4-02 教育は大切です
「モウグォロスってさ、十四歳なんだっけ?」
佐藤孝喜が欠伸をしながら言う。
「随分眠そうだね。大丈夫?」
食後の紅茶で一服していた佐藤美紀が声を掛けた。
「予算と事業計画の詰め、夜中までやってたんだよ。モウグォロスの莫迦、誰か何とかしてくれよ。」
「まだ十四歳なんだから、大目に見てやりなよ。」
「いや、あいつ、言ってること小学生レベルなんだって。計画を立てるってこと自体、やった事が無いんだよ。んで、すげえことに、金がなくなるってのがどういう事か分かんねえらしい。」
「いや、それ言ってる意味分かんないから。」
美紀には、モウグォロスの感覚のズレっぷりに付いていけていないようだ。
「だからさ、世の中が金で回ってるってことを知らないんだよ。自分で物を買ったことなんて無いし、金額や銀貨なんて見たことも無い。金が無ければ食い物を買えないことも、秘書の給料を払えないことも、実際の所分かってないんだよ。」
「うわー、お坊ちゃんだねえ。」
苦笑いしながら言う美紀。
「パンが無ければどうすれば良いと思う?」
「ケーキを食べれば良いって言ったのはマリー・アントワネットじゃないんだってね。」
「モウグォロスは凄えぞ。料理人に言って作らせれば良いんだとよ。」
「うんうん、無いなら作れば良い。優喜様もよく言っているよね。」
「意味全然違うわ!」
ボケる美紀に、孝喜はキレ気味に突っ込む
「そんな感覚だから、今日の商談なんてやらなくて良いとか言い出すんだよ。」
「それは、どういう理屈?」
「商人なんて、命じて呼び付ければ良いってさ。」
「いやいやいや、この町に商人っていないじゃん。他の町の商人に命令なんてどうやってするの?」
「その町の領主を通さないで他の町の商人に命令するのは普通に無理だよ。って言うか、それ以前の問題でモウグォロスは命令なんてできないんだけどね。」
「何で?」
「命令ってさ、相手がいないとできないんだよ。空中に向かって命令しても何の意味もないし。」
「空中って、ちょっと待って。モウグォロスちゃんって、贔屓の商人とかっていないの?」
「いない。この前成人したばかりだから、そういうのはこれからなんだとよ。一人も商人を知らなくて、どこの商会を呼び付けるんだ、って訊いたら、部下と押し付け合い。」
「優喜様も商会探しは苦労したみたいだよね。」
「いや、実際に苦労したの津田だけどな。」
「あら、めぐちゃん、苦労性だねえ。」
そんな話をしていると、始業の鐘が鳴る。
「そんじゃ、今日もお仕事頑張りますか。」
「がんばろー。」
二人は立ち上がり、それぞれの職場へと向かって行った。
孝喜が職場に着くと、既に同僚の二人は仕事を開始していた。紙の束が積まれた机に向かい、原稿を手に黙々とチェックを入れている。
「おはよー。」
気怠い挨拶をすると、二人の同僚が顔を上げた。
「朝から元気無いなあ。風邪でもひいたか?」
「いや、寝不足でさ。昨夜、遅くまでモウグォロスの予算作成に付き合わされてさ。」
「そりゃ大変だな。んじゃ、今日は版下作って試し刷りしてもらえるか? 寝不足じゃ原稿チェックはキツイだろ。」
「ああ、そうさせてもらうわ。」
孝喜は棚から製版用具を取り出して作業を始める。
彼らの職場はティエユ印刷工場。現在は数学の教科書を作っている。
この世界の教養レベルは驚くほど低い。人類文化の歴史は地球の十倍以上あるというのにだ。古い遺跡は数十万年以上も前のものだと言うし、八千年前の大戦で多くが失われたものの、一万年以上前の歴史書だって残っているのだ。
それだけの人類文化の歴史を積んでいれば、地球よりはるかに高度な文明が発達していても何の不思議も無い。
だが、人々の生活は『魔法で便利になった中世』程度でしかない。
