第5話 転がる運命の輪
スイッチの力は、バグによるものだった。
おそらくは、自分を変えたいという晃の強い思いが、スイッチというバグを起こしてしまったのだろう。
この女の子から聞いたバグの性質と、晃の状況は完全に符合する。
だが、不思議と衝撃は感じなかった。
世界の異変と聞いたときから、これはほぼ予測されていたこと。
パラメータを任意に変更できる。そんなもの、異変でなくてなんだというのだろうか。
(世界どころか……すでに俺自身が壊れていたんだな……!)
ようやく自分に起こった出来事が解明できた今、むしろすがすがしい気分だった。
もちろん問題はある。
自分がバグだということになれば、いつかはこのデバッガーという存在に修正されてしまうかもしれない。
修正というのがどんなことをされるのかはわからない。
だが、スイッチの力を失ってしまうのは、まず間違いないだろう。
(……それだけは、なにがなんでも阻止しないと)
最善と思われる策は、すでに考えてある。
自分がバグかもしれないという可能性を思いついたときから、こんなことは予測済みだった。
晃はわざとらしく「ふぅ」とちいさくため息をつき、さっきからずっと、考えるように口元にやっていた手を離す。
といっても、考えていたのはまったく別のことだったわけだが。
「……なるほどな。願いの木も、最初はなんの力もなくて、ただの伝説だったかもしれない。だが、いろんな人がそれを信じて願い、いつのまにか本当の力を持つようになってしまったのだな」
本当はすぐに想像がついていた。
けれど、考えに考えてようやく出した結論――そう受け取られるよう、晃は気を配った。
神妙な顔。そして一言一言を、確かめるようにゆっくりと。
その甲斐あってか、女の子は疑いもせずに「そういうことよ」とうなずく。
「七不思議、なんて言葉があるくらいだし。学校にはこの手のバグが発生しやすいみたいね。心霊スポットなんかも、バグが原因の場合はけっこうあるし」
「しかし、だ。デバッガーならば、それを修正できるんだろ? 今みたいな場合、どうするんだ?」
流れを微調整。慎重に、けれども的確に、流れを操作していく。
自分がバグであると判明した今、バグに関する情報はすこしでも多く入手したかった。
もしかしたらこの先、情報の有無が状況をおおきく変える、そんな事態に直面するかもしれないのだから。
すると、女の子はすこしだけ困ったような表情を見せた。
「……それなのよね、問題は。たしかに原因は木なんだけど、そこにいる人も要因のひとつなのよ」
「そこにいる人って……クランさんか?」
言われてみれば、晃は今までクランの存在を失念していた。
彼女は祈りをささげるような姿のまま、変わらず木の下にいた。
他の物体と同様、すべての運動が停止しているのだろう。
しかし、そんな状態で彼女は無事なのか……?
晃のそんな心配を読み取ったように、マーシャは「問題ない」とつぶやく。
「時間が止まっているということは、彼女にとってこの瞬間は存在していないに等しい。
「……でも、だからこそ問題なのよ。バグを修正するためには、そのバグを起こす原因となった強い思い、つまり願いね。それをつきとめなきゃいけないのよ」
「なるほどな、願いか……」
晃は再び口元に手をやりながらうなずく。
ならば、晃の場合は『自分を変えたい』という願いを知られない限り、修正はされないということ。
すこしくらいバグの疑いを持たれても、すぐには修正されないかもしれない。
思いがけず得られた情報に、晃は軽く安堵する。
(それならば、少しばかり先を急いでも平気か……)
予定ではまだ様子を見るつもりだった。
しかしその予定を早め、彼女たちに全面協力することにする。
無理に情報を引き出そうと不自然な発言をすると、疑いを抱かれる可能性もあったのだが……それより解明に協力して信頼を得たほうが、後々で有利になると判断したのだ。
「おや? ちょっと待てよ。俺は知ってるぞ。クランさんの願いを」
「えっ、ホントに!?」
女の子の表情が、ぱっと明るくなった。
不信感はかけらもない、単純でわかりやすい反応だった。
――よし。問題なし。
