-800話 『大魔王 ―望―』
大魔王の想定以上に賢くなってしまった、先進機能型
彼の運動能力もまた、想定以上であった。
今も実験として、地球のテニスに似た球技をやらせている。
「うん、そろそろ慣れてきたかも?」
と言って泥人形が、ネットを挟んだコート上にいる男子学生へ向かって、ボールを打ち返した。
学生は「おぶぉ!」と奇声を上げ、気合いも入れ、ボールを更に打ち返す。
この球技。ルールは概ねテニスだが、ボールがバスケットボールサイズ。ラケットは木製バットのような棍棒。
打ち返す時に手首を痛める選手が続出。中々危険……というか、欠陥があるスポーツ。
観戦としての人気はあるが、プレイヤー人口は少ないタイプだ。
「ふふっ、楽しいね」
「ぐあぉっ」
泥人形の打ち返したボールを拾えず、男子学生が盛大に転んだ。泥人形に一点追加。
こんな攻防が、既に十回繰り返されている。人形が十点。学生は零点。
人形はこのスポーツを今日初めてプレイしてみた。それなのに圧勝している。
学生が下手な訳では無い。それどころか学生世界大会の準優勝経験者であり、宇宙ステーション内では一番上手いと言える。
学生が手を抜いている訳でも無い。油断一切無し。初心者相手でも容赦無く、最初から全力だ。
泥人形はこの実験の前にも短距離走、長距離走、サッカーのペナルティーキックに似たスポーツ、同じく卓球に似たスポーツをやっている。そしていずれにおいても、人間離れおよびゴーレム離れした非常に優秀な成績を残した。
そんな相手に手を抜けるはずがない。
つまりこのテニス学生準チャンピオンは、泥人形に対し己の得意分野で真っ向から実力で挑み、容易くねじ伏せられてしまったのである。
「ううむ……どうしてここまで高性能になってしまったのだ? 解せぬな」
スポーツ実験を監視しながら、大魔王――ギェギゥィギュロゥザム准教授が首を捻っている。
その隣に立っている同僚が、感心しながら大魔王の肩を叩いた。
「他のノロマなゴーレム達とは大違いだな。いずれの競技に関しても、今すぐにでもプロになれる……いや、プロ相手にも楽勝で勝てそうだ」
「ううむ……」
唸る大魔王。
実験の手伝いをしている学生も、
「大魔お……いや准教授。先進機能型
と意見を言った。
「ルールもすぐ理解したし。立ち方、走り方、道具の持ち方なんかも、開始一分で熟練者のソレになりました」
彼はこの球技のファンだった。観戦専門ではあるが。
そんな彼から見ても、泥人形の佇まいはまさにプロ級。
「おいおい、これ『他のゴーレムより性能が高い』どころか、運動神経や学習能力――知能も、人間を越えてるんじゃないか?」
「うむ……」
同僚の言葉に、大魔王は顔をしかめた。
泥人形が『想定を遥かに超えて優秀』な事に、創造主である大魔王は頭を抱えている。
何故ならばこれは学術的研究。
予想に反して低性能過ぎるのも困るが、理由が分からずに高性能というのもまた困る。
そうやって大魔王達が見届ける中、テニスは続いた。
更に泥人形に点が入り、ついにゲームセット。
テニスに似ているが点の数え方は違う。十五点先取した者の勝ち。
そして今回の勝者は泥人形。相手に一点も許さず完封だった。
悔しがる学生準チャンピオン。
「ちくしょおー!」
「ありがとう、楽しかったよ。ふふっ」
泥人形は台詞上では笑いつつも、表情をまったく変化させていない。
その結果、図らずもクールキャラっぽい佇まいになっており、
「きