彼女の告白を止める方法を教えて下さい

あやぺん

ボーイミーツガール

 

「好きです。付き合って下さい」

「だから、む、無理。こういうの止めてくれよ」

「男らしい断り方。次は断れないくらい、胸に響くように言うね」


 俺は変な子に好かれたかもしれない。


***



 彼女の告白を止める方法を教えて下さい



***


【高校二年生 秋】


 部活帰りの帰り道。駅の階段を登っている時に、一緒に帰っていた隆史たかしの鞄が階段を降りてくる女子高生にぶつかった。


「あっ、すみません!」


 隆史たかしが叫んだ時には、女子高生がよろめいていた。


「危ない!」


 俺は思わず手を伸ばした。腕を掴んで引っ張った反動と、女子高生が予想外に軽くて引っ張り過ぎて俺の体にぶつかったので、俺は体勢を崩した。階段に尻餅をついて、激痛を感じた。


「いってえ……」


「大丈夫か陽二ようじ?おい、陽二?」


 思わず呻いてから、俺は固まった。目の前に、くりっとした大きい丸い目があった。


 可愛い。


 俺が上手く庇えた女子高生は、可愛い子だった。長い睫毛。ぷっくりした唇。少しそばかす混じりの、白い肌。サラサラと黒くてツヤツヤした髪が揺れた。彼女が俺をジッと見つめているので、恥ずかしかった。


 生まれて十六年、もうすぐ一七年、彼女がいたことがない俺。こんな近くに女子がいるのは刺激的。


「き……」


 女子高生の顔が引きつった。それが、更に泣きそうな顔になった。


 き?気持ち悪いとかだったら、かなり凹む。助けてもらってそれは無くね?


「きゃあああああ!」


 女子高生が嫌そうな悲鳴を上げたので、俺は大注目された。俺は慌てて両手を上に挙げた。ドラマや漫画みたいに、ラッキースケベなんてことはなく、何処も触っていない。むしろ後ろについた手が、擦り剥むけていそうで痛い。


 何か誤解をされた?


 それなら最悪。


「お、俺は何もっ……」

「好きです。彼女にして下さい。こんなの信じられない……」


 抱きつかれて、俺はポカンと口を開いた。抱きつかれたというか、寄り添われた。胸にピタッと女子高生がくっついている。


 なんだって?何だこれ?


 まるで猫が体に擦り寄るように、女子高生が俺の胸に頬を寄せている。表情はよく見えない。


「あのー……」


「……初めまして。レイナって言います。礼儀の礼に菜っ葉の菜。今日から彼女で良いですか?」


 普通、いきなり、こんなこと言うか?


 礼菜が俺の胸に手を当てて、上目遣いで俺の顔を覗き込んだ。真っ赤な顔で、困り笑いをしている。礼菜が両手を握り、真っ赤な顔で視線を落とした。それから、また俺を上目遣いで見つめてきた。


 うん、やっぱり可愛い。


 


 可愛いが、変な子だ。


 可愛いので、うんと言いかけて、慌てて首を横に振った。ぶつかって付き合うとか、漫画だってそんな事ない。悪ふざけか?罰ゲームか?何かの陰謀か?違くても、可愛くても、何か変な子だ。


「む、む、無理です!」


 俺は礼菜の肩を押して、体から離した。礼菜に怪我は無さそう。立ち上がって、一応礼菜が立つのを確認する。やっぱり怪我は無さそう。お嬢様学校の制服だ。礼菜はまだ少し赤いが、ポカンと子供みたいな表情になっていた。


 数段転がり落ちていた礼菜の鞄を拾って、手渡して、俺は一気に階段を駆け上がった。


「い、行こう隆史!」


 階段を登りながら、叫んだ。


「ま、ま、待って下さい!お礼。あの、れ、連絡先を教えて下さい!」


 少しどもった叫び声がしたが、俺は無視して改札を駆け抜けた。ホームまでの階段も勢い良く降りた。丁度よく、電車が来たので乗り込んだ。突然の自体に軽くパニック。


「あれっ、隆史?」


 付いてきていると思っていた隆史はいなかった。電車のドアが閉まって、電車が走り出す。ホームに隆史と礼菜が並んで立っているのが見えた。二人は和やかに談笑している。


 俺はパニックになったのに、要領の良い隆史はちゃっかりしてるな。俺なんかに一目惚れ?もしかしてチャンスだった?


