第百九十八話:ティルタトルタ




第百九十八話:善なる者に毒をティルタトルタ




 榊とセリアの戦いの幕は切って落とされた――それは、ハッピーエンドのための延長戦。


 本来ならば口出し無用の適応称号クエストに、横槍を入れたがゆえの第二幕。あるいはそう――善を愛し、それを踏みにじる悪の邪魔をしたいがための戦いでもある。


 セリアは善性を愛している。正しいことを正しいと言える者を愛している。


 それは別に、悪を知らない穢れ無き者を意味しているのではない。彼は人外として、己が信じた善性を愛しているのだから。



 相手が悪党なら、人殺しだって別にいい――真にけがされるべきではない者に、刃を振り上げない者ならば。


 少し拗ねていた時期があったっていい――辛いことがあったのだと泣く者に、手を差し伸べられる者ならば。


 一時の感情で、大切な誰かを傷つけてしまった奴だって構わない――自分が仕出かした顛末に、きちんとけじめがつけられる者ならば。

 


 セリアは、全て完璧に善であれとは思わない。ただ、本当に大切な時に。誰かが真に辛い時に……迷わず手を差し伸べられる者こそが、〝正しさ〟であると彼は信じる。


 それが人外として彼の定めた信念――貫くべき魂の芯。


 そしてそれゆえに、過去には腐った世の中に唾棄するように荒れていた時代もあった。


 目の前にいる榊と同じく、煮え滾るような苛立ちだけを抱えて、悪党を片っ端から潰していくような破滅的な生活をしたことがある。そうやって世界中を駆け回って、自分が信じた〝正しさ〟を探し続けた。


 そしてその過程の中――何処にも自分が思い描くような正しさを見つけられず。誰の魂にも芯の通った善性が見えず。そのことに腹を立てたセリアは、八つ当たりをするように世界を荒らしたこともある。


 どうせ正しさなんて無いのなら、こんな世界は壊れてしまえ。正しさなど無くて当然と言われるまでに荒廃すればいいのだと。


 けれど自棄になって生きていたセリアに、希望をもたらした人間がいる。友を見捨てず、悪を知りながらも正しさを愛し、様々な苦難の果てに絶望を見て――それでも最後には再び顔を上げた者。


 現ソロモン王――しぎの生き様に、セリアは自分が信じた〝正しさ〟を見た。見て、だからこそ。年若い彼女を王と認めて、今日までずっとソロモンにいる。


 そうして長く時を過ごす内に。鴫以外にも、この世には――セリアが愛する善性の持ち主が確かに存在することを彼は知った。


 ――……雪花のことを、セリアは嫌いだが好んではいる。狛乃のことも、情があるわけではないが愛すべき馬鹿だと思っている。


 どちらもひねくれているくせに、誰かが本当に苦しんで、悲しんでいたらどんな不利益があろうと手を差し伸べてしまうお人好し共。


 ……獣王から貰う花よりも、ネブラの方が大切だと――そう言った狛乃の言葉を覚えている。ポムの件で、PKギルドに睨まれながらも正しいと思うことを貫いた話も耳に届いた。


 ……誰のこともどうでもいいと言いながら、心の拠り所を踏みにじられて泣き伏す同僚を、ソロモンの規則に違反してまで助けた雪花の行動を覚えている。差別されることが多い魔獣共を、それとなく庇う様子などは何度も見た。


 どちらの行動も合理的な判断からは遠く、そこには他者への思いやりがある。それは、セリアが愛した正しさだ。セリアが尊ぶ善性だ。


 だから、だからこそ。



 ――セリアは、榊の前に立ちふさがる。



「――ッんで……そこまでして! そんな理由で、アタシの邪魔をするのかよぉ!!」



 絶叫――榊が叫びと共に、濃紫のうしの紋様から紫電を散らす。【アーグワ】によって作られた足場を掴み、どうにか水もどきへの落下を避けながら……榊は血走った目でセリアを睨む。


 正しさを愛しているからお前の邪魔をするのだと――セリアに言われて榊は怒り狂う。そんなことで、そんな理由のために、自分の望みが叶わないなんて納得いくはずがないだろうと牙を剥く。


 むき出しになった犬歯が夜明けの太陽に鈍く光り、漆黒の髪は乱れたまま。怒りのままに飛び出したせいでトルニトロイに真正面から吹き飛ばされ、榊は怒り心頭で吼えていた。


「くそがっ、くそがぁ! 呪ってやる――適応称号なんざどうでもいいと思ってたけど、ああチクショウ! やってやるよぉ!!」



 お前を呪ってやる――ブチ殺してやる!



