第56話 ラストモーニング
澄み切った秋晴れの朝。
店の中にはもう既に数人、いつものように、それぞれの出勤のためのサラリーマンやOLや学生たちがいる。
私はグラスを拭きながら少し時計を気にしている。
”太陽が昇らない日が来るのかなあ…”
私は何となく心の中でそんなことを考えていた。
”カラカラン”と、店の扉が開く。
「おはようございます!」
その太陽はいつもの声で入って来た。
いつもの挨拶、いつもの笑顔。
普段と変わらない出勤スタイル。
でも、いつもと違う最後の朝。
今日はミス・モーニングの退職の日。
ラストモーニングなのである。
爽やかな笑顔でカウンターに座るミス・モーニング。
いつもの席に。
お客は少ないのでいつも開いている…
ミス・モーニングは私にとっては、心の太陽なのである。
何となく生きていた私に“朝日”を運んできてくれた人だから。
瞳の奥に少年のような心を持っている、そんな女性だった。
ミス・モーニングはいつものようにモーニングセットをオーダー…
厚切りトーストと私の気まぐれ日替わりブレンド…
いつものように両手でカップを持ちながら、ゆっくりと最後のモーニングコーヒーを味わいながら飲んでいる…
今日が退職の日。
ミスモーニングなりに生き甲斐を感じながらやってきた仕事を辞めてしまう日…
そんな仕事にひとつの区切りを付け、愛する人のもとへ…
思い切って別の世界へ飛び込んでいく…
そんな、終わりと始まりが交差する不思議な朝のモーニングコーヒー…
ミスモーニングは、コーヒーを飲み終わると、ひとつ大きく“ふぅ~”と息をついて、ゆっくりと店と中を見回していた…
ここでの日々はそんなに長くは無かったとは思うけれども、ミス・モーニングなりのいろんな思いが心の中を過ったのかもしれない…
そして、いつものようにキラキラした少年のような瞳で、
「ごちそうさま」
と、立上り、レジへ。
いつものようにお金を払って…
最後に一瞬だけ私を見て、軽く会釈して、
「行ってきます」
私は何か一言言ってあげようかなと思ったが…
”カラカラン…”
ミスモーニングが扉を開けると、少しひんやりした風がスーと店の中に入って来て…
そして、ミスモーニングは扉の外へ…
歩き去ってゆくミスモーニングを私はしばらく見送っていた…
少ししんみりした空気が店の中に漂っていて…
私がちょっと思い詰めた声で、
「今日、もう、店閉めてもいい?」
と、言うと、お客全員が一斉に私の方を見た。
張りつめた緊張感が一瞬走った…
私は慌てて、
「冗談ですよ。冗談」
みんなほっとした表情…
そして、また、静かな日常の朝へと戻っていった…
夜。
店の看板をしまいながら私は、
”もう明日から、あの太陽は昇って来ないんだなあ…”
と、一人、万感の思いで盛り上がっていた…
が…
翌朝の九時半を過ぎた頃、”カラカラン”と、あの特徴のある音がして扉が開いた。
私が驚いて振り返ると、なんとミス・モーニングが入って来た。
「まだモーニングサービス、やってます?」
モーニングサービスは、十時までなので…
「…勿論、やってますよ」
かなり呆気に取られている私をよそに、ミスモーニングはカウンターのいつもの席に。
「昨日の送別会で、飲み過ぎちゃって」
そうなのだ。
確かに昨日で退職はしたものの、ミス・モーニングは引越しの準備や何かでまだこの街に残っているのだ。
新しい朝が来た。
しかし、昨夜までの私の盛り上がりは、いったいどうすれば…
私はかなり複雑な心境でミス・モーニングへのコーヒーを注ぐ。
やはり私の人生は、そうそうドラマチックなものでは無いようだ。
なかなかドラマチックにはいかないけれど、これは“リアル”に嬉しい出来事で、私はこの”新しい朝”を楽しめそうだ…
それは、ミス・モーニングが引っ越してしまうまでのほんの数日の事なのだろうけれども…
今日、店の中に降りそそぐ秋の日差しは、ほんのちょっぴりだけど暖かく感じた…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます