第67話羽ばたき


 豊楽院で行われている帝の御元服を祝う宴会。

 雅楽を楽しみながら、趣向を凝らした料理の数々に貴族達は舌鼓を打っていた。


 豊楽院の正殿である豊楽殿の高御座たかみくらに座す帝。……否、秘術により見目姿みめすがたを変えた賀茂かもの忠行ただゆきであった。

 先の帝である醍醐だいご帝の体調が悪かりし頃も、忠行は帝は御壮健であるという事を内外に示す為に藤原ふじわらの忠平ただひらに請われ秘術を行使していた。


「と言っても。酒呑はんの変化へんげを術に落とし込んだだけやけどね」


「帝? 何か仰られましたか?」


 口の中だけで呟いた、言葉にもならない言葉を侍従である藤原ふじわらの師尹もろただは耳聡く聞きつけた。


「ありがとう師尹。とても美味しくてね……余のために甘葛あまづらかけをもう一つ持ってきておくれ」


 忠平は師尹に向かって飛びっきりの笑みを見せる。


「帝。……滋養食ですが、食べ過ぎも毒ですよ」


 しかし、笑顔は師尹に届かず。……落胆した表情をする。

 師尹はその表情を見ながら軽く溜息を吐く。


「ですが、帝の御元服ですからね。――父上や兄上達には秘密ですよ」


 師尹は人差し指を口に当てながら静かに帝の横から離れ、高御座の裏から下りる。


「秘密ね。……忠平はんは、息子達にいつか喋るんかいな?」


 賀茂忠行は最後の蘇を摘み、漆器についた甘葛を蘇で丹念に拭ってから口に入れる。


「やっぱり美味しいわ」


 豊楽院の外から風に乗って流れてくる、聞き覚えのある奇声と笑い声に聞こえない振りをする。





 脇に抱えた晴明はるあきらが依然として喚くが、満仲みつなかは一切止まることなく、冷然院へと直走ひたはしる。

 満仲は笑いながら両脚に渾身の力を込める。――冷然院れいぜいいん築地堀ついじべいましらの如き跳躍力により、難無く飛び越え、庭へと着地する。

 庭には既にみなもとの経基つねもとが控えていた。

 

「死ぬかと思った……」


 満仲に丁寧に地面に下ろされた晴明は青ざめた顔で、蹌踉よろめきながらも帝が持つ符の効力を止める。


満仲まんじゅう殿に晴明せいめい、楽しかったね。もし……もし次が・・あったなら、馬に乗ってみたいな」


 帝は満仲の手から、ゆっくりと地面に降り、するりと離れ、軽く衣を整える。


「帝よ。陽成院様がお待ちです、此方へ」


 経基つねもとは帝をいざなうように手を差し伸べる。

 しかし、帝は軽く首を振る。


経基けいき殿、一人で行きます、これは余の戦さですから。それに積もる話もあるでしょう?」


 帝は、ちらりと満仲の方へと目配せをすると口元を緩め、高欄こうらんに手を掛け、五級ごしなきざはしを上がり、奥へと入って行く。

 帝の姿を堂々としており、満仲と経基は不敬ではあるが帝の成長を感じ、晴明は青ざめた顔で池の側にへたり込み、手で水を掬い顔を濡らしていた。



 冷然院れいぜいいん身舎もや

 帝は中央に位置する寝殿の戸をゆっくりと開く。

 中には調度品や御帳台みちょうだいは無く、神体が置かれていない棚の前に陽成院が座し、唐の蝋燭に火を灯している最中であった。


「来たか。忠平から多少は聞いておるな? そこに座りなさい」


 陽成院は蝋燭を手に持ったまま、ゆらりと立ち上がりながら、自らが座していた場を差し示し、棚の方へと向かう。


「聞いております。……形代の三種の神器ではなく、真の三種の神器を引き継ぐ……それは痛みを伴う・・・・・と」


 帝は座しながら語る。

 陽成院はくつりくつりと笑いながら、燭台に蝋燭を刺す。


「物は言いようよの。何故、歴代の帝達は短命が多いのか、聡明な今上帝なら理解できよう? 覚悟が必要ぞ」


 陽成院の表情から笑みが消え、剣呑な雰囲気が湧き立つ。

 

「……陽成院様、元はと言えば三つ子で死ぬるかもしれなかった、この身。幼帝として周りの反感も買いましょうが、残りの余生・・を全て、民達の為に日ノ本の為に捧げる覚悟はあります」


