第26話ヘンリン

 

 将門まさかど平国香たいらのくにかの私兵と激突した一刻の後。


 良乃よしのは民を逃し終え、十騎の武士を引き連れ将門まさかどの元へ駆ける。


良乃よしの義姉さん、将門まさかど兄いは無事だと思うか?」


「勿論さね! ほら、将頼まさより! 速度を上げな! さっさとしないと本当に将門まさかどが死んじまうよ!」


 良乃よしのの背後より付いて来る、年若く将門まさかどとよく似た顔立ちの騎馬武者、将頼まさよりに発破を掛ける。

 良乃よしのは馬が潰れる手前まで速度を上げ、騎馬武者達を置き去りにし、駆ける。


「見えた! 将門まさかど! あんたの弟を援軍として連れてきたさね!」


 彼方かなたより将門まさかどを捉え、思わず耳をふさぎそうになる程の声を張り上げる良乃よしの

 将門まさかどの耳に良乃よしのの声は届かなかったのか、かたむいたに照らされて、大きな影法師かげぼうしがゆらゆらと揺れるのみであった。


将門まさかど! こっち向きな! 脚が……クソ」


 ――馬の脚が雨も降っていない地にて泥濘でいねいまり、いななきを上げ、つんのめりながら馬が転ける。

 良乃よしのは前方に飛ばされ、顔から泥に滑り込む。


「チッ……口に泥が……なんだこれ? 赤いみ――」


 泥だらけになった顔をあげ、泥を吐き出しながら、地面を見る……その顔は驚愕きょうがくに染まる。


「違う、血だ……将門まさかど、あんたどれだけの人をほふったんだい」


 大地を染め、血川はあふれる様に流れる。

 血の流れに逆らう様に将門まさかどの元に行く為に、顔を拭いながら走る良乃。

 戦さ場の匂い、死臭が蔓延まんえんする地、おびただしいしかばねを踏み越え。

 将門まさかどまであと少し……あと七歩で手が届く距離まで近く良乃。


「まさかど――」


「我……魔人ナリ」


 ゆっくりと……動かしにくい石臼いしうすの様にゆっくり、良乃よしのに振り向く将門まさかど

 上半身の着物は何度も斬りつけられたのか、ボロ布となり、たくましい肉体をあらわにしていた。


「マモルため」


 一歩……将門まさかどの肉体は返り血を浴びすぎたのか、赤黒く変色し、目には魔が宿っていた。


「幾百幾千を殺し尽くし」


 二歩……将門まさかどの体は限界が近いのか、今にも崩れ落ちそうなほどに揺れながら。


「魔人と成り果てヨウトモ、我は民を守護セン」


 三歩……将門まさかどは刀を抜き放つ。

 どれだけの人を斬ったのか、切っ先は欠け、刃こぼれが遠目に見ても分かるほどの刀。


将門まさかど……あんた、屍の怨念や言霊に飲まれかけているんだね!」


 歯噛みをする良乃、腰に挿した刀を抜く。

 四歩、五歩と近く将門に対して刀を向ける。


「おぉおお!!」


 魔人の咆哮ほうこう――

 将門の体は、とうに限界を迎えているのか、刀を振るう動きに精彩を欠き、鋭さ無く、ただ力任せに振り下ろす。


「はっ! そんなはえが止まりそうなほどに遅いなんて――」


「義姉さん! 将門兄いの狙いは足元だ!」


 背後より少し遅れて到着した将頼まさよりより忠告が飛ぶ。


「なん」


 刀は地へと叩きつけられ、まくれ上がる大地。

 屍が天へと塵芥ちりあくたの如く舞い上がり、同じように良乃よしのも天高く飛ばされ、手足をばたつかせる。


「これは死んだかね……短い人生だったねぇ、将門まさかど……あんたの子が……」


 ばたつかせるのを諦め、頭から地面へと落下する良乃よしの


「諦めるな! 今助けに――ぐっ! 数人がかりでも兄いを止められんか!」


 将門まさかどの体を何度も刀で斬りつける武士達……しかし、鉄のように硬くなった将門まさかどの体には傷一つ付かず。

 ――逆に将門は鉄拳を用いて刀を折り砕いてゆく。

 天高くより、地に落ちる椿つばきの花……刻限が迫る。


「兄い! あんたの嫁が死んじまうぞ、早く正気を取り戻せ!」


 必死に将頼まさより将門まさかどへと呼びかけるが反応薄く、武士達を殴り飛ばしていく。

 その拳打は鎧を砕き四散させ、骨を折り曲げる。


「もう駄目か……義姉さん、兄い」


 将頼まさよりは諦め、膝を地に落とし、目をつむり、将門の鉄拳が顔目掛けて放たれる。

 風切り音が鳴り鉄拳が直撃――


良乃よしの様に将頼まさより様……諦めるのは早いですぞ」


 風に乗り、しゃがれた声が両名の耳に届くき、良乃は一瞬跳ね上がった感覚と共に足から着地する。


「あれ? 生きているね、儲けもんだねぇこれは」


 将頼まさよりも固くつむった目を恐る恐る開けると……鼻先で止まっている将門まさかどの鉄拳。


「何故か知らないが……助かった」


 目を凝らすと将門まさかどの腕に絡みつくように、黒い髪の毛――

 一本や二本ではなく……束になった髪が幾本もが将門まさかどの手だけではなく、首に足にと絡みついている。

 黒衣の四人が髪の元を持ち将門を留めていた。


「我ら飯母呂いぼろ……主のために此処ここに参上」


 しゃがれた声の将門まさかどおきなと呼ばれた男が良乃よしのの横から現れる。


「あんたらが将門の言っていた『ふうま』だね」


 良乃よしのの言葉におきなは首を横に振る。


「その名は我らではなく……次の代の者に……我らはただの影……飯母呂いぼろと呼んでいただければ」


「そうかい……なら飯母呂いぼろの翁、将門を戻す手立てはあるのかい?」


「我らには怨念を操り、自身の力にする技法があります故……御安心召されよ」


 おきなは良乃へと軽く頭を下げ、髪に捕らえられ、吼える将門まさかどへと近づく。


「我が右腕は鬼の腕」


 翁の右腕が暴れるように動きだす――

 露わになった右腕は人ならざる腕、爪は長く黒く変色し、赤黒い肌に体とは不平衡ふへいこうなほどに長くたくましい腕。


「此の世ならざる腕は定命じょみょうの者に取り付きし悪鬼を捉えん」


 将門まさかど丹田たんでんへと腕が伸び……将門の体内へと腕が入っていく、血の一滴も流れず、何も無い穴へと腕を差し込んだように抵抗も無く。


「捕まえた……ぬお!」


 鬼の腕が勢いよく引き抜かれ、その手には黒靄くろもやをしっかりと掴み、将門まさかどの体内から引きり出す。


「さあ……たんとなれ悪鬼よ」


 翁の言葉に反応し、鬼の掌で黒靄くろもやは集まり、掌を閉じ、開けば四つほどの黒い丹となる。


「終わりましたぞ」


 その言葉と共に将門まさかどを捉えていた髪の束の拘束は解かれる。

 将門まさかどの肌の色が元に戻り、気を失っているのか膝をついたまま動かない。

 良乃は将門まさかどへと走りより首筋に掴まる――その瞳から一筋の涙が流れ、気を失っている将門まさかどの首筋を濡らす。

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