31.島崎朔太郎

 途端に、浪士たちがざわつき始める声が聞こえた。

「女…?」

「あの島崎ってやつか?」

 ――ここまでか。

 さくらは唇を噛んだ。女だとバレた時の”策”はあるが、まさかこの衆人環視の場で使うことになろうとは思ってもみなかった。

 聞かなかったふりをして、しれっと宿に戻ろうかと思ったさくらだったが、時すでに遅し。

「そのほう!」

 通りの良い声でさくらを呼び、ツカツカと目の前にやってきたのは佐々木だった。山岡も一緒だ。

「はい」さくらは毅然と返事をした。

「女子であるとは真か」佐々木は驚きの眼差しでさくらを見た。

「男か、女かと言われれば、女でございます。しかし、今そのような話をしている場合ですか?宿場町を騒がせてしまったのですから、この薪の後片付けをせねばならないのでは?」

 さくらは真っすぐに佐々木を見た。

 ここで焦れば負けだ。なんとか話題をそらす方向に持っていけないかと考えながらも、さくらは脳内で”策”の内容を反芻した。

「話をはぐらかすな。そなた、身分を偽っていたと申すか」佐々木が言った。

「身分は天然理心流道場試衛館の師範代であることは真です。試しに手合わせをしても構いませぬが」

「そういうことではない。女子であるのに、男と偽ったのかと聞いている」

「偽った、というのはいささか違います。浪士組に参加するにあたり、心機一転、名と髪型を変えたまでのこと。こちらの近藤勇も此度の道のりを前に月代を剃りました。聞けば、芹沢さんも浪士組参加にあたって名を変えたと。同じことです。身分を偽っているのではなく、ただ名と髪型を変えただけにございます」

「屁理屈を抜かすな」

「ここまでの道のりで、ただの一度も私が男であるか、女であるか聞かれたことはありませんでした。だから答えなかったまでのこと。ですから、重ねて申し上げる通りここまでの道のりで、もちろん今この時も、嘘はついておりませぬ」

 佐々木は黙りこくってしまった。その後ろで、山岡が少し可笑しそうに微笑んでいるのが見える。

「では、言い方を変えよう。尽忠報国の志を持ち、公方様の警護の任に就けるのは男だけである。芹沢の焚火をやめさせたことに免じて命までは取らぬ故、明日の朝一番で江戸に帰られよ」

「それは承服致しかねます」

「なぜだ」

「私にも尽忠報国の志があるからでございます。お聞きしますが、男と女の違いは何ですか。ここに集まっている皆様と私に、何の違いがあると言うのですか」

 集まった浪士たちは、固唾を呑んでさくらと佐々木のやりとりを見ている。

 さくらは目の端で、歳三や総司、芹沢までもがニヤリと笑みを浮かべて自分を見ているのを捉えた。

 佐々木が言い返そうと言葉を選んでいる様子を見ながら、さくらは畳みかけるようにダメ押しの一言を言った。

「同じだけ尽忠報国の志を持ち、同じだけの剣術の強さを持った男と女がいたとして、その違いがもしナニの有る無しによってのみ区別されるというのならば、公方様の前で裸になるわけではあるまいし、その有無が公方様の前で何の役に立つというのです」

 佐々木はぐうの音も出ないようで、ぐっと唇を結んだあとに、「女子がそのようなはしたない物言いを…!」と的外れなことを言うに留まった。

「もとより、此度の任を全うするにあたり、普通の女子らしさなどとうに捨てております。はしたなくて結構。私は公方様のお役に立ちたい一心でここまで参ったのでございます」