 いきなり男の胸に擦り寄るなんて、慣れているに違いない。一目惚れというのも軽い気がする。もう隆史に乗り換えたっぽい。いきなり告白とか、何かゲームとかかも。そういう言い訳を並べて、気にしない事にした。正確には、フリをした。


 翌日、俺は隆史に何も聞かなかった。軽いなら、俺より顔が良くて背の高い隆史を気にいるだろう。隆史も何も言わなかった。


 そうしたら、また帰り道に礼菜に会った。腹が減ったと言う隆史にせがまれ、入ったファーストフード店。そこに礼菜が座っていた。俺はニヤニヤ顔の隆史を睨にらんだ。


「好きです。彼女になりたいです」


 勢い良く立ち上がった礼菜が、俺の前に移動した。唇にアップルパイの破片がついている。テーブルの上にアップルパイの箱が3個もあった。夕食はアップルパイ?それとも夕食前におやつ?やっぱり変な子。可愛いけど、大食いなのか。


「あー、あのさ。口にアップルパイついてるよ」


「わざとです。サッと取ってくれると思って」


 上目遣いで、もじもじされて、俺は困惑した。可愛いのでちょっとドキドキしたが、?訳が分からない。


「次は、もっと頑張ります」


 礼菜は意気揚々と、机の上のトレイを持ってゴミ箱の前へ移動した。片付けをすると俺と隆史に手を振って、店を出ていった。隆史が愉快そうに笑って、手を振っている。


「おい。何だよこれ」


「王子様が現れるなんて信じられない。是非取り持ってください。って言うから」


 


 あれか。思い込みが激しいのか。俺が王子様とは、階段で助けたから?たったあれだけで、やっぱり変な子。


 俺に向かって、隆史が自慢げにスマホの画面を見せた。礼菜と女の子が三人写っている。全員もれなく可愛い。しかし、こういうやり取りに慣れている様子。


「取引したのか」


 紹介してもらうとか、そういうことだろう。隆史は男子校で出会いがないといつもボヤいていた。というか、俺も含めて彼女無しの友達はほぼ出会いを求めている。部活優先で男子校を選んでしまったので、仕方ないといえば仕方ない。折角の機会だが、何か嫌だ。恥ずかしいというのが、演技かもしれなさそうなのが嫌だ。


「礼菜ちゃん可愛いじゃん。付き合ってみれば?」


「あんな変な、軽そうな子嫌だ。男とすぐ連絡先交換して出会いの場を広げる感じも、何か嫌だ。楽しんでるだけだろ、お前!こういうの、二度とするなよ!むしろお前が付き合えば?」


 飯を食べてこうと、のんべんだらりと告げた隆史に「帰る」と言い放って俺は店を出た。部活で走り疲れたところに、疲れる出来事。


 俺は電車に揺られながら、何度も大きなため息を吐いた。俺は思っていたよりも、女に夢見る男だったらしい。多分、兄貴が軽い女の人とばかり付き合っているので、そのせいだ。そりゃあ見た目は大事だろうが、それよりも一途で真面目な子が良い。チャンスを無視して、かなりの高望み。俺ってアホかも。



***



【翌週】


 朝練中、学校周囲の道路で俺は礼菜に遭遇した。礼菜は犬の散歩らしく、柴犬を連れている。礼菜はこちらに気がついていない様子。私服姿って、これから帰宅して着替えて学校に行くのか?まだ、朝早いとはいえ、間に合うのか?一つだけ分かるのは、礼菜の家は、散歩に来れるくらいには近いところにあるのだろう。