自分の判断が過ちでなかったことを確信した晃は、クランに歩みよりながらさらに言葉を続ける。
「ああ。偶然だが、クランさんが願いの木にしてた願いを聞いてしまったのだ。だからおそらく、間違いはないはず」
すると、女の子は一転して「……ふーん」と顔をしかめた。
「盗み聞きなんて、趣味が悪いわね……。まぁ、おかげで修正できそうだから、これ以上は言わないであげるわ」
嫌味たっぷりな女の子の態度に、晃は「はは……」と苦笑した。
だが、好かれようが嫌われようが、はっきり言って些細なことでしかない。
バグではないかと疑われないこと。それが最優先事項だった。
「で、その願いってなんなのよ?」
相手が乗ってきた。ここまでくれば、もう安心だ。
(スイッチ……オフ)
パラメータを設定し直し、『知力』を下げる。『体力』が元に戻ったおかげで、身体も軽くなった。さっきまでのだるさが嘘のような軽快さだ。
すっ、とベンチから立ち上がると、クランのそばまで歩み寄ってかがんで、その横顔を見つめた。
頬には、光る雫となった涙が張り付いたまま。
(クランさん……)
彼女の悲痛な願いは、すぐにでも思い出せた。
「彼女は、選べなかったんだ。友情と、恋愛と、その板ばさみになって。それで、自分はどうしたらいいのか教えてくれ……ってさ」
「なるほどね。そりゃあ、なんでも願いを叶える木でも、人に解決策を教えることはできないわ。……実現不可能な願いね。その人も、願いのしかたが悪かったわよ」
「でも俺は、クランさんらしいと思う。すべてを不思議な力に任せるんじゃなく、自分にできることは自分でしようっていうのが……さ」
不思議な力、バグであるスイッチに頼りきりの晃にとって、クランの行動には考えさせられるものがあった。
もっとも身長だけは、自分じゃどうにもならなかったわけだけど……。
顔をしかめたまま、おもしろくなさそうに晃を見つめる女の子は、「それにしても」と前置きして続ける。
「友情と恋愛……ねぇ。もしかして、その人ってあんたのファンだったりするわけ?」
晃のことを責めるように言い放つ女の子。
嗚咽とともに聞いてしまった彼女の願いを思い出しながら、晃はその雫を指でぬぐう。
「そう……だな。でもまさか、世界を狂わすほどに思い詰めてたなんて」
彼女がどんな気持ちで自分を見つめ、そして、明乃といっしょにいたのか――それを思い、切なくなる晃だった。
その表情を見た女の子が、ちいさくつぶやく。
「……なによ。そんな顔もできるんじゃない。もっと冷たいやつかと思ってたわ……」
「え? なにか言った?」
「な、なんにも言ってないわよ! ほら、マーシャ! ここで修正して
女の子は晃に背を向け、たたたっ、とすこし離れたところまで駆けていく。
それが照れ隠しのためか、本当にクランに気付かれないための配慮なのかは、わからない。
マーシャは相変わらずの無表情で「了解した」と答えると、現れたときと同じようにふっと姿を消した。
そしてまた、女の子の正面に現れる。
「では、いつものようにこれを」
つぶやいた彼女の前方の空間に、緑色に光るものが出現した。
女の子がそれに指をのばし、操作し始めたところを見ると、どうやらキーボードらしい。
そのとなりに駆けよって並んだ晃は、その様子をのぞきこんでから、マーシャに視線を向けた。
「……で、あんたは何者なんだ? 人間……じゃ、ないよな?」
「我は監視者。デバッガーを監視する者。実体がない以上、人間とはいえないだろうな。概念としてもっとも適当なのは、そうだな、おそらく神になる」
「よりにもよって、神様かよ……」
あきれたようにつぶやくと、女の子が「うるさい! 気が散る!」と怒鳴った。
どうやらマーシャについては、これ以上質問するだけムダかもしれなかった。
晃はやれやれと思いながら、すこし小声でマーシャに話しかける。
「それじゃ、今はなにをやってるんだ? その、キーボードみたいのを叩いてるけど」
「報告書の作成中だ。監視者である我は、この報告書を受け取ることではじめてバグを修正できる。監視者とデバッガー、どちらが欠けても、バグは修正できない」
その説明を聞いた晃は、おもわず苦笑してしまった。
「報告書がないと動けない神様か。そりゃまた、ずいぶんと俗っぽい神様だな」
「神に祈りを届けるには、儀式が必要。これは、その儀式と同じだ」
どこまで本当なのか、マーシャがそう返答すると、女の子が「よし、できた!」と言ってエンターキーらしきものを叩いた。
「マーシャ。チェックお願い」
「……問題ない。修正を開始する」
目を閉じたマーシャの姿が、一瞬だけ光り輝く。
すると彼女の身体が光の粒子へと変わり、飛び散るようにはじけた。
光は空へ、願いの木へ、そしてクランへと、吸い込まれるようにして消える。
次の瞬間には、世界は修正されていた。
空はすっかり深みを増した赤に染まり、願いの木からは長い影がのびている。
風が枝葉をゆらすざわめきが、世界は正常であることを告げる。
クランは「ふぅ……」と息をつくと、閉じていた目を開いて願いの木を見上げた。
「なんて言っても、答えが返ってくるはず……ないよね」
そうつぶやいて立ち上がると、手の甲で目をこすって。
けれどそこに予想していたものがなかったのか、彼女はぱちくりと手を見つめた。
「……あれ? わたし、泣いちゃったと思ったけど」
軽く首をかしげて考えるが、答えは出なかったらしい。
「まぁ、いいか」
と言って、くるっと木に背を向け立ち去っていった。
その様子を遠巻きに眺めていた晃は、女の子に声をかける。
「これで終わったんだな」
「そうよ。修正、終了ね」
仕事は終わった。
女の子はそうとでも言いたげに、感慨深く一言をつぶやいた。
そして今度は、なにやら歯切れ悪く「それで……」と、ちらちら視線をそらしながら晃を見上げる。
「……き、規則だから! ホントはあんたなんか、スカウトしたくないけど……こういう状況の場合、しかたないのよ! ど、どう? デバッガーになるの!? ならないの!?」
――ここだ!
ついに、晃が待ち望んでいたセリフが、女の子の口から出てきた。
とてもスカウトとは思えない言葉だったが、それでもデバッガーへのスカウトには違いない。
晃には素質があるということで、いつかは来るだろうとこの瞬間を待っていたのだ。
バグと見抜かれないための最善策。
それはすなわち、晃がデバッガーになることだった。
デバッガーがどうやってバグを発見するのか?
その方法を知っていればいるほど、バグと見抜かれる確率は低くなる。
単純にして、合理的なこと。
見つける方法を熟知していれば、逆にどうすれば見つからないかも、いくらでも思いつくのだ。
加えて、バグを修正するデバッガーが、まさかバグのはずはないという先入観。それも他人の判断を狂わせることができる。
名探偵の代名詞、ホームズでさえも、まさか助手のワトソンが犯人だとは思わないだろう。
まさに発想の逆転。IQ180の頭脳は、伊達ではなかったということだ。
「デバッガー、か……。俺には、その素質があるんだよな?」
迷っているような、ふくみを持たせた感じで問いかける。
いくらなんでも普通なら即答はしないだろう。
答えはすでに決まっているのだけれど、ここはあえて様子を見る晃だった。
女の子は完全に視線をそらして、腕組みをしながら答える。
「そ、そうよ! 素質がなけりゃ、スカウトなんかしないもの……! まったく、なんであんたなんかが……」
「はは……。俺って、なんか嫌われてるよな」
晃のちいさなつぶやきを、女の子は聞き逃さなかった。
きっ、と鋭い視線で晃を見上げ、いまにも爆発しそうに口を開きかけた、そのとき。
姿を現したマーシャが「そこまでだ」と、女の子を制した。
「あなたのその感情は、ただの逆恨みでしかない。これ以上続けるなら、
「う……。そ、それは……」
「態度を改めよ。よいな?」
女の子に念をおしたマーシャは、晃にその薄い身体を向ける。
「さて、今一度聞くが。デバッガーになる気はあるのか? もちろん、ないと言っても非難はしない。我らに関する記憶を消す――などということもない。あなたの好きにするがいい」
「ん……。そうだな」
晃はそこで言葉を区切り、続ける。
「素質があるって言うなら……やってみるよ。さっきのクランさんみたいに、人助けにもなるだろうしさ」
すると、マーシャは満足そうにほほえんだ。彼女の表情らしい表情を見たのは、これがはじめてだった。
