第二百四話:咲き誇る熱狂の華




 見渡す限りの草原を駆け抜けながら、自分は巨大な牙を噛み鳴らす。


 目指しているのは、南端ログノート。フェアリー・レギオンなどと名乗る悪党共を一掃しに、自分たちは名も無き草原を走っている。


 視線をちょっと右に向ければ隣には滑るようにトルニトロイが飛んでいて、その大きな後ろ足にはリリアンとポムさんがおっかなびっくり掴まっている。


 本当ならトロイの背中にいるはずのセリアは作戦上、自分の巻き角の影に陣取っていて、珍しく怠そうじゃないその口角は上がっているように見えた。


 ワワルネックに乗った雪花が滑るようにセリアの隣に顔を出して、「クズが澄ましてんじゃねーよ! さっさと残りのスキルも教えろ!」と叫べば、セリアが挑発するようにこう言うのだ。


 ちょっとだけ雪花を振り返り、鼻で笑って「お前が先に残りを教えろよ」と。そうすると、雪花は怒ってこう言うのだ――「お前みたいに山ほどアビリティ持ってねぇんだよ!」と。


 そうするとセリアがやっぱり小馬鹿にした様子で小さく笑ってから、「そりゃ悪かったなー」って雪花をからかって、また雪花が怒って、仲良さそうに怒鳴り合って――、


「楽しそうだね、2人とも」


「楽しくないから!」


「楽しかねぇな」


 でも、息ぴったりなのに――とポムさんがのほほんと言えば2人はぴたっと口を閉ざして、そうするとクスクスさんが「喧嘩するほど仲が良いって言いますよね……」ってぼそりと呟いて、ポムさんとリリアンがぶはっと噴き出すのだ。


 で、びしりと青筋を立てた雪花に、「言っときますけど、そんな覆面したって意味無いですからね!」と苛められて涙目になったクスクスさんが自分の背中の上で落ち込んでいて――。



 ――ふと、思うのだ。


 ああ、本当に……自分は1人なんかじゃないんだな、と。


 VRを始めた時は本当にひとりぼっちだったけれど。自分にはいつの間にか、困っていたら助けてくれるような人達が傍にいたんだなと。


(――)


 ――また、雪花とセリアがスキルの内容についてで揉めていて、クスクスさんとリリアンが作戦の細かいところをつめ始める。


 ……不思議な気分だった。心がふわふわするような、ぽかぽかと暖かいような、そんな気がして――。


「――ボス?」


 無言のままクスクスさんとセリアを乗せて走り続ける自分を心配し、大丈夫? と雪花が声をかけてくる。


『大丈夫』


 不安そうな表情に吼え声で、もう大丈夫だと笑えば意味は分からずとも雪花にはすぐに伝わって……。


 ホッとした様子の雪花の顔も、それを巻き角の影から見下ろすセリアやクスクスさんの何気ない――どこか柔らかな表情も、どれもが自分には嬉しくて――、



 この日――全てが一生忘れえない、大切な思い出となったのだ。






























「――ねえ、みんな。助けてくれて、ありがとうね」



 獣化する直前に、自分は皆にそう言った。


 口々に気にするな、と返してくれる優しさが嬉しかった。



 ……東の空に、太陽が輝いている。


 長かった夜が明け、ついに世界に朝が訪れた。


 心身ともに、無傷というわけではないけれど。


 辛いことも、悲しいことも、心に重荷もあるけれど。


 でもきっと、歩き出せないほどの重荷じゃない。



 共に歩んでくれる仲間たちが――確かに此処にいるのだから。





















第二百四話:咲き誇る熱狂のはな






















 南端、ログノート。


 そこはログノート大陸の南の果て。大陸の名を冠するだけの、ささやかな大きさの港町。


 港町とは言いながら船の一隻も存在しない不可思議な町では、爽やかなはずの朝の光を浴びてなお、禍々しい雰囲気を消しきれない集団がいる。


 集団の名は『フェアリー・レギオン』――フェアリー・ホルダーである〝ライナー〟並びに〝蜜蜂〟それぞれが率いるギルドを合わせ、そこにこの場で集めた有象無象のプレイヤー群を詰め込んだ、継ぎ接ぎだらけの悪党の旗印。


