-602話 『大魔王 ―図式―』

 ある日の夕方。


「明日! ふ、二人で……二人だけで遊びに、い、行ってくれませんか!」


 泥人形へ向かって、女生徒が顔を真っ赤にして言う。

 これはつまりデートのお誘いである。


「うん、いいよ。それがキミの望みなら」


 泥人形のあっけない承諾。

 しかし女生徒は拍子抜けする余裕も無く、ただただ純粋に喜ぶ。涙さえ流している。


 ただし泥人形がデートをするのは、この女生徒が初めてでは無い。


 休みになるたび、誰かしらと行動を共にしている。

 泥人形は先約が無ければ、必ず承諾してくれるのだ。まさに早い者勝ち。

 気が多いのでは無い。

 単に、皆の望みを叶えているだけだ。

 

 だから女性とデートをする時もあれば、男性とデートする時もあるし、男女複数人で遊ぶ時もある。

 スポーツの助っ人や、写真の被写体、勉強会参加なんかも。

 引っ張りだこである。




 そして次の日。今回のデート。

 水族館を見物し、ショッピングで小物を買い、そして今は公園で花の香りを楽しんでいる。

 楽しんで――


「――楽しい……ですか?」


 女生徒が心配そうに、泥人形へ尋ねた。


 彼女は自分に自信を持っていないタイプだ。

 常に泥人形の顔色を伺い、気を遣っている。

 そんな彼女の様子を、泥人形も興味深く伺う。


「キミはどう?」

「た、楽しいです! とっても!」

「良かった。キミが楽しんでいるのなら僕も楽しいよ。キミの望みを叶えるのが、僕の生きる意味なのさ」


 泥人形は、魅力的な笑顔を作る・・

 そして耳触りの良い台詞。声。吐息。

 女生徒は頬を朱に染めつつも、泥人形の優しすぎる言葉に、何故か幾許の不安を感じてしまう。


「あの、プロトタイプくん……」

「なんだい?」

「…………わ、私の望みを……叶えてくれるだけじゃなくて……」


 女生徒は躊躇ためらいがちに、モゴモゴと口を動かした。

 そして、意を決して言葉を紡ぐ。


「あ、あなたの望みを……あなたの望みに……私が、あなたの望みを叶えてあげたい……」


 その言葉に、泥人形は無言で微笑んだ。

 女生徒は「緊張して上手く喋れなかったせいで、意図が伝わっていない」と勘違いし、ますます顔を赤くする。


「な、な、な、なんでもないでひゅ!」


 と、結局伝えるのを止めてしまった。


 しかし心配せずとも、女生徒の真意はきちんと通じている。

 泥人形は理解したうえで、何も言葉を返せなかったのだ。

 女生徒の言葉に戸惑った訳では無い。勿論、ときめいた訳でも無い。


 今後の約束を交わすことが出来なかったのだ。

 嘘になってしまうから。人形は、あまり嘘が好きでは無い。

 どうして嘘になるのかと言うと、とてもシンプルな理由がある。



 もう今後二度と、彼女には会えないから。



 そして二人は、その後もしばらく花の香りを堪能し、帰路に着いた。

 



 ◇




 まるで地鳴りのような、己の強い心音が聞こえる。


「…………」


 目の前の闇。背後の闇。

 大魔王というあだ名を持つ、ただ人より少し優れているだけの人間――ギェギゥィギュロゥザム准教授は暗い自室のデスクに腰掛け、怯えるように背を丸くしていた。


 暗闇の中で見えるのは、目の前にある娘の写真。そして自身が書いた『魔術学書』。

 この本の中には、娘がいる。閉じ込められている。


 あの子は困った事や楽しい事があるたびに、幼い声で父親を呼んでいた。

 お父さん、お父さん、と。

 そんな時いつも大魔王は強面の顔に笑みを浮かべ、娘を……




「お父さん」



 

 いつものように、泥人形が自分を呼んでいる。大魔王は息を荒げた。

 ゆっくりと振り向き、恐る恐る泥人形を確認する。

 いつもの人形の姿。少しだけほっとする。少なくとも、娘の顔はしていない。


「お父さん。三日経って、考えが変わったんじゃないかと思ってね」 

「……吾輩は……」


 泥人形の言葉を聞き、また鼓動が早くなる。


 娘を蘇生させるかどうか。

 そのために、他の宇宙へ行く覚悟があるか。

 人形は、それを聞いているのだ。


 答えは決まっている。

 蘇生の話を初めて聞いた時、逃げるように部屋から立ち去ってしまったのは、「混乱している今の自分では冷静な判断を下せない」と考えたからだ。


 そうやって一旦冷静になり深く考えてみたが。

 やはり、結局心は変わらない。


 大魔王は質問への返答を省き、いきなり本題に入った。


「……どうやって、別の宇宙に行くというのだ? 吾輩はそんな都合の良い術を知らん」

「僕も具体的な方法は知らないよ。猫くん・・・から教えて貰った『真理の一部』にも、それは書かれていなかった」


 猫くん……フィクスとルミナレスの力。

 あれには、別宇宙の知識が詰め込まれていた。


 泥人形は「猫くんは、宇宙を越えてやって来た力なのかもしれない」と思っているが、確証は持っていない。

 宇宙を行き来した訳では無く、単に『別宇宙の本を読める』という能力なだけかもしれない。移動では無く、覗き見るだけ。

 その可能性の方が高い気がする。

 何故ならば実際に今現在、こことは違う別の宇宙から――亜空間から自分を覗き込んでいる『誰か』の視線を感じるからだ。



 まあ実際、猫くんは宇宙を越えていた訳だが。

 ただそれは今どうでも良い。


「でも安心してお父さん。宇宙を越える方法に心当たりがあるんだ」


 泥人形は、微笑みを作った。


 心当たりの情報源について、大魔王へは具体的に説明しなかったが……

 それは先日感じた、「『運を操る強い力』に影響を及ぼしていた『もっと強い力』」を元にした推測である。

 あの『もっと強い力』は、明らかに宇宙を越えていたのだ。


「大きなエネルギーが必要なのさ。強大なエネルギーを手に入れて……多分『一点に集中させる』とかかな? とにかくそれで時空に歪みが出来て、別の宇宙に行けるかもしれない」


 泥人形はそう説明しながら、同時に考える。

 おそらく、あの『もっと強い力』はそんな強引な方法では無く、何かしらの複雑な理論に基づいて宇宙を越えていたのだろう。

 だが泥人形はその理論を知らない。知る方法も無い。

 なので、『もっと強い力』よりもっともっと強い力を手に入れて、無理矢理こじ開けるしかない。

 

「もしくは一点集中以外の方法かもしれないけど。何にせよ、大きなエネルギーを確保するのが第一歩だね」

「……行き当たりばったりであるな」

「ふふっ。学者であるお父さんには、無計画さが鼻に付いちゃうかもしれないけどね」


 そう言って泥人形は床に落ちていたペンとコピー用紙を拾い上げ、壁をテーブル代わりにして絵を描いた。

 丸や四角、婉曲した線。何やら幾何学的な模様の集合。


 ささっと描き上げた紙を、机上にある娘の写真の横に広げた。


「これをどうぞ。お父さん」

「……………………貴様、これは」


 大魔王はしばらく眺めつづけ、ようやくこの絵が何を意味しているのかを悟った。

 ただし概要は何となく理解出来るが、細部は理解出来ない。


「さすがお父さん。すぐに気付いたようだね。これはお父さんが考えた『統括魔力の四元素(地水火風)への同時複合変換、および破裂消滅』の理論を応用させたモノさ」


 元々は「地水火風、四つの魔法を同時に発動すると、出したはずの魔法が消滅し、代わりに大きなエネルギーを得る」という理論を示した方程式。

 泥人形が描いたものは、その方程式を絵で表した図式である。

 しかも『応用系』。四つの魔法どころか千の魔法を同時に発動出来る式。


 そう、『発動出来る』のだ。

 ただ絵で説明しているだけではない。

 この図式を使って、実際に魔法を使える。


 本来これほどの理論を実装するには、大掛かりな機械が必要。

 それを、ただ一枚の絵で可能にしている。

 恐ろしい程の効率化。


「さあお父さん。この絵に両手を乗せ念じるんだ。それだけで大きなエネルギーが手に入るよ」

「だが……だが、これは……」


 大魔王の額から大量の汗が落ちる。

 喉や唇がカラカラに乾き、声が擦れる。


「千もの魔法を同時に扱うには、当然起動動力スターターとして膨大な魔力が必要になる……が、これは……これを発動するには……」

「うん、そうだね」


 泥人形は朗らかに相槌を打ち、窓へ近付きカーテンを開けた。

 光が部屋へ差し込む。


「今のお父さんの望みは、真理を追い求める事では無くなっちゃったけど。でもどちらにせよ今の目的を達成するには、真理を得る必要があるのさ」


 三階の窓から外を見下ろすと、学生達の楽しそうな姿。


「真理を追究するためには、どうしようもなく莫大な犠牲を伴っちゃうものさ。もしかしたら他の方法もあるかもしれないけど、でも僕は知らない」

「しかし……こいつは……」

「この宇宙ステーション。そしての惑星。全ての命を使っちゃう。それだけの事さ。あ、全てと言ってもお父さん以外だけどね」


 泥人形は窓から空を見上げ、「それに犠牲なんかが有った方が『ソレっぽい』でしょ?」と悪戯っぽく笑った。


「勿論、これでも全然足りないかもしれない。だから別の惑星。別の銀河。皆の命を使っちゃおうよ」

「ダメだ、ダメだダメだダメである! そんな犠牲……あまりにも、多すぎるだろう!」


 大魔王は机を叩き、大声で怒鳴った。

 部屋の外、廊下にまで声が響き渡る。

 歩行していた学生達が驚き、大魔王の部屋のドアを一斉に見た。


 しかし泥人形は怯みもせず、淡々と語る。


「あなたの望みを叶えるための、必要な因子ファクターだよ? でもどうやら、踏ん切りが付かないみたいだね」

「必要だと? こんな、こんな……」


 大魔王は、学生や同僚たちの姿を思い出す。

 いくら娘のためだとは言え、代わりに彼らの命を奪うだなんて……出来ない。してはいけない。

 確かに、娘とはもう一度会いたい。また抱きしめたい。

 だが、だが……


「はっ……はっ……はっ……はぁ……はっ……!」


 呼吸が出来ない。

 頭が痺れるようだ。

 考えが纏まらない。


「……違う。駄目だ。それは駄目だ……吾輩に、そんな権利は……」




「お父さん……助けて……お父さん……」




 娘の声が聞こえた。

 泥人形の姿が、声が、娘になっている。

 苦しそうに、泣いている。




 そして大魔王は、本当に大魔王になった。

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