ボーイミーツラブ


 高校二年生の秋。俺はお嬢様学校、聖サカキバラ女子校に通う女子と知り合った。四人のうちの一人、礼菜。幼稚園から俺の兄貴が好きだという。俺は軽い気持ちで、告白の練習台になると約束した。俺の五つ年上の兄貴は女にダラシない。他の男を好きになるべきだ。俺の友達には気の良い奴がいる。


 男子校の俺は女子校との接点を持っていたら、得だろう。


 しかもお嬢様学校の礼菜、沙也加、真由、恵美奈は四人とも可愛い。部活漬けの灰色生活が、楽しくなる予感がしていた。約17年間、彼女がいない生活とも、すぐにサヨナラ出来るだろう。




***



【秋冬〜春夏】



 俺は部活の試合や、文化祭や体育祭に礼菜を呼んだ。小学校、中学校と女子校生活の礼菜達に男と話す練習機会を提供することにした。もちろん、そんなの建前。


 俺は彼女持ちを隠していた裏切り者から一転、友人達の救世主となった。


 礼菜達に聖サカキバラ女子校の文化祭に呼んでもらったときなんて、隆史と和樹から「神扱い」された。勉強会に参加せずに、抜け駆けした涼と恵美奈えみなって子は、小学生みたいな付き合いをしているらしい。涼は、付き合いが悪くなった。裏切り者め。


 礼菜から兄貴も呼んで欲しいという、無言の圧力を感じても、俺は断固無視した。しかし文化祭には兄貴と礼菜の兄が現れた。礼菜は恥ずかしいと言って、殆ど兄貴と話せていなかった。俺にくっついて回っていた。家で勉強会をした時はハキハキ話していたのに、急に喋れなくなる不思議。俺はすっかり礼菜の保護者。


 礼菜だけでなく、沙也加と真由、恵美奈、全員の保護者。


 他所様の、それも純情なお嬢様達をそこら辺のアホな男子に近寄らせる訳にはいかない。お嬢様達といっても、少し裕福な家の箱入り娘達。男は狼だって、そんなことまるで知らないような顔をして、行事のたびにキャアキャアはしゃいでいた。女子高生っていうより、小学生。


 隆史は四人からのらくら、飄々と男子を遠ざけている。俺と同じように、保護者気分っぽい。礼菜以外の三人は、彼氏できないなって不満そうに笑い合ってボヤいている。緊張すると、訳が分からないことを言い出す礼菜は変人だが、友達達も不思議ちゃん。というか、ほんわか天然女子。類は友を呼ぶってやつ。


 会う度に、俺は礼菜から「告白の練習」をされた。宣言も何もなく、突然始まる。


 もう人前で、恥ずかしい事を言われたりはしない。人のいないところで、礼菜の「兄貴が好き」というキラキラ顔を見て、告白の練習をされる。


 はっきり言って胸が痛い。


 お調子者だが楽しい隆史。豪快で器が大きい和樹。穏やかで気配り上手な太一。俺が親しい友達を、さりげなく礼菜に近寄らせようとしても無駄骨。頑固な礼菜は常に兄貴へ一直線。俺にまとわりついて、兄貴の話を聞いてくる。


 冬休み直後の誕生日には、初めて家族以外と夕食を食べた。四人からと、時計を貰った。


 正月は晴れ着姿の女の子を連れて、参拝。


 バレンタインは四人から手作りチョコ。最後の大会前には、手作りのお守りをくれた。休みの日だった、試合の日は声援を送ってくれた。


 男子校なのに、共学のような楽しさ。


 土日の部活前後に、礼菜とワンコの散歩もするようになった。特に夕方や夜。物騒なので、用心棒代わり。頼まれた訳じゃないけど、礼菜の母親が俺の母親に頼んだのか遠回しに頼まれた。気が向いた時だけのつもりが、ほぼ毎週末、用事が無ければワンコの散歩に出た。物凄く懐かれていて、可愛い。やっぱり犬、飼いたい。親父め、何故アレルギーなんだ。


 秋、冬、春と素晴らしい学生生活。こんな楽しくていいのか?そう思っていたら、その通りで、人生は良いことばかり続くものじゃない。俺はそのうち辛くなっていった。


 会う度に行われる、礼菜の告白。いつしか胸が痛くなるようになっていた。部活を引退したので、土日の部活前後のワンコの散歩、そのルーチンワークも無くなった。


 受験勉強で、俺達は会わなくなり、稀にグループトークで雑談するだけになった。それぞれ頑張って、第一志望に受かろう。そう励ましあった。


 隆史が花火大会に行きたいとゴネたが、来年に延期。俺も、礼菜の浴衣が見たいなとボンヤリ考えて惑わされた。四人のではなく、礼菜の。プールも延期。水着ならビキニが見たいが、礼菜だけは他の奴には見せたくない。俺の煩悩、浅はか。単純。アホでも分かる。


 つまり、そういうことだ。


 胸が重苦しく、受験勉強に潰れそうな夏が過ぎて、秋も去った。


 隆史がよく「死ねばいいのに」と口にするが、数学こそ死ねばいいのに。次は英語。英単語は頭から溢こぼれていく。


 礼菜が「世話になっているお礼」と言ってくれる数学ノートと、ノートに貼られた犬のシールや落書き。お互い苦手な英語の強化だと送られてくる、英文。


 礼菜より偏差値低い大学が第一志望って情けなくて、俺は猛勉強する羽目になった。俺って見栄っ張り。



***



【高校生最後の冬】


 俺と礼菜は、大学合格祈願をする為に初詣に行く事になった。煮詰まり過ぎている俺達への息抜きでもある。運転係を兄貴に頼んだ。というか、礼菜の兄が計画して日程を強制的に決めたのに、当の本人がインフルエンザになった。予防注射はしているが、礼菜は大丈夫なのか?


 兄貴と礼菜と三人なんて御免だと、俺は隆史も付き合わせた。部活引退後、ずっと遊びに行こうと俺達を惑わしてきたアホ。しかし、偏差値はグングン上がっている。俺と隆史は負けず嫌いで、競い合っている。隆史は初詣の誘いに尻尾を振って、二つ返事で乗ってきた。


「いつの間にかお前ら仲良しだよな。俺もそんな高校生活がしたかった。という訳で、俺も今日は彼女を誘った。兄ちゃんが、鰻を奢おごってやろう」


 運転席で鼻歌混じりの兄貴の発言に、礼菜が苦笑いを浮かべた。というか、泣きそうに見えた。兄貴の高校生活こそ派手で賑やかだったのによく言う。受験は自己推薦であっさり。俺とは正反対のペチャクチャ男にして、容量も良い。普通、弟の方がそうなるんじゃないのか?解せない。礼菜は兄貴の外面しか知らないから、いつまでも惚れているんだ。


「幸ちゃん、彼女ってどんな人ですか?」


 もう事情を知っている隆史が、わざとらしく明るい声を出した。どうせ、また軽い感じの人だろう。そして、すぐ別れる。


「怖い女。今度の彼女は絶対に怒らせたらいけない」


 昔から家で彼女自慢をして、デレデレしている兄貴とは真逆だった。というか、新しく彼女が出来たのも知らなかった。半年前から、やけに静かだし朝帰りも無いと思っていたが、が出来たのか。つまり、今度の彼女は本気なんじゃないかって気がした。


 俺は複雑な気分になった。


「今度のって……。やっぱり幸一さん、モテるんですね!」


 礼菜か明るい声を出した。興味津々そうだが、こんなに無理矢理テンションを上げて大丈夫なのか?


「いやあ、モテないよ。すぐ振られるしさ。次こそ振られないようにしないと。陽ようも彼女を大事にしろよ。俺は二度と浮気をしない。菜乃花なのか捨てられたら最悪だ」


 いつもの呑気な声だが、どこか真剣味のある兄貴。礼菜はムスッとした顔になっていた。


 神社に向かう途中で合流した兄貴の彼女は、凛とした美人だった。歴代彼女とはやはり真逆。言い方は悪いが、俺が知りうる限り兄貴の彼女は甘ったるくて頭が軽そうな人ばっかだった。親しげな二人を見せたくなくて、俺はひたすら兄貴の彼女と話し続けた。


 空元気そうな礼菜が、四六時中心配だった。兄貴のせいで大学受験を失敗したらどうしよう。礼菜が偏差値の高い大学を狙っているのを知っている。その為に、一生懸命勉強しているのも知っている。俺の面倒も見てくれている。


 何でも一生懸命に頑張る。人に優しくする。自分より相手。そうすれば、きっと素敵な女性になれる。恋も叶う。それが礼菜の考えらしい。いつだったか、沙也加から聞いた。


 参拝後、俺達と兄貴は一旦バラバラになった。兄貴が隆史を「ダルマ買いに行くぞ」とわざとらしく連れていった。兄貴は俺と礼菜が付き合っていると、誤解している。俺は礼菜の為だと誤解を放置しているので、それを謝ろうと思った。というか、何もかも謝らないといけない。


「悪い。俺、何も知らなくて。それに、何か勘違いされててさ。兄貴には礼菜は彼女じゃないって、しっかり言っておくから。あんな羨ましい女の人と付き合えるとか、兄貴には釣り合わないからそのうち別れるよ」


 礼菜がポロポロと泣き出した。


「綺麗な人だね。冷たそうだけど、優しかった。厳しそうだけど、頼りになりそう。そういう人が好きだったんだね……」


 礼菜は悪口を言わなかった。短い間に、人の長所を見ている。俺なら恋敵を貶す自信がある。それこそ、死ねばいいのに、そう言うだろう。


「黙っててごめん。でも兄貴ってさ、女に割とダラシない……」


「それはお兄ちゃんから聞いてる……」


 そういう兄貴なら、チャンスがあると思った。そう言いたいのだろうと、俺は俯むいた。どう慰めて良いのか語彙力が足りない。


「今日は神様にお願いしちゃおう。素敵な人だけど、私にもチャンスを下さいって。このままじゃ相手にされないから頑張る。ああいう素敵な人を目指す。結婚とかしちゃって、告白とか悲しいし」


 涙を指で払った礼菜が、ニッコリと笑った。割と元気そうで良かった。


「絶対に告白するの?」


「あはは、ありがとう。でもそういうのは、大人になってから」


 屈託無く笑う礼菜に、俺の目は点になった。


「小学校の時のバレンタイン。そう言われちゃった!だから二十歳なの。中身を磨いて、うんと胸に響く告白をする」


 礼菜が大きく深呼吸した。それから、俺に悲しそうに笑いかけた。


「ずっと、ずっと好きでした。大切にするので、彼女にして下さい」


「満点!」


「……満点?本当に?ほ、本当に?」


 礼菜が嬉しそうに俺の顔を覗き込んだ。寒さのせいか、頬が赤い。俺はポケットに突っ込んでいたホッカイロを礼菜の頬に当てた。


「バレンタインの話が加わると、満点。俺も神様に頼んでおくよ。あんな兄貴を、よくもここまで好きでいてくれて、有難いしな」


 俺は境内に向かって歩き出した。


 バカ兄貴、バカ兄貴、バカ兄貴、バカ兄貴、バカ兄貴。


 あいつが余計な返事をしたから、礼菜はこんなことになっている。アホ礼菜。何が中身を磨いてだ。俺がどれだけ虫除けをしていると思ってるんだ。


 俺は神様に祈った。自分の大学受験の事は無視。自力でどうにかする。苦手な数学と英語とも仲良くして、見事に合格する。今更だけど、今よりもうんと猛勉強して礼菜に教えられるくらいになる。


 神様、礼菜が第一志望の大学に受かりますように。


 神様、どうか二年後彼女が告白くらい出来ますように。


 万が一、兄貴が結婚するならその後にして下さい。あんなアホ兄貴だけど、成功しても良いです。フラれた時、碌でも無い男に騙だまされませんように。隆史だ、隆史ならまあ良いだろう。彼女が欲しいといいながら、いつも盛り上げ役や気配り屋。真由が好きなのに、和樹に譲った。その後は礼菜と仲が良い。一番仲が良い二人。二人とも、自分より相手。きっとそのうち惹かれ合う。アホ隆史、さっさと礼菜に惚れろ。礼菜に向かって誰か紹介してって、お前は節穴か!神様、隆史の節穴を直して下さい。


 そうなったら、応援します。嫌だけど、我慢します。


 今日のように泣くのも、泣くのを我慢して笑うのも見たくありません。お願いします。いつも笑うのは無理でも、なるべく笑っていられますように。


「びっくりした。千円札を入れるし、ずっと熱心にお願いしてたから」


「俺も頼んでおくって言っただろう?頼んでおいた」


 礼菜が困ったような顔をしていた。後ろに並んでいる人を待たせている俺を、怒るか迷ったのかもしれない。複雑そうな顔をしていた。


 俺はお年玉で、合格祈願、恋愛成就、それから新しい干支の置物を買って帰りに礼菜と隆史に渡した。兄貴の彼女、菜乃花には「厄除け」の御守り。良い人そうだし、兄貴なんかでいいのか?彼女にとって兄貴が厄なら縁が切れる。彼女も礼菜もハッピー。


 俺は?という兄貴には「交通安全」にしておいた。死ねばいいのにバカ兄貴。しかし、俺は人に好かれる兄貴が好きだ。いつの間にか迷子を確保していたり、転んだ爺さんに絆創膏を渡してる。何の躊躇いもなくニコニコと困った人に手を伸ばす。混雑している鰻屋にも、いつの間にか先に一人で並んでいた。見習いたい。


 俺はこっそり絵馬も書いて結んでおいた。


【どうか、礼菜が泣きませんように。いつも笑っていられますように。自分の願いは自分で叶えるので、その分彼女の願いを叶えて下さい。インフルエンザに罹りませんように】


【アホ隆史からアホが消えて第一志望の大学に受かりますように】



***



【春】


 初詣から受験が終わるまで、礼菜と会う事はなかった。初詣の日、お互いに専念しようと約束した。


 仲良の良い友達が全員無事に大学に合格してから、皆で遊びに行った。俺は礼菜が第一志望に合格して、心底ホッとした。俺は結局第二志望。情けない。


 男女混合で、遊園地。


 羽を伸ばして、はしゃいで、楽しかった。もう自由だと、早くも次は花見だと盛り上がった。


 最後に乗ろうとなった、観覧車。和樹と真由は二人。付き合ってるから当然。他は男女別かと思ったら俺と礼菜は二人きりにされた。仲間内でも俺達は付き合っていると、誤解されているのを今更知った。兄貴からだけでは無かったらしい。


 隆史は?アホ隆史は俺が知らない、沙也加の友達とのやり取りに夢中らしい。そんなの、知らなかった。


 ゆっくり高度を上げる観覧車。俺は勉強に夢中で、少し皆と距離が離れていたらしい。年明け後、学校でも家でも勉強しか目に入っていなかった。


「告白はさ……満点取ったし、後は二年後だな。兄貴の連絡先も手に入れてるし」


 俺は窓の外の、夕暮れを眺めながらポツリと呟いた。こういう空気、何を話して良いのか分からない。


「手に入れたっていうか、陽二君が送ってきただけでしょう?」


「いつまで経っても、俺経由とか困るからな。正直、面倒。俺達付き合ってるってなってるんだぜ?知らなかった。礼菜も知らなかったんだろう?鈍いからな。俺に彼女が出来ないのは礼菜のせいか。大学の友達とか、紹介しろよ。保護者って言うなよ」


