2.3
一カ月前まで、俺はフレンディアナ――旧インディアナ州――の寂れた街の外れで、トウモロコシを栽培していた。栽培と言っても広大な農地があるわけじゃない。二十年弱の賞金稼ぎ生活で得た金の大部分は元妻のジェシカに渡したし、残った金も寄付に使った。
そんな俺に買えたのは、フレンディアナなんて田舎の、痩せた半エーカーだけだっただのだ。
とはいえ、そんなちっぽけな土地でも、メシの種にするには十分すぎるくらい収穫できた。それに満足に動かせる農業機械もない環境だ。手入れをするには、実に手ごろなサイズだと思えるようにもなっていた。
朝日と共に起き、畑を見回る。柵が壊れていないか。害獣に食い荒らされてはいないか。緑の皮に包まれた、将来は黄金色になるであろう実の、育ち具合はどうなのか。
確認が終わるころには太陽が頂点を越え、あとは街でバカ話をしたり、仲間の手伝いに行ってやったりする。
仲間といっても賞金稼ぎではない。土地を取り戻したと主張する元ファーストネーションたちだ。旧カナダにおけるネイティブアメリカンの呼称らしいが、どうでもいい。いまはフレンディアンと呼ばれている。要するにフランス語を喋るインディアンを自称しているわけだ。
そして元はインディアンの土地という意味だったインディアナ州は、いまのフレンディアナ州へと名を変えた。誰が言いだしたのかは知らないが、部族ごとに名前がついているフレンディアンたちが言い始めたわけではないだろう。
土地を奪い返した血気盛んな世代は老いさらばえているから、名乗りだしたとしたら、きっと若い連中だろう。彼らは非常に進歩的で、俺のような奴にも友好的だった。もっとも、その優しさは、荒野にぽつんと落ちたインクの染みほどの町ゆえかもしれないが――。
不満を言っているわけじゃない。むしろフレンディアナでの生活は気に入っていた。
フレンディアンの若者とからかいあうのも悪い気はしなかったし、老人たちが語る世界が壊れた日の話も面白い。当然、慎ましやかな田舎暮らしを止めるつもりはなかったし、賞金稼ぎに戻るなどもってのほかだった。 端的にいえば、俺は悠々自適な引退者生活を送っていたわけだ。
かつての知人が、手紙もなしに訪ねて来るまでは。
カスパーが家に訪ねてきたのは、ごくごく平凡な昼下がりの頃だった。太陽が焼かれた大地をなお焦がすのに飽きはじめた頃だ。うだる暑さに変わりはなかった。
俺はポーチに置いた手作りの安楽椅子に座り、サイドテーブルの新造ルート・ビア『フレンディアンズ・スピリッツ』の瓶に手を伸ばした。
崩壊後にリトルシャンハイから流れ出したチャイニーズたちが、この地でフレンディアンと協力して、復刻した飲み物だ。チャイニーズお得意の漢方調合と、フレンディアンたちのハーブ栽培が生みだした奇跡。茶色というか黒というべきか。とにかく炭酸が利いていて、甘く、くせになるような薬草臭さがある。酒が飲めない俺にとっては、酒を呑まずに酔っぱらったような気分になれる、魔法の水だ。
俺は酩酊にも似たゆらゆらと揺れる感触を楽しみながら、トウモロコシ畑を眺めていた。カラカラに乾いた白茶けた大地の上に、背丈より少し高いくらいの緑の林。荒野に突如現れる植生がトウモロコシ畑とは滑稽だ。俺にとっても、壊れた世界にとっても。
トウモロコシはまだ毛は生えてきていないが、今年の出来はいつもよりいいようだった。十年間のトウモロコシ栽培の成果で、土地が肥えてきたのかもしれない。たっぷり出来れば仲間にも分けてやれるし、商品にもなってくれるだろう。
癒しの光景を楽しんでいると、人の気配があった。扉を叩いても反応がなかったからなのか、家の横手を回り込んでくる。
俺は安楽椅子の傍に立てかけておいた
他に俺を訪ねて来そうなのは、納屋の屋根修理を手伝ってほしがっているフレンディアンの青年か、あるいは、荒野でも逞しく育つ大麻やらペヨーテ(メスカリンがとれる)を摂取し、先祖と触れ合おうとのたまう老人くらいのものだ。