 ここまで言えば、もうさくらの勝ちは見えた。山岡が、トントンと佐々木の肩を叩いた。

「佐々木さん、私からもお願いしますよ。島崎殿の強いご意思があれば、必ずや上様のお役に立つ働きをしてくれるでしょう」

「しかし……」

 佐々木が口ごもると、芹沢が会話に割って入った。

「わかんねえのか。ここまでして来た島崎を帰すってんなら、あんたの男がすたるぜ」

 ――芹沢さん、助け船はありがたいが元はといえばあなたが私の正体をばらしたからこんなことに……

 さくらは苦笑を浮かべ芹沢を見た。

 佐々木はチッと舌打ちをした。

「ひとまず、今宵のところは皆宿に戻られよ。島崎、その方の処遇については明日、他の取締役とも協議のうえ決めよう」

 佐々木は吐き捨てるように言うと、自分の宿がある方の道へ去っていった。

 さくらは力を入れていた全身を脱力させ、すとん、と頭を地面につけた。

「はあああ~……緊張したあ……」

「サク、よくやった」隣に座っていた勇がさくらの背中をぱんぱんと叩いた。

「お見事でした、さくらさん」山南が駆け寄ってきて、さくらの前で跪いた。

「かっこよかったですよ、姉先生」総司は今にも声を出して笑いそうな顔をしている。

 左之助と平助がやってきて、濡れた手拭いをさくらと勇に差しだしてくれた。

「ほら、火の前で暑かっただろ」

「ありがとう」さくらは手拭いを受け取ると、顔や首筋を拭った。

 すると、さくらの前に山岡がやってきた。

 山岡は跪くと、少し嬉しそうな、満足げな笑みを浮かべた。

「よくぞここまで来てくださいました。近藤さくらさん」

「山岡様……」

「明日の協議では、良きに取り計らえるよう、骨を折りましょう」

「……ありがとうございます!」

 さくらは満面の笑みで山岡を見た。山岡も、人の良さそうな笑顔で頷き、その場を去っていった。

 その姿を見送ると、さくらは歳三に笑いかけた。

「歳三。恩に着る」

「へっ。当たり前だ」歳三はニヤリと笑みを浮かべた。


 試衛館にいた頃、男装することは身分を偽ることで、バレたら最悪首が飛ぶのでは、と勇やさくらが心配していた折、歳三がこのような論調に持って行けば浪士組の上役を言い負かすことができるだろう、と言ったのであった。

「いいか。男だとも女だとも言わずにおくんだ。お前はただ男みたいな髪型と男みたいな名前の女というだけだ。そういうていでいくんだ。これなら、女だとバレてもそれまで嘘をついたことにはならない」

「な、なるほど…」さくらはごくりと唾を飲んだ。

「だが、山岡さんが『尽忠報国の士は男子にのみその資格がある』といったようなことを言っていたぞ」勇が続けた。

「そんなもん言わせときゃいいんだ。じゃあその男と女の違いはなんだ」

 歳三に言われ、二人とも黙ってしまった。

「ナニの有る無しだけだ。違うか?」

「な……!それはそうだが……!」さくらは顔をわずかに赤らめ狼狽した。

「別に公方様の前で裸になるわけじゃねえんだ。それなら、俺らとさくらに何の違いがある?ないだろ。もし、ある、と言われればこの勝負は負けだが、俺はこういう話の持っていき方をすれば勝てると踏んでいる」

 さくらはなんだか可笑しくなって、ぷっと吹き出した。

「まったく、歳三の屁理屈は天下一品だな」


 そういうわけで、作戦は見事成功。様子を見物していた浪士らは、「肝の座った女だ…」と舌を巻く者と「女が混ざっていたなど屈辱だ…!」と憤る者に二分されたが、そんなことには構わずにさくら達は宿へ戻った。もちろん、芹沢には新しい部屋をあてがって。


 翌日夕刻、次の宿場町でさくらは宿屋の一室に呼ばれた。そこには山岡と、取締役の筆頭を務める鵜殿鳩翁うどのきゅうおうがいた。

「うむ。そなたが島崎朔太郎であるか」

 白髪の混じった好々爺然とした男・鵜殿がさくらに笑いかけた。

「はい。此度はお騒がせしまして申し訳ありません」さくらは頭を下げた。

「山岡から聞いたぞ。佐々木相手に威勢良く啖呵を切ったそうではないか」

「お恥ずかしい。ですが、嘘偽りない思いをお話したのは真です」

 鵜殿はうんうん、と頷いた。

「佐々木は反対していたがな。儂はそなたの気力胆力はなかなかのものと見受けた。このまま一行に加わって行くことを許可する」

 さくらは驚きと嬉しさが入り混じったように目を見開いて鵜殿を見た。

「それは真ですか」

「うむ。二言はない」

 さくらは土下座せんばかりに頭を下げた。

「ありがとうございます!精一杯務めを果たして参ります!」


 昨日の夜からずっと生きた心地のしなかった試衛館の者たちはこの知らせに驚き、喜び、その日の夜は自然、居酒屋で「祝賀会」の運びとなった。

「いやあ、本当によかったよ。このまま本気でサクだけとんぼ返りだったらどうしようかと思った」勇はほっとしたのか、少し目を潤ませている。

 あくまでさくらは偽名ではなく「改名して男っぽい名前にした」という体であったので、引き続き名前は島崎朔太郎のままであった。

「山岡さんって、案外いい人じゃないですか。姉……島崎先生のこと認めてくださったなんて」総司はカラカラと笑った。

「お前ら、今回のことはたまたま運がよかったんだ。ったく、芹沢のヤロウ、とんだことしでかしてくれたぜ」

「そんなこと言って、こんなこともあろうかと策を練っていたのは歳三さんなんでしょう?隅におけないなぁ」

「沖田くん、隅におけないとはそういう使い方をするものでは…」

「なんにせよ、よかったですよ!それじゃ、旅の無事と、公方様警護の成功を祈って!」

 平助の音頭につられ、一同は「弥栄いやさかー!」と杯を掲げた。


 居酒屋を出て宿に戻る道中、さくらは背後から何者かに尾けられているような気配を感じた。

 バッと振り返るとさくら達の前に見知らぬ男が二人立っていた。提灯の明かりでぼんやりとしか見えないが、彼らの表情はどう見てもさくら達に好意的な気持ちがあるようには見えない。