 俺は全身全霊で笑ってみせた。これから先、大人になっていく礼菜はまだまだ兄貴を見ていく。そんなの見たくない。日に日に綺麗になっている気がする。


「鈍くない。人のせいにしないでよ。保護者だなんて言わない。素敵な大人の女性になるんだから」


 礼菜が窓の外を、憂いを帯びた瞳で見つめた。


 どうして女の子って、好きな人を見たり想う時だけ、益々可愛くなるのだろう。真由とかもそうだ。和樹を見る視線の甘ったるさ。


 変だの、他の男に目を向けさせるだの、隆史と付き合えだの、今はもうそんなの全部却下。このまま二人で観覧車に乗っていたい。手を伸ばしたら、触れる距離にいる。サラサラの髪の毛に触ったら、怒られるのだろうか。前に髪についた葉っぱを取ろうとしただけで、真っ赤な顔で手を払われた。なので、それきり礼菜には触らないようにしている。


「ふーん。無理そうだけど、まあ応援するよ。乗りかかった舟だ。沈没船でも付き合う。付き合うって言ったの、俺だし」


 会うのに口実が欲しいだけ。


 いつの間にか俺は礼菜をどうしようもなく好きになっていたっぽい。辛くて、今にも吐きそう。沙也加も真由も、恵美奈も可愛いし性格が良いのに礼菜なのは多分、一途さに胸を打たれた。俺への気持ちじゃないのに、いつもいつも好きだっていうから俺の心が錯覚した。俺はアホ過ぎる。


「陽二君はやっぱり優しいよね。幸一さんがいつも自慢してた。友達も皆、褒めてるよ。お母さんやお兄ちゃんも」


「礼菜も自慢してくれ。俺の彼女は幸せになれるってな。こんな面倒にずっと付き合ってた、お人好し。中々いないってな。どんどん宣伝してくれ」


 捩じくれる気持ちが、苦しい。笑うって大変。


「陽二君って、どんな人が好きなの?何となくは知ってるけど、改めて確認」


 礼菜が無防備な顔で、俺の顔を覗き込んだ。俺は思わず窓の外に視線を戻した。早く終われ、観覧車。こんなの拷問だ。何となくは知ってる?知らないから、こんなになってる俺の気持ちに気がつかない。礼菜はやっぱり変だ。いや、鈍い。鈍くないと言っていたが、鈍い。周りの男からのアプローチを、意図せずことごとくへし折っているのを知っている。


 少しずつ高度が下がっていく、観覧車。園内を歩く女子達の中で、鮮やかな青色の花柄ワンピースの子が目に止まった。


 礼菜には似合わなそうな青。


「青とか花が似合う人とか?ほら、あの子とか。可愛いし。そういや、礼菜って赤とかピンクってイメージで青は似合わなそうだよな」


 ちょっと変で、一生懸命で、恥ずかしがり屋な人。うん、目の前にいるような。そうは、言えない。ここまで言っておけば、君に興味はありませんと伝わるだろう。鈍いので心配は無さそうだが、バレてたまるか。俺はまた目一杯の笑顔を礼菜に投げた。


「……分かった!覚えておく!」


 歯を見せて笑う俺と、にこやかな礼菜。外から見たら微笑ましいカップルに見えるだろう。早く降りろよ観覧車。いや、降りたくない観覧車。二人きりで笑い合っていたい。


「花見とかバーベキューとかなら、また兄貴も来るかもな。自力で頑張れ」


 兄貴と一緒に、順調そうな彼女も毎回呼んだら礼菜はペチャンコになるのだろうか?いっそペチャンコになるまで、凹ませたい。


「企画、発案、そして実行出来るのは格好良いよね。頑張る」


 ポロポロと泣いた、初詣の時の礼菜が脳裏をよぎった。あんなの見たくない。礼菜が自分で企画して人を呼ぶと、多分兄貴の彼女も来ることになりそう。やっぱり却下。


「花見とバーベキューの手配は俺だから、他の手柄を探せよ」


「花火大会!隆史君、行きたいってずっと言ってたから。花火って綺麗で、切なくて、ジーンってするよね。綿あめに、かき氷も食べれる」


「色気より食い気か。花火かあ、デートスポットに飛び込んで悲しくなりそ」


 花火大会なら、礼菜達は浴衣だろう。見たいが、見せたくない。色白、黒髪、可愛い。男は振り向くだろうな。今日も視線を集めていた。色気より食い気で、子供っぽいけど、良く言えば無邪気。俺は相当、礼菜贔屓になっている。