 そんな呪詛と共に開かれた戦端は、榊の罵倒によって始まっていた。セリアはトルニトロイの背の上で冷めた表情。負け犬の遠吠えを見るような目に、榊の怒りは限界を超えて沸騰する。


「何、見下してんだ――ッ【氷連弾フェルドーラ】!!」


 氷魔法の叫びと共に、スキルによって生み出されるは氷の弾丸だ。マシンガンのように次々と打ち出されるそれを前にして、けれどセリアはただ一言命じるのみ。


「焼き払え」


『おう!』


 炎獄系の純竜であるトルニトロイに、ひ弱な人間の氷魔法など火力で消し飛ばすのは容易いこと。魔法スキルを使うまでも無く、トルニトロイはただモンスターの生態としての火炎を吐き、氷の弾幕をいとも容易く消滅させる。


 その様子を見て、考えて――榊は空中に新たな足場を作りながら歯噛みする。やはり、セリアとトルニトロイの組み合わせは厄介に過ぎる。追撃さえも無いのが何を意味しているのか、わからないほど馬鹿ではない。


 舐められているわけではない。警戒されていないわけでもない。けれど、黒灰色の鱗が浮かぶその喉に、榊の牙が届くとは欠片も思っていないのだ。だからこそ、リスクを抱えて無意味に打って出る必要が無い。


 榊が狛犬の下へ行こうとすれば後ろから仕留めるまで。向かってくるなら叩き落せばいいだけのこと。目的は単に、雪花が狛犬を宥めるための時間を稼ぐことであるセリアにとって、榊の打倒など二の次なのだ。


 それに、普段ならば血の気の多さで暴走し、自滅することも多いトルニトロイが粛々とセリアの命令を聞いているのも榊にとっては誤算だった。あれだけ挑発しても乗ってこないということは、相手は芯まで冷静だということ。暴走を期待するのは無駄だろう。


 ……だが榊はやるしかない。退路など何処にも無い。


 今此処で、セリアを倒せずとも適応称号の課題くらいは達成できなければ、榊は単なる道化に成り下がる。

 力不足を笑われて、大口を叩いたことを笑われて――掲示板で晒し物にされないわけがない。ああ、いっそ……それならば。


「……セリアよぉ。1つだけ答えろよ」


 覚悟を決めて、榊はナイフを投げ捨てる。水没したダッカスの街に放られたナイフが沈んでいく。水に落とされた血のように、緩慢に。


 榊は低く――唸るようにセリアに問う。


「アタシの邪魔をするのは――世界警察ヴァルカンとしてじゃないよな? なら、何が気に入らない? サブアカウントに犯罪歴が無く、賞金が無くとも――あの化け物は狛犬だ」


 掲示板への動画アクセスを起動させながら、榊は言う。向こうから挑んでくることがないのなら、残りの時間を有効に使わせてもらおうと。その喉に牙を突き立てられないというのなら、その魂に爪を立ててやろうじゃないか。



「人災野郎がやったことは、誰もが知ってるはずだ。それがのうのうと、澄ました顔で世界警察ヴァルカンの支部に乗り込んできた――アタシがキレるのも当然の事じゃないか?」



 敵わないのなら――どうあってもこの男を殺せないのなら、この男が愛する世界を殺してやる。



 ――……呪ってやる。



 お前の信じるモノを、正しさとやらを失墜させてやる――……そんな気持ちで、榊は今の状況を動画で配信し始める。視界の端で、掲示板に張り付いていた野次馬共が食いつくのを確認し、榊は歪んだ笑みを浮かべながら喋り続ける。


「どれだけの被害が出たと思ってやがる。アイツがどれだけうとまれてると思ってる? 人災――黒雲くろくもは叩かれて当然だ。MMOのルールだろうが――マナー知らずに思い知らせてやるなんてことはよぉ」


 実際に、【Under Ground Online】で狛犬は莫大な恨みを買っている。それも、どちらかといえばの指定ランカーや廃人共に。


 狛犬を吊るし上げろと喚く者達の中に――人外はほとんど含まれていないのだ。総勢100名のテストプレイヤー、その他の人外、並びに人間でもライトユーザー層は、今回の事件をそう重くは捉えていない。


