第13話 それぞれの真実

 そして、二時間が過ぎて……。



 なんの収穫もなく、二人は歩き続けていた。


 メモ用紙は書きすぎて真っ黒。見たところで、なにがなんだかわからない。

 冬華もすでに、自分自身のメモが判別できないようだった。


「あーもう、ちがうわ! こことここがつながって……でもそれじゃ、こっちがおかしくなって……!」


 冬華はいらいらしながら、扉に『86』と書きなぐる。


 部屋の数は一階につき、男子と女子が十部屋ずつで計二十。

 それが十階もあり、さらには地下の購買に食堂、浴場など、その他もろもろの施設まで加わるのだから、部屋の総数は楽に二百を越える。


 つまり、まだ半分も回っていないのだ。


 そのことに気付いてしまった晃は、すべての部屋を巡ることを想像して、さすがに気が滅入ってしまった。


「な、なぁ冬華。いくらなんでも、このへんで休憩しないか?」


「ダメよ、ダメ! こんな重症のバグ、はやく修正しないと大変なことになるわ! 休みたいなら、あんただけ休めばいいじゃないの!?」


 とりつく島もなく、冬華はメモにペンを走らせる。


 意地なのか、それともプライドなのか……。

 なんにしろ、ここまで必死な姿を見せられると、尊敬を越えて心配をしてしまう。


 晃は助けを求めるようにマーシャを見たが、マーシャはあきらめたように目を閉じて首を横に振った。


「無駄だろうな。こうなった冬華は、我にも止められない。一刻も早くすべての謎を解明できることを、祈るしかない……」



 そして、さらに二時間が過ぎ……。



 二人が目にしたものは、『86』と書かれた扉だった。


「な、なによ、これ……!?」


「そんな……戻ってきちゃったのか!?」


 四時間以上歩き続けた、肉体的な疲労。


 さらに、先がわからないことへの不安と、同じ間取りの部屋ばかりが連続する焦り。


 それらの精神的疲労もあって、想像以上に晃の体力は奪われていた。


(くそっ、やりなおしなのかよ……!)


 そしてここにきて、この絶望だ。

 晃の心は完全にくじけてしまい、その場に腰を下ろしてしまった。


「冬華、どうする……?」


 額に浮かんだ汗をぬぐいながら、晃は冬華を見上げた。


 すると、冬華はこぶしを握りしめていた。

 ぎゅっときつく結んだ口から、「い――」と言葉がもれる。


「――いいかげんにしなさいよっ!!」


 冬華の中で、切れてはいけないものがついに切れた。

 おおきく足を振り上げ、扉に向かって思いきり蹴りつけようとする。


「ちょ、落ち着け冬華!」


 晃の制止も間に合わず、冬華の足は扉に叩きつけられ――。


 かつん。


 響いたのは軽い音。

 まるで小石でも当たったような、かぼそいものだった。


 そして、冬華のちいさな身体が、ぐらりと揺れる。


「と、冬華!?」


 倒れそうになる冬華の身体を、どうにか晃は受け止めることができた。


 腕の中の冬華は血の気が引いた青い顔で、目を閉じてぐったりとしている。

 呼吸も早く、寒いのだろうか、かすかに震えていた。


「冬華? どうしたんだよ、おい!?」


 呼びかけても返事がない。


 するとマーシャが「……この馬鹿者め」と、苦虫をかみつぶしたような顔でつぶやく。


「無理はするなと、我はあれほど言ったぞ。自分の身体のこと、知らないわけではないだろうに……」


「身体? なぁマーシャ、それってなんだよ? 冬華の身体って、どこか悪かったのか!?」


 持病があるようには見えなかった。

 むしろ、元気が有り余っているようにすら思えた。


 そんな冬華に身体の異常が……!?


 信じられない。いや、信じたくない。


 晃はマーシャを見つめた。マーシャは話していいものかどうか、迷っているようだった。

 けれども晃の真剣な視線を感じ、ちいさくうなずく。


「……神尾晃よ。緊急停止ストップのことは、覚えているな?」


「そりゃ覚えてるさ。でも、それが……?」


緊急停止ストップとは、時間の流れが停止することに他ならない。そして冬華の身体は――今もなお、緊急停止ストップの最中にある。症状が発生した十歳のときのまま、時間が停止しているのだ」


 一瞬、マーシャがなにを言っているのか、わからなかった。


 緊急停止ストップ。時間の流れ。十歳のまま。


 言葉をひとつひとつ理解し、つなげて、ようやくその意味を知る。


「それじゃあ冬華は……十歳から成長してないってことか……?」


 自分自身にすら問いかけるような晃の言葉に、マーシャはゆっくりとうなずいた。


「冬華はバグなのだ。緊急停止ストップが契機となり、時間の流れが停止してしまうという……。そしてこのバグは、いまだ修正されていない。冬華は自分自身のバグを修正することを最終目的に、デバッガーになったのだ」


