第八十話:たとえ、それがゲームでも



 大自然と、人々の営みを愛している。


 例えば、太陽が地平線に顔を出す時。

 草を食む野生馬ムスタングが、透明な眼差しで頭をもたげ、空を駆けあがろうとする灼熱の星を見やる。低い位置からの光は長大な影を平原に落とし、夢のような一時ひとときを演出する。


 例えば、若葉にたまる朝露。

 抜けるような青空と新緑を写し、それは緑と青のコントラストで彩られる。そこに在る色がどうしても欲しくなって指に乗せると、それは透明なまま地面に落ちて、消えていく。


 例えば、砂漠での夕暮れ。

 砂の海に半ば埋まる、死んだコヨーテのあばら骨が、何ともいえない郷愁を呼ぶ。肋骨のあいまに咲いた花が、それが心臓になり今にも生き返りそうな鮮やかさで、陽光に赤くひらめく。


 例えば、低く傾いた巨月と街。

 薄暗く迷路のような路地裏を走って抜ければ、どん詰まりの壁に人狼の影が映り込む。しかし、巨大な月も空へ上がるほどに小さくなり、静かな秋風が街路を吹き抜ける、あの奇妙な物寂しさ。




 五感を研ぎ澄ませてみてほしい。誰にでも、そういったものをキャッチするアンテナがあることを、一生に一度は知ってほしい。


 一つ一つは、本当に些細なこと。ちょっと視線をやって、目を逸らすのではなく、ほんの少し意識を向けるだけで、世界は瞬く間に白黒から極彩色になる。


 でも人々は意外とそれを知らないのだ。ほんのちょっとでいいのに、そのちょっとがわからないし、気が付けない。


 なら、誰かが手助けをしなければならない。

 こんなものがあるぞ、こんなに素晴らしいものがあるぞ、ちょっとだけ目を向けて、言葉にしがたい思いを抱いてみないか――。


「――竜が、ユニコーンが、グリフォンがいた時代を、現代の人達にも映像として伝えたいんだ」


 現実世界で失ってしまったものたちが、仮初にも復活した、この【Under Ground Online】で。





















第八十話:たとえ、それがゲームでも





















 始まりの街、エアリスの統括ギルド。竜の旗が揺らめくもと、壮大な自身の夢をゆっくりと語り終えた男が、抱えた感情を持て余すかのように、熱い情熱の息を吐いた。


 簡素な木のテーブルと椅子、剥きだしの岩壁。行きかう人々。視界の中にあるそんな情報を全て押しやり、男の言葉は自分達の脳裏に、雄大な大自然を想起させていた。


 平原の夜明け、朝露滴る森林、夕暮れの砂漠、自然のものだけではない暗闇に埋もれる、どこか遠い国の街。それらが目まぐるしく脳裏に思い浮かんでは消えていく。


 情熱を持って語られる言葉は、人の心を揺さぶると聞いたことはあったが、実体験したのは初めてだった。


「意外でしょう。初めて私に会うと、皆そんな顔をするんだ」


「……正直、もっと俗っぽい方かと」


 茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべながらの言葉に、思わず本音を呟けば、男は快活に笑って見せた。


 リアルでいても違和感のないような、茶色交じりの短い黒髪。少しだけ吊り目の顔には、30後半くらいの年齢を感じさせる皺があるものの、ぱっちりとした大きな目が、少し幼い印象をもたらす。


 身長は平均程度だが、スポーツでもやっていたのか筋肉質で、肩幅がある。そのせいで少し圧迫感があるのだが、それも柔らかそうな雰囲気で上手く馴染んでしまっていた。


「――ええと、改めまして。今更ですけど、募集をかけていた〝投刀塚なたづかとぶさ〟さん、ですよね?」


 実名かな? それとも偽名かな? と微妙なラインの名前を口にしながら、そう問えば、朶さんははっきりと頷いた。


「うん、そうだよ。【ぐらてれ】撮影の為のアルバイトを募集していたのは私だ」


「よかった。自分の名前は〝狛犬〟、こちらは――」


「〝雪花〟です。あー、よろしくお願いします」


「こちらこそ。こんなところですまないね。もっと気の利いた、洒落た店でも探しておけば良かったんだけど……」


「いえいえ、あの、それで……募集に制限とかは?」


「制限? ああ、ないない。寧ろ、人が来なくてもう5時間も此処にいるんだよ。いやぁ、ちゃんとした人が来てくれてよかった」


 いくらVRでも長時間座りっぱなしはきつくて、とぼやくとぶささんは、本当に憔悴した様子で肩を回す。


「そんなに人来ないんですか?」


「皆ね、もうパーティーが決まり始めてるんだよね。まだ決まってないのって、もうソロでいくつもりの人ばかりだから。今更、団体行動とかしようとしないみたいで」


 それでなくても癖の強い人が多いから、と言いながら、朶さんは一枚の書類を差し出してきた。契約書、と簡潔に書かれたそれには見覚えがある。武器屋で銃の強化をする際に、自分も店員と交わしたものだ。


