第七十六話:名前のついた魂

 


第七十六話:名前のついた魂




「このモンスターとの契約を神に誓いますか?」


「誓います」


「あなたは、その命に責任があることを、理解していますか?」


「はい」


「では、この魂に――名前を」


「名前は――」




 〝だいだい




 ――全てを焼き尽くす炎ではなく、優しい心を持って育ちますように。


















































 名前には、願いが込められている。


 それが意識的であったにしても、無意識的であったにしても。どんなに適当につけた名前であっても、それは何かしらの意味を持つ。


 名は体を表す。


 名前は魂につけられる。名付けられた魂は誰かの願いを背負っている。だから、きっとこの名前にも意味がある。字面だけでは説明できない、自分の願いが込められている。


「だから、だいだい


「……いやまぁ良いけど。客観的に見ると、それ白い犬に白って名前をつけるような――」


「死にたいのか雪花」


「素晴らしい名前に俺感激。もう一生ついていきたいネーミングセンス」


 エアリスの中央近くに位置する、一番最初の死に戻りの地。単に教会と呼ばれるこの建物も、死に戻りシステムの一端を知っていると、思わず視線が床の下、地下深くにいってしまう。


 そっと銃身に手を添えて、射線から逃れる雪花が嫌そうに唇を曲げながら下がった。自分のつけた名前に異議を申し立てたように見えたが? と聞けば、滅相もありません、と白々しい返事が返ってくる。


 調子よく首を横に振って見せる雪花から視線を橙に戻し、銃を仕舞いながらその頭を撫でてやれば、くぅ、と嬉しそうに鳴くのが可愛い。

 濃い橙色の鱗の上に輝く、漆黒の金属の輪。仮契約中の人間がいることを証明する首輪が、教会の照明を反射してきらめいているのが、どことなく誇らしい。


「よし、橙。ギリーが迎えに来たら、お前の兄弟を迎えに行くぞ」


 両腕でしっかりと抱えあげ、橙と目を合わせればキョトンと首を傾げてくる。所用で武器屋へ行ってもらっていたギリーが来れば、統括ギルドまではあっという間だ。

 色々と不愉快なこともあったが、こうして橙も無事でいるわけだし、もう闘技場に近付く用も無い。中途半端に呼び出してしまったニブルヘイムには後日、謝りに行けばいいだろう。


 あれも本当の意味での切り札を切る前に、だいぶ残念な形で退場することにはなったが、また今度、活躍の場があることだろう。

 そんなこんなで、橙をあやしながら教会の椅子の上で遊んでいれば、立ったままギリーを待つ雪花が腕組みしながら難しい顔で教会の奥を見やる。


「……ボス、奥の神官長からめっちゃ睨まれてるけど」


「犯罪者は早く帰れって言ってたしね。別の意味もあるみたいだけど」


 先程、仮契約の儀式を執り行った神官長は、未だに橙に触れなかったことが恨めしいらしい。さっきから用事も無いようなのに、奥から橙を見るためにあっちへ行ったり、こっちへ行ったりと忙しない。


 竜の子はこの大陸においては本当に価値が高いらしく、教会は本来、指名手配中のプレイヤーなんかがいるともっと厳しいらしいのに、腕の中に竜の子供がいるというだけで、随分と柔らかに対応してくれる。


「狛犬様、おいでになられましたよ」


「ああ、どうもありがとうございます」


 柔らかく微笑む教会のシスターが、入り口から顔を覗かせるギリーを指して声をかけてくれた。エアリスの人々は、どのNPCもモンスターに対して寛容で、友好的な態度を崩さない人が多い。


 シスターが言うには、これが橙の故郷であるはずのオルバニア大陸であれば、モンスターはほとんどが亜人達の敵である、という認識だし、竜なんて悪のモンスター達の親玉、という扱いらしい。もし、そちらの大陸に行くことになれば、注意が必要だろうとありがたい忠告を受けた。


「ギリー、どうだった?」


 シスターにお礼を言いながら、ギリーを建物の中に手招きする。尾を振りながらのっそりと入って来るドルーウに、ぎょっとする者もいるものの、すぐに慣れてそれぞれの用事にかかりきりになる。

 のそのそと自分に歩み寄るギリーに、頼んでいた用はどうだと聞いてみれば、申し訳なさそうに丸い耳が伏せられる。


『一月はかかると言われた。出立までには、到底間に合わないだろうと』


「ありゃ。災難だねぇ、ボス」


「ふむ……まぁ、魔弾だってそうぽんぽん撃てるわけじゃないしな。仕方ないだろう」


 魔弾用大型リボルバー:ニブルヘイムの修理をするために、ギリーに銃を例の武器屋に届けてもらっていたのだが、伝え聞いた結果は微妙によくないものだった。


 たった1度、わずかな間の召喚でも、武器にはかなりの負担がかかるようだ。まあ、確かにあんなものがぽんぽん使えたらゲームシステム的にも問題だろう。今回、ニブルヘイムの魔法が未使用という不完全な召喚として終わったにも関わらず、修理に一か月もかかるらしい。


