第38話 コーヒーとホットミルク
冬の土曜日の昼下がり。
今年は例年より暖かい。
ただ、ここ数日は寒くなり冬らしい日が続いている。
そんな土曜日の昼下がり。
この時間帯にミス・モーニングがいるのは珍しく、奥のテーブルの席でコーヒー片手に雑誌を読みながら、久々の土曜の休日をこの店でくつろいでくれている。
ミス・モーニングが窓に目をやり、
「あっ」
と、小さく呟く。
外を見ると、雪である。
綿のような雪が静かに舞い落ちていた。
私も思わず手を止めて、窓越しに、久しぶりの雪に目をやる。
“どうりで、寒いはずだ”
今日はポットから立ち上がる湯気も少し大きく見える。
店の扉が“カランコロン”と開き、雪の国のいたずらっ子の様に、綿雪を頭や肩に載せてほっぺと鼻の頭を真っ赤にした彼女が、冬の妖精たちをエスコートして入って来た。
彼女はキラキラ輝かせた目で、サックスケースを抱えて、
「降って来たよ!」
と、入って来た。
暖かい所に入って来てしまった妖精たちは、彼女の肩の上で静かに水滴に変わっていってしまった。
「自転車で来たの?」
と、聞く私に、
「そう!」
彼女はいつものようにカウンター越しに、老犬に挨拶をして、手に息を吹きかけながらカウンターに座る。
老犬も彼女の演奏を心待ちにしていたいかの様に、シッポを振って応える。
「何か飲む?」
「エッ? いいの?」
「今日は特別」
「じゃあ、ホットミルクがいい」
と、とても素直に私の好意を受け取ってくれた。
彼女は、ご注文のホットミルクを両手で抱えてゆっくりと飲みながら、
「…冬は寒いけど…あったかいね」
と、ひとつ大きく、ふぅ~と息をつく。
“そう言われるとそうだなぁ”
外が寒いからこそ、店の中もコーヒーもホットミルクも、普段より温かく感じることが出来るのかもしれない…
彼女はホットミルクを飲み終えると、カウンターの奥に行きサックスを取り出す。
セッティングを終えると、すぐに演奏を始めた。
人前で演奏をするのは、まだ二回目なのに、もう度胸が付いたのか、軽くウォーミングアップをすると、今日はためらわずに吹き始めた。
店内に“スイートメモリーズ”が流れ始まる。
ミス・モーニングは驚いたように、私の方に目をやる。
私は、小さく頷いて応える。
ミス・モーニングも全てを理解したかの様に、私に頷いてみせた。
そして、読んでいた雑誌を閉じて、彼女の演奏に聞き入っていた。
彼女は、“スイートメモリーズ”と“ひこうき雲”を吹き終えると、
「ねえ、今練習している曲、吹いてもいい?」
と、私に訪ねてきた。
「もちろん。ここは、そういう場所なんだから」
「ありがとう」
と、答えた彼女は、新しい譜面を取り出し、吹き始めた。
なかなか軽快な曲のようだが、残念ながら私には曲名が分からない。
ひと頃よくかかっていた曲なんだが…
“うーん、何だったかなあ”
と、考えていたら、ミス・モーニングが飲みかけのコーヒーを持ってカウンターにやって来た。
「彼女、上手ね。この間、マスターが言ってた子、この子でしょう」
「そうです。(ある意味、サラブレッドですから)…ところで、この曲、なんて曲ですか?」
「やだ、これはSEKAI NO OWARIの“RPG”よ」
「ああ、そうですか」
と、答えたが、実はピンと来ていない。
彼女が若いからなのか、それとも、親譲りのセンスなのか、とにかく覚えが早い。
2・3度繰り返すと、もうそれなりに吹けるようになってくる。
同じ様なフレーズが多いというのもあるが、それにしても驚異的なセンスである。
さすがに、後半はばて気味ではあるが、それでも大したものである。
一頻り吹き終えるた彼女がカウンターに来ると、ミス・モーニングが、
「サックス、上手ね」
「ありがとうございます。でも…やっぱり、まだまだ…」
私も二人の会話に加わりたかったのだが、こんな時に限って忙しい。
レジを済ませたり、テーブルを片付けたり…
その合間にカウンターに目をやると、二人は楽しそうに会話を弾ませているようだった。
そんな二人の光景は、なぜか私を安心させてくれた。
こんな風な二人のツーショットを見るとは思ってもいなかったので…
なんだか微笑ましい光景である…
ミス・モーニングの少しビターなブレンドコーヒーと彼女の少し甘めなホットミルクが、まろやかに溶け合ってゆくような…
それから、彼女は小一時間サックスを吹き、今日の“練習?ライブ?”は終了。
その頃には、雪も本降りになっていた。
彼女も急いで帰り支度を。
それを見ていたミス・モーニングが、
「あッ、そうだ。これ使って」
と、彼女に手袋を。
「そんな…」
断ろうとする彼女に、
「いいの。実はこの間、無くしたと思っちゃって買ったら、後で出てきたの」
と、もう一組の手袋を出して見せた。
「慌てんぼうでしょう」
と、彼女に微笑んでみせる。
彼女はその笑顔を見て、
「ありがとう。じゃあ、借りて行きます」
彼女はとても幸せそうに頭を下げ、手袋をしてみせる。
そして、ひとつ会釈をして、
「それじゃ、また来ます」
と、私に挨拶をして店を出た。
少し小降りになった雪の中、彼女は帰って行った。
彼女を見送り中に入ると、ミス・モーニングが、
「毎週やってるんですか?」
「いや~、むちゃくちゃ不定期にやってますから…」
「そうですか。でも、なんだかその方が、この店らしくていいかも…」
「コーヒーもう一杯、いかがです?」
「エッ、いいですか?」
「私もちょっと飲みたいんで、良かったら…」
「嬉しい…」
と、優しく微笑んでくれた。
冬の土曜日の夕暮れ時、店内の客もまばら…
彼女のサックスの演奏が無くなり、店の静けさが増したような…
新しく入れるコーヒーのコトコトという音が小さく響く…
そして、コーヒーの香りが広がってゆく…
外は相変わらず静かに雪が舞っている…
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