デバッガーLV100
天埜冬景
プロローグ
身長、一メートル五十一センチ。
中学三年生男子の平均身長は言うに及ばず、女子の平均身長と比べても十センチ近く低い。
彼よりも背の低い子を探すのは、女子の中からも難しかった。
周囲を見れば、まさにそこは一面の壁のよう。
友達と話すときも、視線はかなり急な角度で上を向いているのが常だった。
さらにいつだったか、嫌味なほど背の高いバスケ部員がぶつかってきて「悪い悪い、ぜんぜん見えなくてさ」と、なんの気なしに言われたときは、ショックのあまり三日は立ち直れなかったものだ。
これでなにか特技でもあれば違ったのだろうが、不運にも天は才能らしい才能を与えてくれなかったらしい。
勉強も運動も、いたって平凡。
芸術面で秀でているわけでもなく、しゃべるのが得意なわけでもない。
強いて言えば顔立ちは端正な方だったが、この身長では男前というわけにはいかず、むしろ『晃』という名前の響きのせいで「女の子みたい」と言われ、可愛がられることのほうが多かった。
だけど、それでもいいと、晃は思っていた。
学校でも一、二を争うような美少女。そんな女の子が、晃のことを気に入って仲良くしてくれていたのだ。
彼女が晃のことをどう思っていたかはわからなかったが、晃は彼女のことが好きだった。
彼女の一番近くにいられる――それだけで晃の心は平穏を保ち、満たされていた。
だがそれも、永遠には続かない。
晃は運良く入試に合格し、全寮制の高校への進学が決まっていた。
施設の充実を図るあまり、山奥と言ってもいいような広大な場所にしか学校を建てられなかったらしい。
市内の名門進学校に通う彼女とは、離れ離れになってしまう。
卒業という別れのときを迎え、ついに晃も秘めた思いを告白する決意を固めた。
このまま友達としてさよならしたくない。恋人として付き合っていきたい、と。
そして――。
「……ごめんなさい。わたし、他に好きな人がいるから」
晃の心に、おおきな亀裂が入った瞬間だった。
それじゃ今まで仲良くしていたのは、なんだったのだろう?
ただの幻、自分の一方的な思い込みだったのか?
でも、彼女はいつも一緒にいてくれた……。
傷心の晃は、訴えるようにその思いのたけをぶちまける。
……しかし、それは決定的な過ち、愚行だった。
「だって神尾くん、弟にしか思えないんだもの。一緒にいて遊ぶには楽しいけど、恋人にするには、ちょっと可愛すぎるっていうか……ねぇ?」
その言葉は見えない矢となり、晃の傷ついた心を粉々に打ち砕いた。
それ以上なにも言えず、なにも聞く気になれず、晃は泣きながらその場を走り去った。
――もういやだ。
なにもかも。
どうして僕の背は低いんだろう?
こんなの、努力じゃどうしようもないのに。
牛乳だっていっぱい飲んで、適度な運動をして、睡眠をたっぷりとって……それでもダメだった。
僕はこれからずっと、可愛いって言われ続けるの?
この背のせいで、好きな人にも男として見てもらえずに……。
そんなの……そんなのいやだ! 僕なんか大嫌いだ! いっそ消えてしまえ――!!
晃は着替えることも忘れ、制服のまま一晩を泣き明かした。
中学校を卒業したという喜びや寂しさ、高校生活への期待や不安。そんなもの、晃は感じていなかった。
あるのはただ、どうしようもない悔しさだけ。
自分自身に、そして、理不尽な世界への。
ひとしきり泣くに泣いた晃だったが、やはりどんなときでも、人間生きていればお腹が減るというもの。
「……朝、か」
よく考えれば、夕食も食べずにこうしていたのだ。空きっ腹を抱えて、晃はのそのそと上半身を起こし――。
「ん……? あれ?」
晃は異変に気付いた。
三年間着続けて、すっかり見慣れた制服。
中学に入れば背が伸びるだろう、そんな願いにも似た理由で買った、ひとつサイズのおおきなもの。
結局背は伸びず、だぼだぼのまま卒業してしまった制服だ。
そのはずなのに、今朝は冗談みたいにつんつるてん。
大人が子供の服を着ているみたいに、袖から長い腕が伸びている。
「制服が……縮んだ?」
いや違う。これは、まさか……!?
信じられないと思いながら立ち上がった晃は、天井から吊り下げられている照明器具にガンと頭をぶつける。
これでもう、まちがいなかった。
蛍光灯を換えるのにも、イスに上ってさらに背伸びしてようやくだった。
それなのに、今は……!
ぐわんぐわんする頭を抱えて、転がるように鏡の前にたどりつく。
すると、そこに映っていたのは――。
神尾晃にとって、世界を覆う壁など存在しない。
晃さえその気になれば、どんな壁であろうと造作もなく越えられる。
なぜなら、今の彼は……。
『新入生、代表。神尾晃』
「はい」
私立
晃がパイプイスから立ち上がると、講堂はおおきなどよめきに包まれた。
「……あいつだろ? IQ180の天才っていうのは」
「しかも運動もできるらしいぜ? 噂じゃ短距離走で、インターハイ並のタイムをたたき出したとか」
「俺が聞いたのは、たった五分で書き上げたデッサンがあまりに完璧で、ウチの美術教師が腰を抜かしたって」
「おまけにあの、モデルみたいな八頭身の身長とルックスだろ……。ちくしょう、神様は絶対に不公平だ……」
颯爽と歩く晃の耳に、次々とそんなささやき声が飛び込んでくる。
一部の女子生徒はまるでアイドルのコンサートのように、きゃーきゃーと黄色い歓声をあげる始末だ。
――実に、実に心地よかった。
人に注目され、脚光を浴びる。
それがこんなにも誇らしく、身体の奥底から陶酔がわき起こるものだとは、今まで知らなかったのだから。
今にもにやけそうになる両頬をきりりと引き締め、晃は背筋を伸ばして壇上に上る。
スタンドマイクの前で一礼すると、女子の歓声は最高潮に達した。
『静かにしなさい! 静かに!』
教頭の怒鳴り声が響くと、講堂はしんと静まり返った。
晃は余裕の表情でマイクの角度と高さを確かめる。
これだけの視線が注がれているのに、緊張のかけらもなかった。
今の晃は自分であって自分でない。
なにをやっても平凡で、背が低いことがコンプレックスだった自分はもういない。
(僕……いや。俺は、生まれ変わったんだ!)
そう。今の自分はすべてにおいて凡人を凌駕する、完璧な存在。
こうして壇上に立ち、みんなの羨望も嫉妬も一身に受けることは当然。
当たり前のことを当たり前にこなすのだから、緊張などするはずもない。
(……『僕』だった頃の俺に、さよならだ)
決別は胸の中で。そして、宣言は言葉となって。
マイクに向かい読み上げる、新入生代表の挨拶。
新たな旅立ちに心躍らせている――その挨拶は、眼下の生徒たちに、背後の教師たちに、なによりも自分自身に対しての挨拶だった。
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