 未だ死せる榊が残した置き土産の効果は消えず、人獣――世界警察ヴァルカン並びに魔王軍が手を組んでまで排除しようとした悪は蔓延はびこるばかり――。


 そんな惨状を窓から見つめ、小さな嘆きが小柄な女性――世界警察ヴァルカンログノート支部の副支部長であるponポンの喉からこぼれ落ちる。


「ああ、支部長……うわ、痛そう。なんでアレで正気なんでしょう……」


 頼みの綱であったログノート支部の支部長――〝アイノザ〟は言葉に出来ないほど凄惨な状態で敵に捕まり、闘技場で強者として有名なtoraまでもが適応称号スキルと思われる水球に囚われている。


 『薄明竜フェルトダンパ』は同じく別の適応称号と思われるスキルによって〝蜜蜂〟が好き放題に操り、今や悪党の豪華な椅子に成り果てている始末。


「うう……応援が来るって言っても、いつ来るかわかんない上にメンバー秘密って……」


 いくら通信傍受スキルを警戒しているからといっても、限度があるのに……と呻きつつ、ponは輝く銀色の膜に守られた統括ギルドの内側で唇を噛む。


 外は地獄――だが、統括ギルドの中もまたある意味では地獄にほど近い。


 応援を要請してから30分――あれから今まで、敵に囚われた不運な人達以外の全ての一般プレイヤーの避難自体は終わっている。


 南端、ログノートの統括ギルドには総勢100名ほどの被害者達が避難していて、悩み、呻くponの背後では、凄惨な殺されかたをされた一般プレイヤーを宥める世界警察ヴァルカンの職員や、いざとなったら打って出る! と息巻いて武器を構えているプレイヤーなど様々な人達がいる。


 現在、最も安全なのは統括ギルドが所有する勉強部屋やスキルの試し撃ちのための実戦室などの異空間だが、それらは数に限りがある上に、真っ先に避難をしていたプレイヤーが独占中。


 早々に装備などを諦め、精神保護のためにアバターをこの場に残しログアウトをしたプレイヤーもいるが、全員が全員、そのような割り切りが出来るのならば、こんな早朝から【あんぐら】でもやるかー、とログインしたりはしないのだろう。


 精神的にちょっと辛い思いをして青褪めている以外のほとんどのプレイヤーは、手に武器を構え、目を血走らせ、かなわずとも今にも統括ギルドから飛び出してフェアリー・レギオンに襲い掛かりそうな形相の者達ばかり。


 だが――統括ギルドの中に否応なしに押し込められ、追い詰められた獣のごとく目をぎらつかせるプレイヤー達が未だ窮鼠きゅうそとなっていないのは、ひとえに必死になって彼らを守る一人の男がいるからだろう。


「皆さんッ――大丈夫です! 応援が来るギリギリまでたせますから! 安心してください!」


 茶色い髪をヘアバンドで無理に押し上げ、その手に銀地に青の大盾を構える、自信なさげで人の良さそうな顔つきの男――月影の存在が、追い詰められたプレイヤー達の暴発を抑えていた。


 情けなさそうな顔をして、それで意外と度胸のある月影の声に、プレイヤー達はわずかに落ち着きを取り戻す。

 構えていた武器を握る手は緩み、力の入った肩がわずかに下がったのを見届けて、月影は皆に儚げに笑いかけてから再び前に向き直る。


 適応称号裏スキル――榊による『世界同時犯罪煽動』が達成されて解放されたそれが【善なる者に毒をティルタトルタ】であるならば、月影が発現したそれは面白いほどに対照的なスキルだった。


 スキル名――【ロメ】。


 ティルタトルタのようにルビが振られることもなく、ただそれだけが刻まれた月影の適応称号裏スキル。達成課題はシンプルに、『100名以上のNPKノンプレイヤーキラー同時庇護』。


 要するに、今まで一度も(事故や、正当防衛も含む)プレイヤーをPKしていないプレイヤー、100名以上を同時に守ることに成功した際に解放される裏スキルだ。


 榊による煽動が無ければ達成できたかどうか怪しいスキルだが、様々な状況がかみ合って月影は見事に裏スキルを習得。

 榊のようにゲーム内世界全域に効果があるスキルでは無かったため、公式アナウンスで大々的に発表されることこそ無かったが、南端ログノート限定でその効果は公表された。


 公表されたそれもやはりシンプルで、一定時間で重みを増していく大盾を月影が支え続けていられる間は、指定範囲に絶対の守りが約束されるというもの。


 ゆえに、敵も無駄な行動には移らない。裏スキルによって守られる統括ギルドの外で暴虐をふるうフェアリー・レギオンは、月影がスキルを発動して以降、一度も統括ギルドを覆う銀幕には触れようとしない。