火薬など魔法が便利過ぎて発達しない文化もあるだろうが、金属加工やガラスの加工、あるいは電気工学などは、普通に発達していても良いだろう。
石油や石炭が全く知られていないのは、そもそも存在しないのか。あるいは、人類の歴史が長すぎて枯渇してしまったのかも知れない。
紙といえば、動物の皮を加工した羊皮紙で、植物性の紙は製法が知られていないどころか、古文書などにも存在している形跡が無い。
紙が希少だから印刷なんて概念も生まれるはずが無く、本は手写しの高級品だ。本自体が少なければ、高度な学問教育など、ごく一部の貴族に限られ、平民の識字能力は驚くほど低い。数字すら読めない者は少ないが、逆に言うと、数字しか読めない者が大半なのだ。
そんな教養レベルの低さのため、魔法陣に使われている制御方程式が全く理解されない。
優喜や理恵はアッサリ解読して、自在に変更して魔法をより便利に使っているのに。
高校一年になったばかりの優喜たちはベクトルや行列などは習っていないはずなのだが、中学三年で煌々三年までの教科書の内容を終えるというのはそう珍しくも無いから、まあ、頑張り屋さんなんだなということなのだろう。
自分達が使う紙を調達するためにティエユ製紙工場を作ったら、思った以上の紙の大量生産が可能になってしまっために、じゃあ本を出版をしようということになったのだ。
その最初の製品が数学の教科書である。
その第一巻は、四則演算から始まり、小数・分数、負の数まで扱う。さらに、面積や体積の概念など、概ね、小学校の算数レベルを纏めたものだ。
その原稿は九割がた完成し、残すは比の章だけだ。
孝喜は清書済み原稿を製版し、魔法による加工処理をして刷版を作る。
それをまず、一枚だけ印刷するのだ。
A0サイズの紙に片面十六枚を一気に印刷するため、一回の試し刷りで三十二ページ分が出来上がる。それを裁断してページ順に纏め、版の最終確認をする。
製版する際に、ページの順番が狂ってしまうことはよくある。そのため、試し刷りしての確認は必須なのだ。
現代日本ではコンピュータ処理によりその辺りは大幅に省略化されているが、流石に優喜もコンピュータを作るには至っていないため、その辺は手作業だ。
細心の注意を払って原稿を並べて機械にセットしていく。片面印刷ならば多少のズレは裁断でカバーできるが、両面印刷だと、表面と裏面の位置合わせをきちんとしておかねばならない。
一時間ほど作業をして、ようやく両面一組の刷版を完成したようだ。印刷機にセットして、印刷枚数のダイヤルを一枚にあわせて機械を回す。
大量印刷する際は魔石を使用するが、一枚だけに魔石を使うのは面倒なので、孝喜は魔力注入レバーに魔力を込めて印刷が終わるのを待つ。
とはいえ、一枚印刷するのにかかる時間は十秒ほどだ。
刷り終わったら、まず、刷版を外して棚にしまう。そして刷り上がった紙を裁断し、印刷の出来具合いを一ページずつ確認していく。
「よっしゃ、オッケー。」
孝喜が喜びの声を上げると、結城雄介と木村純が寄ってくる。
「見して見してー」
「俺もー」
自分たちが苦労して作ったものが形になってくると嬉しいものだ。
三十二ページ分の紙の束を手に、純の顔が綻ぶ。
「清書終わってるのって何ページあったっけ?」
「百八十くらいはできてたはずだな。」
「んじゃ、百六十ページ、五セットまでは刷版作れるんだな。」
「孝喜君、頑張って。」
「うっしゃ、やるぞー」
孝喜が気合いを入れて、製版作業を再開する。
「じゃあ、私は今のチェック終わったら、清書していった方が良いかな。」
「そうだな。残りのチェック俺やるから清書進めてくれるか。」
「了解!」
印刷所の仕事は着々と進んでいる。
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