第二百話:新生、狛犬――参戦




第二百話:新生、狛犬――参戦



 泥濘ぬかるみのような水面を駆ける。底に鋼鉄を仕込んだ重たい長靴ブーツで水もどきを蹴りつけて、自分は野生の獣のように走り出していた。


 意識は澄み渡る朝の空気のように爽快で、今や首に食い込む冷たい指の感触など何処にも無い。

 六迷は遠く、けれどその衝動に飲み込まれることはなく。より強固に、より鮮明に、正しく自らのためにその力に身をゆだねる。


 熱い湯に浸るような感覚。蒸気小屋から飛び出して、冷たい水に飛び込んだ時のような爽快感。高揚する精神に歯止めをかけず、自分は笑みと共に水面みなもを行く。


 目指す戦場では早くも戦いが始まっていた。水没した街の上空で、閃くのはトルニトロイが吐き出す深紅の炎だ。


 ケット・シー教会の尖塔の上で「あんぐらディストピア計画」なるものを喚いていた壮年の男――クスクスとかいう極彩色のゴミに向かって、セリアが折れた腕を押さえながらもトルニトロイに指示を出している。


 だがゴミはすぐさま一段下の屋根に飛び降りて、迫る炎を余裕たっぷりで嘲笑う。トルニトロイが吐き出す劫火はセーフティーエリアという透明な壁に阻まれ、ゴミの毛先すら燃やすことは無い。


 トルニトロイは契約モンスター。セーフティーエリアに入れないわけでは無いし、その気になれば引きずり出すことも出来るだろうにそれをしないのは――恐らく、ゴミのメインアビリティが〝奇術師マジシャン〟系統だからだろう。


 恐らくは〝上位奇術師プロ・マジシャン〟。セーフティーエリア内でも発動できるスキルが多く、しかもそれらのスキルは大半が目くらましと拘束系のスキルだ。


 対して、セリアとトルニトロイのスキル構成はアタッカータイプ。小細工抜きで敵を挽肉にするスキルが、セーフティーエリア内で使える道理もない。


 つまり――ついうっかり拘束されて惨めな姿を晒す危険は冒せない。だからこそ、セリアも苛々を募らせながらトルニトロイに炎を吐かせるしかやることが無いのだ。大組織のしがらみって大変だと思う。


 それに、セリアはともかく、トルニトロイは絡め手に弱い。あの性格だ……翼を拘束されでもしたら大混乱に陥るだろう。セリアも腕が治るまでは単身で突っ込んでいくことはしないだろうし、乱入するなら今しか無い。

 

 移動補助魔術を唱え終わり、黒い獣毛に覆われた腕を真っ直ぐに伸ばしてゴミの死角をひた走る。フェアリー・ホルダーとはいえ、戦闘面では素人のゴミは気が付かないが、流石にセリアは走り寄る自分に気が付いた。


 黒灰色の瞳が一瞬だけこちらを見たのを確認し、ジェスチャーで〝自分がる〟と主張する。すると、苦々しい表情ながらもゴミに気が付かれない程度に頷くセリア。

 獲物を譲ってくれる合図に、自分が微笑みで返したら何故かもっと苦々しい顔になったが……まあいいだろう。


 泥濘ぬかるみのような質感の水面を走りながら、セリアがゴミの気を引いてくれている間に自身のステータスをさっと確認する。適応称号サブスキル――【ルビルス】の効果は、段階別の獣化付与のみ。


 特段、筋力などのステータスが上がることもないが、代わりに聴覚、嗅覚、視力など、隠しステータスと言われるものが上昇している感覚はあった。


 どうせいつものあんぐら仕様――その他に効果があっても、実際に活用されるか確認するまではステータスに表示されなくても驚きはしない。


 巨大な巻き角は少々重いが、妙なことにこの角は何かの感覚器になっているらしい。何を感じ取っているのかと聞かれると困るが、〝何か〟を感知しているのはわかる。


 そう、例えば――、


「雪花――右斜め下の水中にいるよ」


 隠れているモンスターなどの位置が、何となくわかる。この感覚は伝えがたいが――まあ別に伝える必要もない。必要なのは、何処に何がいるのか……それだけだ。


 そんな不可思議な感覚を素直に受け取り――蛇だろうな、と続けて言う。すると迷いも疑いもせず、自分のすぐ後ろを滑るように追っていた雪花が無言で新緑の蔦で出来た手綱を操り、激しい水柱と共に水中に飛び込んだ。


 ……指示をしたのは自分だが、根拠も無しに瞬時に飛び込む雪花も雪花だ。まああの様子なら心配する必要もなく、意気揚々と仕留めてくるだろう。


 だが、一つ目の問題が片付くと同時に、背後に響く轟音にゴミが振り返り、自身の契約モンスターを心配する前に自分を見つけて目を見開いた。


「狛犬……ッ」


 距離はまだ300メートルほどあるが、ゴミには驚きの近さだったらしい。あるいは、巻き角に獣耳、獣毛と鉤爪を備えた両腕に巨大な尻尾という――見慣れない自分の姿に危機感を抱いたか。