「そっか……。あの……。信じられないと思うんだけど……。好きです」


 涙目で、少し赤らんだ頬。困ったような、はにかみ笑い。俺、いつまでこんな役続けるんだろう。


「赤点。あはははは、いつもの元気は何処にいったんだよ!笑ってる方が良いよ。それに、付き合って下さいは止めたの?」


 観覧車が地上に着いて、扉が開かれた。そういえば、礼菜達女子は遊園地なのにヒールのある靴を履いてきていたなと俺は振り返った。機動性より、見た目重視って女の子って大変。俺なんて、いつも通りの服に履き慣れたスニーカー。


 俺は礼菜に手を差し出した。本当は触りたかっただけ。これなら、許される筈。手を振り払われたりしない。


「ありがとう」


 助かったというように、観覧車から降りた礼菜。良かった。見た目通り、小さくてスラリとした手や指だった。


 ふと足元を見ると俺の靴紐が解けていた。俺は靴紐を結び直した。照れで礼菜の顔が見れない。体を起こすと沙也加と恵美奈が降りてくるところだったので、同じように手を貸した。割と高さがあって、怖いだろう。本当は、礼菜への気持ちを隠すため。まあ、礼菜じゃなくても女の子の手を触るのは悪い気がしない。いつまでたっても、彼女と手を繋いでデートとか出来なさそうだし、このくらい良いだろう。


「女子って偉いよな。健気っていうか。見た目重視って大変そう。髪型とかも手間が掛かってそうだしさ。まあ、俺達は目の保養だけど」


 俺ってこんなキャラじゃない。俺は真っ先に階段を降りた。恥ずかしくて仕方ない。しかし、それよりも大切な事がある。礼菜を困らせたらいけない。裏切られてたって、思われたくない。


 沙也加も恵美奈も、格好良かったと褒めてくれたので兄貴の真似って、役に立つかも。



***



【春 花見】


 春爛漫。


 花見は他大学との交流の場になった。隆史、和樹、太一、それぞれ友達を連れてきて、俺も新しい友達を連れてきて、礼菜達も更に友達を連れてきて、大人数。


 普通に楽しい。人が多いと、気が紛れる。


 仕事で疲れてきっている兄貴は来なかった。昔なら、女子大生に釣られたのに兄貴はすっかり大人しくなってしまった。菜乃花さんと順調。いつの間にか俺の両親と、兄貴と旅行をするという話までしていた。


 甘い物が食べたいと騒ぎ出した、女性陣。それに便乗した男共。礼菜の友達は、やはり品が良さそうなお嬢様達。なのでお酒は禁止した。それなのに、やたら煩い。デレデレ顔の男共にうんざりだ。俺も、同じ顔をしているかもしれない。礼菜はまた大人っぽくなった。


「俺が買ってくる。売ってるものの写真撮って送るから、それぞれ食べたいやつ教えて。誰か荷物持ち来いよ」


「私、行くよ」


 即座に立ち上がったのは礼菜だった。目配せした野郎どもは無視。働け男共!