 シャツに裾の広いズボン姿で、のんびりと歩いてきている礼菜と目が合った。どうしようかと悩んで、全力で駆け抜ける事にした。しかし速度を上げる前に、俺は足を止めた。俺を見つけて、満面の笑みで俺に手を振る礼菜が可愛かったから。手を胸元で小さく振る姿は品が良い。


 お嬢様学校という先入観のせいだ。騙されるか。


 騒めく部員達。結局、向かい合ってしまった。


「おはようございます陽二君。走る姿、格好良いね。あ、あの、陽二君も好きだけど犬も好きです。えっと、私も犬好きなんです」


 しおらしい姿なのに、大胆発言。他にも部員がいるのに、朝からどういうことだ。恥ずかしさで全身熱い。二年生しかいないのが救いかもしれない。こんな軽々しく言えるなんて絶対、俺のことを好きじゃない。


 助けたつもりが、嫌な気分にさせたのだろう。嫌がらせされている。


 


 俺は振り返って、隆史を探した。隆史が、自慢げに歯を見せて笑ったので頭が痛くなった。


「だからお前、こういうのは……」


「待ってワンコ!ダメ!大人しくしないと嫌われちゃう!大人しい子が好きなんだから!」


 慌てた声の礼菜の叫びに、俺は体を戻した。瞬間、柴犬に突撃されて、俺はよろめいた。踏ん張ったが尻餅をついた。顔を舐めまわされる。犬は好きだが、ここまで好かれた事はない。それにしても、犬にワンコという名前とはやっぱり変な子。


 犬をワンコだなんて、まるで幼稚園生みたいな発想だ。昔、捨てられていた犬を兄貴と二人でワンコと呼んでいたのを思い出す。


「酷いよワンコ。初めてを先に取るなんて。陽二ようじ君のファーストキスは私とだったのに。もうっ、邪魔するなら帰るよ」


 何だって⁈


 俺はワンコを押し退けて飛び起きた。嫌がるワンコを礼菜が引きずるように遠ざかっていく。途中、礼菜はワンコを抱きかかえて小走りし出した。俺は振り返って、隆史を睨みつけた。


「隆史!お前、ペラペラ喋ってるな!」


「喋ってないし。指が何か文字を打ったかもしれないけど」


 隆史が呑気な笑い声を出して、俺の背中をバンバン叩いた。完全に揶揄われている。俺がキスもまだとか、隆史と礼菜はどういうやり取りをしているんだ!


「明後日、土曜の練習後空いてる奴いる?さっきの礼菜ちゃんがカラオケに友達連れてきてくれるって。聖サカキバラ女子高の子達だ。よし、俺より先に学校についた奴にしよう」


 隆史が楽しそうに走り出した。半分くらいが全速力で隆史を追いかけていった。


「おい陽二!お前、あんな可愛い彼女いつの間に作ったんだ!」


「聖サカキの女子とかどうやって知り合ったんだよ!」


「隆史にだけ紹介してるんじゃねー!」


 部員に詰め寄られた俺は走り出した。先輩がいなくて、本当に良かった。


「彼女じゃない!多分、嫌がらせ!隆史、ぶっとばす!」


 俺はその日、彼女を隠していた裏切り者呼ばわりされ続けた。隆史は紹介してくれるのに、俺は聖サカキバラ女子高の女の子を紹介しない心の狭い奴とも言われた。その度に紹介出来る知り合いなんていない。彼女もいないと、そう言い続けた。親しい奴には、何があったのかキチンと話し、嫌がらせされているかもという考察もつげた。


 翌日、俺の説明がねじれていて、俺は担任に呼び出しを食らった。何がどうそうなったのか、「聖サカキのお嬢様を痴漢した」という事になっていた。


 疫病神か!



***


【土曜】


 夕焼けが沈んでいく。来週からテストなので、今日は夜まで練習を出来ない。明日、日曜も部活は休み。部活でレギュラーを取れないので、学業を疎かにはしていない。コツコツ勉強してきた。残り1.5日は復習と苦手な科目に集中予定。


 なのに、隆史と二名は合コン。赤点取っても知らん!カラオケでの合コンメンバーに選ばれた二人は練習中も浮ついて見えた。俺は隆史に連れて行かれるんじゃないかと勘ぐって、一刻も早く帰ろうと急いで着替えた。


「なあ、陽二」


 隆史のノンビリとした声に、俺は「じゃあな!楽しめ!」と拒否の態度を示して部室を出た。


 駅の改札前に、礼菜がいた。それから同じ制服の女の子が三人。この間、隆史が見せてきた写真にいた子だ。三人がひそひそ礼菜に話しかけた後、礼菜の背中を押した。


 礼菜が笑顔で俺の前に来た。逃げたかったが改札前の礼菜の友達の手前、走って逃げるというのは気後れした。お嬢様学校らしい品が良さそうな子達だが、後で影で笑われるのか?スマホで動画を撮ったりしてないのには、ホッとした。


「好きです。付き合って下さい」


 礼菜が俺を見上げた。今日は髪を結んでいる。何故か手にノートを持っていた。


「だから、む、無理。こういうの止めてくれよ」


 助けたつもりが、何か嫌な気分にさせたのなら謝る。そう続けようと思ったが、礼菜が困ったように笑ったので、俺は思わず口を閉じた。


「男らしい断り方。次は断れないくらい、胸に響くように言うね。後、これ使って」


 礼菜が俺にノートを渡してきた。表紙に「数学」と丸っこい字が書いてあって、犬のシールが貼ってある。何で数学?礼菜が少し頬を赤くして、ニコニコと笑っているので、俺はつい受け取ってしまった。


「こういうのって、待ち伏せだよね。うん、もうしない」


 両手を胸の前で握りしめて、気合い十分というような顔の礼菜。俺に背を向けて、友達の所へと戻っていく。改めて確認しても、スマホで撮られたりしてなくて、俺はまたまたホッとした。


 。つまり、また待ち伏せされるのか?しかし、待ち伏せはもうしないと言い切った礼菜。どういうことだ?


 嫌がらせじゃ無いなら、本当に好かれているのか?何で?


 俺は渡された「数学」のノートに目を落とした。礼菜達が俺に手を振りながら、駅出口の階段へ向かって歩き出し、階段を降りていった。四人とも、楽しそうに見えた。


 俺は何となく「数学」のノートを開いた。普通に数学のノートだった。綺麗な字で、見やすく書いてある。あと、分かりやすい。俺が知っている数学とは違って見えた。


 テストの範囲被っているなと、しげしげとページを捲めくっていてハッとした。


 使。返せという事だ。待ち伏せはしない、はこれの事か。隆史経由で返せば良いかと、俺はノートを鞄にしまおうとした。


 ノートの隙間からヒラリ、と紙が落ちてきた。拾うと犬の足跡柄の小さなメモ用紙だった。


【テスト用なので終わったら捨てて下さい。頭が良いのに数学だけ苦手と聞きました。再来週、頑張ってね】


 俺は頭を掻かいた。これはどういうことなんだ?再来週じゃなくて、テストは来週だ。これは隆史が嘘をついたな。礼菜は何を考えているのか、サッパリ分からない。


 この日、隆史達の合コンは中止だったらしい。家に帰って、スマホを見ると隆史や合コンメンバー達から連絡が送られてきていた。


 総合すると、俺のせいらしい。


 隆史から送られてきた文字を眺めながら、俺は頭を掻いた。


『皆が遊ぶって言っているのに、断れるなんて凄いね陽二君。だって』


 後ろに「死ねばいいのに」というスタンプ。


『文武両道だなんて陽二君、格好良いだと』


 後ろに「死ねばいいのに」というスタンプ。


『帰らないとスマホ見ないとか、真面目か!真面目なのって素敵、だってさ。モテ期か!』


 後ろに「死ねばいいのに」というスタンプ。


『陽二君が行かないなら私は帰る』

『礼菜ちゃんが行かないなら私達も行かない。って今日、中止になった』


 その後ろにまた「死ねばいいのに」というスタンプ。


『お前のせいで中止された!死ね!っていうか電話に出ろ!スマホの意味無え!図書館で勉強会は延期になったから来い。お前がいないとまた中止だ!男子とカラオケなんて行けないって。聖サカキ生って、本当にお嬢様だよ。可愛い』


