第14話タコと海賊と

 

 純友追討すみともついとうの為に編成された、いくつもの船。

 海を埋め尽くし、跳ねるように海上を進んでいく……それはさながら、飛魚とびうおの群れのように。


追捕使長官ついぶしちょうかん! 時化しけてきやがりましたが……もうすぐ博多津ですぜ!」


 歯が欠け、間の抜けた顔の水夫に追捕使長官ついぶしちょうかんと呼ばれた男。

 海藻を顔につけているのかと、見間違うほどの髭。それを触りながら、何処か、やる気や熱意と言ったものが欠けた顔をした初老の男。

 ――小野好古おのよしふるは荒れ狂い始めた海を船首からのぞんでいた。


「朝廷にあだなす、不埒ふらちな男を捕まえるためという名目で西の果てまで来たが……これは貧乏籤びんぼうくじだな」


 小野好古おののよしふるは嘆息しながら、竹で作られた短冊に何かを書き記す。


「うーむ? 良いのが、思い浮かばんな」


 書き記していた筆を止め、頭を掻きながら短冊を海に捨てる。荒れた海の藻屑となる短冊。


貧乏籤びんぼうくじってのは違いねぇですね。それに何たって……藤原純友様は切り捨てられて、食い詰めた舎人とねりたちの為に、立ち上がった男ですからね。――あっしも縁があれば、向こう側にいたかもしれませんぜ」


 下品な笑い声をあげる水夫。笑いのツボに入ったのか腹を抱えて笑う、小野好古おののよしふる


「博多津に入りますぜ! 追捕使長官、準備した方が――」


 水夫が船首近くに立ち、次の言葉を発しようとした――が、轟音に掻き消される。

 前を進む船が大きく宙に飛び、船が砕け、人と木っ端が宙から落ちていく。


「何が起こった! いや……それよりも博多津の封鎖を急げ! 海賊を逃すな!」


 先程まで腹を抱えて笑っていた、小野好古はその轟音で気を取り直し、やる気のなかった顔に覇気が戻り、即座に指示を全船に通達する。


「長官! 見えなかったんですかい? あのたこの足が」


 水夫は始終を見たためか。――海のように青ざめた顔で、欠けた歯以外を、かちかちと打ち鳴らしながら、震えている。


たこなんぞ切って食ろうてやるよ! いくらでも――なっ! おおっと」


 その時、ぐらりと船が大きく揺れ、好古よしふるの乗る船が宙に持ち上がる。

 船底には大きなたこの足、ぬらつきながら吸盤を吸い付かせ持ち上げていた。


「これか! 化けたこが、誰の船に――」


 あれだけ覇気のなかったのが嘘のように、好古よしふるは船に固く結びつけた縄を手に持ち、勢いよく外に飛び出す。


「触りやがってるんだ!」


 勢いづけて、身体もろともに刀をたこの足へと突き立てる。


「足りんか! ならば」


 ぐらりと揺れたがたこの足はまだ船を持ち上げたままであった。

 好古よしふるは刺さった刀を手放し、つかを蹴り、振り子のように飛び上がり。


「おおお! 倒れやがれ!」


 全力でつかを両足で蹴り、さらに深々と刺さり、たこの足が倒れていく。

 大波を立てて船が着水し、好古よしふるも船の上に落ち、背中をしたたかに打ち付ける。


「俺にかかれば、たこ足の一本や二本軽いものよ」


 のたうち回りそうになるのを我慢し、背中をさすりながら、何とか起き上がろうとする好古よしふる


「お見事ですぜ! 追捕使長官、小野好古おののよしふる様! よっ日ノ本一の武人殿!」


 水夫の心の篭っていない、持ち上げを言いながら、好古を抱え上げようとした、まさにその時。

 ――海より出でるたこの足が水夫と好古を一緒くたに捕らえる。


「そら、たこだから一本足って訳じゃないよな……あ、良い歌が思い浮かんだから詠もうか?」


 締め上げられ宙に浮かびながらも、好古よしふる暢気のんきに水夫へと話しかけ、有無を言わさずに、歌を詠み始める。


「何でそこまで暢気のんきにしていられるのか分かりませんぜ! 誰か助けてくれ! こんなとこで死ぬのは嫌だ!」


 ぎりぎりと蛸の足は手も足も出ない、二人を締め上げていく。

 わらき叫ぶ水夫と歌を詠む好古という、傍目に見れば、切羽詰まっているのか、詰まっていないのか分からない状況。


「その願い、聞き届けた」


 喚き散らす水夫の耳に、はっきりとしっかりと声が聞こえる。


「へあ?」


 水夫が間の抜けた声と顔を晒す。

 締め上げていた、蛸足が斬れ……諸共に海へと落ちていく。


「ふむ……好古よしふる様、大丈夫そうですね」


 海から顔だけを出している好古よしふるに話しかける男。

 その男は源満仲みなもとのみつなかの血縁……と、一目で分かるほどに顔立ちが似ているが、歳は満仲よりも古く。柔和な笑みを絶やさない男が、海上に立ちながら話かけていた。――その立っている海だけが、不思議な事に凪のように止まっている。