 彼らはただ待っているのだ。月影の腕が限界を迎え、その大盾が地に着く瞬間を。


 だからこそ、じっと外を睨んでいたponは、固い表情で月影にフレンドメッセージを送っていた。


『月影さん――正直にお願いします。後、どのくらいちますか?』


 統括ギルドの奥、固まって互いを励まし合う一般プレイヤー達に気取られないように、ponは匿名とくめいの会話で月影に確認を取る。


 今やログノートの統括ギルドに逃げ込んだ全てのプレイヤーの安全がその大盾にかかっている時の人となった月影は、巨大な銀の盾を構え、浮かぶはずのない汗が滲んでいそうな表情で、思考選択によるメッセージをこう返した。


『――正直、ティルタトルタの効果が切れるまではたないと思います……ッ』


 【善なる者に毒をティルタトルタ】――死せるさかきの、適応称号裏スキル。


 運営から発表されたその効果は、悪意ある者達へ広域全体強化がかかるというもの。


 代償としてスキル発動者は終日のログイン凍結となり、その後のログイン可能時間に比例して強化の時間が決定するとされた裏スキル。


 善性の者を苦しめる毒となるそれの効果は3時間ほどと発表され、同時に公表されたデメリット――死亡回数により強化率がマイナスになるという情報は、ログイン中のプレイヤーなら誰もが知っていることだ。


 けれど、そのデメリットを有効にするためには、全ステータスが大幅に強化されたPKプレイヤーを少なくとも4回は死に戻りさせなければならない。


 3度死に戻って、ようやく強化倍率が0になる――それは、各地の世界警察ヴァルカン支部に勤めるプレイヤー達が文字通り命をかけて仕事をし、力が強くなっただけの馬鹿なPKプレイヤー達を倒しに倒して得た情報だった。


 如何に世界警察ヴァルカンの各支部が爆破され、踏み潰され、木端微塵に吹っ飛んでいようとも、職員までもが全員吹っ飛んでしまったわけではない。


 各支部に配属された戦闘用職員の強さは伊達では無く、支部長、副支部長クラスになれば単独で指定ランカーと鍔迫り合いが出来るレベルの強さがある。


 相手が有象無象ならばそれこそ敵など存在しない。ちょっとくらいステータスが上がろうとも、そもそも【Under Ground Online】において、ステータス値の影響が大きく出るのは強者同士の戦闘時のみの話でしかない。


 けれど、相手が馬鹿じゃなかったら――ステータスの強化など無くとも、元より強者とされたPKプレイヤーならば?


 当然、底上げされたステータスは脅威となる。紙一重で勝敗が分かれる指定ランカー同士の戦闘において、ステータスの差は紙一枚よりも厚い隔たりとなり、南端ログノートでは凄惨な宴が開かれることとなった。


 そう、どんどんと重さを増していく銀の大盾を構え続ける月影と、肩までの黒髪を落ち着かなげに揺らしながら統括ギルドの玄関口から外を睨むponの視線の先にいる――無法者の長達。


 両者共に、悪辣なるフェアリー・ホルダーである〝蜜蜂〟並びに〝ライナー〟は、涼しい顔で支部長の〝アイノザ〟をいたぶりつつ、月影の限界と世界警察ヴァルカンの応援を待っている。


 当然、世界警察ヴァルカンの通信も傍受しているのだろう。ponは、今でも忘れられない。

 不健康そうな痩せぎすの、淀んだ緋色の目をした〝ライナー〟が、水球に閉じ込めたtoraをうっとりしながら眺める傍らで、ponがルークからのメッセージを受け取った時の表情を。


