第百十八話:ランカー達の挫折

 


第百十八話:ランカー達の挫折(別名、チート野郎撃沈)




【プレイヤーへの緊急連絡です】――【これは全プレイヤーに向けての連絡です】


【ログノート大陸、指定地上地図の完成を確認】――【アルカリ洞窟群の踏破、おめでとうございます】


【現在、ログアウト中のプレイヤーにもわかるよう、全プレイヤーに運営からのメッセージをお送りしました】――【これは、特別にどこにいてもアイテム化することが出来ます】


【さて、それでは本題です】


【今、この時より。【Under Ground Online】初となります、第一回公式イベントを開催いたします】


【分類は、段階別目的達成型長期クエストです】――【記念すべき第一回ということと、そのクリア報酬の性質上、期限は無期限とさせていただきます】


【第1ミッションは】――【〝オーバー大樹海地帯〟を治める『美獣フローレンス』の討伐です】


【まずは、名のあるモンスターを倒し、樹海の向こう側】――【ログノート大陸最北端の地を目指してください】


【それでは、第一回公式イベント】――【『勇者の置き土産』】


【担当は、ラングリアが神話より】――【〝此処は地上を見上げる場所〟】


【〝rum-lルメーラ〟が、お送りしました】






 酷く淡々としたアナウンスの余韻を感じながら目を開けて、すでに高い位置で瞬く太陽を見やる。そのまま、アルカリ洞窟群を内包する小砂漠を踏みしめながら、自分はそろりと辺りを見回した。


 周囲には、難しそうな顔や驚きの顔。三つの団体から派遣された三人は厳しい表情。他の『ランナーズハイ』のメンバーは、微妙なテンションで目を細めている。


 記念すべき第一回公式イベントだというのに、盛り上がりに欠ける宣言だったが、どうやら担当の学習性AI――いや、精霊が違うらしい。『適応称号システム』の時はハイテンションな精霊だったが、今回のは声にも硬さが目立った。


 今までに名前が出て来ただけでも、〝meltoaメルトア〟、〝ulkdorウルクドア〟、そして〝rum-lルメーラ〟。


 どれも、ラングリア神話の中に見つけられる名前たちだ。

 竜に乗りし戦乙女でもあり、半竜でもある〝meltoaメルトア〟。蛇神でもあり、癒しの神でもある〝ulkdorウルクドア〟。


 『此処は地上を見上げる場所』――かつて、自らの行いを全くかえりみない男を深い穴に落とし、そこで今までの己を見つめよ、といた小さな蜥蜴の姿の男神、〝rum-lルメーラ〟。


 その言葉は、蝗害こうがいのようにログノート大陸を喰いあさったプレイヤー達への、皮肉なのかどうなのか。

 まあとりあえず、目的は達成した。後は金を貰って拠点に帰るだけだ。


「依頼は達成。報酬は統括ギルドの受付経由、で良いですよね?」


「ええ、ありがとうございました。狛犬殿へ、代表のルーからも感謝していると」


 自分に話しかけられ、ロメオはすぐさま表情を切り替えてそう言った。丁寧に頭を下げ、全額、すでに統括ギルドに預けてある。依頼は達成されたので、問題なく受け取れるだろうと彼は微笑む。


 詐欺の防止ため、統括ギルドにクエストを依頼してもらい、そのクエストを自分が受ける形にしたのは正解だったと思う。金の受け渡しも安心だし、クエストの達成は統括ギルド――つまり、運営が保障してくれている。


「それじゃあ、ご苦労様でした。師匠、この後どうします?」


「ああ、とりあえず、拠点に戻ろう。多分、おそらく……いや、今は言うまい」


 ロメオと分かれ、少し離れた位置で考え込んでいるノアさん――師匠に声をかければ、何やら複雑そうな表情で振り返る。朶さんは雪花を引きずり、嫌がるチアノーゼに突撃インタビューを敢行かんこうしていた。


 小さくそれに手を振りながら隣を見れば、木馬先生も嫌そうな顔で唸っていて、ブランカさんとデラッジは、実に面倒くさそうに顔をしかめている。


「どうしたんですか?」


「ああ、いや……留守番を頼んだレベックがな。出発間際に、先に樹海に行ってみると言ってたんだが」


「え、じゃあまさか、もう第1ミッションが終わってる可能性が?」


 あのレベックが樹海に行ったというなら、十中八九、『美獣フローレンス』と戦いに行ったのだろう。あれから更にアビリティレベルを上げ、種類を増やし、特殊武器を増やしたレベックは、更にチート度合いが高まっている。


