第八十八話・半:犯罪者の弟

 


第八十八話・半:犯罪者の弟




 豪奢ごうしゃな空間で直立したまま、男はじっと視線のやり場に困っていた。華美な装飾が施された窓には分厚く高そうなカーテン。重く引かれたそれのせいで外の景色は見えず、しかし、天井のシャンデリアのおかげで部屋の明るさは申し分ない。


 視線をずらせば、部屋の内装が真っ先に目につく。豪奢と表現はしたが、その割には成金的な派手さはない。純粋たる金持ちの家というにも少し違う。この空間には、〝おごそかな場所〟という役割を抱え長い年月を経てきたゆえの気迫というか、迫力のようなものがあった。


 家具はどれもが一級品で、男の目から見てもその〝格〟は折り紙付きだ。猫足の木製テーブルは、ただの木製テーブルには無い輝きがある。新しさとは違う味わいを持つそれの上には、これまた高そうな銀のティーポットが置かれていた。


 カップはドミニカ製の一点物。職人が筆で手書きした、神業のような金色のラインが見惚れるくらいに美しかった。

 ポットのメーカーはわからないが、その値段には見覚えがある。男は、それら一式で数字の桁が6桁を越えることに気が付いた。そして値段に気が付けば、次にそれを手にし、優雅にとは言い難い所作で紅茶を飲む男に視線が移る。


 紅茶を飲む男の名前は、金城かなぎ陵真りょうま。つい先ほど、本当に数時間前に正規サービスを開始した、【Under Ground Online】の代表取締役。つまりは、最高責任者その人だった。


 紅茶を飲む所作は特別に優雅ではないというだけで、作法が出来ていないわけではない。しかし、育ちと普段の暮らしがどうしても滲み出ている。

 男は、この人は本当なら、普段は分厚いシンプルなマグで、適当に引いて落とした珈琲でも飲んでいるのだろう、と予測した。インスタントではない分くらいは下品ではないが、グラム数千円の紅茶を飲むような生活はしていない臭いがしている。


 それを裏付けるように、彼は紅茶の質を何とも思っていないようだった。その価値がわかる人物なら、無意識にでもその深いベルガモットの香りに酔いしれるところを、彼はまるで白湯さゆのように飲み下している。温かい液体。彼の中で、ここで飲む飲み物の立ち位置はその程度なのだろう。


 男はじっと、直立したまま眼鏡の位置を指先で調整する。レンズごしに、更に観察を続ければ色々なことがわかる。

 まず、陵真の出で立ちは礼服だ。きちんとした場に出ても見劣りしない仕立ての服。身体へのフィット感を見るに、オーダーメイドだ。それも、最近作ったものだと予測できる布地の新しさ。


 しかし、装いの正式さに反してその本人の態度は少々、不遜という言葉に当てはまる。外側は見栄え良く仕上げたが、内心ではこの場にあまり敬意を抱いていない。その理由までは断言できないが、この場に彼がいる理由を思えば、彼の不遜さは男にとっては不思議に思うものだった。


 男は、世界幻獣保護機構日本支部の職員だ。幻獣そのものに憧れて入社してだいぶ経つが、祖父の件があるので表向きは下っ端というか、微妙な立ち位置の役職についている。表向きは下っ端だが、何か重大な件があれば会社に名指しで引っ張り出されるのだ。


 それは秘密厳守のものであったり、危ない反政府勢力が関わっていたり、時に政府そのものが関わっていたりと様々だが、全て色々な意味で〝危険〟な仕事が舞い込んで来る。


 男には祖父という後ろ盾があるからだ。男――藤堂とうどう睦月むづきには、奴隷制に反対し、方々への深い繋がりと権力を抱える祖父――藤堂とうどう博樹ひろきという〝虎〟がついている。


 だからこそ、危険な場によく引き出される。世界幻獣保護機構は出来るだけクリーンさを売りにしている機関だ。だからこそ各地の危険勢力に対して抑止力という面では、他の社に酷く劣る。