 晃もまたバグでありながら、デバッガーになった。


 しかしそれは、自分の症状を修正されないため。皮肉にも冬華とは正反対の理由だ。


 いくら願っても実現しなかった未来を、晃はバグの力によって手に入れた。


(でも冬華は、バグのせいで未来を奪われたんだな……)


 成長することのない身体。

 まわりの人間ばかりがおおきくなり、自分だけ取り残される感覚。


 それは身長という一点において、晃も味わっていた。

 けれどそんなもの、冬華に比べればとんでもなく幸せだったのだ。


 すべてが止まってしまった彼女が感じただろう絶望は、晃には想像もできない。


 かける言葉すら見つけられず、晃はただ、腕の中のちいさな少女を見つめた。


 マーシャはさらに続ける。


「十歳児の体力など、たかが知れている。おそらく途中から気力だけで歩いていたのだろうな……。我は実体を失って久しい。そのあたりの感覚は、とうに忘れてしまった。冬華よ、すまない……。我がもっと早くに気付いていれば……」


 すると、冬華がうっすらと目を開けた。

 息も絶え絶えといった感じで、どうにか口を開く。


「……だまって聞いてれば、べらべらと……。勝手に人の秘密……話すんじゃないわよ」


「冬華! もういいよ、おまえは休んでろ……」


 まっすぐに冬華の姿を見るのもいたたまれなくなり、晃は視線をそらした。


 すると冬華は、力なく手足を動かして、晃の腕から抜け出そうとする。


「なに……いってんのよ。検証……はじめから、やりなおさないと……」


 けれどすぐに力尽きて、またぐったりとしてしまった。

 極度の疲労で意識がもうろうとしているのか、うわごとのようにバグや症状、検証といった言葉を繰り返す。


 見兼ねたマーシャが、冬華の気持ちを代弁する。


「今の冬華にとって、バグの修正こそ生きるすべてなのだ。同年代の子と同じ楽しみを得ようとすればするほど、自分は他人と違うことを思い知ってしまう。痛感するのだ。幼い身体のまま、停止した時間の中で生きていることを。冬華は友達も遊びも、すべてを排して、デバッガーとして生きてきた。……そうするしか、なかったのだ」


 冬華が着ている、なんの飾り気もない学校指定の体操服。


 それこそが象徴なのかもしれない。デバッガーの、そして、バグである冬華自身の。


 得意なことなんて、なにひとつなくていい。

 背も低くてかまわない。

 ただ、普通の女の子として生きられれば、それだけで――。


 声にならない冬華の願いを、晃は聞いた気がした。


 冬華はずっと一人で戦ってきたのだろう。

 バグという絶望の中、今もこうして倒れるまで自分を追い詰めて。


 それに比べて、晃は……。


(俺は……なんて卑怯だったんだ……!!)


 この学園に入学して、冬華と再会したときの第一声が浮かぶ。


「……ああ、そうだな。おまえの言うとおりだよ。俺は最低だ」


 誰にともなくつぶやいた晃は、冬華の身体を抱き上げてベッドに寝かせた。


 四時間も飲まず食わずだったのだ。

 のどだって渇いただろう。

 晃は勝手に冷蔵庫を物色し、ジュースをすこしだけ冬華に飲ませてマーシャに告げる。


「マーシャ。これからどんなことが起こっても、なにも聞かないでくれ」


「……どういうことだ? いったい、なにを?」


「頼むよ。聞かないでくれ」


 困ったように笑い、晃はもう一度くりかえした。


 そして目を閉じると、心の中でつぶやく。


(スイッチ……オン!)



 パラメータ変更。『知力』、『体力』を上昇。『魅力』――低下。


 晃は自分を恥じていた。


 ――なにが完璧だ! なにが生まれ変わっただ!!


