田家の客間に通された。

「いやあ、藤堂殿も島崎殿もお強い。何より、こいつがこないに嬉しそうな顔してるんを見たのは初めてですよ」吉田はがっはっは、と笑い、自分の隣に座る斎藤を指した。

「島崎さん、あれ嬉しそうなんですか…?」平助がさくらに耳打ちしたので、さくらは「シッ」と制した。が、平助がそう言うのも無理はない。斎藤の表情がそんなに変わっているようにはどうしても思えなかった。強いて言えば、口角が少し上がっている気がする、といった程度だ。

「吉田様。我々は、まだ立ち上がったばかりの浪士組ではございますが、必ずやご公儀のお役に立つ働きをしていく所存にございます。共に働いていただけそうな門下の方をご紹介いただけないでしょうか」

 さくらは、そう言いながらも斎藤をじっと見た。彼の剣さばき、動きの速さには目を見張るものがあった。ぜひ、斎藤に入隊して欲しいと思った。だがいきなり師範代を、とはおこがましい話であろうとも思い、視線を向けるに留まった。

「それならば、どうぞこの斎藤をお連れんなってください。もともとこいつは江戸の御家人のせがれでしてね。訳あってこっちに来とったんですが、上様のお役に立ちたいという気持ちは人一倍強い」

 さくらと平助は驚いて顔を見合わせた。こんなにあっさりと許可してくれるものなのか。

「それは、斎藤さんに来ていただけたらこちらとしても非常に心強いのですが…。良いのですか?師範代を引き抜くような形になってしまって。それに、斎藤さんご本人の意思は…?」さくらがおずおずと尋ねた。

 言いながら、改めて斎藤の顔をよく見ると、さくらはなんとも言えない既視感に捕らわれた。

「あの、斎藤さん、どこかで会ったことはありませんか…?」

「さあ…?」

「失礼ですが、下のお名前は…?」

 念のため、そう尋ねた。返ってきたのは思わぬ答えだった。

はじめ。斎藤一と申しますが」

「そうだっ!江戸の道場に張り紙が…!」

 さくらは思い出した。江戸にいた時に見たお尋ね者の貼り紙には斎藤によく似た男の似顔絵が書いてあった。

 数字のいちと書いてハジメと読む、そんな名が珍しいと印象に残っていたのは間違いない。ただ、苗字が斎藤だったか何であったかが、さくらには思い出せなかった。

「貼り紙?」平助が話が見えない、とばかりに聞いた。

 さくらは続きを言うべきか迷った。この曖昧な情報で目の前の斎藤一とあの貼り紙のお尋ね者が同一人物だと決めつけ、万一人違いであったら失礼極まりない。それでは入ってくれるものも入ってくれなくなってしまう。

「ああ。見たんですね。あの時は山口一と名乗っていましたが」

「で、では本当にあの…」

「島崎さんっ、何の話なんですか?」平助が小声で尋ねるのに、答えたのは斎藤だった。

「俺は人を斬りました。それでここまで逃げてきた。だからお尋ね者というわけです。それでも俺をその浪士組とやらに引き入れたいというのですか?」

「もちろんです。先ほど手合わせをしたからわかります。あなたは根っからの悪人とはとても思えません。何か事情がおありだったのでしょう。それよりも、あなたの剣の腕をぜひ私たちと一緒に活かしてほしいのです」

 斎藤は驚いたような表情をしてさくらを見た。

 さくらはスッと斎藤の目を見据えると、手をついて頭を下げた。

「島崎殿!頭をお上げください!」吉田が慌てて声をかけた。

 斎藤は吉田を見、それからさくらを見た。

「わかりました」

 さくらはがばっと顔を上げた。

「本当ですか?」

「ありがとうございます!」平助も顔を綻ばせた。

「先生。本当によろしいですか」斎藤は吉田に向けて静かに言った。

「まあ、本音を言えば、お前を失うのは道場にとっては痛手だが…元々、ほとぼりが冷める間ここで面倒を見るという話だったし、その後どうするかは、お前が決めなさい」

 斎藤は、少しだけ寂しそうな顔を見せた。それから、僅かに笑みを浮かべたのが今度はさくらにも平助にもわかった。

「支度をしたら、そちらに加わります。どこへ行けば?」

「壬生村の八木様のお宅に間借りをしております。今はまだ、無頼の浪士ですが、必ずや公方様警護のお役目果たさんと仲間たちと行動しているところです。何卒、よろしくお願いします」

 さくらと平助は頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いします」斎藤も頭を下げた。


 数日後、勇たちから声をかけた面々も集まった。

 ただ、やはり後ろ盾も何もない浪士組に二つ返事で参加する者は少なく、集まったといっても斎藤一、佐伯又三郎さえきまたさぶろうの二名だけであった。

 しかし、芹沢らがきちんと働きかけたのか、はたまた自らの意思なのか、さくら達には判然としなかったが、内部からも続々と「我々もやはり京に残る」と名乗りを上げた者たちがいた。その中には、あの殿内義雄とその腰巾着・家里次郎いえさとつぐお、そして一番組組頭であった根岸友山ねぎしゆうざんや芹沢の顔見知りでもあった粕谷新五郎かすやしんごろうらがおり、京都残留組による「無頼の浪士組」は総勢二十五名を数えることとなった。


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