「遅かったじゃないか……今回も間に合わないかと思ったぞ、海賊の方はやるから化け蛸の相手してくれよ、経基つねもと


 その言葉を聞き、にこりと好古よしふるに微笑み、経基つねもとは小さい水柱をあげながら海上を駆けていく。


「これは夢ですかい? あの御方、海の上を飴坊あめんぼみたいに……それに鎧を一つも纏っていませんぜ!」


 水夫は興奮のあまり、好古よしふるの肩を揺らす。


「あーあれはな、特別・・なんだよ。それにあの目が特にな」


 お茶を濁した返事しかしない、小野好古。その顔は一仕事を終えたと言わんがばかりに、覇気がなくなっていた。

 二人は船に引きげられるまで、経基が駆けて行った方を見ていた。




 博多津の何処からでも見えるほどに、蒼く強く光る玉。――それを目印に、強く海上を蹴り、大きな水柱を上げながら海上を駆けていく源経基みなもとのつねもと


「お頭! あれを見てくだせい! 変なの・・・が海を走ってますぜ!」


 周囲を警戒していた海賊の一人に見つけられてしまう。――至極当然である。


「よし、よく見つけた! 何処の誰か知らんが……海を走るって事は、何か異なる力を持っているんだろうよ」


 さらに爛々りんりんと輝く蒼い玉と純友の瞳。――新たな獲物を狩れるという、喜びの為か……純友の口角が知らずのうちに釣り上がる。


「藤原純友の名で命ずる! 蛭子の玉に導かれし、海の眷属よ! 行けい!」


 純友の号を放つ。――行く手を阻もうと、何本もの蛸の足が経基つねもとに殺到する。


「操りが甘いですね、これくらいなら力を使うまでもないでしょう」


 正面から伸びてきた大きなたこの足の上に乗り、刀を突き立てながら斬り走る……経基つねもとが駆けた蛸の足、半分に割れながら血を吹き出していく。


「小さいのも邪魔ですね」


 飛び上がりながら、人の腕ほどの足をもった蛸を斬り落としていく。


「全部、見えてますよ……今度は横からですか」


 海を駆けながら、おもむろに真横に一見もせずに刀を振るうと、蛸の足先から縦にパックリと割れ、青い血が舞う。


「馬鹿な! 何故、死角からの一撃が防がれる!」


 蒼く輝く玉を持ち、蛸を操っていた純友は目を疑うような光景にぶるりと震える。


「一撃で蛸を屠る好機をくれるわけですね」


 急に動きを止め、目を見開く経基つねもと。誰一人としていない海の真っ只中で独りつ。


「これなら……これなら行ける! 大蛸でおおい潰してやる!」


 純友は玉を持ちながら両腕を天に上げる。

 それに合わせて海面より大蛸おおだこが現れ……跳び上がる。


 経基つねもとは海の上で止まり目をつむる。

 蛹から羽化する蝶のように、ゆっくりと刀を天に掲げ言葉をつむぐ。


「我はすめらぎの血筋……我が命をかて八百万やおよろずの一柱……」


 きらきらとした光。――息子である源満仲みなもとのみつなかよりも、はっきりと見える光が経基つねもとの刀へと集まりだす。

 跳び上がった大蛸が中天ちゅうてんおおい、経基つねもとに影を落とす。


十握剣とつかのつるぎよりしたたり落ちし神――天之尾羽張神あまのおはばりのかみよ――我に魔を断ち切る力を貸したまえ」


「大蛸よ! 覆い包み、潰せ!」


 大きな轟音ごうおんとともに大きな水柱が上がる。


「これで死ん――」


 純友が喜びの声を上げる、同時に蒼く光る玉にひびが入る。


「まさか! ありえんぞ!」


 純友が沖の方に顔を向けると柱が立っていた……神々しい光の柱。



「流石に……重い、押し潰されそうだ……」


 大蛸の下で光をまとった刀を突き立て、断ち斬ろうと経基つねもとは力を込め、汗を流していた。


「さらに我が命を力にしたまえ!」


 光の刀を縦に振り切る――


「おおお! 大蛸よ、海に還れ!」


 ――咆哮と一閃。

 海が小さく裂け、青い雨と黒い墨の雨が経基つねもとへと降り注ぐ。

 大蛸は足をうごめかせながら半分に割れ――裂けた海の底へと落ちていき、海が閉まる。


「ふむ、あとは宝玉の確保ですね」


 大蛸をほふり、汗を拭いながらも、いつもと然程さほど変わらない声色で蒼く光る宝玉を目印に海を駆ける。



 純友は沖の方を忌々いまいましく睨みながら、停泊していた海賊船の面々に指示を飛ばす。


「よし、お前ら! 追討軍の奴らから逃げるぞ、準備万端にしておけ! 太宰府にいる奴らにも誰か伝えに行け!」


 そんな折に血を流しながら走ってくる、海賊の一員が息も絶え絶えに言葉をひねり出す。


かしら! だ……駄目です、太宰府が防人の奴らに落とされました!」


 その報告を聞き、青筋を立てながら歯嚙はがみする純友すみとも……


「そうか……よし! お前ら! 悔しいところだが、能古島のこのしまの南を通って逃げるぞ!」


 右手に持った玉で西を指す――が、その玉を持った手が手首から跳ね飛ぶ。


「ぐあああ! 俺の手が……クソ」


かしら! 誰か、手当を!」


 怒号と鮮血とは裏腹に、ひゅるりと影が軽やかに飛び、玉を握ったままの手ごととり。陸地から伸びていた桟橋へと着地する。


「この蛭子ひるこの宝玉は置いていってもらいますよ、藤原純友」


 脂汗を顔ににじませ、部下に手首を手当てされながら純友は口を開く。


「ただの蛸を操るだけの宝玉が目当てかよ。……次は俺の首かい?」


「いえ、私の仕事は蛭子ひるこの宝玉の回収……貴方の首は追捕使長官のものですから」


 純友は忌々しそうな顔で、未だに涼しい顔を崩さない経基つねもとを睨む……が、顔を崩し笑う。


「俺の首には興味はないか! なら貴様はこのまま俺を逃がしてくれるのか?」


 こくりと頷く経基……それを見て号令をかける純友。


「よし! この御仁ごじんは俺の手一つで……正に手打ちにしてくれるようだ! 逃げるぞ車櫂くるまかいを出して漕げ!」


 大きな笑いと陽気な声とともに海原へと漕ぎ出す、それを眩しいものを、見つめるように目を細める経基。

 その後ろから、いつのまにかやって来ていた満仲が声をかける。


「親父殿、藤原純友を逃してよかったのか?」


「うん? 良いのですよ……彼らは悪徳役人を狙い打ちにした、義賊のようなものですから……今回はやり過ぎですがね」


 満仲はあきれた顔をしながら、ぽりぽりと頭を掻く。


「そんな顔をしないでください、これで我々の仕事は全て終わりなのですから」


 満仲は嘆息たんそくをし、経基つねもとがもっている蛭子の宝玉を見つめる……ひびが入っているがその輝きは大海原のように蒼く広かった。

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