 自分の特訓に付き合ってくれていたので、他所でその力を発揮する機会は無かったが、未だに自分は模擬戦でレベックに勝てていない。


 模擬戦の度に、早く名前持ちモンスターと戦ってみたい、と言っていたのにはイラっときていたが、付き合ってもらっている側で文句は言えなかった。


 デラッジや師匠、木馬先生とは模擬戦でも勝てるようになってきたが、未だに高い壁となって立ちはだかっているのがレベックだ。とりあえず、後、一週間以内に倒したい目標でもある。


 そんな人が、あいた時間にオーバー大樹海地帯に行ったという。じゃあ案外、公式イベントも早く終わってしまうかもな、と思った自分に、師匠はよりいっそう渋面を作り、とにかく帰ろうと帰還を促した。


「じゃあ、ニブルヘイムにお別れ言ってきます」


「ああ、そうしたら、拠点に戻ろう」


 その不自然な感じに首を傾げつつも、自分は頷いてから、ニブルヘイムにお礼を言い、しばしの別れを惜しんでからアルカリ洞窟群を後にした。





























 ――『オーバー大樹海地帯』に最も近い、〝光を称える街、エフラー〟。期間限定ギルド、我らが『ランナーズハイ』の拠点は、その街の南側、統括ギルドのすぐ隣にあった。


 家の数だけ立ち並ぶ、背の高い木々。木を支柱にし、木で壁を作り、床を作り、天井を作った家。ツリーハウスとも呼ばれるそれらで構成された街にある、借家だがとても素敵な拠点だ。


 人数分の部屋があり、窓からは常に木漏れ日が入る。家具付きで借りたのでほとんど不便もなく、統括ギルドも近いので、資料漁りにももってこいの良い物件でもあった。


 地上部分にはギリー達、モンスター専用の部屋もあり、ギリーは橙とネブラを連れてそちらに向かう。最近、子竜達はようやく自分と離れても騒がなくなってきた。


 ネブラも少しは人間というものに耐性がついたようで、エアリスほどの大人数だとダメなようだが、この街ていどの人口密度ならば問題なく過ごせるようだ。


 さらに、最近は陸鮫の子供達と仲良くなり、その子達と遊ぶようになったことも、自分から離れられるようになった一因だろう。

 今もまた、アルカリ洞窟群で見つけた小さな花やガラクタのような石をお土産にして、お留守番をしていた陸鮫の子達にあげるのだと、意気揚々と向かっていく。


 子竜と子犬のツーショットは素晴らしく可愛くて、自分はスクリーンショットを。親代わりにもなった木馬先生は、暇な時間にスケッチを量産する作業に夢中だったのは言うまでもない。


 一緒に来る、と言うタマだけを連れて、自分とメンバー達は拠点に向かう。黒いパーカーに身を包んだブチ猫のケット・シーは、何故かシャドーボクシングをしながら自分の横を歩いている。自分の真似をしているらしいが、ただ格好つけているだけともいえる。タマはやはり、ナルシストなのだ。


「タマ、前見ないと転ぶよ……ねえ師匠、ミッションクリアのアナウンスが無いってことは、レベックはまだ樹海ですかね?」


「……あー、どうだろうな」


 道中、何とも言えない表情の師匠に違和感を覚えつつも、細い階段を上り、扉を開け、廊下を進み、共同で使う居間とキッチンが併設された空間に続く引き戸を開く。


 そしてそこで、自分は妙なものを見た。


「……レベック?」


 この2週間で、すっかり呼び捨てで呼ぶようになった名前を呟く。広めの部屋の奥、しかもその隅に向かい、背を丸めて膝を抱える物体が目に留まった。


 部屋の空気はどんよりと重く、ずっしりとした負の波動が満ち満ちている。声をかけたが反応は無く、レベックと思しき物体は、ただひたすらに膝を抱えて座っていた。


 しかも、その服装は〝殺意がわくほどダサい〟と有名な初期装備。ずん胴の麻の長袖シャツに、長ズボン、麻布で出来た布靴の3点セット。


 ややくすんだクリーム色の、パジャマのような恰好だ。これを見ると、お洒落な麻のシャツという物体は、お洒落なカッティングだからお洒落なのだとよくわかる。

 いや、本当に分かるのは、裁縫の偉大さではなく、レベックが死に戻りをした、ということだけれども。


「……やっぱりか」


「え、どうし……いや、なんかそんなに派手に負けたんですかね……?」


 予想通りだった、と呟く師匠を振り返れば、その更に後ろで他のメンバーが面倒くさそうにレベックを見る。小声で訊ねる自分に頷き、多分な、と言う師匠は、そっと歩いていってレベックの肩を叩いた。


