奴は現れた


 莉那がひとしきり語ったところで、さおりがパッと明るい声を上げた。

「ああ、思い出したわ。確かあたしと初めて会ったときもそのヘアピンしてたよね!」

 莉那も明るい表情になって言った。

「うん! このヘアピンがあったからさおりちゃんが声かけてくれたの!」

「そうそう、そのときヘアピンかわいいね、って言って話が弾んだんだよねー!」

「うん。だからおばあちゃんに感謝してるの。素敵なお友達も作ってくれてありがとう、って」

「あたしも梨那ちゃんと知り合えてうれしいよ!」

「ありがとう! これからも、大事にするね!」

 そうした会話のさなか、突如二人を引き裂くものがやってきた。後ろから自転車が猛スピードで突っ込んできたのだ。

「あっ、梨那ちゃん危ないっ!」

 さおりは大声で叫んだ。莉那は素早く身をかわし、バランスを崩して派手に転んでしまったが、なんとか自転車を避けた。

「ったく、何アレ! 超危ないんだけど! 梨那ちゃん大丈夫?」

 さおりは憤慨と同時に梨那を心配した。

「大丈夫……。ちょっとすりむいちゃったけど、これくらいなら平気よ」

「ならいいんだけど……。ホント、自転車で前見ないやついるよね。しかもアイツヘッドフォンつけながら自転車漕いでたわ。自転車乗りながらそんなことしちゃダメって学校で習わなかったのかしら。あら……どうしたの梨那? そんな顔して。やっぱりケガが痛いの?」

 梨那は顔を真っ青にし、声をわなわな震わせていた。

「ない……ヘアピンがない!」

「えっ、なくなっちゃったの?」

「さっきまで持ってたのに……どうして!」

 自分の身体中のポケットをまさぐった後、地面を皿のようにして見た。だが、ヘアピンは見つからなかった。

「自転車にぶつかりそうになったとき落としたんだ……」

 落ちたとなれば、河原に生い茂る草むらか。倒れたときの衝撃でそこまで吹っ飛んでしまったんだ。こんなところに落ちてしまっては、探すのは困難だ。

 莉那は絶望感に打ちひしがれて泣いた。

「さおりちゃん……おばあちゃんが、おばあちゃんがぁ!」

 梨那はさおりの胸に抱きついて、わんわんと声を上げた。もうおばあちゃんとの思い出の品は二度と戻ってこない、そんな気がした。

「梨那ちゃん……元気だして。あたしも一緒に探してあげるから。だからね、泣くのやめよう」

 さおりは梨那をなだめるように言った。莉那は涙を腕でぬぐって彼女の胸から離れた。

 二人はとりあえず探しやすい草むらの手前まで入念に見て回ったが、それらしきものは全然見当たらなかった。やはり草むらの中のようだ。草は彼女たちの腰ほどの高さがあり、その中に潜ってヘアピンのような小さなものを見つけるのは不可能に思えた。

 草むらに入らないと探せない。でも、そこに入っていくのは危険だ。昔、この辺りの草むらで蛇に噛まれて大変なことになった人がいる、という話を梨那は思い出した。万が一毒蛇に噛まれたら死んでしまうかもしれない。しかも今はスカートを穿いていて、足の肌がむき出しだ。蛇がいなくても、毛虫に刺されたり、薮で足を切ってしまうかもしれない。やっぱり無理だ。

「どうしよう、これじゃ探せないよ……」

 梨那は震え声で言った。

「う、うん……確かに。それは、あたしも嫌だな……」

 さおりは少し後退りしながら言った。

「ねえ梨那、今草むらにやっぱり入るのはやめておいたほうがいいかも……大人の人とか呼んだ方がいいと思う」

 確かにさおりの言うことが正しい。でも、一方で梨那はこう思う。

「でも、私おばあちゃんを一人にはできないよ。大人の人に言っても、たかがヘアピンくらいで、って取り合ってくれないに決まってる。だから私が早く見つけないと……」

「でも、どうするの? こんなの大人の力に頼るしかないって」

「それは……」

 梨那は言い淀んだ。無理にでも草むらに入らない限り、自分たちだけで探す手段はない。でも、入るのは危険。板挟み状態だ。

 どうしよう、と思ったその瞬間、草むらの中にキラリと光る何かが見えた気がする。

「あっ、あれ」

 梨那はそれを指さした。

「えっ、何?」

「そこに光る何かが……きっとアレだ!」

 そう言ってさおりの返事を待たずに駆けて行った。

「あっ、ちょっと梨那ちゃん、危ないよ!」

 さおりは制止したが、それを振り切って梨那は草の中に分け入って行った。

 莉那は光る物体の元へ急いだ。ガサガサと草を踏む音が聞こえた。あっ、あれだ! 

 光る物体が目の前にあるのを見つけ、それに向かって一直線に進んだ。すると、ぐにゅっ、と何かを踏みつける感触がして、梨那は大声を上げた。



「いやぁっ!」

 梨那は突然草むらの中でひっくり返って消えた。

「梨那ちゃん! 大丈夫!?」

 さおりも慌てて草むらに入っていった。地面の落ち窪んだところに足をとられて転んでしまったのだと思った。これで大けがをしていたら大変だ、助けに行かなきゃ。

 幸い、梨那はすぐに自力で起き上がってきた。足が折れたとかいうことはなさそうだ。莉那は起き上がるや否や、さおりちゃんのところへ駆け寄ってきた。

「さおりちゃん……そこに何かいる……踏んづけた」

 さおりはぎょっとした。まさか、本当に蛇がいた!? 二人は身構えた。

 すると、梨那が倒れた場所で何か起き上がってくる影が見えた。その影は巨大で、頭部には二つの光る何かが見えた。

 蛇どころか……熊!? どうしよう、逃げ切れない! 引っ掻かれて死んでしまう! さおりは内心パニックだった。ああお父さんお母さん、先立つ不孝をお許しください!

 影はのっそりと立ち上がった。確かに熊のように大きな身体だが、熊ではない様子だった。しかし、それでも得体のしれないものに変わりはない。

 二人は抱き合って震えていた。

 起き上がった影がおもむろに声を発した。


「ハァハァ、幼女に踏まれて幸せナリィ……」


 は? と二人して一瞬思考が止まった。ヨウジョ? シアワセ?

 はっ、これはもしかして……。さおりは希望を見出した。探せるかもしれない、梨那ちゃんのヘアピンを!

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