第八十七話:再来、砂竜への道

 


第八十七話:再来、砂竜への道




 天井から伝う水滴を払いながら、ブーツの底でがつりと砂の塊を踏み潰す。ひやりとした洞窟の内部。冷たい風が吹かない分、体感温度は外よりも温かい。地下水に濡れる岩肌に右手をつき、辿り着いた深層部の空洞を横穴から見下ろした。


 背後にはギリー達の息づかい。片腕に抱えた橙が巨大な空間を見下ろして目を輝かせ、ぎゅいぎゅい鳴くのに合わせてネブラも何事かと首を動かして下を見ようと頑張るが、これでもかと自分の首に身体ごと絡みついた体勢ではよく見えないのだろう。


「橙はしっかりしがみついて。ネブラは無理に見ようとしないの。――雪花! 準備は?」


「……大丈夫、多分。落ちたらウィンドで助けてね、ボス」


 自分の胴体にしがみつく橙の腕が今にも浮きそうなのを注意しながら、岩壁に足をかけて呼吸を整える。ニブルヘイムがいるのは、この大空洞のど真ん中に位置する、流砂の下だ。下の階に落ちていく砂の動きによってすり鉢状になったそこに行くためには、この岩壁を下りなければならない。


 この大空洞への道は全部で3つ。もう2階層上の、ある地点から下に開いた穴に飛び降りる――つまり、バカ高い天井からの落下ルートが1つ。


 2つ目は順当にもう1つ下の階層から大空洞へと至る道だが、その道には大量の砂漠赤ムカデがひしめているという悪夢のような問題があった。


 3つ目のルートは元からあったものではなく、自分達が一番初めにニブルヘイムに会いに行く際に、ドルーウ達の惜しみない助力を得ながら無理やり作り出した道だ。

 大空洞の中腹にあたる階層から、一直線に壁をぶち抜いた。途中、小さな水脈に罅を入れてしまったらしく、そのせいでこの道は常に冷たい水が頭上から落ちてくる。


 3階層分の大きさを誇る大空洞の床に、流砂を避けてそれでも地面いっぱいにひしめく、砂漠赤ムカデへの対処をしやすくするための道であり、前回、道を開けるためにドルーウ達と7割のムカデを潰したと思ったのだが……。


「こんな短期間で復活か……キリが無いな」


「ねぇボス! ホントにもう一回ここ下りるの!?」


 下、見てごらんよ! ムカデでぎっちりだよ! と叫ぶ雪花の言う通り、眼下には赤みを帯びた甲殻を持つ、砂漠アカムカデが大小大量にひしめいていた。


 ギリー曰く、最小10センチ、最大で5メートルにも及ぶという。生き物の呼気を検出し、顔面に向かって飛び跳ねる、別名トビムカデとも呼ばれるモンスターだ。ポーション研究の副産物として判明しているが、その体液は熱を加えることにより強い酸性を示し、炎系の魔術で対処しようとすると、遠くからならいいが至近距離では弾けた体液で不意のダメージを負うことになる。


「勿論、討伐だ。一番巨大なものを切り刻め。それを燃やして一気に数を減らす」


 不思議なことに、熱をくわえなければ問題ないせいか、砂漠アカムカデの甲殻は耐酸性を持たない。そのため、巨大なムカデを選んで切り刻み、その体液を燃やして即席の酸爆弾とすれば周りの小さなムカデはどうにかすることが出来る。


 中くらいのものは地道に潰していくしかないが、前よりもスキルも育っている。いいからやるんだ、詠唱しろと雪花を睨めば、よほどムカデが嫌なようだ。前回もノリノリだった弥生ちゃんの影に隠れ青褪めていたのは覚えているが、蜂の時よりも及び腰だった。


「いいから、やれ!」


「えぅ――いぇっさー! 〝せんの色 精霊の色 風の精霊と見紛う色〟!」


 やけくそにでも雪花が詠唱を始めたのを見届けて、自分もフレイムの詠唱を開始する。フレイムの詠唱にトラウマがある橙が、きゅっ、と短い悲鳴を上げて自分の胴にしがみついた。服に顔を埋め、ぐりぐりとこすりつけてくるのを無視して詠唱を噛まずに言い切る。


「【ラファーガ】!」


 風の2番目の魔術が雪花の新調した剣先から放たれる。場所と威力を限定された風の刃が飛び回り、一番巨大なムカデを容赦なく切り刻んだ。細切れになった甲殻が、人工の明かりに閃いて宙に舞う。


