第77話 春の風と共に

 それは、満開の桜が少し散り始めた頃だった。


 突然、彼女の叔母さん(彼女の母親の妹)がこの店に。


 確か、一昨年の大晦日に会ったきり。


 分かってはいることだが、やはり、一瞬、ドキッとする。

 彼女の母親に、つまり、私の『片想いの女性』に似ているからだ。

 姉妹なのだから、当たり前だと言えば当たり前なのだが…

 何と言ったらよいか…

 顔が似ているとかでは無くて…

 凛とした立ち姿。

 醸し出す雰囲気。

 それが、彼女の母親に似ている。


 私にひとつ会釈をすると、静かにカウンターに…

 そして、ブレンドを頼んだ。


 今はランチタイムの洗い物などを終えて一服していた時、しかも、一番客の少ない時間帯。

 現時点で客数はゼロ。


 沈黙の中―

 サイホンのフラスコの中でコーヒーが舞う…

 私はハケで軽くかき混ぜる…

 何気ないしぐさでやっているつもりなのだが、頭の中では、

“なぜ来たのか?”

“何しに来たのかな?”

“何か、彼女にひどい事したっけ?”

などと、とりとめのない疑問が駆け巡り、心臓はバクバク。


 私はそんな気持ちを悟られない様に、そっとカップにコーヒーを注ぎ、

「お待たせしました」

 と、コーヒーを差し出す。

 彼女の叔母さんは、目をつぶって、ゆっくりとひと口、私のコーヒーを味わってくれた。

 そして、店内を見渡し、

「懐かしい感じの店ですね。私の育った町にも似た感じの店があったんですよ。姉と二人で時々行ったりして」

「そうですか…お姉さんと…」

「ええ」

 と、ひと口コーヒーを飲み、

「いつもあの子がお世話になって…ご迷惑、掛けてませんか?」

「迷惑だなんて、逆に手伝ってもらったりして、助かってます」

「そうですか…それならいいんですけど」

 と、コーヒーをソーサーに戻すと、私を見つめ、

「実は、あの子の事なんですけど…」

“そら、やっぱり”

 私は、うろたえながら、

「何か傷付ける様な事してしまいましたかねえ? …自分じゃ気付かないけど…あの年頃の女の子の事は実際よく分からなくて…いや、だから、その…つい…もし、何か傷付ける様な事言ったとしたら…」

 と、𠮟られた少年の様に小さくなっていた。

 

 彼女の叔母さんは、そんな私の様子をキョトンとした目で見ていたが、やがて、プッと、吹き出し、笑い始めた。


「アッハハ…違うんですよ。私、そんな事で来たんじゃ無いんですよ…ハハハ…」

 あんまり笑うもんだから、私はもっと小さくなった。


 老犬も、何だか知らないが、彼女の叔母さんの笑い声に誘われて、こっちを向いて楽しそうにシッポを振っていた。


 よくよく話を聞いてみると、彼女は地元の高校では無く、彼女の母親も通っていたブラスバンドで有名な高校を受験したいみたいで…


 彼女の叔母さんは、

「こちらで、何かそれらしい事、言ったりしてませんか?」

 と、私に尋ねて来た。


 彼女の叔母さんとしては、彼女がどこまで本気で考えているのか、その本気度を知りたいのだろう。


「大学までは、私たちでちゃんと出してあげたいと、いつも主人と話してるんですよ…ウチには子供がいませんから、主人なんか、もう、実の娘の様にかわいがっていて…」


 “そうなんだ。そんなに愛されてるんだ”

 なんだか、ホッとした。


「だから、余計にショックみたいで…あの子をまだ手放したくないんでしょうね…せめて、高校までは家から通える所にと…」

 その気持ちはよくわかる。

 だが、進学の事に関しては何も聞いていないので、

「すみません…私は特に何も聞いてなくて…」

「そうですか…」

 と、少し落胆した様子。

 私は、慰めるかの様に、

「まあ、でもまだ、これからどうなるかは分かりませんよ」

「そうですね…」

「そうですよ。学校にも友達沢山いる様だし、結局、みんなと一緒に地元の高校へってことになるんじゃないですか」

「…そうですかね…」


 彼女の叔母さんは最後のひと口を飲み干すと、

「すみません。勝手に押しかけて」

 と、立ち上がる。

「こちらこそ、あまりお役に立てなくて…」


 レジで会計していると、

「今日、此処に来たこと、あの子には…」

「はい」

 と、だけ答えた。

 勿論、言うつもりは無い。


 見送った後、カウンターのコーヒーカップを片付けを始めるが…

 ふと、窓の外を見ると少し風が出てきたようだ。

 

 私は、なんだか直ぐに片付けをする気にならず…

 手を止めて、店の外に出てみた。


 風に乗って何処からか柔らかな春の香りが…


 新しい季節の中で、みんな、ひとつひとつ成長していて…

 何も変わらないと思っているいつもの通りの風景でも、やはり、昨日とは違っているのだろう。


 変わって行く…今日、そして、明日へと…


 何だか私には、この一年が今までと違う一年になる様な…


 そんな気がしていた…

 


 



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