前者ならともかく、後者のようなお誘いは、謹んで断ることにしている。
フレンディアンたちのマジカルミステリーツアーに興味がないわけではない。しかし幻覚を見るのは困る。いくら賞金稼ぎは廃業したと言っても、巨大化した害虫・害獣を駆除するために銃を手に取る機会はまだまだ多い。
俺は訪問者が姿を現す直前を狙って、声をかけた。
「どこのどいつか名乗れば、頭を吹き飛ばすのは勘弁してやる」
「誰かれ構わず言ってるのか? だとしたらボケたんだと思うことにするぞ? 俺は」
タンの絡んだような声音には聞き憶えがあった。そして引きずる足音で思い出す。
「カスパーか!? 何しに来たんだ!?」
「話をしに来たに決まってるだろ? 『デスハンド』」
疲れたように言って、カスパーは老いさらばえた躰を見せた。ボロくさい茶色のジャケットを羽織り、薄汚れた黄土色のパンツを履いていた。上等なスーツでも着ていてくれれば安心できたというのに、あの頃と大して変わらないみすぼらしさだ。
「カスパー! お前も貧乏人のままか!」
「お前よりはマシだよ」カスパーは、すきっ歯を見せつけるように笑った。
「とりあえず、額に汗して泥をいじくるような生活はしないですんでる。俺はな」
嫌味ったらしい物言いも、あの頃とまるで変わっていない。怪我で不自由な右足もそのままだ。治す金がないのか治す気がないのかはしらないが、聞く気もなかった。
俺は散弾銃を戻し、冗談で返した。
「ここらじゃ泥になるほど雨は降らない。変わってないな」
「いや。少しくらいは変わったよ。俺はな」
「そうだな。デブになったし、老けた。人は金を持とうとすると老けるんだ」
「じゃあブタは老けないってのか?」
カスパーは窮屈そうにジャケットの襟を引っ張った。
「今日は冗談を言うために来たんじゃねぇんだ。俺はな」
カスパーは腹こそ出っ張っていたが、しつこいくらいに『俺はな』と口にする癖の方はまるで変わっていなかった。そしてそういう癖が抜けずにいるということは、いまだに上と下に挟まれて苦労しているのだろう。そういえば、たしかいまは、賞金稼ぎと形ばかりの連邦保安局の間で板挟みになっていると耳にしたことがある。
「『俺はな』ってお前……誰か別の奴が、俺に用事があるってことか?」
「ああ。エクス・マイアミのギャングと、王様たちが用事があるんだとよ」
「……エクス・マイアミだって? それに、王様たち?」
エクス・マイアミは東海岸の最南端にある、崩壊前の観光都市だ。現在では事実上の国交断絶状態もあって、観光都市としての機能は失われている。もっとも、親父世代の話によれば、昔から移民や難民が流入し、治安の悪さが目立つ街だったらしいが。
いずれにしても、俺はそんな土地のギャング連中になど、興味も関わりもない。
「田舎のチンピラ連中が俺に何の用だってんだ?」
「賞金をかけられた奴が、この辺りにまで来てるんだとよ。ジャック」
カスパーは火を入れ過ぎたベーコンを見るような目をして言った。
「その賞金首は、ミセス・ホールトンを攫ったらしい」
「どこの貴婦人だか知らないが、気の毒にな」俺はルート・ビアの瓶に口をつけた。
「だが、俺になんの関係があるってんだ?」
どこの誰だか知らない哀れな女の話をしに、カスパーはわざわざ訪ねて来たのか?
理解できない。すでに賞金稼ぎは引退してるし、それはカスパーも知ってるはずだ。
カスパーはポーチを囲う手すりを、のそのそと乗り越えた。
「大いに関係あるね。お前の女房だった女の話なんだからな」
なんだと。
「……ジェシカがどうしたって?」
俺は思わず聞き返していた。
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