女の子に視線をうつし、「異存はないな?」と問いかける。
「……えぇ、ないわ」
いやいや、といった感じだったが、女の子も首を縦に振った。マーシャもうなずく。
「了承した。では、あなたには
「ああ、わかったよ。これからよろしく」
晃は紳士的に、女の子に握手を求めた。
なにかと行動をともにするだろうし、友好的にして損はないはず。
そう思っての行動だったけれど、女の子は晃の手をじっと見つめるだけで、握手に応じなかった。
かわりに一言、「……ちょっとだけ聞いていい?」と口にする。
「……え?」
晃が聞き返すと、女の子は真っ赤になってにらみつけてきた。
「わ、わたしの名前は
――とうか。
その言葉の響きが、晃の脳裏に散らばっていたままだった、パズルのピースをひとつにつなげた。
女の子と出会ったときに感じた、不思議な感覚。その正体が今、はっきりとわかったのだった。
どうりで見たことがあると思ったわけだ。
彼女は、晃の幼なじみ。
十歳のときまで隣同士の家だった、
とはいえ晃も、冬華の顔を完全に忘れていたわけじゃない。ぼんやりとした印象くらいは覚えている。
それなのに今の今まで、目の前の冬華と記憶の中の冬華が、まったく結びつかなかった。
なぜなら当時の冬華は気弱な性格で、泣きながら晃のあとをついてくるような女の子。
平気で晃を罵って足蹴にするような今の冬華とは、似ても似つかない。
それに冬華の外見は十歳のときのまま、なにひとつ変わっていないのだ。
高校生に成長した彼女が、当時と同じ姿のままのわけがない。
そんな先入観も、晃の判断を鈍らせていたのかもしれない。
(……とにかく、だ)
ここで本当のことを言うわけにはいかない。
探偵を前に罪は認めなくても、アリバイ工作はしたことを認めるようなものだった。
いくら月日が流れているとはいえ、『僕』だった晃が『俺』に成長するとは、とても信じられないだろう。
似ても似つかないどころか、完全に別人なのだから。
と、なると。
バグの存在を知ってるデバッガーなら――そんな『常識ではありえない』変わり方に対してバグの疑いを抱くのは、想像に難くない。
焦りで急にかわいた口で、どうにか答える。
「い、いや。おまえの勘違い……なんじゃないか?」
「……そう、よね。あんたがあの晃のはず、ないものね」
どこか安心したように冬華がつぶやいた。無事にごまかせたらしい。
けれどこれは、非常にまずい事態になった。最悪といってもいいだろう。
過去をよく知る人物は、それだけで危険だ。
晃が冬華のことをわからなかったように、冬華も晃のことを同姓同名の別人と思っているようだけど、それも油断できない。
自分では気付いてもいないような、ちいさな癖。話し方や、ちょっとした昔の話……そういうふとしたことで、冬華の知る晃と今の晃が同一人物だと見抜いてしまうかもしれないからだ。
(そんなのが、よりにもよってデバッガーだなんて……!)
今は上手くだませた。
けれど、このまま冬華と一緒にいて、ごまかし続けることができるかどうか……?
予想外のことが起きたせいで、晃は自分の策で自分の首を絞めてしまった。
(どうする? どうする……!?)
手をのばしたまま、晃は固まる。
けれど無情にも、冬華は決断の猶予を与えてくれなかった。
ちら、と晃を上目づかいで見上げ、口を開く。
「……こ、これは、しょうがなくだからね!? 握手はしてあげるけど、わたしはあんたのこと、だいっきらいなんだから!?」
そして、すっと手をのばし、晃の手を握った。
「そ、その……。これから、よ、よろしく……」
いくらなんでも、この状況から手を離すことはできなかった。
自分から握手を申し込んだ手前、不自然極まりない。
かといって、もうあれこれ考えている時間もない。
晃は必死の思いで平静を装って、その手を握り返した。
「ああ。よろしく、な……」
――なぜあのとき、スイッチをオフにしてしまったのか?
もしも『知力』が高ければ、とっさの機転で切り抜けられたかもしれないのに――。
そう、心の底から後悔するのだった。
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