 何故なら、狛犬は『美獣フローレンス』討伐のために樹海を燃やしたが、その樹海に生息していたモンスター達を保護したのも狛犬だ。


 ツテを頼り、砂竜ニブルヘイムに頭を下げ――狛犬が生き残った樹海のモンスター達をアルカリ洞窟群に避難させたことは、強制ログアウト直前に何度もその背にモンスター達を乗せて、樹海跡地とアルカリ洞窟群を往復していたニブルヘイムの行動から今ではすでに知られているだろう。


 人外プレイヤー達はそれを、狛犬なりのけじめと受け取った。ライトユーザー層は、そもそもがそこまでゲーム内での出来事に目くじらを立てるものではないと考える者が多かった。


 第一、樹海を燃やしたことは悪いことではない。自然破壊のカテゴリーだから統括ギルドからやり過ぎたぶんだけの罰として賞金首に指定されただけで、そこに憎まれるべき要因は無い。


 その後の謳害を、狛犬の人為的なものとみるか、偶然の事故とみるかで人々の反応は分かれたのだ。ある者はあれは故意だったと狛犬を憎み、ある者は偶然による不幸な事故だと言った。


 ああ、確かに……狛犬を憎む者が大勢いるとしても、プレイヤーの総数から見れば憎む者の方が少ないだろうと榊は思う。


 此処は【Under Ground Online】――別名、人外魔境オンラインといわれるほどに。この世界には頭のおかしいテストプレイヤーによく似た奴らが好き好んでたむろしているのだから、自分ほど執念深く狛犬を憎むやつは少ないだろう。


 だが、確かにいる。気分だけで吊るし上げろと騒ぐプレイヤー達の中には、本気で狛犬を憎らしく思った奴がいるはずだ。理由はどうでもいい。共感なんざ求めていない。そいつらには素質がある。


 ただ――きっかけになればいい。


 榊だって、始まりは単純なひがみからだ。周りが叩いているから叩いていいと思っていた――だが、一線を越えた今は違う。


 榊は淵を越えたのだ。向こう岸に踏み出した。その手で柔らかな毛皮を掴み、締め上げる感触に高揚を覚えたあの瞬間から榊は何かの淵を越えてしまった。


「でもな。アタシの動機は今は違う。謳害なんざどうでもいい。樹海が燃えようが消えようが知ったこっちゃない……ただな、ムカつくんだよ。腹立つんだよ。イライラするんだよ……!」


 自らの腕を掻き毟り、漆黒の髪を振り乱し、濃紫のうしの紋様を歪ませて――榊はセリアに……いいや、動画の向こうに存在する。全プレイヤーに向けて衝動を口にする。


「……だからやったんだ。首を絞めて、何度も何度も殺してやった。何が悪い? 運営は警告だけして何もしない。ただ狛犬をデカくして、それでアタシが何をプレゼントしてもらったと思う?」



 それは毒。



「適応称号クエストだ――なあ、わかるか? 此処では、何をしても許されるんだよ」



 疫病にも似た毒の思想。



「アカウント凍結予定の奴に、適応称号クエストなんざやらせるわけがない……出来ることなら、何をやったっていいんだよ。此処では良いも悪いも無い! 抑止の無い世界で、善が悪より強かったためしがあるか……?」



