異聞平安怪奇譚

豚ドン

プロローグ

第1話起こり


「乱が起こる」


 幾人いくにんもが平伏している間で、御簾みすの横にはべる男。歳古くしわ深いが、瞳に爛々らんらんと輝くの光、聡明そうめいな顔をしながらも、男より重苦しい言葉が発せられる。

 男の名は藤原忠平ふじわらのただひら位人臣くらいじんしんを極め、さらには摂政せっしょうつとめる者である。

 そんな重大な危機を言われても平伏してる者達はピクリとも動かず次の声を待つ。


「近い時に東国と西国の両方より、ほぼ同時期に起こる。詳しい話は陰陽寮おんみょうりょうの者より……各々おのおの奮起ふんきされよ」


「はっ」


 平伏している者たちから一斉に鳴り響いた声により揺れる御簾みす

 御簾みすの奥の影は声を発することなく、するすると足音を立てずに奥へと戻っていく。



 しばしの時が経ち、簡素な造りの間において朝服ちょうふくを着込んだ男が平伏している。

勢いよく間のふすまが軽快な音を立て開かれ、入ってくるのは摂政である藤原忠平……その人であった。


おもてをあげよ」


 おごそかな声により平伏していた男は態勢はそのままで、顔だけをあげる。

 その双眸そうぼうたかの如く、精悍な顔つきの武にどっぷりと浸かった者の顔であった。


摂政せっしょうさま、このしがない武辺者ぶへんもの如何様いかような御用でございましょうか」


 誰も居ない間で畏まった物言いをする男。


「うむ……かしこまったままでは肩もろう、楽にせよ。人払いも済ましてる故」


 藤原忠平に促され、ゆっくりと体を起こす。――朝服が、はち切れんばかりに盛り上がっているのが分かる。


「では、御言葉に甘えて楽にさせていただきます。やはり、着慣れない朝服は首が痛くなります」


 首をさすりながら、真一文字に結んでいた口を少しだけ綻ばせる。


「ふむ、他に人などおらずとはいえ、形式は大事であるからな。それにいつもの様に始めた方が、気も身も引き締まるであろう? これも一つの優しさよ」


 その冗談に二人しかいない場の、緊張が解ける。――たっぷりと時間をかけてから藤原忠平は口を開く。


「してな、乱が起こる前に確実に刺客が送られてくる。その刺客の排除を頼みたい」


 その言葉を聞き、険しい顔つきとなった男は思索しさくし口を開く。


「刺客ですか、狙われるのはもしや……いや、分かりきった事ですな」


「その通りだよ、まんじゅう殿! 」


 鈴鳴る音のような愛らしい声とともに、年端としはもいかない童が摂政せっしょうの背後より、ひょっこりと顔を出す。


「伯父上さま、説明ありがとうございます……ここからは余が説明します」


 するりと音を立てずに座り、話を続ける。


「まず余が狙われているのはまことだ、刺客……恐らくは手練てたれで徒党を組んでくるであろうな。それと刺客はまんじゅう殿がいつも狩っているものたちに近しいゆえ、重々気をつけよ。まんじゅう殿、余の命は其方そなたに掛かっておるゆえ、頼んだぞ!」


 命を狙われてるというのに最後まで笑みを崩さずに説明をし、摂政を残したまま一陣の風のように間を去っていく。

 摂政とまんじゅうと呼ばれた男はお互いに顔を見つめ同時に嘆息たんそくする。


「相も変わらずの、御様子……元気なのは実によろしいことで。愛いものですな」


「ふむ、春風のように穏やかと思えば飄風ひょうふうとなる。愛いものよ」


 笑い声が漏れたところに、ふすまからひょっこりと満面の笑みが出てくる。


「まんじゅう殿、あとな陰陽寮おんみょうりょうに余と歳はあまり変わらないがな……天才がきての、これが面白い者ゆえ明日にでも会ってみよ。色々と便利な物を作っておるみたいで"仕事"の手助けになるだろう」


 手をふりふりとしながら、わらべは去っていく。まんじゅうは去り際の言葉に対して頭を抱える。




 魂の奥底より、更に根っこ……根源こんげんより身震いするほどの咆哮ほうこうが天地をおおい尽くす。

 咆哮ほうこうの元には中天ちゅうてんを覆うが如く、そびえ立ちしモノ――

 それは見るもの全てが恐怖しおののく鬼の顔を持ち――

 毒々どくどくしくあやしくも見事に濡羽ぬれば色と黄金こがね色が互い違いに入った胴体、触れたものを刺し貫く、とがった八本の脚……脚を踏み鳴らしながら巨体を震わす化け物……名を『土蜘蛛』という。

 土蜘蛛つちぐもの周りには、おびただしい数の屍が無造作に転がる。ある者は細切れに只の肉片となり、ある者は頭手足が無い達磨だるまとなり転がり、ある者は胴鎧に穴が開き風通しが良くなっていた。

 芳醇ほうじゅんな血と死の香りが漂う地獄の釜底かまぞこにおいて、死の使者である土蜘蛛つちぐもを相手取り、あらがうのを止めない武士もののふ達。

 彼らの具足ぐそくは砕け、汗のように血を流しながらも刀を振るう、弓を射る手は止まらない。

 攻防の最中に一人の大将らしき武士もののふが刀を天へと掲げる。

 その刀は光をまとい、神話に語られるような、大きなつるぎとなり……振り下ろされる。

 ――天を二つへ割り、振り下ろされた光のつるぎは土蜘蛛を真っ二つにし、勢いそのままに大地をも穿うがつ――




 幻視。遠い過去に起こった闘いか、または未来において起こる闘いを幻視していた。

 ゆらりゆらりと蝋燭ろうそくの火が揺れるなか神鏡しんきょうの前に童は座り、澄んだ鈴の音と共に涼やかな詞を紡ぐ。

 蝋燭ろうそくあわらぐ火がにわかに大きくなり燃え盛る炎となる。ほぼ同時に左の蝋燭ろうそくが蒼炎に右の蝋燭ろうそくが黒炎へと変わった。しかし、童は異常な事態にも顔色一つ変えず、不気味な色――尋常じんじょうならざる色で燃える蝋燭ろうそくをじっと見つめている。

 わらべは少し、思惑おもいまど嘆息たんそくした後に――かしわ手を打つ、その瞬間に燃え盛っていた蝋燭の火が消え、煙と共に場に似つかわしくない、ほのかな腐臭ふしゅうが漂う。


「いつ観ても……幾度、観ても同じ」


 堪えていたものが決壊したかのように、啜り泣く。


「余の民が、臣下が……御魂となりて飛んでいく。余は……余は……どうすれば?」

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