 ちょっと前までは、よく職員が行方不明になったものだ。今日みたいに、国と個人が絡む件にやむを得ず立ち合い、その場の決定を外に漏らさないために口封じされる事件が後を絶たなかった。


 しかし、睦月ならばそんなことは起こりにくい。ひとたび〝狐〟を害すれば、背後に立つ〝虎〟が容赦なく全てを台無しにするからだ。小さなころは、睦月は親族の持つ権力というものに非常に無頓着だったが、この仕事についてからは権力というものの本質を身をもって知ることとなった。


「……」


 睦月が上に聞いた話では、彼はガルマニアとドグマ公国の国境付近で発見されたグリフォンの件でここにいるはずだ。ガルマニアは国境付近で目撃されたグリフォンに〝選ばれた〟陵真を、国をあげて表彰するために此処に呼んだはずなのだ。


 それにあたり、世界幻獣保護機構は〝立会人〟を派遣した。数百年前に何度か例がある慣習だ。形だけのものではあるが、ガルマニアが力を持たない個人に対し、横暴に接することがないように――つまり、グリフォンが個人に授けた黄金を取り上げたりしないように、もしくはそうしようとする他の国への正式な牽制として、完全なる第三者として見張り役を務めるために睦月は此処に立っている。


 グリフォンとは不思議な生物だ。睦月が最初に憧れたのもグリフォンだった。睦月はちゃんと、グリフォンの細かい生態も、どんなにちっちゃな歴史だって空で言える。


 例えば、〝グリフォンあるところ。それは即ち黄金郷である〟という言葉。


 諸暦しょれき三十紀初頭における、グルーノン伯爵の有名な言葉だ。その言葉は古くとも、虚言でも法螺でもなく、ただただ重い事実だった。


 グリフォンの目撃情報があった場所では、いつの時代でも金塊が見つかった。常識ではありえない、自然界でこんなものが出来上がるはずがないと、専門家が畏怖と共に口にした言葉が伝わっているほど、大量の巨大な金塊が見つかったのだ。


 最初の一つは王侯貴族の隠し財産だと言われたが、発見例を積み上げる内にその説は薄れていった。

 大自然の臓物ぞうもつ、精霊の魂、魔術師の秘術。様々な名をつけられながら、グリフォンと黄金は切っても切れないものとしてうたわれた。


 グリフォンは世界各地で目撃される生き物だ。勿論、ガルマニア以外でも目撃され、金塊が発見されることもままある。しかし、グリフォンが金を授ける相手の単位は、個人であったり村であったり、国であったりと様々だ。

 問題なのは、個人や村。もしくは小国。吹けば飛ぶような集落がグリフォンに選ばれたとなれば、それを吹いて飛ばしてしまおうとするやからは必ず現れる。


 このたび陵真に対しても行われる式典は、本来はそんな横取りをしようとする輩を抑止よくしするためのものだ。ガルマニアはグリフォンを国父こくふと、神と崇める国。グリフォンの意思は尊重されなければならないという考えの下、ガルマニア政府はもう気が遠くなるほどの間、それこそグリフォンが絶滅したと言われる数百年前まで、ずっとグリフォンとそれに選ばれた人々の保護を率先して行ってきた。


 選ばれた者にはガルマニア政府が後ろ盾となる。世界にそう知らしめるための式典を、もうずっと続けてきたのだ。そしてそれは今回も。そのために、陵真は此処に呼ばれたはずなのだ。


(そのはずなんだけど……)


 はず、とそうひっかかりを覚えるのは陵真の態度だ。睦月の目には、彼が極度のストレスと疲労にさいなまれていることが見て取れた。何度も噛みしめたのか、唇はがさがさで所々に血が滲み、右手の指先にはさり気無く肌色のテーピングがなされている。よくよく観察すれば、あるべき膨らみが無い。爪が無いのだ。何故、爪が剥がれるような事態になったのかは分からないが、何も問題がなくてそんなことが起きるわけもない。