「他は?」


 面倒、お願いしますしか返事が無かった。女性陣は楽しそうに俺と礼菜を見比べている。歩きながら俺は大きくため息を吐いた。


「もう勘違いされてるのか。参ったな」


「彼女、欲しい?」


 礼菜がトトトッと俺の前に躍り出た。それから俺の顔を覗き込んだ。知り合った頃より、身長差が広がったなと思った。春風に、ふわりと礼菜の黒髪が広がった。三つ編みとかで、半分だけ纏めあげて飾りで留めてある。残りの髪が、春風に遊ばれている。


「和樹とか、楽しそうだし。いたら楽しいんじゃない?」


「は、はい!私が彼女になります!好きです!付き合って下さい!」


 礼菜が勢いよく手を挙げた。授業参観日の子供みたいに、ピシッと腕を伸ばして、真剣な顔。


「あはははは!授業参観の小学生みたいだな。これじゃあ、満点から赤点だな。元気に寄りすぎじゃないか?今の兄貴はすっかり借りてきた猫みたいに大人しいから、前の方が良いよ」


 笑うって疲れる。しかし、俺はやれば出来る奴。礼菜より頭の良い大学に行こうと、偏差値がかなり高くて絶望的なのに頑張った。結果、礼菜と同じ大学。情けない結果だが、元々の志望校よりは上。お陰で、教習所代を親が出してくれた。四年間、礼菜と同じ大学に通える。何か、ストーカーみたいで気持ち悪いな俺。


「そっか……。難しいね」


 礼菜が拗ねたように前を向いて歩き出した。強風が吹いて、桜の花びらが大量に舞う。俺は花びらを捕まえた。


「礼菜、落ちる前に掴んだら願いが叶うんだって」


 俺は礼菜に掴んだ花びらを手渡した。


「そんなの聞いた事ないよ」


「信じた方が楽しいから信じておけって!時間は沢山あるから、のんびり頑張れば?現に前よりは大人っぽくなったし」


 うーん、と礼菜が困ったように笑った。


「ほらっ、これは真由の分。こっちは沙也加の分。で、恵美奈。いつも仲良いよな。で、ワンコには特別に三つだ!最近元気無いって言ってただろう?もう爺ちゃんだもんな」


 俺は花びらをまた手で取って、礼菜に渡した。


「陽二君のは私が取ってあげよう」


 気合十分という顔になった礼菜の白い腕が宙を舞った。


「あれ?難しいね。よっと!」


 苦労している礼菜を置いて、俺は歩き出した。少し遠くから見たら、面白くて可愛いだろう。


「取れたよ!取れた、取れたよ陽ニ君!」


 背中から大きな声がぶつかって、恥ずかしくて俺は振り返った。人差し指を唇に当てて、静かにしろと伝える。礼菜が注目を浴びていると気がついて、静かになって駆け寄ってきた。顔は嬉しそう。


「はい、陽ニ君」


「いや、礼菜が大事に持っとけ。運動オンチの礼菜が取れるって、ご利益ありそうだからな」


「えー!陽二君って、いつも人の事ばっかり」


「欲張らないと、別の事で返ってくるだろう?世の中ってそういう風に出来てる」


 不満げな礼菜から顔を背けて、俺は桜並木を眺めた。ひらひら、ひらひら、ピンク色の花びらが落ちてくる。温かな日差しに、満開の桜。正に花見日和。


「例えば?」


「一人で勉強の方が良いのに、嫌々皆に付き合ったら高望みの大学に合格、とか。ワンコに再会とかさ。一人暮らししたら、犬飼いたいなあ」


 礼菜の応援で苦しいけど、笑顔を見れる特等席、とか。俺の事を好きじゃないのに、好きですって、何度も聞けている、とか。我慢の代わりに得をしていることを、口にしないで胸の中で呟いてみた。礼菜に告白したら、気持ちがバレたら、全部無くなる。


「一人暮らしするの?」


「実家に彼女連れ込むとか、鉢合わせたら最悪じゃね?」


 礼菜が真っ赤になって、固まった。兄貴の真似は刺激が強過ぎたかもしれない。そもそも、俺ってそんなこと出来ない。機会もない。キスもまだ。不毛な片思いをしていると、いつまでもこのまま。