 高みからの哀れみのような――釣り糸の先で抵抗する魚でも見るような目で、〝ライナー〟はponを見た。

 応援を送るが、メンバーは書けない。いつ着くかもわからない、というメッセージを受け取り青褪めたponに対し、あの男は哀れみながらも微笑んだのだ。


「――ッッ」


 ゾッとするような微笑みだった。世界警察ヴァルカンで活動するうちに、並大抵の相手では怯まない度胸がついたponですら、背筋が凍るような。


「なら――打って出るしか、ないですかね」


 覚悟を決めた表情で、錆色さびいろ細身十字剣スティレットを構えたponは唇を噛みながら統括ギルドの窓枠に足をかける。


 月影はでも、と小さく言いかけたが、次善策が無く押し黙る。背後にいる一般プレイヤー達は月影の裏スキルの達成課題にあるように、ほとんどがPKの経験すらない素人だ。


 人外でもあり、テストプレイヤーでもある〝アイノザ〟やponが敵わない相手に、彼らがどれだけ束になっても敵うはずがない。


 やるのなら、一撃必殺――〝蜜蜂〟も〝ライナー〟も、すでに決死の特攻で〝アイノザ〟とtoraが1度は仕留めている。次に死に戻れば、悪党どもの強化は0にはならないがマシにはなる。


 だが、いくらメインアビリティが〝上級暗殺者〟でも、フェアリー・ホルダー2人を相手に白昼堂々の暗殺は難しい。


「落ち着いてください。今、飛び出しても一気に2人は仕留められない……応援を待ちましょう」


「……でもっ」


 月影に宥められながらも、ponは唇を噛みしめる。そこに続けて、月影はぬぐい切れない不安を口にする。


「それに、出来るだけ戦力は温存しておいた方がいいかと……その、言いにくいんですが、世界警察ヴァルカンの方針は……えっと、その……」


「……言いたいことは分かります。ええ、セリアさんの応援を要請しましたが、恐らく許可は出ないでしょう……ウチは保守的なんで……」


 ponにとっても今回の件は、正直に言えば支部長クラスの応援が来ても意味があるとは思えなかった。


 実際に、〝蜜蜂〟も〝ライナー〟もたった1度倒すのにtoraと〝アイノザ〟という指定ランカーが捨て身の策で――そこに名前持ちのドラゴンまで加わって、ようやく1度仕留められただけなのだ。


 応援部隊に竜やボスモンスターがいて、更にそこに指定ランカーが複数いるのならばまだしもだが――そんなことはほぼあり得ない、とponは嘆く。だが――、


「――あ」


 不意に月影が驚きの声を上げ、ponが不思議そうに顔を上げたその瞬間。


「ponさん、大丈夫――すごく強いランカーが、こっちに向かってるみたいですから」


「え?」


「フレンドさんなんだけど、すごく強いんです。だから大丈夫」


 疲労に青褪めていた月影の表情がにわかに明るくなり、よいしょッ! と気合の入った声と共にその両腕は大盾を構え直す。


 まるで、そのフレンドが駆け付けるまで頑張れば、何もかもが解決すると確信しているかのような月影の態度に、ponは薄い緑の瞳を見開きながら疑問を声にしようとして――、


「これ……え、え? くろくっ、セリアさっ――ホントですかぁ!?」


 月影が公開指定にしたある掲示板の書き込みを見て、ponは驚きを隠せずに叫び、その声になんだなんだと一般プレイヤー達がざわつき、その中の数人が月影の近くに歩み寄り、


「こっ、狛犬さんがログノートに向かってるって! セリアとトルニトロイ、水の精霊王も!」


 南端ログノートの統括ギルドは、一斉に歓喜の声に包まれた。
























 場面は移り、銀幕に包まれる統括ギルドの外の世界。


 家屋は壊され、統括ギルドの前には以前には無かった巨大な広場が出来上がっている、惨劇の南端ログノート。


 ダッカスと同じように黒の耐塩レンガの街並みのあちこちからは煙が上がり、路地には食料、雑貨、椅子に血痕、折れた刃がごろごろと転がっている有様の中。


 まさに薄明――日の出前、あるいは日の入り直後のような薄紫と薄橙に輝く淡い色のドラゴンの頭の上で、大柄な男が大欠伸と共にこう言った。


「なあ――支部長サン。俺はさ、ちょいと募金をしてほしかっただけなンだよ」


「……ッッ、ふっざけんなよ犯罪者が! クズゴミ野郎が何の募金だ! 死ねボケ! 死にさらせ!!」


 大男の発言に、怒り狂って叫ぶのは此処――南端、ログノートの世界警察ヴァルカン支部長を任されている〝アイノザ〟だ。メインアビリティは〝上位拳闘士プロ・ウォリアー〟。