 俺はスマホ片手に途方に暮れた。カラオケ合コンも嘘か。隆史以外からも文句と誘いの連絡が入っている。勉強会って、勉強って一人でやるものだろう。しかし、行かないと何をされるか分からない。勉強嫌いの隆史が勉強会とは驚き。


 三十分程前の通知に、俺は返信した。


『死ねって使うな。あと一人で勉強の方が捗るから、行きたくない。急に具合が悪くなって来れなくなったとか、ダメ?』


 隆史からの返信は早かった。


『ダメ。逃げれないようにお前の家にする』


 返信が来た瞬間、家の電話が鳴ったのが聞こえてきた。俺は部屋を出て、階段を降りた。リビングで、母親が受話器を耳に当てていた。俺と目が合うと、嬉しそうに微笑んだ母親に嫌な予感がした。


よう。隆史君からよ。もう、早く教えなさいよ。掃除とか準備しないと。勉強会なんて感心ね。あのヤンチャな隆史君が勉強会だなんて。高校のお友達が来るのは初めてね」


 微笑ましいというように、母親が俺に受話器を渡した。見るからにウキウキしている。俺の母親は来客好きだ。


「おい、隆史」


「お前が悪い!駅に10時集合な!」


 ガチャン、と電話を切られた。俺はまた頭を掻いた。面倒。すごく面倒。全部で八人ってことか?多過ぎだ。テスト前に止めて欲しい。



***



【翌日 日曜】


 朝9時半。勉強会なんて無駄な時間を発生させそうで、明け方まで計画を前倒ししたので眠い。


 俺は駅の改札前で、隆史に会うなり背中を思いっきり叩いた。


「っいて!んだよ、陽二!」


「俺、集団で勉強とか無理。部屋にいるから、勝手にしろよな。しかも何でこんなに早く来なきゃいけねぇんだよ」


 隆史に背中を叩かれた。


「お前は変人か!あんな可愛い子達に囲まれるより、一人が良いってアホなのか?因みに涼りょうは抜け駆けして、テスト最終日にデートだと。いつの間にか連絡先交換していやがった。あの短い隙に」


 隆史がブツブツ文句を言っている。今日は全員で六人になっていたらしい。しばらくして、和樹かずきが到着。会うなり俺は小突かれ、昨日の文句を言われた。


 しばらくして次の電車が到着した。昨日見た女の子二人が仲良さそうに並んで歩いてきた。二人とも、柄やデザインは違うが膝下まであるワンピースにカーディガン。とても清楚な雰囲気。さすが、聖サカキバラ女子高の女の子。片方が手に花柄の紙袋を持っているので、手土産だろう。うん、隆史が正しい。俺はアホだった。勉強会は正解だ。


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」


「おはようございます。よろしくお願いします」


 二人揃って、丁寧な会釈。緊張しながらも親しみこもった笑顔。二人とも可愛いし、何もかも好感が持てる。これは隆史が必死になるのも頷うなずけた。髪が肩までの、少しツリ目の猫っぽい子が「沙也加さやか」で、ポニーテールの子が「真由まゆ」だと隆史に紹介された。