「レベック、帰ったぞ」


「あ……おかえり」


 のろのろと顔を上げ返事をするが、明らかに声には覇気がない。これでもかというくらい部屋に降り積もる、落ち込んでいます、という空気を嫌がるように、ブランカさんが勢いよく窓を開けた。自分の隣に来た雪花が、ぼそぼそと話しかけてくる。


「どうやって負けたら、ああなるんだろ?」


「そもそも、負けたことなかったんじゃない?」


 ああなるほど、と頷いて、雪花が、じゃあ俺は茶を淹れてきまーす、とキッチンに引っ込んだ。デラッジがふん、と鼻を鳴らし、木馬先生は、じゃ、お茶が来たら反省会ねー、とガタガタと椅子を移動させる。


 朶さんは部屋の隅で映像フォルダを弄っているのだろう。何もない空中で指を動かし、忙しなく視線を動かしている。


 ここしばらくで見慣れた風景に、自分も積極的に混じっていく。椅子を並べるのを手伝い、雪花の淹れたライン草のお茶を運ぶ。人数分をテーブルに並べ、お茶菓子と共に全員が席に着けば、いつもの風景の完成だ。


 反省会、もしくは攻略のための話し合いの形。今回は反省会ということで、師匠がレベックを引っ張って来て、無理やりに椅子に座らせた。


 哀愁漂うレベックは死んだような目で仲間を見て、うつむいて、そして心もとない様子でカップを両手で包み込む。そうして出されたお茶の黒い水面をじっと見つめながら、虚ろな目で彼は言った。


「……負けた」


『知ってる』


 短い報告に、全員が即答した。最早、レベックの様子を見て、察しない者はいないだろう。レベックはオーバー大樹海地帯の『美獣フローレンス』に挑み、そして負けたのだ。それも恐らくは、かなり落ち込むような形で。

 師匠は溜息をぐっと飲み込み、レベックの肩を宥めるように叩きながら話しかける。


「一応聞こう。何があった? 言ってみろ」


「……うん、うん……えっと、うん……」


 優しく語りかける師匠に、レベックはしばし視線をさまよわせ、それからぼそぼそと喋り出すが、出てくる言葉は〝うん〟か〝えっと〟。その状態で1分が過ぎ、自分の膝の上でいただきます、を待てなくなったタマが、もふもふな腕をちゃいちゃい、と伸ばし、物欲しげにクッキーの皿をつつきだす。


 2週間のしつけの結果。見違えるほど善い子になったタマは、最近ではみんなのものに勝手に手を出したりすることがなくなった。代わりに、あざとさが増して、何か欲しい時は露骨に可愛い仕草でアピールするようになった。


 許可を出さない内は手を出さないので、まあ、それはそれで悪い道ではないだろうと、特段叱ったりはしていない。今回もクッキーが欲しいアピールをするタマに、自分はいつもの問題を出す。


「クッキーは全部で30枚あります。では、タマはとりあえず何枚までならクッキーを食べていいでしょう」


「にゃっ……えっと、えっと……くいちがく、くにじゅうはち……3枚までは食べて良いにゃ!」


「よく出来ました。特別に自分のも食べて良し。何枚になる?」


「6枚!」


 正解、と言いながら、自分はタマに6枚のクッキーを皿に乗せて渡してやる。計算が苦手だというタマに真正面から勉強させるとテコでも覚えないので、こうして物理的に餌で釣って教えている。


 当然、間違えたらクッキーの数は減る。そうすればタマも真剣に考えるようになり、最近は間違えることも少なくなってきていた。


 タマはうきうきしながら小さな肉球でクッキーを割り、可愛らしいことに半分差し出してくる。あの、自分のものは欠片でも渡さないと叫んでいた、ごうつくばりのタマが……と、その成長ぶりに感激しながらクッキーをあーんしてもらい、もぐもぐしながら視線を戻す。


 気の短いデラッジとブランカさんがイライラしながら指先で膝を叩いているが、気の長い木馬先生はのんびりお茶を啜っている。朶さんは丸っと全部無視して、次の放送用のアイデア帳に首ったけだ。


 雪花が剣の手入れをし始めて、師匠の表情が暗くなってきた頃に、ようやくレベックが意味のあることを喋り出した。


「えっと、あの……森に入って、最初は問題無かったんだ。適当に向かってくるモンスターを倒しながら進んでたら、突然、目の前が真っ暗になって……背後から、」


 ――わたし、きれい?