 晃自身は、まったく変わっていないのに。


 バグの力に振り回されていただけ。

 自分自身が生み出した歪みの渦に、飲み込まれていただけだったのだ。


 なにからなにまでスイッチに頼っていいのか――。


 そう疑問に思ったときから、心の奥底では気付いていたのかもしれない。

 今の今まで、あえてそれを見ないようにしてきただけで。


 頑張るということがいつの間にか、スイッチを使うことになっていた。


 努力を放棄して、自分の手に負えないことがあると、すぐにスイッチに頼る甘さ。


 それこそが晃の精神に起きた本当の異常、バグなのかもしれない。


「神尾晃よ……! おまえ、その姿は……!?」


 驚嘆するマーシャの声を聞きながら、晃は目を開けた。


 ……視線が低い。

 手足を見ると、服のサイズがまったく合っていない。


 一ヶ月ぶりに、晃は本当の姿――身長一メートル五十一センチに戻った。


「……やっぱり、この身長でこの服はきびしいか」


 声帯が変化したせいで、声も『俺』よりすこし高い。

 変声期を過ぎてもあまり変わらなかった、コンプレックスのひとつ。


 だがこれが、聞き慣れた自分の声なのだ。


 それなのにどうにも変な感じがしてしまい、晃は苦笑しながら服を直した。

 手足の部分をこれでもかとまくりあげて、どうにか動ける格好になる。


「さて……」


 鏡の前に立ち、自分の姿を確認して――晃は盛大に吹き出した。


「ひ、ひどいなぁ……。これが僕の顔?」


 本来の顔だって特別に美男子というわけじゃなかったが、可愛いと言われるくらいの愛嬌はあった。


 それが今はどうだ。

 顔の造作は無残に崩れ、なんとも野暮ったい顔になっている。


 好みは人それぞれ。とはいえ、こんな顔を好きとだと言う人はあまりいないだろう。


「はは。おっかしい」


 自分の顔にひとしきり笑い終わった晃は、冬華の手から床に落ちていたメモとペンを拾い、マーシャを見つめる。


 今までの見下ろす視線ではなく、見上げる視線へと変わっていたが、そんなことは気にもならなかった。


「マーシャ、報告書の書き方を教えてほしい。俺……いや、僕が書くから。僕が、このバグを修正する」


「な……」


 マーシャはなにか言いたげだったが、晃が「頼むよ」と再度口にすると、その言葉を飲み込んだ。


「……しかたあるまい。了解した」


「ありがとう。それじゃ、ついてきて」


 晃は『86』と書かれた扉を開けると、駆け出した。

 冬華が書き込んでいたメモを破り捨て、まっさらな紙にペンを走らせる。


 次々と部屋を走り抜けては、部屋同士の繋がりを解明していく。


 部屋の扉に番号を書くことも必要ない。すべてを瞬時に記憶し、判断する。


 メモは思考を整理するためのものではなくなっていた。

 整理された思考を紙に出力アウトプットするのだから。そこに書かれているのは、経過ではなく結果だ。


 外見を犠牲にして得た、最高の頭脳と最高の身体能力。

 このふたつを兼ね備えた今の晃だからこそ可能なことだった。


 冬華のものとは比べ物にならない精度で書き込まれた紙。

 それはすでにメモの域を超えて、正確な地図となっていた。


 晃はそこから、ついにひとつの法則性を見つけ出す。


「これは……迷路の構造だ! それもただの迷路じゃない。一番奥の部屋にたどりつかせないようにした、ダンジョンの構造に近い!」


 これがゲームならば、ダンジョンの奥に眠っているのは財宝と相場が決まっている。


 と、なると。この場合に眠っているのは……バグを発症させた人間。


 解明への確かな手応えを感じた晃は、ダンジョンの最奥部と思われる部屋に向かって速度をあげる。



 そして――。



 わずか三十分。


 冬華は四時間かけてもすべての部屋を回れなかった。

 それが嘘のような速さで、晃はこの迷路を抜けた。


「ここが、一番奥の部屋だ!」


 勢いよく開け放たれた扉。

 はたして、その中にいたのは……。


「まさか……鳥居さん!?」


 ベッドの上で膝を抱えて座る、お嬢様のような風貌の生徒。


 まちがいない。あの縦ロールの髪の毛は、鳥居明乃だった。


 だが晃たちが部屋に入ってきても、明乃はなにも反応しない。

 自分の膝に顔をうずめ、なにやらぶつぶつとつぶやいている。


「鳥居さん? どうしたんですか、鳥居さん!?」


「……彼女は今、夢と現実の区別もつかないような状態にある。重度のバグを発症させた人間には、よく見られることだ。自身が起こした歪みの中に巻き込まれ、正常な意識を保てなくなっているのだ」


 その言葉は、晃の耳にはすこし痛かった。

 なにしろ晃はずっと、バグの力におぼれていたのだから。


(でも、今は違う……!)