 それは、人々が無意識に抱いていた理性の扉を開ける鍵。



世界警察ヴァルカンなんてハリボテだ――みんな何を怖がってる! 好きにやりゃあ良いんだ……どうせ数が多けりゃ、止めに行くのも間に合わないんだからなぁ!!」



 ムカつくから。腹が立つから。イライラするから。――――そんな衝動のままに行動しても、咎められない仮想世界。対抗するのは同じプレイヤーという立場の者達だけだ。


 それどころか、榊は適応称号クエストにまで手を届かせた。悪辣な者が、悪辣なままに振る舞って――それでも力を手にすることが出来るのだとすれば。


 狛犬への憎しみなど――単なるきっかけに過ぎなくなる。



「みんな? ――おい、お前……何して……」



 苦々しい表情で榊の演説を聞いてやっていたセリアが、遅まきながら異変に気付く。

 語り口の異様さと、その目に煮え立つオレンジの悪意。榊の歪んだ口元がぬるりと動き、公開設定にされた掲示板を見下ろして――セリアが驚愕に目を見開いた。



「ッ――ゴミが、ゴミを増やそうってか……! どこまでクズだ!」



 怒りよりも先に焦りの色を感じとり、榊がにんまりといびつに笑う。



「そうだ――お前が愛する〝正しさ〟を呪ってやる。この世界にある善やら正しさ、そのもの全てを呪ってやる……!!」



 睨むセリアを真っ直ぐに見つめ返し、榊がそう言ったその瞬間。



【適応称号スキル】――【裏課題の達成を確認】



 夜明けを超えて、悪夢がきたる。



【おめでとうございます】



【あなたは】――【可能性に適応しました】



 それは適応称号クエストをクリアした者に贈られる、祝福の言葉。本来の達成課題を素通りし、裏課題などという耳慣れない言葉を語るその声は、ただ静かにこう言った。



【妖精女王――呪いの君主ティルタトルタ



【世界同時犯罪煽動】――【達成を祝し】



【裏スキルを解放します】



「……達成? ッああ、そういうことかよ!」



 理解と共に、セリアが焦り滲ませ掲示板を開く。溢れ出すのは悲鳴と、被害報告の文字の群れ。ポルストニスで、ログノートで、ランプタで――一斉に動き出したPKプレイヤー達による暴虐の嵐。


 街全体を覆うセーフティーエリアなど、エアリス以外にはまだ発見されていない【Under Ground Online】では、大型ギルドや世界警察ヴァルカンによる自治のみが一般プレイヤーの安全を守る盾だった。


 だが、世界同時犯罪煽動の達成――それはすなわち、今現在。榊の演説を掲示板で閲覧し、影響を受けた者たちが衝動を行動に変えたことに他ならず――。



「銀目の魔王には感謝しなきゃなあ……世界警察ヴァルカン全支部は壊滅状態。犯罪を取り締まる正義の城は崩れて跡形も無い」



 榊が言うとおり、フベによる世界警察ヴァルカンへの攻撃は意図せず煽動のかなめとなった。


 やるなら今だ、と誰もが思った。ただでさえ無法地帯になりやすいシステムだった【Under Ground Online】にて、秩序を守っていたのは大型ギルド『金獅子』と、『世界警察ヴァルカン』が振りかざす莫大な力そのものだ。


 その片翼が今日、目に見える形で崩れ去った。


 フベ自身は、一緒にするなゴミ共が、と言うだろうが、その矜持は彼をよく知る者以外にはわからない。


 犯罪者予備軍は銀目の魔王という味方を得たと感じるだけ。フベが世界警察ヴァルカンへの攻撃を成功させた時点で、彼らは我が意を得たとばかりに疼いていた。


 その疼きに、火をつけたのが榊の演説、彼女の衝動、その絶叫。


「……楽しいなぁ、なあ? セリア」


 笑う――わらう榊はオレンジの瞳を輝かせ、爪の色さえ濃紫に染まった指を上に向け、それからこつりと自身のこめかみに押し当てた。


 赤い唇から、呪いの言葉が落とされる。




「〝悪意よ満ちよ――妖精女王の名の下に〟」




 その声に、セリアの脳裏に裏スキルという単語が浮かぶ。絶対にろくなものではないと――悪寒を感じたセリアが、迷いもせずに銀縁の鞍を蹴りつけ飛び出した。

 その指先が伸ばされて、もはやリスクも危険も度外視に、何としてでも榊の息の根を止めようとした、その瞬間――、



「やあ――君の叫び、とても気に入ったよ。と、いうわけで……邪魔させてもらうよ、セリア君」



 渋いバリトンと共に、飛び出したセリアの右腕は榊に触れる直前で弾かれた。


 鈍い衝撃と共に勢いよく弾き飛ばされたセリアをトルニトロイが慌てて回収し、困惑しながらも牙を剥いて威嚇する視線の先――教会の尖塔の天辺に、1人の男が立っていた。


 ――……まるで道化のような色合いの燕尾服。白と、朱色と、紫の――縦縞模様の毒々しい色合いが、夜明けの光を浴びていた。


 壮年の男は濃茶の髪を撫で付けて、紳士を気取ったような片眼鏡を指先でするりと撫でる。晶石ガラスの向こうには明るい紫。妙に丸っこいその瞳を愉快そうに歪ませて、怒り心頭のセリアを見下ろして彼は言う。