 そんな声が聞こえた、とレベックは言う。おや、ホラーかな? と首を傾げれば、膝の上のタマも、みっちりと頬にクッキーを詰めたまま、一緒になって首を傾げた。


 突然視界が暗くなり、何も見えない状態は脅威だろう。実際、自分もそれで不便をしている。しかし、ゲームにはよくある状態異常だ。レベックも初めての体験ではなく、すぐさまに対策を取った。


 目の前が真っ暗で何も見えずとも、その驚異的な反射でレベックは動いた。見えなくなってすぐに準備していた【勇者見習いリトルラウグリット:一の太刀たち】を発動し、すぐさま声がした方……自身の真後ろを薙ぎ払ったという。


 流石に、竜脈での発動とは違い、あんな桁違いの威力を叩き出したりはしないが、熟練度からいっても、全力で魔力を使えば名のあるモンスターと言えども、ダメージはともかく勢いだけで吹っ飛ぶくらいはするはずのスキル。


 しかし、レベックの超反応も意味が無かったのか、手応えは無し。事実、その直後、何も見えない、よりも、敵の移動音が聞こえない状況に戸惑うレベックの腹は真一文字に掻っ捌かれ、実にあっさりと〝光を称える街、エフラー〟へと死に戻った。


 最後に、〝――わたし、フローレンスよ〟という声を聞きながら。


「姿を見た者はいない、とは聞いたが……視界を奪うという話は、昨日まで上がっていなかったな」


「第1ミッションの壁になったから、本気出してきたってとこみたいよ。今、掲示板巡回してるけど、討伐の手柄を総取りするつもりだった攻略組が、早くも音を上げて協力者を募り出してる……もちろん、協力する気ないけど」


 師匠の声に、ブランカさんが頬杖をつきながら情報を上げる。赤くぷっくりした魅力的な唇が滑らかに動き、オーバー大樹海地帯と『美獣フローレンス』と呼ばれるモンスターの概要を語り出す。


「オーバー大樹海地帯――ログノート大陸の最北端にある街の手前に広がる、横に長い樹海地帯。まさに海のように木々が連なり、精霊も多く棲む。蔦科やシダ科の植物も多く、足元は繁茂はんもする草木に覆われて見えないほど、らしいわ」


 木々の背は高く、上空からも外側からも、容易には中をうかがい知れない。攻略組が規模に任せて伐採をしようと試みた際には、森に棲む精霊達が全力で抵抗。風の刃は打ち返され、炎は全て打ち消された。モンスター達も派手に応戦し、樹海を一部伐採し、人工の道を作る計画は、開始10分で頓挫とんざしたとか。


 その時は、樹海の女王である『美獣フローレンス』は現れなかったという。彼女は、樹海の中で敵を迎える。外側からいくらちょっかいをかけても、挑発には乗らなかった。


 しかし、この『美獣フローレンス』。巨大なアーダーワオキツネザルである、ということは文献から分かっているのだが、逆に言うとそれ以外はほぼ何もわかっていない。


 〝美獣〟と言われるのに、未だ誰も見たことの無いモンスター。けれど、彼女は姿を見せない代わりに、背後から綺麗な声でその存在を教えてくれる。


 〝――わたし、きれい?〟と、〝――わたし、フローレンスよ〟の二言で。


 全員がめいめいにまとめ掲示板を開き、難しい顔でそれを確認する。そこには、最初の一言は死刑宣告。最後の一言は完了報告と書かれている。


 最後のセリフを聞いた時には、聞いた者はこの世にいないからだ。死に戻りの光に包まれて、速やかに竜脈で運ばれることになる。

 誰も見ることが出来ないのに、何故〝美獣〟と呼ばれるのかは、それらに起因するものなのだろう。


「試すべきことは、攻略組が大体やってくれてるね」


 木馬先生はそう呟き、じっと掲示板を見つめている。


 選び抜いた総勢100人ほどで樹海に踏み込み、必ず3人一組で完璧に背後を失くしチャレンジしたが失敗。結局、誰もその姿を見ることは出来ず、不可視の攻撃に両断されていく仲間の最期を目にしただけ。攻撃の瞬間を見ていた者は、本当に何も見えなかったと繰り返したという。


 魔道士隊による、攻撃を受ける瞬間にデバフ乱射というようなことも試したようだが、結果は敗北。手応えは無く、あっさりと全滅。


 同じく魔法使い部隊による攻撃もダメ。従魔士テイマー部隊による攻撃もダメ。索敵スキルも反応せず、ありったけのバフをかけても視認できず。

 毒を撒いてみてもダメ、モンスターの鼻を頼りにしようとしても、何もわからずこれもダメ。


 聴覚も同様で、不思議とモンスターの耳でも何も聞こえないという。フローレンスの声だけは聞こえるものの、それ以外の、移動音だとかが聞こえないのだとか。樹海はとても静かで、微かな葉擦れの音と、遠い鳥達の声が聞こえるだけで、他はさっぱりだとも書かれていた。


 唯一わかっているのは、ブランカさんも保有している〝分析官リサーチャー〟によるスキルで判明した、系統のみ。

 〈闇極系〉のモンスターということで、闇属性のデバフ特化なのでは? という予測が立てられたようだ。


 そして本日。第一回公式イベントの第1ミッションとして提示されてからは、新たな報告が3つ。


 1つは、目が見えなくなる。2つ目は、耳が聞こえなくなる。3つ目は、臭いがわからなくなる。


「このうち、2つ目の耳が聞こえなくなる、だけは、聞こえる人と聞こえない人がいたみたいだね。条件は、隠しステータスの聴力だ。実数値が一定以上なら聞こえるし、一定以下なら聞こえないのだろう、という予測が立てられてる」


 デラッジが言いながら、クッキーを噛み砕いた。これは、たった5分前に攻略組が開示した情報だ。隠しステータスなので正確な数字を知ることは出来ないが、攻略組はモンスターとの契約スキルにより聴覚が上がっている者は、全員聞こえるようだった、という実験結果を出している。


 聞こえるといっても、無音と微音の違いくらいだ。本当なら、微かな葉擦れの音はもっと大きな音で、遠い鳥達の声も、本来ならば騒々しいものなのかもしれない。だからこそ、ほとんど無音で移動するフローレンスの音は拾えないのだ。


「1つ目と2つ目は、恐らく隠しステータス関係無しに、問答無用で適用……か。いやあ、厄介だね。これじゃあ、映像が撮れないじゃないか」


「外側から撮れば良いんじゃない? 隠蔽スキルで手伝うわよ」


 残念そうな声で言うのは朶さんだ。がっくりと肩を落とし、それをブランカさんが慰める。師匠はじっと黙り込み、デラッジがまた1つひょいとクッキーを口に放り込みながら、全員の顔を眺めて言った。


「……これ、どうやって攻略するんだと思う?」


「攻略……まず、フローレンスの能力は、視覚、嗅覚、聴覚の麻痺ですよね」


 これをどうやって攻略するか。考えるならば、まずは相手がどうやって相手にその状態を強いているかだろう。恐らくは、昨日までフローレンスの姿が見えなかったのも、移動音が聞こえなかったのも、全て同じ能力だろう。


 そう述べてみれば木馬先生は深く頷き、師匠も紙を取り出してテーブルに広げながら頷いた。


「恐らくそうだろうな。となると、分類は攻略組の言う通りデバフ……闇属性の類だろう。魔道士の能力に近いんだろうな。あれの原理を研究しているスレは……」


「ぼそぼそと闇属性を語るスレですねー。はい、これリンク」


 師匠の声に、すぐさま雪花が全員にリンクを送る。みんながそれをタップすれば、そのスレは今、状況が状況だからか、凄まじい勢いで議論が白熱していた。勢いは止まらず、このスレだけがみょーん、とやけに伸びている。


「あー、なるほど。特定の部分で魔力神経の流れをせき止めると、その部分の機能がイカレちまうわけか。闇属性の、停滞と衰退の性質を利用して、デバフの効果を演出してたんだな……」


