第百九十七話・序章:悪夢は来たる、夜を超えて




 ――……夜明けの迫るダッカス。教会の屋根の上。時は、狛犬が正気を取り戻す、ほんの少し前にさかのぼる。




 は、怒りの叫びを上げていた。


 は、飽くなき呪詛を吐き散らしていた。


 暗く輝くオレンジ色の瞳を見開いて、は形だけでも叫んでいた。


「――――――!!」


「……へぇ。まさかとは思ったけど、本当にこうなるとはな」


 ある意味バグ技っスかねぇ? と、大して面白くもなさそうに呟かれる声に、は――榊は答えられない。怒声の代わりに聞こえるのは、がぼごぼと水中で気泡が散る音。声が無くともやかましいその音に、美麗な顔を歪ませてセリアは心底から嫌そうに榊を見る。


 青く輝く水もどきに沈む〝塩の街、ダッカス〟の、統括ギルドとケット・シー教会の隙間。

 セーフティーエリアの範囲内であるがゆえに、水没スキルに浸食されていない細い路地で、セリアは冷たい黒灰色の瞳を瞬かせる。


 包帯とガーゼだらけの腕は伸ばされ、その左手はがっちりと榊の両手を後ろ手にまとめ、抑えつけていた。

 黒い革手袋越しに掴まれた榊の腕は容赦なくねじり上げられていて、右手は漆黒の髪を根本から鷲掴んでいる。


 両足は何か金属製のワイヤーのようなものでまとめられ、暴れようにも暴れられない、どうしようもない体勢で榊は取り押さえられていた。

 そしてその頭は、セリアの手によってセーフティーエリアの外に突き出され、雪花が生み出した水もどき――そのただ中に沈められている。


「前に、うちのアホ共がぎゃーぎゃー言いながら検証してたんスよ。セーフティーエリアから頭だけ出して、額に風穴あいたら死に戻るのかどうなのかっつー話でな……」


 滔々と――語るセリアは動かない。右手で榊の髪を鷲掴み、水中に沈めたまま微動だにせず話し続ける。何とかセリアの手から逃げ出そうともがく榊は、段々とその動きを鈍くしていた。上がる気泡が少なくなり、指先が痙攣する。


「結論から言うと、死ぬみたいなんスよね。まあ、頭だけでもセーフティーエリアから出てりゃあ、HP処理は普通に行われるんだろうな。マジでニッチなMMOだよ、運営は何考えてんだか……ま、そうじゃねぇと問題あるしな、セーフティーエリアは」


 なあ? と微笑むセリアに、今まさに水中に頭をつっこまれ、ろくに呼吸も出来ない榊が答えられるはずもない。セリアもまた、返事など期待していない。

 ただの嫌がらせ――それを示すように、セリアは榊が死に戻りそうになるぎりぎりのところで腕を引き、水中に沈ませていた頭を引き上げる。


「――ぶは、はぁ……ッ、はッ……て、めぇえ゛!!」


「ちゃんと息しろよ? そう、3、2、1――」


「ふざけんなよセリア! こんな真似してただで済むと――ぶッ!」


 どぼり、と。再び榊の頭は水中へと沈められる。


「うるせぇな。〈窒息〉は固定ダメージじゃねぇんだ。俺の気が済むまで終わらねぇって……わかるタイプでもないっスよねぇ」


 一呼吸し、〈窒息〉の猶予時間がリセットされた榊は再び水中で叫び、もがき続ける。だが、その叫びに恐怖が混じることはなく、ひたすらに怒りを爆発させているのが榊らしいといえばらしいのだろう。


 ふと、セリアが冷たく見下ろす視線の先、突然に榊が動きを止める。次の瞬間、水中越しにも意味の分かる単語が気泡と共に叫ばれた。しかし、ラファーガ、と。そう叫んだもののシステムは応えない。榊が魔法の不発に目を見開き、先ほどよりもよりいっそう激しく暴れ始める。


「……発声がエリア外でも、発動のための魔力放出器官も外に出てないと魔法スキルとかは使えねぇんだよ。気付けよボケ。んなこと出来たら、顔だけ出したアホがエリア内に向けて地雷魔法ごっことかし始めるっしょ」


 何もかも足りてねぇ魂だな――とセリアは唸り、再び抵抗が弱くなっていく榊の頭を水中から引きずり出す。


「ぶ――はッ……はぁッ……く、そがぁああ゛!!」


 当初の予定では適当にエリア外に跳ね上げて、一発死に戻らせれば頭も冷えるだろうと考えていたセリアだが……今ではもう、それだけでは榊が止まらないことを理解していた。


 何度水に沈めても、どれだけ苦しい思いをしても――榊は折れない。榊との会話でそう確信したセリアは、より確実な方法で時間を稼ぐことに決めていた。


「お前もッ、殺してやるからなぁ……殺してや――がぼッ!」


「……」


 セリアは現実リアルの仕事でも荒っぽいし、敵に情をかけるタイプではない。勿論、悲鳴を聞いても心を痛めることは無いが、親友のレグルスと違って拷問好きでもない。


 全ては、雪花が狛犬の正気を取り戻すまでの時間稼ぎのため。


 セリアは榊を恐れていない。だが、適応称号スキルは軽視できない。ましてや、魔法を無効化して魔力を蓄積するような適応称号スキルだ。貯めた魔力を治癒能力に変換できることも、蹴り砕いたはずの指先が完治していたことから確認済み。


 不確定要素が多すぎる相手とエリア外で戦闘をする愚は避けたい上に、適応称号クエストには明確な制限時間がある。


 ゆえに、セリアは榊の全身でのたくる、濃紫のうしの紋様が消えるまではこの状況を崩す気はなかった。

 きっちりと〈窒息〉限界の時間を計り、時間切れを待つセリアは手堅い。榊もセリアの狙いぐらいはわかるのだろう。苛立ちに苛立ちを重ね、いっそう焦りと怒りに抵抗しようとするものの、淡々としたアナウンスがセリアと榊――両者の動きをセリアは警戒から、榊は歓喜をもって止めていた。



【……〝rum-lルメーラ〟がお送りします】


【適応称号:習得クエストの内容を一部変更させて頂きます】――【このままでは課題達成の可能性がゼロであるため、制限時間を延長し、発動対象を制限し、クエスト受注者にのみ打開ヒントを提供します】


【新たな達成条件――『プレイヤー〝セリア〟に〝使用〟すること』】――【このアナウンスは秘匿されません】


【打開ヒントを開示します】――【■■■■】


【試用スキルは第1スキルが適用されます】




【これは適応の可能性です。可能性無き者に、可能性を】――【こちら、エディカルサーバシステム】




【適応称号クエスト】――【《妖精女王――呪いの君主ティルタトルタ》……retryリトライ





 ――――【第二幕】――【開幕】













第百九十七話・序章:悪夢は来たる、夜を超えて





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