「お初に――では無いけれど、あまり会わないよね。久しぶり、セリア君」


「……( ´艸`)クスクス――クズ中のクズが……俺の前に何しにきた」



 トルニトロイの頭の上で膝をつき、セリアは唸るように男の名を呼び威嚇する。自殺か? と聞く声に、冗談めかした響きは欠片もない。


 だらりと垂れさがる右手を左手で押さえながら、セリアは金属質メタリックに光る黒灰色の瞳で男を睨む。だが、すぐさま飛び出し、榊の殺害を強行しないのは――偏にリスクが高すぎるからだ。


 突然現れた怪しい男――( ´艸`)クスクスに庇われて、榊は驚きに詠唱を止めていた。


 そのまま男に、ジェスチャーで〝行け〟と指示をされ、榊は迷わず魔法を使って走り出す。【アーグワ】を使い、氷の足場を生み出しながら振り返りもせずに水没したダッカスから離れていく。


 走り去る榊を止めなければ、大変なことが起きるだろうと。誰が見てもわかるこの状況。


「……ッ」


 しかしセリアは動けない。今此処で、榊を止めるために飛び出し、万が一にでも( ´艸`)クスクスと相打ちになるようなことがあれば――……今度こそ、世界警察ヴァルカンの抑止力が地に落ちる。


 絶対無敵の、世界警察ヴァルカン最高戦力――セリア。


 それは世界警察ヴァルカンの力の象徴なのだ。『金獅子』の白虎もまたしかり。どちらも無敗の存在であることが意味をなし、それゆえに存在そのものが団体のとしてあるのだから――、


「――一度でもが折れちゃ、ますます僕らがつけ上がる……ああ、その重責。大変だと思うよ、セリア君」


「一々、語尾に人の名前を付けなきゃ喋れないんスか? 自殺なら自分でやるべきっしょキチガイが……ッ」


「君って、見た目のわりには正義漢だよねぇ……もちろん、わかってて邪魔しに来たんだよ。近くにいたしね。いい感じのお嬢さんじゃないか。あまりいじめるものじゃないよ? セリア君」


「…………」


 わざと相手の神経を逆撫でするような声色で、( ´艸`)クスクスは囁くようにセリアの名を繰り返す。


 すでに榊の姿は遠くにある。止められないというのなら、せめてこの場でキチガイ野郎だけでも仕留めなければと。舌打ちと共にセリアが右腕を庇いながら立ち上がった――その時だ。


 遠目に見える榊の姿。穏やかに微笑む( ´艸`)クスクスの向こう側。


 ふと立ち止まった榊がくるりとセリアを振り向いて、さきほどと同じように、右手を上に――それから自身のこめかみに指をあてる。二言、三言囁いた様子で唇を動かして……、


「おや、自殺……とは少し違うみたいだが……」


 セリアの視線の先を気にして、横目で榊を眺めていた( ´艸`)クスクスが首を傾げた通り、榊の頭が衝撃に弾け――首が飛びはしなかったものの、そのまま光の粒子となって彼女の依り代アバターは消えていく。


 その光は通常ならば地下に吸い込まれていくところだが、明滅する光はその場で霞んでいった。それはまるで、一日の終わりに強制ログアウトをくらったプレイヤーの様子によく似た現象で――、



【プレイヤー〝榊〟によって】――【裏スキルの発動を確認】



 その疑問を肯定するように、世界に冷たい声が響く。



【これより、ゲーム内時間で3時間。本日中に悪意をもってPK行為を行った、またはこれから行う意思を持った全プレイヤーに、広域強化バフがかけられます。悪意無き者に、この強化バフはかかりません】



 それは毒。



【このスキルは全ステータスを向上させますが、死亡するごとに倍率が下がります。最終的にはマイナスにも達します。詳しい効果は、お知らせを参照してください】



 濃紫のうしの蛇が吐き出した、正しさへの呪詛の声。




【裏スキル】――【【善なる者に毒をティルタトルタ】】



【スキル効果】――【適用を開始します】




 ――……その日、【Under Ground Online】に毒が撒かれた。叫びと共に――絶叫と共に。




 夜明けを越えて、悪夢がきたる。




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