 流し読みし、すぐさま基本的な理解に至った雪花は、その原理に渋面を作る。こちらを見て、次に他の人を見て、雪花は静かに問題を語った。


「これ、スレでは、魔道士の対抗スキルを探すとか言ってますけど、そもそも魔道士系統にはまだ五感に作用するスキルは無いみたいですよ。となると、対抗スキルが出るまで待ってたら、冬が来ちまうんじゃねぇの?」


「その方法でも攻略できるが、もっと早く達成したけりゃ考えろよ、っていうのが運営だろうね」


 デラッジがその問題を肯定し、薄い黒の茶をぐい、と飲み干す。そう、問題は時間だ。その方法でもクリアは可能かもしれないが、そうなると冬が来るまでには間に合わないだろう。


 別に、自分達だけなら越冬も困らないが、だからといって足踏みして待っているのはしゃくな話だ。どうせなら、歯ぎしりする攻略組を出し抜いて、颯爽とクリアしたいというのが『ランナーズハイ』の総意だろう。


 フローレンスの力の原理は、恐らく闇属性の性質――〝停滞と衰退〟を利用したものだ。魔力の流れを停滞させ、狙った機能を潰す力。どう対抗するかを考えると、方法は限られてくる。


「見えない、聞こえないまま戦う……のは、無理でしょうね。そうなると、見えるようになる方法を探さないと」


 普段、盲目の自分も、歩くだけなら問題ないが、戦闘まではカバーしきれない。それも、覚えにくい似たような木々が集まる樹海の中。耳も遠い、鼻も利かないとくれば、まずまともな戦闘にはならないだろう。それならば、何か違う方法で、見えるようにしなければ、という自分に、ずっと沈んでいたレベックが弾かれたように顔を上げる。


「そ、そうだよ! 見えるようになれば俺が――」


「いや、見えるようになっても、当面、レベックには無理だろう」


「……え、なんで?」


 希望を胸に拳を握るレベックに、師匠は無情にも無理だと言い切る。何故、と問うレベックに、師匠は続けてこう言った。


「彼等が高性能AIではなく、学習性AIだからだ。そして、此処が他のゲームとは違うことわりの世界だからだ」


 お前は、彼等にすでにパターンなど無いということを理解しているか? と師匠に聞かれ、レベックはぽかんとした顔で瞬きを繰り返した。


「え、普通、パターンあるでしょ?」


「名前を持つほどの学習性AIには無い」


「え、ゲームなのに?」


「ゲームの皮を被った異世界のようなものだと思え」


「……それなのに、残機0で怪物を倒す?」


「そうだ。だから、お前の目が見えていても、考えなければフローレンスには勝てないだろう」


 アドルフの群れには余裕で勝てても、思考する小型犬1匹に負ける。それが今のお前で、俺だ、と言い切って、師匠は呆然としているレベックを尻目にみんなを振り返る。


「レベックだけの問題ではない。他のゲームでランカーと呼ばれた、俺や攻略組のトップ連中こそが、段々と脆さを露呈している。培ったノウハウと効率化で、スタートダッシュだけは早かっただろうが、それだけだ。現に、こうして高性能AIや、年季の浅い学習性AIによるモンスターではなく、熟達した学習性AI相手では、こうも簡単に負けてしまっている」


 今、この世界で俺等や攻略組のトップがランカーを名乗れているのは、モンスターに勝てないプレイヤー同士で、対人戦をして強さを決めたようなものだからだ。でなければ、『人喰いガルバン』があそこまで猛威を振るうまい、と言い切る師匠に、木馬先生は苦々しい表情で頷いた。


「人間の中での上の方ってだけだからね。対人戦とモンスター戦は違う。それは今までもそうだったけど、今までは対人のほうが難しくて奥深かった。モンスター戦なんて、ただの作業かイベントくらいの扱いだったから……」


 それが此処ではひっくり返った。モンスターという怪物に、人間並みの頭脳が収まったのだ。その難易度は計り知れない。今までとは全く違った意味で、対人戦とモンスター戦は違う、と言われるようになるだろうと先生は言った。


 だから今、ランカーなんて呼び名は、実は名ばかりの称号で、まったく当てにならない、とも。


「だから、本当は狛犬とか雪花みたいな、あんぐらがVR初めてのゲームみたいな人達の方が、モンスター相手なら今は強い。俺等はまだまだダメだ。先入観が強すぎて、つい、モンスターの予備動作を探してしまう。反射みたいに、パターン化して、上手く躱そうとしてしまう」