「【フレイム】!」


 追って、自分の魔術が唸りを上げてそれを包む。高温の炎を模した魔力が膨れ上がり、アカムカデの体液が強酸となって周囲に降り注いだ。小さなムカデなら跡形もなく。中くらいのムカデも身体の所々に穴を開けてもだえ苦しむ。


「ボス、これムカデって上がってくるんじゃ!」


「無駄口叩くな詠唱しろ! 上がって来させるな!」


 襲撃者の存在に勘づき、岩壁を登ろうとするムカデ達を雪花の高速詠唱が阻む。彼が最も得意とする水の魔術が岩肌を舐るように駆け抜け、這い上がろうとしていたムカデ達を砂の地面に叩き落す。


「やっぱりまだるっこしい。数が多いから、一気に消す――〝熔魔ようまの色 赤竜せきりゅうの色 精霊を伴う朱の炎〟!」


「ちょっと、ちょっと、ちょっと! それここでぶっ放したら――!」


「〝我が魔力は竜の息吹 炎竜えんりゅうが吐く劫火 精霊王の影となる炎〟!」


 雪花の静止を振り切り、何度も何度も草原でぶっ放して熟練度を上げた4つ目の炎の魔術の詠唱を唱え切った。ムカデが雪花の水に押し流され、1か所に落ちていく瞬間、その一瞬に。


「――【ガル・ブラスト】」


 世界を焼き尽くすような炎で、ムカデ達を、それを孕む大空洞を埋め尽くす。橙と赤の入り混じる大火たいかが、岩壁の一部を削り取りながら荒れ狂う。砂漠アカムカデの甲殻が焼けこげ、強酸となった体液が飛び散り、すぐにその体液も膨大な熱量に蒸発していく嫌な音が地下の空洞に反響していく。


「やりやがったなこの野郎! ブラストより酷いもん撃ちやがって!」


「返事はしてない」


 キャラクターさえ捨てて叫ぶ雪花に短く返事を返しながら、持参したマントを掲げて熱波を防ぐ。雪花も詠唱をしながら即座にゴーグルをつけ、同じように朽葉色のマントで熱を避ける。砂竜モドキを全て売り払った金で手に入れたこの防炎マントが、早くも役に立つ時が来ていた。

 炎よりも先にせり上がってくる熱波を防ぎながら、自分がやらかした後始末をつけるべく、優秀な傭兵さんが火消しのための水をぶ。


「〝精霊王の恵みとならん〟【フル・ラドーナ】!」


 自分と同じく4つ目の水の魔術を唱え切り、膨大な量の水が大空洞の底で燃える地獄の炎を飲みこんでいく。焼けただれた岩壁を冷やし、固め、熱波を飲みこみ炎とぶつかり蒸発していく水。

 蒸気もマントで防げるから問題ないが、本来はこんなところで使っちゃいけません、というような魔術だ。勿論、自分もそうだが、雪花の魔術も。


「これ、下にニブルヘイムいたら超迷惑だわ」


「ボスが最初にやったんでしょ! 焼け死にたいの!? 馬鹿なの、ねぇ!?」


 自分だったら苦情ものだわー、とぼやいていれば、雪花の叱責が飛んでくる。子竜達は何が何やらよくわからないが、先程の炎を見てやっぱり自身たちの〝親〟は怖い、と再認識したようだ。

 妙に大人しく、媚びるように鳴きながらすり寄って来る。良い子にしてるから、あんなの撃たないでねというアピールだ。


「良い子にしてたらね」


「してなきゃやるんだ……」


 何を当たり前なことを、と雪花を鼻で笑いながら、すっきりとした空間になった大空洞を見下ろした。あれだけ蠢いていたムカデ達は影も形も無く、新たに這い出して来るものもない。綺麗になったと言いながら背後に控えていたギリーを呼び、その背にまたがりここから降りることを要求する。


『しっかり掴まっていてくれ、準備は?』


「いいよ。橙、ネブラ、動かないで」


 好奇心に任せてすぐにあちらこちらに顔を向ける子竜達を抑えながら、しっかりと手綱を握る。これでも騎乗には慣れた方だが、未だにギリーに乗ったまま段差を下りたりするのは恐怖感がある。上りもそれなりに怖いが、下りはもっと怖い。


 ギリーが背の上の自分達を落とさないように気を付けながら、リズムよく爪と硬質化した爪膜そうまくを引っ掛けながら岩場を下りていく。見た目はリカオンでも、ドルーウという種族は砂漠と険しい岸壁で生きるための進化を遂げている。肉球は確かにあるが、爪の間には硬質化した皮膜があり、それがイワヒツジの蹄のように、わずかなとっかかりに吸い付き、絶壁にも思える崖すら上ることが出来るのだ。