 実直、真面目、正義漢……と世界警察ヴァルカンの中でも有名な正義の男は、今や犯罪者よりも〝死ね!〟と叫ぶキレッキレの状態にまで追い込まれ――けれど、大男によって手も足も出ない状態にされていた。


「あはぁ……俺はびっくりだよ、支部長サン。VR仮想世界の中とはいえ、で正気でいられる奴は初めて見たよぉ」


 ――そう、それは文字通り。今や大男に肩を掴まれ吊るされるアイノザの手足は、4つ全てが胴体と生き別れ、吊り下げられるアイノザの下に無造作に放られていた。


 男はちらりとそれを見下ろし、それから怒り心頭で歯軋りをするアイノザの淡い藤色の瞳を覗き込む。


「魔法使いならわからンけど、拳闘系はむつかしいねぇ? 手足が無けりゃ、何も出来ないンだから」


「好きでやってんだよ馬鹿! 人様のアビリティに口出してんじゃねぇぞゴミのくせに!!」


「おーおー……やせ我慢じゃなくて、本物だよ支部長サンは。よく平気だねぇ。口も悪いし、どうだい? ウチのギルド、入っちゃわない?」


「――――」


 クズゴミが! と叫んでいたアイノザに、男はへらへらと笑いながら軽々しくPKギルドへの加入を提案する。すぐさま沸点を超え、怒りのあまりに声も出ないアイノザを眺めて男は笑った。


「あっはっはぁ! 冗談だよぉ、無理だってわかってるよ。そりゃそンだけ正義バカじゃ無理だろうよぉ!」


 ――腹を抱えて馬鹿笑いするそれは、藍色の瞳の男だった。


 背には蜂の巣模様の、青地に黒のマントを羽織り、灰色のシャツにちょっとした銀の鎧を纏っている。腰の左右には薄く発光する一対の双剣をぶら下げて、適応称号スキルで支配した竜を贅沢な椅子に仕上げて、黒髪の男――〝蜜蜂〟は心底愉快そうに笑い立てる。


「あーはっは! おっかしぃねぇ。楽しいねぇ――……ねぇ、〝ライナー〟。そう思うだろう?」


「……そうかな。手足がもげたら、完璧じゃない。美しくないのに、楽しくは無いだろう」


 蜜蜂に問われ、迷惑そうにそう返したのは痩せぎすの男だ。濃い緑の異様な色の髪を腰まで伸ばし、細く骨ばった指先で目の前に浮かぶ水球を撫でている。


「羽の欠けた――足の欠けた標本なんて意味が無い。君みたいに何かをいで笑える趣味は無いよ」


 そう言いながら、淀んだ緋色の瞳で水球に捕らえたtoraをうっとりと眺める男――ライナーは静かに微笑んで怒りに燃える表情のtoraに小さく手を振った。


「ふふ……元気そうだ。傷も綺麗に治ったね……」


「あはぁ、ライナー……君の趣味を反映した良い適応称号スキルだけど、回復させちゃダメでしょう」


「大丈夫だよ。この癒しは、〝貸し付け〟だから。外に出すのは、取り立ての時だからね」


 落ち着いた声でライナーが蜜蜂の苦言にそう返し、蜜蜂は感心した様子で頷いてから自身が元から率いていたギルドメンバーに軽い調子で声をかける。


「ああ、暇だねぇ……ね、世界警察ヴァルカンの応援って誰が来るかわかったかぃ?」


「通信傍受で分かったのは応援が来るってことだけだよ。セリアの野郎が来るのが一番なんだけどなぁ。なあ? ミッチー」


「そうそう。これだけステータスに強化バフかけてもらって、ライナーと一緒で、竜が手駒に出来たんならセリア君も倒せると思うんだよねぇ」


 親しい仲間内からミッチーと呼ばれた蜜蜂は、藍色の瞳をすっと細め、右手で掴んだアイノザの首を気まぐれに締め上げながら微笑んだ。


「ねぇ? 支部長サン。あんたンところの最高戦力が潰えたら、今後はやりずらいだろうねぇ? まあ楽しけりゃ、勝とうが負けようがどっちでも良いんだけどさぁ」


「――ッ、が……ふ!」


 答えさせる気など無いくせに、アイノザを煽るようなことを囁きながら蜜蜂はくつくつと笑う。そうしてふと笑みを消し、大男はさきほど自分をミッチーと呼んだ古い仲間を振り返る。