「礼菜ちゃんは、車で来るって言っていたので……。着いたみたいです」


 一人だけ車とは、と俺は呆れた。協調性が無いのだろう。俺達は駅の階段を下りた。階段を下りたところに礼菜が立っていた。


 犬と。


「ワンコちゃん」


 沙也加がワンコを撫で回した。ご満悦そうなワンコが、何故か俺を見た。


 俺はワンコに強襲された。


「な、なんで、なんで勉強会なのに犬を連れてくるんだよ!」


 ワンコが俺の胸に前足をくっつけて、尻尾をブンブンと振る。俺が怒鳴ると礼菜が呑気そうに笑った。


「会いたいと思って。陽二君も飼いたいくらい犬好きだって聞いたから」


 俺は隆史を睨んだ。隆史がワンコを抱き上げて俺に押し付けた。


「よし行こう。陽二の家、近いから。コンビニで飲み物買ってくるからお前はここで少し待ってろ」


 ニヤニヤ笑いを浮かべる隆史が、俺と礼菜以外を連れて駅前のコンビニへと向かっていった。俺もあっちが良い。


「ワンコね、拾った人が飼ってくれませんかって家に頼みにきたの」


 俺の顔を舐め回すワンコの背中を、礼菜がサワサワと撫でた。そういうの身に覚えがあるな、と俺は礼菜に視線を移動させた。何か言おうとしたが、この礼菜は何を言い出すか脳内宇宙人。俺は口を開くのを止めておいた。


 秋色の水玉模様の長袖ワンピースに、サラサラの黒髪。やっぱり可愛い。中身で損しているな、と俺は上から目線の考察をした。


 意外にも礼菜は無言だった。ワンコの背中を撫でて、目線は下。複雑そうな顔をしている。


 隆史達が戻ってきて、俺達は俺の家へ向かって歩き出した。アスファルトに下ろしたワンコのリードを握った礼菜は、友達と談笑している。俺は正直ホッとした。朝から恥ずかしい目に合わなくて良かった。ワンコが俺の足元にピタリと張り付いて、尻尾をブンブンと振っている。


 家に着くと、母親の反応に俺はうんざりした。想定の範囲内だが、視線が痛い。三人からの手土産を受け取った母親はかなり上機嫌に見えた。


 犬好きの母親はワンコも気に入り、庭で大人しくしていると言った礼菜に「散歩に連れて行きたい」とまで言い出した。


「私がいない方が良いものね、陽。そんな、仏頂面して。大事にしなさいよ」


 母親がワンコと散歩に行こうとした時、礼菜が玄関からひょっこり顔を出した。


「きちんと躾けてあるので大丈夫だと思います。ありがとうございます」


 礼菜が少しおどおどした態度で、ぎこちなく俺の母親に笑いかけた。家の中でも同じ台詞を言っていたのに、律儀なのかもしれない。家の中でも、俺の母親と、ワンコの事なのか他の二人よりも長く話をしていた。