 壁役が挑発して狙われて、この動作の後にこんな攻撃が来るから回避、回復のタイミングは此処で……という癖が抜け切るまでは、この世界のモンスター戦は、かなり手こずるだろうと先生が言えば、デラッジが盲点だった、とでも言うように低く呻いた。


「そう言われると、そういう考え方してるよ。僕も結局、テイムしたモンスターの手助けを重ねていって今があるから、純粋な力で名前持ちモンスターに勝てる自信はないな……」


「私は最初から対人専門だから……契約したウィンカーだって、勝手に寄って来ただけだし……」


 戦闘は専門外、と揃って頷くブランカさんと朶さん。自分と雪花は顔を見合わせ、確かに、そういう感覚は無いかもしれないと頷き合う。


「俺は所詮、画面の中でしかそういうのはやってこなかったから」


「自分はこれが人生初めてのゲームだから」


 比較しようもない、と言えば、だからこそ狛犬とニブルヘイムは、トルニトロイに勝てたんだよ、と木馬先生が言ってくれた。実は、戦い方がまるで違うんだ、と先生は言う。


「俺等は、相手のパターンを見てる。対人戦も基本はそうだ。こう構えたら、ここに視線がきたら、で動く。狛犬は、相手の性格を見て動いている。今はまだ、経験で俺等が勝っているけど、正直、狛犬との戦闘はやりづらいよ。それがいつか、強みになるだろう」


 先入観が無いって大事だよ、と繰り返す木馬先生に、師匠はそれで、今回はどうするかと問題を再び掲げて見せる。


「流れが止まった部分を強制的に動かす方法って無いんですかね?」


「強制的に動かす……つまりは、より強い力で魔力神経を動かすようなスキルか。そんなもの、あっ……」


「あ?」


 自分の疑問に律儀に反応してくれていた師匠が動きを止め、じっと自分を見つめてから、すぐさまネタ帳に夢中な朶さんの方に顔を向ける。そのまま、師匠は急かすように朶さんの名前を呼び、生放送の映像を再生してくれと頼み込んだ。


「ああ、はいはい。すぐに出るよ」


 呑気な様子で頷いて、朶さんは公開表示でスクリーンを解放。映像ファイルが選び出され、途端に懐かしい映像が流れだす。


 師匠が指定した場面は、ニブルヘイムが第二の矢と化す直前のシーン。公式による適応称号システムのアナウンスが入り、盛り上がりに盛り上がったその一瞬――、師匠は画像の動きを止めて、ある一点を指さした。


「これなら、いけるんじゃないか?」


 それは、顔の左側だけ赤の紋様に食われ、深紅に輝く自分の左目。右目の色は変わっておらず、左目だけが赤く輝く。はて、と自分は首を傾げた。

 適応称号スキル、【首狩り狂犬トールダム】。それの効果は、確か――、


「火属性魔術強化、火耐性強化、身体強化――ああ、なるほど。ボス、これさ、身体強化ってことは、体内の魔力神経の流れを強制的に速めたり強めたりしているってことだから……」


「……」


 上手くいけば、〝停滞〟した流れも、正常に戻すかもしれないよ、と。雪花の言葉がトドメをさし、木馬先生とブランカさんが自分に肩ポンをし、追い打ちでデラッジと朶さんが頷いた。シメに師匠がにっこりと笑い、逃げ道を断たれた自分は気が付いたらこう言っていた。


「……が、がんばります……っ」


「よし、じゃあみんなで、適応称号スレをチェックだ。他の適応称号持ちに、狛犬が詠唱する隙を作れるスキル持ちがいないか。もしくは、狛犬と共闘できる者を探そう」


「うぃーっす」


 雪花が頷き、続いて他のメンバーも頷いた。自分は遅れてはっとするも、すでに後戻りは出来ない状況。いや、始めれば楽しくなってヒャッハー状態になるだろうとは思うが、いや、いやいやいや!


「まさか――まさか、最悪、1人で名前持ちモンスターと戦うんですか!? せっかく、多人数との連携の練習をこれでもかっていうくらいしたのに!?」


 トルニトロイの時よりも無茶な話に、それはないだろう! と悲鳴を上げた自分のほうを、誰も振り返ることは無かった。







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