「デザートウルフの威力は十二分に引き上げられているし、当面はこれで良い。魔弾の貯蓄に励もう。今後の予定はもう1頭が生まれてから決めることになるが、正規サービス開始と共にエアリスを発つことに変更は無い」


「具体的な目的は?」


「【ログノート大陸スピード横断。マップ作製の旅】。この企画に参加して、マップのおこぼれを確実にいただく予定だ」


「ああ、あの企画かぁ。俺らの悪名で一体どこにねじ込んだの?」


 苦々しい表情で唸る雪花に1枚の紙切れを差し出す。紙には、「白金貨10枚積める方、経歴不問」と書かれている。勿論、金には困っていない自分達にとって、10万フィートでログノート大陸全域のマップが手に入るなら、何の問題も無い。


「マップ情報は統合可能なことは実証されてる。後は、グループ毎に一定の地区を回り、自動マッピングされたデータに、手動で細かい動植物の分布を記していけばいい。他の組の情報も得られるし、安全にセーフティーエリア外を回れる。単独よりも安全度は高いはずだ。肉の盾は多い方が良い」


「仲間じゃなくて肉盾扱い……あ、魔王さんとかは? 行くの?」


「ルーさんやフベさんとかの一部のプレイヤーは、エアリスに残って初心者達にポーションとかを安定して供給する予定らしい。NPCとも協力して、動いているそうだ。地図作成組に資金援助をする代わりに、フベさん達にもマップ情報が送られるとか」


 元々、ルーさんは初心者補助を自負しているプレイヤーだ。正規サービスが始まって、物価がえらいことになるかもしれない、となれば、逃げだそうではなく、そうならないように全力で手を打とう、という結論に至ったのだろう。


「崇高な活動だという理解はある。ただ、自分達は逃げさせてもらおう。街に残るには、子竜が2頭もいる現状、不安要素しかない」


「餌の調達もこの周辺では難しい、しねぇ。あいさー。了解しました。長旅の準備をすりゃいいわけね」


「正規サービス後、おそらくエアリス周辺では初心者を狙ったPKが爆発的に増える。それを狙い撃って懐を温かくしてからの出発だ。その準備もするように」


「おっけ、狩りの期間は?」


「おそらく3日ほど。3日でPKは収束する」


 はっきりとそう断言した自分を不思議そうな目で見ながら雪花が首を傾げ、立てた人差し指を振りながらちょっとだけ考え込んだ後、自分でも発言を整理するようにゆっくりと推論を並べてくる。


「それは……魔王さん辺りがNPCと手を組んでいることと関係がある?」


「いぇす、と答えとこう。狩りの期間は2日だ。それで出来るだけ搾り取って、長旅に出よう」


 フベさんがあんまりにも嬉しそうに語っていた内容を、外でべらべらと喋るのは問題があるだろう。さとい雪花に言い含めるのは楽なことで、頷いてからギリーの毛皮を撫で、雪花はじゃあ、と腕を上げる。


「俺は剣を新調してくる。……経費で落ちる?」


「稼ぎによる」


「あいさっさー……」


 肩を竦め、楽しそうに教会を出ていく雪花を見送って、自分もさて、と立ち上がる。少し細工を施した鞍に橙を乗せ、自分もギリーと共に教会を出てからその高めの背に乗り込んだ。


 手綱を握り、振るうだけで思うがままにギリーは動く。闘技場での話を伝え聞いたNPCが橙を憧れの色で振り返る中、統括ギルドへと向けて走り出す。


 だいぶ大人しくなった橙は、ギリーをいたく気に入っているようで、彼に乗っている間に騒いだりしたことがない。ギリーも歳の離れた弟のように橙を可愛がっているし、安心して子守を任せられるのは非常に心強いものだった。


 橙が嬉しそうに声を上げる中、あっという間に目的地には辿り着く。統括ギルドのロッカーの中には、もう1つの問題。

 砂竜、ニブルヘイムの落とし子が宿る卵を持ち、再びアルトマンの所へと駆けてゆく中、2頭飼育への不安がむくむくと持ち上がる。


「……橙、兄弟だぞ、ほら」


『ぐ?』


 まるでわかっていないように首を傾げる橙に溜息を吐きながら、自分は再び寂れた木の扉を叩いた。



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