 人間からしたら高いが、ドルーウであるギリーにとってはちょっとした段差扱いだ。すぐに地面に足がつき、上を見上げれば空から声にならない悲鳴つきで巨大な影が降って来る。


「――――」


 悲鳴を上げたくても呻き声すら出ない、といった様子で首にしがみついたまま放心している雪花を振り落そうと、モルガナが勢いよく暴れるが雪花の腕は離れない。モルガナは首を絞められているせいで暴れているようだが、雪花は必死で気が付かないようだ。


『苦しい! 放せ雪花、女子以外が我にしがみつくなど――!』


『そうとう怖かったとみえる』


「そりゃ、ギリー。あの高さからモルガナがジャンプしたら余計に高い所から落下するんだから、怖いだろうさ」


 雪花を乗せたまま、モルガナは勢いよくジャンプして下りてきたのだが、問題はそこに契約者への気遣いが欠片も、爪の先程も無かった部分にある。モルガナは、雪花に何の予告もなく突然横穴から飛び出した。心の準備も何もあったもんじゃない。


 ギリーは紳士的でよく気が付くし、自分を絶対として扱ってくれるからあれだけ気を使ってくれるが、モルガナと雪花の関係はそういったものではない。かといって、信頼が無いわけでもないようなのだが、そこに気遣いは欠片も無かった。


『ふざけるな雪花! 壁に押し付けるぞ!』


 半ば失神しかけているんじゃないかと思うほど、反応がない雪花が未だにモルガナの首にしがみついている。モルガナはそれを振り落そうと余計に暴れ、走り回り、小さくない身体が地面の上を駆け巡る。


 ニブルヘイムが下にいたらさぞや迷惑だろう。最初はムカデの蒸し焼き、酸の雨、次に大水。そこから騒音被害と重なれば、自分だったらそろそろ黙っていられない。


『主、よいのか?』


「うーん、ちょうどいいから、もうちょっと待ってみよう。それでも釣れなかったら、ネブラ、橙、ここで思いっきり遊ぼうかぁ。ねぇ、退屈してたでしょ?」


『ぎゅー!』


 子竜達が声を揃えて嬉しそうな返事をし、自分もそれににっこりと微笑み返す。ついでに独り言のように、しかし独り言にしては大きめの声でこう呟く。


「あー、でもみんなで遊んだら床抜けちゃうかもねー。まー、しょうがないかー」


 棒読みも棒読みのセリフを言い終わるか否かくらいで、真ん中の流砂が奇妙に震えた。まるで、下から巨大なものに突き上げられるかのように、ぶわりと砂が膨れ上がる。異変に気が付いたモルガナが動きを止め、雪花が真っ青な顔のまましがみついていた力を緩めた。


 雪花は半ばえづきながらモルガナの背から滑り下り、もう二度ともっさんと高いところには上らない、と消え入りそうな声で囁く。

 その間にも、まるでマグマのようにぼこぼこと流砂は震え、次の瞬間、間欠泉のようにそれが吹き出した。


「――出てきた」


 正に砂の雨。大空洞に巨大な砂の塊が浮かび、そこから細かな砂が舞い踊るが、体中にその砂を浴びるのを嫌がったネブラが、抗議するように高く鳴き、膨大な魔力が砂を除けるためだけに放出される。

 瞬く間に大空洞には小さな雪片がちらつきはじめ、瞬きする間に吹雪となって空間を支配していく。


 子竜の魔力は膨大で、力も影響力も相当だが、いつも加減はそんなにできない。すぐに砂地の上に雪が降り積もり、一面、まるで豪雪地帯のような白い景色に生まれ変わった。同じく寒いのが好みのモルガナは機嫌良さげに頭を振るが、橙の故郷は本来、熱帯雨林だ。

 突然の寒さと雪に驚き、あわてて服の中に潜ろうとするのを毛布で包んでゆっくりとなだめる。


 依然、宙に浮いたままの砂の塊には亀裂。みしみしと割れるそこから現れるのは、畳まれた黄金色の翼。蝶が羽化するように畳まれた翼が亀裂から生え、ゆっくりと伸ばされていく。翼が伸び切れば固まっていた砂は端からぼろぼろと崩れていき、崩れた端から覗く、鱗に覆われた鼻先から熱い呼気が漏れる。冷えた空間に、白く煙って消えた。


『あぁ、これは……彼女の故郷を思い出しますね』


 アルカリ洞窟群の王者。砂竜、ニブルヘイムの偉容が、砂の塊から顕現していた。




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