 礼菜がワンコに近寄って、しゃがんだ。


「良い?ワンコ。素敵なお母様を守るくらいの気持ちでいるのよ。陽二君のお母様なんだから」


 俺は母親の肘で小突かれた。ニヤニヤと笑い出した母親に俺はうんざりした。


「礼菜さん。いつも息子がお世話になってます」


 慌てて立ち上がった礼菜が深々と頭を下げた。


「お世話したいので頑張ります」


 母親が首を傾げた。


「違うから。全員、隆史の友達。俺は関係ないの。ほら、行けよ。夢だった散歩」


 俺は母親の背中を押した。アレルギー持ちの父親がいるので、犬との生活を諦めている母親は鼻歌混じりにワンコの散歩に出かけた。


「優しいお母さんだよね。陽二君はお母さん似だ」


 ふふっと笑った礼菜に、好印象を持たれていそうな雰囲気に、悪い気はしなかった。


「あのさ……何で俺……」


「おい陽二!人が来るなら先に言っておけ……。ああ、すみません」


 背中から大きな声がして振り返ると、兄貴がムスッとした顔をした後に、礼菜へ愛想笑いを浮かべた。その後、兄貴の目が丸まった。


「あれ、礼菜ちゃん?」


「おはようございます。幸一こういちさん」


 ん?知り合い?俺は兄貴と礼菜を見比べた。兄貴も俺と礼菜を見比べた。


「今度会わせてくれるって言っていたら、駅で陽二君が助けてくれて、知り合いました」


「何それ!凄くね⁈」


「運命的でしょう?でも、お母さんからお母様に電話してあった筈ですけど。幸一さんの好きな焼き菓子、買ってきてありますよ。今日はワンコを連れてきました」


 両手を胸の前で握って、ポポポッと顔を赤らめた礼菜。


「え、ワンコもいるの?」


「お母様が散歩に連れていってくれました。私達、勉強会をするんです」


 礼菜が掌で通りの向こうを示した。母親とワンコが角を曲がるのが見えた。


「何か、昨日言ってたような……。酔ってて覚えて無いな。暇だし、俺も行ってこよう。勉強、頑張れよ。何もかも頑張れ」


 兄貴がポンポンと礼菜の頭を撫でて、颯爽と走り出した。礼菜の顔は真っ赤だった。まるでよく熟れた苺みたい。熱心な瞳で、兄貴の背中を見つめている。礼菜が勢いよく俺の方を向いた。


「好きです!付き合って下さい!優しいところ……」


 礼菜が途中で、口を開けたまま固まった。


「やっぱりまだ無理。絶対無理……」


 首をイヤイヤというように、横に振ると礼菜が大きく深呼吸した。何だこれ?つまり、どういうことだ?


「何、どういうこと?お袋や兄貴と知り合い?」


 礼菜がまた頬を赤らめた。俺は何となく、理解した。礼菜が好きなのは俺じゃなくて、俺の兄貴らしい。



***



 俺と兄貴は幼稚園生の時に犬を拾い、ワンコと名前をつけた。しかし、親父がアレルギーなので飼えない。しばらく幼稚園で飼わせてもらい、母親と俺と兄貴で飼い主を探した。幼稚園の掲示板に貼ったチラシを見た、幼稚園近くのお家が引き取ってくれた。


 礼菜のワンコは、そのワンコ。


 兄貴は以後礼菜の家にワンコに会いに行っていたらしい。俺も何度か行ったことがあるらしいが、記憶にない。一方で礼菜の兄と俺の兄貴は同い年で、そのままずっと仲が良かったらしい。母親同士も交流がある。全くもって、俺の知らない人間関係。


 さて、礼菜。


 恥ずかしがり屋な彼女は初恋相手の俺の兄貴をいつも遠目で見ていたらしい。幼稚園、小学校、中学校。恥ずかしくて挨拶くらいしか出来ない。少し話せるようになったら、兄貴達は社会人となり、兄貴は礼菜の家には殆ど遊びに来なくなった。


 幸一さん自慢の弟に会ってみたい。


 俺は知らないところでダシに使われそうになっていたらしい。で、駅での小さな事件。礼菜は俺と近寄れば、兄貴にも近寄れると考えたらしい。


「似ているから、好みを学んだり、告白の練習を出来ると思って」


 俺は礼菜の、恋する乙女の表情に心臓を掴まれた。女の子ってこんな顔をするのか。変な子だが、必死そうだったのは彼女なりに頑張っていたらしい。発想は変だけど、俺に近寄れば、兄貴にも近づける。隆史とのやりとりも、その為。ついでに女子高で出会いが無いので、友達に頼まれたという。


「二十歳になったら、絶対にしっかりと告白するんだ。それまでに振り向いてもらえるように、釣り合うようになる」


 真っ直ぐキラキラした瞳の礼菜に、俺は何も言えなかった。釣り合うも何も、変だがこの清楚可憐で純情そうな礼菜は兄貴には勿体無さ過ぎる。


 先週、兄貴がうっかり浮気して彼女に振られたと家で酒を飲んで管を巻いていたとか、そんなことは言えない。一昨日も朝帰りしてきた。ワイシャツに口紅が付いていて、母親が洗うのが面倒だと怒っていた。それも言えない。


 高校生の時に既に二股かけて、家の前で修羅場を巻き起こした、そんなことも言えない。


「練習なら、練習って言ってくれれば……。まあ、付き合ってもいいよ。練習」


 礼菜が嬉しそうに俺に笑いかけた。俺は決意した。隆史でも、和樹でも、他の仲の良い部員やクラスメートでも良いので、兄貴以外の奴に目を向けさせる。



***



 俺は後悔する事になった。



 そして、祈るようになった。



***



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