 帝は真剣な表情で、陽成院に気圧されずに言い切る。


「そうだ! 周りが何を言おうと関係無い、皇統が云々なども関係無い、己が命も関係無い、日ノ本の為に覚悟を持って継がねばならんのだ!」


 陽成院はそう言いながら上半身を肌蹴はだける。――これまた老体に似合わない、良く鍛えあげられた肉体。

 全身に力を込めると丹田より勾玉と銅鏡、そして最後に青銅の剣が出てき、宙空に漂うように浮く。


「玉体は容れ物である。……朕達・・の力の源であり、日ノ本を護る力。三種の神器を納める容れ物」


 帝は察し、陽成院と同じように上半身を肌蹴はだけ、背筋を張る。

 しかし、太刀だけはしっかりと握り締めていた。


 陽成院は軽く手を上げると三種の神器は蛍火けいかの様に発光する光玉へと形を変える。


朕達ちんたちから助言をしておこう。気を保ち、記憶の狂気と神の力に飲まれるな」


 陽成院は、ほんの少しだけ険しい顔を崩し、帝の身を案ずる様な顔をしながら上げた手を帝へと向ける。

 光玉が陽成院から離れ、帝の丹田へ入り込む。


「――っああ!」


 声にならない程の叫び声を上げながら倒れ込み、全身から滝の様な汗をかく。――太刀を砕かんとする勢いで握り締める。


 陽成院は苦しむ帝を見ながら衣服を整え、ゆっくりと寝殿から出て行く。


「あとは本人の気力次第。しかし、心の支えもあるなら大丈夫であろう」


 本来ならば太刀を持ち込む事は許されていない。……しかし、陽成院は咎めなかった。


「うん?」


 陽成院が手の甲に季節外れの蝶が止まっている事に気がつく。


にも、今上帝にも既に必要の無い舌の力だ。……自然に還りなさい」


 外に向かって手を伸ばすと蝶は羽ばたき、屏風を器用に避けながら何処かへと飛んでゆく。

 蝶が離れた陽成院の肉体は徐々に肉が痩せ、顔は歳相応に皺が増えてゆく。





 同時刻。――羅城門らじょうもん


 平将門が神隠しに遭ってから、興世王おきよおうにとって羅城門の上層に登り外を眺める事は大事な日課となっていた。――それは儀式や行事などよりも。


「興世王様! 帝の御元服ですよ! 何故なにゆえ、参列もせず、宴にも出席せずに、この様な場におられるのですか!」


 語気を荒げながら、責め立てる付き人。


「煩わしい女め。それは些事さじだ、此処ここで新たな風を待っている方が重要なのだ」


 興世王は付き人の方へと振り向き睨み付ける。


「貴方様は高貴な血なのですから義務が――」


「五月蝿い! 本来であればあんな餓鬼ではなく余が――っ」


 大口を開けて怒鳴った瞬間に、何処からか飛来した季節外れのが興世王の口へと飛び込む。


「ああ! 舌が! 舌が灼ける!」


 口元に手をやりながら転がり苦しむ興世王。

 その姿を見ながら付き人は、おどおどとするばかりであった。


「興世王様。興世王様! どうすれば」


「うるさい、五月蝿い、両の手で泣き真似をする目玉を潰して、さえずる舌を噛み切って死んでしまえ!」


 興世王は呪詛を吐く。

 同時に痛みに耐えれなくなったのか、興世王は意識を失い倒れ込む。


 興世王が意識を取り戻した時には茜色の日が羅城門に差し込んでいた。


「余の身体に……なにが」


 興世王は意識を朦朧もうろうとさせながらも立ち上がる。

 興世王は茜色よりも赤い液体が床を汚している事に気がつく。


「これは。……まさか」


 そこには両眼を両手で抉り出し握り潰し、舌を噛み切った付き人が倒れていた。


「余にも帝と同じ力が!」


 興世王は涙を流しながら、狂ったように笑う。


 後日。

 羅城門から凄惨な状態の死体が見つかり、鬼の仕業だと。……羅城門には鬼が棲むと噂されるようになった。





 御元服の儀と同日。

 酒呑の里では昼間から宴会が催されていた。


「で、だ! 化け猿である孫行者は改心した振りをしながら玄奘げんじょうと天竺を目指し、妖怪を調伏しながら旅をするんだけど。……道中、くだらない事で殴り合いの喧嘩ばっかりしてたな」


 唐で見てきた面白き旅人の話を得意げな顔をしながら語る酒呑。


「ほう、そうなのか」


 うわの空で、生返事をする将門。


「しかし、釈迦しゃかの息子みたいな者に、くうさとる。と法名を付けた男は色々と分かっていたんだろうね。――将門、聞いているかい?」


「ああ、聞いている。……しかし、唐か。一度行ってみたいもの――」


 将門はそこまで言いかけて、何かに気がついたのか、眼を見開く。


「まて、待て、内で使えぬ銭を有効に使うには。……唐、海、船、港、貿易路。――酒呑!」


 将門の脳内で点と点が結びつき、線となり。線と線が繋がり絵を描き始める。


「酒呑! 紙でも竹でも何でも良い、書くものをくれ!」


 突拍子もないことを言い出す将門に、面食らう酒呑達。


「分かった、分かったよ。茨木! 書くもの持ってきてよ! 将門、その代わりに何か面白い話とかしてよ」


 歳若い茨木と呼ばれた青年が心底嫌な顔をしながら駆けてゆく。


「うむ。面白き話。……夜空を駆ける化狐を見たことがあるな。しかし、あの時は暴れ過ぎて夢を見ていたのかもしれん」


 ぽつりぽつりと語り始める将門。

 それは延長えんちょう三年、今上帝が三つ子で立太子した頃の話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る