 契約書の一番下には、朱色の文字でこう書いてある。


「……〝汝、約束を違えるべからず〟」


「そ、ちらほら物見遊山で来た人も、これ見せるとびびって帰っちゃってね」


 冷やかしを除けるのにも使えるとはね、と笑いつつ、朶さんは受けてくれるなら、熟読の末にサインを、と静かに言った。

 ざっと中身を確認し、これは雪花に見せたら止められるなと思い、さりげなく雪花の足に爪先を引っ掛けて転ばせてやった。


「いった!」


「道中の護衛かと思ったんですが、ある意味それより危険ですね」


「そうだね。私の目で見た風景を、そのまま映像として売り出したいんだ。でもその為には、よほど近くに接近しないと意味ないからね。それのサポートともなれば、危険度は高いね」


「これは……本当に近くまで。それこそ、触れるほどに接近、ですか」


「そう。臨場感のある絵を撮りたい。技術とかそういうものよりも、危険な場面でも怯まない強い心臓の方が価値がある。いくら死に戻り出来ると言っても、根源的な恐怖心は消えない。けれど、土壇場で私を置いて逃げられちゃ困るんだ」


 それはそうだ。誰だって、捕食者の前では足が竦むものだ。陸鰐の撮影とか、本当に怖いだろうな、と思いつつ、起き上がろうとする雪花の背を踏みつけて抑えながら、自分はそれにサインをした。契約書を朶さんの前に滑らせ、無言で確認を求める。


「――うん、確かに。では、出発予定日は黄麗おうれいの伍月の、三王の儀式の映像を撮ってからだから」


「三王……」


 あの黒猫も、獣王も来るのだろうか、この街に。いや、来るのは来るだろうが、もう会うことも無いと言われた側としては、どういう面持ちでその儀式を見ればいいのか。

 そんなことを考えながら、ついでにサインという既成事実も作り終わったことだし、雪花を抑えていた足をどけてやる。


「いや、待って! 他に、注意事項とかは?」


 ろくに確認もせずにサインしてしまった自分にぎょっとしていた雪花が、慌てて朶さんに詰め寄るが、もう遅い。


「「いや、もうサインしたし」」


 予想外にかぶった台詞に、自分と朶さんは顔を見合わせ、そして同時に肩をすくめる。


「ボス!」


「いいだろ、別に。死ぬわけじゃないし」


「そーそー、ゲームなんだから楽しくやろう、雪花君」


「いやだって、ホントはもっと危ないだろ!? 隠さないで見せ……ボス、邪魔しないの!」


「じゃ、私は準備とかあるから。契約成立ってことで、よろしく!」


「はい、では当日に」


 颯爽と契約書を回収し、夢を語っていた時の爽やかさは無く、あざとそうな表情で朶さんは瞬く間に統括ギルドを出ていった。


 あー……、と唸る雪花を座らせ、自分は組んでいた足を組み替える。責めたいけど責めかねる、という視線を向けてくる雪花だが、意思決定権は自分にあることに違いはない。傭兵だと言い張るのだから、存分に貴方の犬ですプレイを続けてもらおう。


「結局なんて書いてあったの?」


「ああ、このバイトすっごく危険ですよー、自己責任ですよー、てのと」


「と?」


「最高のスリルを約束します、ってさ」


 最高のスリル。そう言われたら、行くしないだろう。そう、自分はスリルを求めている。このゲームを始めて数日。自分でも予想以上に、VRに、いや【Under Ground Online】にのめり込んでいる自覚があった。


「ああ、本当に楽しい……! こんなに楽しいことがあるなんて、知らなかった!」


 口角が吊り上がる。指先が温かくなってくる。現実に横たわる身体に宿る心臓が、ドクドクと音を立てて脈動している。血流の音が耳朶に響いている。呼吸がしづらくなるほど、期待に胸が詰まっている。深呼吸をしながら、自分は勢いよく統括ギルドの椅子から立ち上がった。


「行くぞ、雪花」


「へーい……」


 最高の映像を求めての、危険な密着取材。しかもその全てが生放送ともなれば、気分的にも状況的にも、最高のスリルが待っている。


 知名度もこれ以上に欲しい。もっと有名になりたい。上から見下ろすのは気分が良い。当然だ、人々の羨望の視線は、いつの時代でもどんな場所でも、最高のステータスとして語られる。


 掲示板で語られる快感はもう病みつきだ。【ぐらてれ】は子竜達に次いで、自分の知名度を上げるのに大いに活躍してくれるだろう。


 勿論、自尊心を満たすためだけに竜を育てるわけでも、朶さんの理想に付き合うわけでもない。そこに、自分にとっての価値を見出したからこそ、やるのだ。その行動に知名度が付いてくるなら、言うまでもなく最高じゃないか。


「有名になりたい、って公言する人珍しいよ?」


「そうかな? きっと誰だって、心のどこかでは思ってるよ」


 そう、誰だって有名になりたい。誰だって憧れの目で見られたい。そこに謙虚さはほんの少しでいい。過ぎた謙遜けんそんなんて他人から見たら鬱陶しいものでしかないのだから。


 どうせなら、誇るべきだ。自分はそこに至るべくして至ったのだと。そういう努力をしてきたのだと。そこにいることは、正当な対価なのだと。


「行けるところまで行くんだ。目指せランカー! 有名人!」


 気合を入れて、自分達は意気揚々と統括ギルドを後にする。いつか竜の背に乗り、ランカーと呼ばれ、果てない夢の頂に立つために。それはただのゲームだと、たとえそう言われても。


 楽しかったのだから、満足だと胸を張って言えるように。



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