 この先、どう話を続けるか迷っていたら後ろから自転車が突っ込んで来た。俺は礼菜の腕を引いた。だらだら歩いていた前の女性も、思わず引っ張っていた。


「っぶねえな。ベル鳴らすとかしろよな」


 勢い良く通り過ぎていった自転車を、俺は睨みつけた。


「いえ、ありがとうございます」


 三人組の、年が近そうな女の人に変態呼ばわりされなくて、俺は安堵した。


「楽しい日に、怪我とかしたら大変なので気をつけて下さい。あーあ、あの自転車野郎、転んでやんの」


 ふと、前方を見ると自転車が転倒していた。親子連れの父親らしき男性に、自転車に乗ってた男が怒られている。因果応報って奴だな。


 同感なのか、ふくれっ面になっている礼菜は、リスみたいで面白かった。揶揄い過ぎて、不機嫌にさせた。好きな子を虐める小学生みたいだったので、帰って反省した。



***



【夏 バーベキュー】


 夏は宣言通りバーベキュー。兄貴が来なかったせいか、礼菜は始終不機嫌そうだった。俺はずっと焼く係をしていた。礼菜の近くにいると、変に勘ぐられる。アホ隆史に彼女が出来たというのに、不毛な片思いをしている場合じゃない。太一も怪しい雰囲気。何で隆史や太一は礼菜に惚れない。俺だけ頭がおかしいのか?しかし、花見でも、大学の友達からも、礼菜の評判は上々。隆史以下は絶対に認めないけどな。


 花見の時に知り合った女の子達、礼菜達、女子は気配り上手なのに、隆史を筆頭に男共は騒いでばかりで仕事をしろ!


 礼菜は野菜を切ったり、ではなくゴミ捨てや洗い物、水汲みなんかの「女子力」とか褒められないことをしている。そういう裏方に気を配れる所、好きだな。とか俺は今日も前に進めていない。


 それにしても、六人も女の子がいて、どうして礼菜ばかり目で追いかけてしまうのだろう。


 変な子。疫病神!そう思った頃が懐かしい。


「陽二君は、今度の花火大会行く?」


 洗い物をしている時に、礼菜に問いかけられた。避けていたはずなのに、いつの間にか隣にいた。


「行けない。用事があって」


 その日は、兄貴の婚約祝いの食事会。俺は口に出来なかった。両家顔合わせ。俺の願いは虚しく、どんどんと礼菜の不幸が近寄ってくる。今日くらい、兄貴を連れてきてやりたかった。そうしたら、せめて結婚前に告白が出来ただろう。友達がこれだけいたら、話も聞いてもらえる。


「月末のは?浴衣って好き?」


「月末?ああ、隆史が何か言ってたな。皆、二回も行くの?浴衣って好き?浴衣が嫌いな男っていないんじゃない?」


「素直に好きだと言いなよ。たまに捻くれ者だよね。陽ニ君は浴衣好き、ね。なら、私のことは好き?」


 今までにない切り口に、虚を突かれた。思わず「うん」と素直に言いそうになっていた。俺を見上げる、憂いを帯びた、切なそうな微笑の礼菜にドキリとした。距離が近い。こんな顔を出来るんだ。


「嫌い。とは普通、面と向かって言えないよな。これって良い策戦かも。使えば?」


 俺は礼菜が被っていた帽子のツバを、思いっきり引っ張った。急いで片付けをして、会計をまとめて、バイトが無いのに、バイトだって言って逃げるように帰った。


 兄貴さ、婚約した。それだけ言えば、俺と礼菜の奇妙な関係は終了。もう二度と、好きって言われる事はない。好き?と問いかけてもらう事もない。毎回違う、彼女の笑顔も二度と見れなくなる。


 その日の夜、行き場のない礼菜の恋する気持ちを考えると、眠れなかった。たった二年間の片思いでこんなに潰れそうなのに、幼稚園からなんて想像がつかない。どれだけ泣くんだ?


 明け方まで悩んで、礼菜の兄経由で俺の兄貴の婚約話は伝わるだろうと、俺はきちんと礼菜に話しておこうと思った。

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