 バグが修正されることは、もちろん怖い。

 せっかく手に入れた力を失い、本来の自分に戻るのはいやに決まっている。


 だけどそれ以上に、この状況でなにもしないほうがいやだった。


 冬華を見捨ててしまうことのほうが怖かったのだ。

 そのために自分がバグだと知られてしまっても、きっと後悔しない。そう思えるほどに。


 晃はようやく、自分の意志でスイッチを使えたような気がした。


 今なら自信を持って言える。

 これがこの力の、本当の使い方だ――と。


「では、神尾晃よ。報告書の書き方を教える」


 そう言うと、マーシャの前に緑色のキーボードが現れた。


 いつも冬華が打っていた、この場所。

 本当なら、デバッガーとして一人前になったと、感慨を感じるところなのだろう。


 だが晃は、これが最初で最後だと思っていた。


(僕は冬華を、みんなをだましていたんだ……)


 バグを修正するには、発生状況と発生要因を突き止めることが必要不可欠。

 冬華がすぐにそれを突き止められるかはわからないが、いつかは解明されてしまうだろう。


 少なくとも、晃の容姿が変わったことを知れば、冬華の中で『僕』と『俺』、二人の晃が一本の線でつながるのに時間はかからないはずだ。


 なによりも、冬華はバグを憎んでいる。すべてのバグを。


 そんな彼女が晃を許すとは思えなかった。晃のバグは、必ず修正される。


 そうなればもう、この学園にはいられない。

 ここでの神尾晃は完璧な『俺』であって、こんな『僕』ではないのだから。


(明日の朝一番には、この学園を去ろう……)


 そう決意して、晃はキーボードに手をのばした。


 報告書の記載事項は、今まで冬華に教わったことの集大成とも言えた。

 件名、発生状況、発生要因……マーシャの指示に従いながら、それらを次々と書き込んでいく。


 明乃がバグを発症させていたのは、不幸中の幸いだった。


 なぜ彼女が、バグを起こしたのか。

 明乃本人にあれこれ聞かずとも、晃にはおおよその見当がついていたのだった。


「まだクランさんと仲直りできてなかったんだ……。きっとそれで……」


 暴走機関車のような明乃。

 そんな彼女が落ち込んでいる姿は、こうして目の当たりにしてもまだどこか信じられない。


 だが、クランのこととなると、話は別だ。

 クランにとって明乃が特別であるように、明乃にとってもクランは特別なのだろう。


 それにしても、晃と冬華に関するクランの誤解は解けたはずなのに、なぜ仲直りできなかったのか……?


 謎だったが、こうなっては聞くに聞けない。

 確証はないが、おそらく明乃は変に意固地になったのだろう。


 みんなの前で宣言したことを簡単には撤回できない、とでも言い出して。

 それで気まずくなったまま、クランは帰省してしまい……。


 こんな迷路を作ってまで人を拒むような理由は、それくらいしか考えられなかった。


「……よし。できた」


 どうにか報告書を仕上げて、晃はエンターキーを叩いた。


 空中に浮かぶ報告書に目を通したマーシャは、ちいさくうなずく。


「了解した。修正を開始する」


 光の粒子となったマーシャの身体が散っていく。


 部屋中に、そして、建物中に。そうして一瞬、部屋全体がまばゆく光る。


 その光がおさまると、再びマーシャが姿を現した。


「……修正は完了した。状況の確認を」


 晃は「わかった」とうなずくと、クローゼットの扉を開けた。

 中には、正常に服が収まっている。


 続けてトイレの扉を開ける。そこも正常。

 最後に部屋の扉を開けて、廊下につながっていることを確認する。


「……よかった。ちゃんと修正できてる」


 本人から話を聞けなかったので、不確かな箇所がいくつもあったのだが、どうやら晃の推理は的中していたようだ。


 けれども、明乃はいまだに膝を抱えたままだった。


「鳥居さん、だいじょうぶなのかな……?」


「心配ないだろう。しばらくすれば正気に戻るはずだ。それよりも……」


 聞いていいものかどうか悩んでいるような複雑な表情で、マーシャが晃を見つめた。


 晃は寂しそうに笑うと、「そうだよ」と答える。


「僕は……バグだ」


 それだけ言うと、晃は背を向けた。


 その背中に、マーシャは「……そうか」と、静かにつぶやいた。


 それ以上はなにも言わなかった。

 修正するとも、見逃すとも言わずに。


 彼女――いや、本当は男だったか?

 とにかくマーシャらしいと思って、晃はすこし苦笑した。

 扉を開けて立ち去ろうとするが、すこしだけ足を止める。


「マーシャ」


「なんだ?」


「冬華に伝えてくれないかな? ……ごめん、って」


「……了解した」


「……ありがとう」


 そんな短いやりとりのあと、今度こそ本当に、晃は部屋を立ち去った。

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