「ギーア……掲示板、見たかぃ?」 


「いいや、見てない」


「……――ギーア、これあげるよ」


 不意に右手で締め上げていたアイノザを放り出し、蜜蜂は真剣な表情で掲示板を開き、読み漁る。藍色の瞳が舐めるようにスクリーンを見つめ、不精髭の生えた口元がニヤリと歪んで感嘆の吐息。


「あはぁ……すごいね。怪物の揃い踏みだ」


 ――ある掲示板に載せられたスクリーンショットを見つけて、彼は素早く動き出す。


「ライナー、すごいのが来るよぉ! さあ、『フェアリー・レギオン』の初仕事だ!! 君達、奪ったアイテムの整理は終わってるよねぇ?」


 『薄明竜フェルトダンパ』――淡い色の正統派の四つ足ドラゴンの姿をした竜を操り、首をもたげたその頭の上で蜜蜂が不意に大号令をかける。


「みんな、よく聞け! 敵はトルニトロイとセリア――人災、黒雲だ! 水の精霊王もオマケでついてる! 打ちのめすには持って来いだ!」


 藍色の瞳を見開き、中途半端な長さの黒髪を揺らし、蜜蜂は竜の頭の上で勇ましい声を上げる。

 双剣を抜き放ち、両腕を天高くに掲げて未だ姿見えぬ敵を切り伏せるジェスチャーと共に、蜜蜂の声は朗々と南端ログノートの熱に火をくべる。


「武器を構えろ! 詠唱準備を! さあ、主役みたいな顔した奴らに思い知らせてやる時だ!!」


 まるで、敵こそが悪の権化であり、自分たちは正義の味方であるかのような態度で、『フェアリー・レギオン』――悪辣なる軍団に奮起を促す声が轟く。


『おお――!!』


 それに応えるように、『フェアリー・レギオン』に所属するプレイヤー達も山鳴りのような雄叫びを上げ、晩秋のログノートに異様な熱気があふれていく。


 街の各所に仕掛けられた罠をチェックし、武器を構え、純晶石を確認し、ありったけの準備と共に敵を迎え撃つべく全員が動き出す。


 元より、そこにPKを経験したことのない者などいない。誰もが大小あるとはいえ、仮想でも人を害することに喜びを感じた者ばかり。


 彼らは輝く星を落とすことにこそ喜びを感じ――そして、そのためになら地獄のふちを超えることもいとわない。


 まさしく悪辣なるは人のさが――それを証明するかのように、蜜蜂は歓喜と共に絶叫する。



「さあ――これが俺達だと見せつけよう! 勝っても負けても遺恨は残るさ!! やあやあ、楽しいお祭りだァーー!!」



 勝とうが負けようがどちらでもいい。どちらに転んでも世界にその行いは刻み付けられ、それは後々の火種となって燻り続ける。


 武器を手に取れ! 牙を剥け! 爪を立てろ! と蜜蜂が叫ぶたびに、ただ特殊武器や命惜しさにギルドに加入しただけのはずだった者達も、異様な熱気に思考が塗りつぶされていく。


 それはスキルの効果でもなく、精神汚染などと呼ばれる蜜蜂の適応称号スキルの効果などでもない。


 彼が生来持ちえたモノ。彼が生まれながらにその魂に戴いた――悪辣なりし煽動の種。


 原始の時代から現代に至るまで――知性ある種を捕らえて離さぬ熱狂という名の異常が、南端ログノートに渦を巻いていた。


 彼の声色が、仕草が、見た目が、雰囲気が――全てが素養のあった人々の思考を捻じ曲げる。

 それは榊の稚拙な演説とは比較にならない熱を生み出し、強者に立ち向かう恐怖すら掻き消していく。


「……大したもんだよ、本当に」


 熱狂の叫びの渦の中、ライナーだけは冷めた緋色の瞳で周囲を見ていた。捕らえたtoraを納める水球を撫でながら、頬にかかる濃い緑の髪を退かしもせずにライナーは言う。


「奴こそだ――人間らしすぎて、嫌になるよ」



 そして南端ログノートにて、その叫びは止まることなく。




 ――地獄は、煮えたぎる。


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