第30話束の間

 

 夜が明けようとし、辺りが明るくなり始める部屋の中に人影が二つ。

 絹糸きぬいとのように手から滑り落ちる後ろ髪をもてあそぶ……

 黒い絹糸から覗く、日に焼け、稲穂いなほのように健康的で美しい色合いのうなじ、桃のようなかおりが鼻孔をくすぐる。

 

良乃よしの……そろそろ起きよ」

 

 将門まさかどはうつ伏せに寝転んだ良乃の黒髪を手に取り、鼻元に持っていき、その香りを嗅ぎながら揺り起こす。


「……誰のせいで、へとへとになったと思ってんだい」

 

 口では悪態をつきながらも顔はしゅに染まり。顔を見られたくないのか後ろ手で将門の顔を覆う。


「ほら、将門どいてくれな」

 

 将門は上から退き、八重畳やえたたみの上に座りながら良乃を見やる。

 

 黒髪を吉祥文様きっしょうもんよう組紐くみひもで後ろ一つに纏める、それは馬の尾のように動くたびに揺れ、ついつい目で追い始める。

 

「見てないでとっとと支度しな!」

 

 見られているのに気づき、気恥ずかしさからか、尾のような髪を振りながら、八重畳の一枚を手に取り将門へと投げつける。

 が……やはり、将門は飛んでくる畳を難なく両手で掴み、床に落とし、衣を肩に掛け、笑いながら部屋から出ていく。

 

 

 

 

 兄弟が集まりガヤガヤと相談する間……そこの襖を勢いよく開けて現れる将門。

 

「みな、息災であったか!」

 

 一斉に音の方向へと数多の視線が向く。

 

「兄い! もう良くなりましたか!」

 

 開口一番に包帯まみれの将頼まさよりが尻尾を振る犬のように将門へと飛びつく。


「将頼、その出で立ち……死人かと思ったぞ」


 大きく笑いながら、小さい子をあやすように、将頼の頭に手を置き、撫でる。

 将頼は子供扱いに膨れっ面をしながらも将門を上座へと案内する。

 ゆっくりと上座に座る将門。

 

「さて、今までいない間に迷惑を掛けた……だが、これからは安心せよ。親父殿の遺した土地を、伯父上たちから取り返してこよう」

 

 その言葉にみなが一様に悔しい顔をし、泣き出す兄弟も出始める。

 

「兄い、俺たちが不甲斐ないばかりに……土地をあっという間に國香くにか伯父や良兼よしかね伯父に取られてしまって」

 

「大丈夫だ、伯父たちも無用な争いを好まないだろう……それに皆は知っているだろうが……」

 

 童のようにいたずらな笑みを浮かべ、たっぷりと焦らす将門。

 周りの兄弟は今か今かと将門の続きの言葉を待つ。

 

「平良兼伯父の息女である、平良乃と夫婦めおとになろうと考えている」

 

 感嘆の声と共にちょっとした騒ぎになる兄弟達。

 

「とうとう将門兄いに春が来た……良乃の姐御は抜群に綺麗だったしな」

 

 皆の浮かれ気分に水を差すように、独り騒ぎに参加せずに、考え事をしていた平将平が声を発する。

 

「しかし、将門兄上……問題が」

 

 他の兄弟に比べれば些かながら小柄な――争い事には向かない、体躯の将平まさひらの発言に他の面々は少々驚く。

 

「将平、いったい何が問題なんだ? 将門兄いと良乃の姐御が夫婦になれば家族も増える、めでたいことじゃないか」


 将頼の言葉に同意するように頷く兄弟達。しかし、それに対して首を横に振る将平。


「将門兄上と良乃義姉上の婚姻は、確かに喜ばしい事です。しかし、そうなれば通例では良兼伯父上の家に婿むことして入らなければならないのでは?」

 

 その言葉に押し黙ってしまう面々……

 しかし、上座に座る将門はじっくりと将平の言葉を楽しそうに聞いていた。

 

「将平……よく浮かれずに考えを巡らしているな。良兼伯父上とは婿むこしゅうとの関係になる……しかし、あちらの家には入らずこちらに残る」

 

 その言葉に驚きの顔をする将平。口元を覆い考え込み、考えに一段落つけてから声を発する。

 

「兄上、何か考えがおありなのですね、ならば兄上に従うまでです」

 

 深々と頭を下げる将平。

 それを見ながら将門は声を掛ける。

 

「ふむ、これから伯父上たちの元へと行ってくる。が……その間に将平には刀工を厚遇で集め、この反りのある太刀を作るのを任せたぞ」

 

「は、謹んでその任を拝命いたします」

 

 一層深く頭を下げる将平。

 その光景を見ながら他の兄弟も、何かを将門に命じられたく、そわそわと落ち着きがなくなる。

 

「他は……すまぬな、今のところ特別な任はない。田畑の開墾かいこんや鍛錬、土地の警備と邁進まいしんするのだ」

 

 皆はその言葉に気を良くしながら、意気揚々と自分のなすべきことをなすために外へと向かっていく。

 

「さて、大変な仕事を成しに行くか」

 

 独りとなった間でちながら頭をぽりぽりと掻く将門。

 太陽は徐々に、天高くまで登ろうとしている。

 

 

 

 

 将門と良乃は狩衣かりぎぬを着込み、馬の用意を仲良く並んで行っている。

 

「良乃よ、本当に良いのだな?」

 

 準備の手を止めずに手際よく荷を馬の背に載せながら将門は問いかける。

 

「いいんさ、親父よりも男を取った恥知らずとか色々と言われるかもしれない……けどね、惚れた男が大成する様をこの目で、隣に並んで見たいんさ」

 

 真新しい薙刀を布で包みながら、将門の問いに明朗快活めいろうかいかつに答える、そのひとみには虚飾きょしょくの影曇り無く、清流の如く澄んでいた。

 

「うむ……そう、澄んだ眼を向けられながら言われると……恥ずかしいものだな」

 

 いたずらっ子のような笑みを浮かべる良乃。

 その時、一陣の風が誘われたように良乃の髪を撫でかし、将門の鼻腔に桃の香りを届ける。

 

「懐かしき、故郷の匂い、嗅げどもや、胸を焦がすは、桃香りけり」

 

 唐突とうとつに将門は天を仰ぎ見、真っすぐ良乃の瞳を見ながら歌を詠む。

 普段とは違った、甘い声で囁くように……

 

「愛し君、麝香じゃこうの香り、安らぎよ、連理のごとく、掻き抱きけり」

 

 良乃は返歌を詠む、それはとても艶やかな声で……

 

「やはりお互いに――」

 

「歌を詠むのは下手さね」

 

 真面目な顔を維持するのも、堪え切れなくなり、二人で笑い茶化しあう。

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