 他愛もない話に花を咲かせていたさくら達であったが、一瞬にして水を打ったように静かになった。

「昨日の女子だな」前方に立つ男が不敵な笑みを浮かべた。

「あんた誰だ?」真っ先に左之助が尋ねた。一方で山南は男の顔に見覚えがあるらしく、ハッとしたような顔をして「原田くん!」とたしなめた。

「ほう。私の名を知らぬと申すか」男は眉間に皺を寄せてそう言った。

「申し訳ありませんが存じませぬ」さくらは男を睨んだ。もしかしたら、周斎から譲り受けた刀が初めて役に立つかもしれないと、左手で刀の鞘を握った。

 男は尊大に胸を張って自己紹介した。

殿内義雄とのうちよしお。浪士取締役を仰せつかっている。同じくこちらは家里と申す」

「それは失礼致しました。何か御用で?」

 なんだ、仲間だったのか、とは思いながらも殿内が放つ殺気に警戒心を緩めることなく、さくらは口先だけで謝意を示した。

「用か」 

 殿内がもったいぶった調子で言った次の瞬間、さくらの目の前に白刃がきらめいた。

 殿内が瞬時に抜いた刀を、さくらはとっさに持っていた提灯で払った。

 その隙に、歳三が体当たりをして殿内をよろめかせ、取り落とした刀を総司が素早く奪った。

「な、何をする!」無様に尻餅を付いた殿内が叫んだ。後ろにいた家里という男は、少し離れた位置から「お主ら、この方は浪士取締役であるぞ!」と吠えた。

「何をするとは」

「何をする、はこちらの台詞です。こんな不意打ちのような真似をしてタダで済むとお思いですか。仮にも取締役が聞いてあきれる」

 さくらが言い終わる前に、勇がずいと前に出て殿内に睨みを利かせた。その威圧的な視線に殿内はたじろいだ。

「うるさいうるさい!鵜殿様が認めても私は認めぬ!皆山岡の言葉にほだされおって!なぜ女子が浪士組の一員として行動を共にせねばならんのだ!」

「その件でしたら直接鵜殿様や山岡様にお聞きになったらよろしいではないですか」勇はいつになく冷たい視線を殿内に投げかけた。

「勝っちゃん、こいつは大方自分が上にかけあったところで決定を覆せねえと踏んでサクを斬りに来たんだろうよ」歳三がわざとらしく言う。

 さくらは殿内を睨み、もう一度自身の刀の鞘を左手で握った。

 しかし、当の殿内はといえばすっかり戦意を喪失したようで、顔からどんどんと血の気が引いていくのが見て取れた。

「そこのお前、刀を返せ!」殿内は力を振り絞るように総司に向かって吼えた。

「えー?どうしましょうか。ねえ、島崎先生?」総司がにやにやと笑いながらさくらを見る。

「そうだな……」

 さくらは提灯を平助に手渡すと、刀の柄を右手で握った。

 目の前の相手は、タジタジとさくらを見るばかりである。

 しばらく殿内を睨みつけていたさくらであったが、彼のその様子を見て、両手を刀から離した。

「殿内殿」

「な、なんだ」

「今日のところはこれで終いにしましょう。しかし、またこのようなことがあった暁には、返り討ちにさせていただく」

 さくらの真剣な眼差しに、殿内がごくりと唾を飲む音が聞こえた。

「せっかく鵜殿様が私のことをお認めくださったのです。ここで無用なもめ事を起こすのは得策ではない。仲間内での刃傷沙汰など御免こうむりたいですし。わかっていただけますね。総司、刀を返してやってくれ」

 総司は「承知」と微笑むと、殿内に刀を手渡した。

「あんた、命拾いしたな」左之助がニッと歯を見せて笑った。

 殿内は受け取った刀を鞘に納めると「お前など、すぐにこの組にいられないようにしてやる!」と吐き捨て、往来に去っていった。

「なんだったんですかね一体……」総司がぽかんとして、殿内と家里の背中を見つめた。

「あいつ、絶対剣の腕は大したことないぜ」歳三が言った。

 山南が、ふうと息をついた。

「山岡様や鵜殿様は認めてくださったが、ああいう考えを持った人もいるということだ。…朔太郎さん、くれぐれも、気をつけてください。京に着くまでまだ道のりは長い。こういうことはまた起きるかもしれません」

 さくらは「はい」と返事をして山南を見つめた。

 この殿内という男、再びさくら達の前に立ちはだかることになるのだが、それは少し先の話。

 前途多難なさくらの旅路は、まだ始まったばかりだ。

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