 元から丸い瞳が更に丸くなり、明るい紫の瞳に緊張が走る。戦慄わななく唇がすぐさま動いて、トルニトロイの動きに警戒しながらもセーフティーエリアから飛び出したゴミが身構える。スキルを叫ぶゴミの指先には、黒6枚、白2枚の、計8枚の半透明のカード達。


「――なんだ、どうやって引きずり出そうか考えてたのに」


 自分から出てくるなんて……という自分の残念そうな声が聞こえたのか、白と朱色と紫の――悪趣味な縦縞の燕尾服をひるがえし、ゴミは顔をひきつらせる。


 空中に見えない足場を作り、すぐさま作り出したカードの内、黒いカードを6枚全て。トルニトロイに向かって投擲し、続けて追加で作り出した6枚の黒カードを今度は走り寄る自分に向かって投擲する。


 確かスキル名は【カード・マジック】。白のカードが2枚ということは、CかDか……まあC型だろうがD型だろうが、黒いカードは単純に各種属性別の爆弾だ。かわすか、叩き伏せるか……まあ大した問題ではない。


 厄介なのは白のカード――俗にコピーカードと言われる、任意対象のアクティブスキルをランダムでコピーするカードだが……ゴミも腐ってもフェアリー・ホルダーだ。

 ほとんどのアクティブスキルに詠唱が必要な自分のスキルを狙ってコピーするほど馬鹿では無いだろう。


 恐らく対象は魔法使いであるセリアのスキルだ――運が悪ければ竜の補助なしでは発動できないスキルがコピーされることを考えても、2枚あれば1枚くらいは使い勝手の良い普通の魔法スキルが手に入る。


「セリア――譲ってくれるなら退いててくれたらいいのに」


 スキルコピーされるだけ邪魔……と、残念そうに呟く自分の声を耳聡く聞き取ったセリアが舌打ちをしながらトルニトロイに下がれ、と命令する。

 同時に、トルニトロイに投擲された黒いカードは赤黒い爆炎となり、トルニトロイは唸りながら翼を動かし後退。


 そして一拍遅れて、自分にも黒いカードが飛んでくる。ダメージ狙いでも牽制が目的でもない、単なる目くらまし。

 だが投擲された黒いカードが一斉に爆炎に変換されれば、赤黒い炎に視界が塞がれる一瞬――確かにコピーカードにどのスキルがコピーされたのかは確認できない。


「まったく……」


 まな板の上、これから捌こうという魚が意味も無く跳ねて床に落ちる時――今更そんな抵抗しても、と誰もが苦笑と共に思うだろう。自分も今、そんな気持ちでしかない。


 とりあえず目の前に迫る爆炎を避けなければと、溜息と共に回避行動に移ろうとしてふと気が付く。

 自分の頭蓋から伸びる巻き角が、軋むような音と共に目の前の爆炎から何かを引き寄せているということに。


「――」


 六迷の遠い今の心に、たいした驚きは無い。ただ叩き伏せるか躱すかを悩み、躱すことにしてそのために動く。

 冷静に、滑らかに足を動かして爆炎を飛び越える。泥濘のような水面に両手をつき、ハンドスプリングの要領で炎を飛び越えた。


 同時に、やはり炎から何かを吸い上げるような不可解な感覚が角に走る。逆さまの状態でステータスを開けば、移動補助魔術で減っていたはずの魔力が自然回復以上に回復していた。


 その現象の答え合わせをするように、遅れて適応称号サブスキルの説明欄に新たな文字が追加される。『角には周囲の魔素や魔法攻撃の余波を、緩やかに吸収し魔力に変換する機能がある』と。


 ダメージ無効ではないようだから、躱したのは正解だろう。便利でよし、と結論付け、ステータスを消し去りながら水面に着地する。


 着地と同時に走り出さずに顔を上げれば、そのまま向かってくると思っていたのか、ゴミは身構えたまま不可解そうな顔で空中から自分を見下ろしていた。


「やあ、おはよう――名前は確か……クスクスだね?」


 初めは後ろからばっさりってしまおうと思っていたが、途中からそれではいけないな、と思い直した自分は少し距離を保って敵と相対する。ゴミが動画を回しているなら、それを利用しない手はないからだ。


 手始めに……穏やかに挨拶をし、敵意など無いかのように鋭い爪が光る両手を広げてみせる――が、ゴミはつれない態度で自分を煽ってきた。


「随分と元気そうだが、何だね――もう首は痛くないのかな?」


「ああ、うん。心配してくれてありがとう。その件で周りに迷惑をかけた分、社会貢献をしようと思ってね――」


 ――まあつまり、君には死んでほしいんだ、と。軽い語調で囁けば、ゴミはゾッとした表情で白いコピーカードを構えた。精神を揺さぶる目的で煽ってきたのだろうが、無駄だということはすぐに理解できたらしい。