 よく見れば左手の爪も健在ではあるが割れている。ぎっちり巻かれたそのテープの隙間から、陵真が紅茶を飲むために腕を上げる度に、爪の罅割れと血肉の赤が一瞬だけ覗いた。

 もしかしたら、ここに呼ばれる前に黄金を狙う何者かに襲撃を受けたのかとも思ったが、見ていれば陵真は時折割れていない爪をテーブルに小刻みに叩き付けていて、睦月はストレスによる無意識の自傷と見た。


「あの……」


 何か問題でも起きたのか、約束の時間を過ぎてもガルマニア側の使者は現れない。不審に思いながらも、睦月は待つしかない。同じく待つしかない陵真に、彼はおずおずと声をかけた。


 よく、気が弱そうとか人が良さそうとか言われる睦月の顔立ちはこんなところでも役に立つのか、声をかけた一瞬だけ強く警戒心をあらわにした陵真は、睦月の顔を見て途端に穏やかに笑みを浮かべた。薄氷うすごおりの上、といった微笑みだが、それは確かに微笑みだった。


「あー……世界幻獣保護機構の方ですよね。すみません、あなたは着席しないんですか?」


「僕は立ち合い人ですので、椅子にはちょっと……それより、あの、何かありましたか?」


「何かとは?」


 間も取らず、間髪入れずに切り返してくる様子に、睦月は何かあったのだと直感する。それも、それは本人に深い精神的ダメージを与えるようなものなのだろう。若干血走った目がぎょろりと睦月を見るのに怯まず、静かに問う。


「何があったんですか?」


「……」


「こちらの立場としても、何かあるのなら把握しておきたい。僕らは正しさの象徴であるためなら、貴方を正当に庇うことも出来る」


 そう、睦月は――世界幻獣保護機構は正しさの象徴でなくてはならない。そうでなければ、世界が立会人としての意義を認めてくれない。もしその均衡が崩れれば、ただでさえ危うい立場の幻獣達は今度こそ根こそぎ絶滅へと追い込まれるだろうから。


「何が、あったんですか?」


 ちら、とガルマニアの使者が現れない扉を見やり、陵真はガサガサの唇を噛む。一歩も引かない様子の睦月を見やり、陵真は観念したように両手を上げた。


「別に、貴方が心配しているのとは違う。ガルマニアに無理を言われているわけじゃない。無理を言っているのは、ドグマ公国のほうだ」


「ドグマ公国……国境付近で目撃されたとはいえ、その所有権を主張することは不可能ですけど……」


 ドグマ公国が、ガルマニアとの国境付近で目撃されたグリフォンの件で、黄金に対し血眼になっているのは、睦月も知る事実だ。

 しかし、いくら国境付近で目撃されたとしても、グリフォンにとって国境などあって無いに等しい。野生の獣に見えない線を主張するなど、愚かしいことだ。


 それは国際法によっても、どこの国の法律でもそうだ。今回のことで、ドグマ公国が口出しする余地は無い。しかし、陵真はドグマ公国が無理を言っていて、それで困っている、と言いたげな様子だった。


「具体的には何を?」


「……黄金を半分寄越せと」


「――そんな無茶な!」


 睦月のもっともな反応に、しかし陵真はその要求がまるで不可能ではないとでも言いたげな様子で、わずかに顎を引いた。


 その反応が気になり、何か弱みでも? と睦月が問う。今回の件で、もしドグマ公国が口出しを出来るとしたら、よほどのスキャンダルがある場合に限られる。しかし、睦月がざっくり調べた時には、陵真にはそんなものは何一つなかったはずだった。では何故? と首を傾げる睦月に、陵真は疲れ切った様子で懐から一枚の紙切れを取り出して見せる。


 その紙切れはすんなりと睦月に渡され、睦月は丁寧に畳まれたそれを開く。そこには、こう書かれていた。


 ――黄金を半分。要求に応えないのならば、陵真・金城がの一級犯罪者の弟であることが、世界に広まってしまうだろう、と。



 ……腹違いの、兄なんだと。



 消え入りそうな声で言う陵真の声が、豪奢な部屋に落ちていった。



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