第百五十二話:連立性トライフル

 


第百五十二話:連立性記憶トライフル




 白亜の城、とよく言うが、ならば此処は黒亜の城、と言うべきだろう。


 とにかく、黒。くろ、クロ、黒。


 黒でいっぱいの空間には、まるで古い壁を蔦が這うように、銀色の線が縦横無尽に走っている。それはまるで混線ケーブルのようでもあり、生きた植物のようでもあり、どこか無機質で、どこか生物的な妙なにおいを感じさせた。


 窓から覗く風景には城の外壁が遠くに見える。巨大な建造物の頭も、胴も、足先も、当然のように黒々と光っていた。

 見渡す限り照明は無く、光源は壁を走る銀線のみ。けれど、下手な灰銀灯や白銀灯などよりよっぽど明るく、それでいて目には沁みないという不思議っぷり。


 柔らかささえ感じさせる銀色の光を浴びながら、呆然と口を開けている自分を笑い、ブランは穏やかな動作で背負っていたリュックを下ろした。


 黒檀で出来ていると思われるテーブルにそれを置き、ブランは部屋の隅からえっちらおっちら大きな椅子を引きずって来て、これに座れと身振り手振りで自分に促す。


 テーブルに添えられた2脚目の椅子もこれまた黒い。背凭れと手すりが鏡のように輝いて、銀線の明かりをぼんやりと跳ね返している。


 言われるがまま、促されるまま、極上の座り心地の椅子にす自分に、ブランは赤い瞳をこれでもかというほど輝かせながら、此処が僕の工房なんです、と囁くように教えてくれた。


 秘密をこっそり教えてくれた――そんな口ぶりに自然と自分の頬も上気し、喋れることを忘れていた喉が思い出したように感嘆の声を出す。


「――工房、って……魔法の?」


 自分の囁き声での問いに、ブランは嬉しそうな表情で頷いた。そうこうしながら辺りをくるくると見回していれば、いつの間にやら、ブランの手の中には小さな焼き菓子の乗った皿があった。

 見覚えのあるそれは、確かフルマニエル公国の本に頻出する、小さなアーモンド粉の焼き菓子だ。名前は確か、


「これ、どうぞ! エクシェットです、好物なんですよね?」


「ううん、本物は初めて見た」


 そう、エクシェットだ。古フルマ語でウズラの卵という意味の、見たままを表現した名前の菓子。コロコロしたそれが転がらないように、皿にはエッグホルダーのような専用の浅いくぼみが作られている。


「初めて……これ、狛乃さんのために昨夜、母が焼いたんです。普段は料理人が作り置きするんですが、特別な日には母自ら作るんですよ」


 お母様は呪術が得意だから――、そんな台詞に込められた正確な意味と、ブランが少し戸惑った理由は分からないが、ファンタジー的な言い方をすれば、迷信以上の効果があるから手作りした、ということなのだろう。


 どんな効果があるのかは分からないが、そっと焼き菓子を指先でつまみ上げる。仄かに熱を持つそれを口に放り込めば、サクサクした食感の次に、ふわりとした生地が続き、内側からはとろりとしたカスタードが溢れてきた。


 何故か、懐かしい味、という感想が頭に浮かび、あまりの美味しさにほう、と息を吐く。懐かしさと幸せな気持ちが混ざり合い、自分は思わず続けざまに2つめのエクシェットに手を伸ばす。


 再び小さなを噛み砕き、衝動のままに喉が動いて、思ったままに声を出そうとして――



(――やっぱり、こまの、トルカナ様が作ったのが一番好き!)



 今まさに吐き出そうとした台詞の、そのあまりの幼さに口をつぐんだ。それは、本当に小さな子が言うような言い回しで、今の自分には似つかわしくない言い方で……、


「……すごくおいしい」


 だからこそ、強く抑え込んで言い直した。声に出したわけでは無かったけれど、でも確かに喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、自分は強い動悸に眉を寄せる。


 今のはなんだ? ? それに、トルカナ様とは、まさか、ブランの――、



「――うむ。そうだろうとも。やはり知った仲である同士、ましてや我らが父神の子であれば、好物でもてなすのが礼儀というもの」



「……ッ」


 心の内の考えを、肯定されたと錯覚して自分は勢いよく振り返った。黒の部屋の一角に、強烈な光が差し込んでいる。廊下からの光を背負い、そこには長身の女性が立っていた。


 逆光でよく見えないのに、女性だとしたのはその声からだ。強烈な意志を感じさせる、砕剣ラグの鞘鳴りのような高い声。はきはきとした物言いが、余計にその声質を際立たせている。


 光を背負った影は息を詰める自分を見て、ほんの少しだけ小首を傾げた。お母様、とブランが躊躇うように囁いて、初めて彼女は、何かがおかしいと察したようだ。


 左手が閃き、腰に据えられた砕剣の、黒筒の鞘を掴む。臨戦態勢への流れるような動きは瞬きの間に終えられて、それを見ていながらも認識の遅れたブランが悲鳴のような声を上げた。


「ち、違います、お母様! あの、荒事ではないので……!」


「む……そうか? てっきり背に脅す者でもいるのかと……」


 許せ、少し焦った、と。涼やかな声で言うその人は、抜き放った剣をまたもや瞬きの間に鞘にしまった。そのまま自然体で歩いてくる。青地に銀のフルマニエル礼服の裾を翻し、颯爽と歩く姿がどこか懐かしくて――懐かしくて?


「あの……ッ」


「む? どうした狛乃。エクシェットならまだまだ沢山あるぞ。好きだろう?」


「あ、ありがとうございます。いえ、あの、そうじゃなくて――」


「うむうむ、やはり凛々しく育ったな。ソロモン王がようやくお前と会っても良い、と言って下さって良かった。伝え聞いたところによると辛いことが多かったようだが――おお! 狛乃、私が教えた〈復讐印〉、似合っているじゃないか!」


「ふ、ふくしゅういん……?」


「いつ刻んだんだ? 火傷に偽装するとは考えたな! ふむ、それならば街に下りても問題あるまい。相手は言わなくてもいいぞ、魔女だろう、ああ、みんな魔女への復讐を果たす権利を持つものばかりだからな」


 私だって、印を刻むほどではないが――としゃべり続ける彼女は、目の前にいる自分の困惑を別の意味で取ったらしい。む、これはいかん、と呟いて、その人は優雅に北方式の礼として、銀のマントの裾を払い、片膝を曲げてこう言った。


「礼を欠いてしまったな、我らが父神の子。亜神とて、鍵が開かれた者であることに違いは無い。御身おんみが若くとも、鴫様と同じく侮りは無い。このトルカナ・ロンダルシア。貴方にソロモン王と同じく、忠義を尽くすと誓おう」


「え……え?」


 混乱に混乱を重ね、もはやトルカナ様が何を言っているのかわからない。そんな自分に助け舟を出すように、この場でいちばん事態を客観的に見ていたブランが大きな声でトルカナ様に呼びかける。


「お、お母様! ちょっとこっちに来てください!」


「む、何だ我が愛し子よ。ブラン、母の腕を引っ張るな。もっと狛乃と話をだな……」


「その狛乃さんについての大事な話があるんです! ちょっとこっちに……狛乃さん、エクシェット食べて、深呼吸して、それから考えた方が良いですよ――お母様はこっち!! 後でいくらでも話せるでしょ!」


 ぐいぐいと母親の腕を引き、ブランは自分にそう言いながら部屋を出て行く。何か、何が……? と混乱する脳を落ち着けるため、ブランに言われた通り、呆然としたままエクシェットをつまみ上げ、口に入れ、もぐもぐと咀嚼してから深呼吸をした。


 それから少しだけ考えて、そう、考えた。この頬の傷は、そもそも父への〝自分は亜神じゃないアピール〟のためのものだったはず、だとか。


 でも、そういえば、それなら何故、もう必要ないはずなのに、まだこの傷が残っているのだとか、そういえば、あの日、レジナルドに言われたのは、



 ――……『君の火傷がちっともよくならないのは、それが忘れてはならないことの目印だからだ』



「まさか……いくつか、覚えていることと違う?」



 そう呟きながら、また1つ。懐かしく思うはずのない味に手を伸ばした。




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