 完全に後方に下がり、戦闘に参加しない意思をみせるセリアを横目に見て、ゴミは迷いをみせている。もしもここで、セリアとトルニトロイが攻撃の様子を見せていれば、彼は迷わず逃げ出しただろう。


 だがセリアが戦闘に手を出す様子は一切ない……どころか、トルニトロイの背の上、鞍に胡坐をかいて座り込むセリアは完全に観戦モードだ。冷めた黒灰色の瞳と明るい紫の瞳がかち合い、ふっと鼻で笑われてゴミは静かに鼻面に皺を寄せた。


 セリアが観戦を決め込むなら、ゴミに逃げるという選択肢はない。動画を回し、多くの掲示板に現状を晒すゴミにとって、ここで逃げ出せば今後の活動に支障が出る。


 背後から不意打ちを喰らうならまだしも、真正面から死んでくれと言われ、堂々と勝負を挑まれて逃げ出せば――まさしく、物笑いの種でしかないからだ。


 動画を打ち切っても同じこと。セリアとトルニトロイ、それと自分がタッグを組んで襲ってくるなら、三十六計逃げるに如かずとか――適当なことを言って逃げ出しても大したダメージは無いだろう。


 だが、自分一人を相手にして――同じ適応称号保持者が背を向けて逃げ出せば、あんぐらでは永遠に臆病者と呼ばれるだけ。エンターテイナーを自称するゴミにとっては、やりずらいことこの上ないだろう。


「嫌ですなぁ……性格が悪い。戦ってもよろしいですが、アナタ、確か人間相手では適応称号は使えないのでは? それに、その首には1憶の値札付きだ」


「ゴミ掃除くらいサブスキルで十分だし、首なんて取れるなら取ってみればいい。勿論、君は存分にフェアリー・ホルダーらしく振る舞えばいい。ああ……君の契約モンスターだけは先に吊るしちゃったけど……まあこちらも雪花達は使わない。これで対等、ということにしてほしいな」


 直球でゴミと呼ばれ、男の顔が苛立ちに歪む。大して肉弾戦に強いとも聞かないゴミの自信は、適応称号スキルだろう。掲示板での情報にも、ゴミの適応称号スキルの効果は知られていない。


 知られているのは名前だけ――《小妖精――悪戯者の小人ラバルキン》。名前だけを見ると大したことは出来なさそうだが、適応称号を甘く見ることは出来ない……だからこそ。


「一対一以外のルールは無用。ただし、負けた方は今日の間だけ、大人しくログアウトする――そんな条件でどうだろう?」


 他の被害を増やさないために――緩く尾を振りながら自分が言えば、ゴミはスッと表情を消して頷いた。フクロウめいた丸い瞳を細め、嫌味たらしい声で了承する。


「いいでしょう。その勝負、受けて立ちます。それでは紳士淑女の皆様方にお届けしましょう――1憶賞金首、狛犬の負け勝負をね」


 ゴミは大袈裟に右手を振り上げ、舞台の上で観客に対するように大仰なお辞儀をして見せた。

 平時の自分なら、ここで額に青筋の1つか2つ立ててみせるのだろうが――、


「あー……えっと、そう! 君って、冗談が上手いよね? 流石、奇術師ロールプレイのゴミ野郎だ」


 拍手と共に、そうだよね……それくらいの取り柄がないと奇術師ロールプレイってやっていけないよね――でも大丈夫。君のそれって、イケてるとは思わないけど、そんなに悪いとも思わないよ、と慰めを投げ掛ける。


「あんまり気にせず、好きなように生きるのが一番良いと思うよ。ただ悪いね……勝てるつもりみたいだけど……今回ばかりは負けてあげるわけにはいかないんだ。わかるだろう? 他にもゴミを掃除しなきゃいけないから……」


 現実が見えていないようだが、今の自分は自分で言うのも何だがとっても寛大な大人の気分だ。

 どれだけ無謀なことを言っていても、それを信じる相手に真っ正面から〝魚は空を飛べないんだよ〟と言うのは可哀想なことでしかないだろう。


 だから出来る限り遠回しに、ゴミを傷付けないように気を付けながら言葉を選ぶ。

 これは人として必要な気遣いだと思うし、いくら彼がゴミだとしても、最低限尊重されるべき尊厳くらいはあるはずだ。


「えっとだから……まあ、うん。始めようか。カウントいる?」


 だが、やはりどれだけ遠回しに伝えようとも、勝てるはずがないという指摘は不味かったようだ。恥ずかしそうにうつむいてしまったゴミに慌ててスタートまで数えようか? とたずねるが、返事は返ってこなかった。


 代わりに返ってきたのは――、



「【ボール】――【マジック】!」



 ――怒りに満ちた、スキルの叫びだけだった。



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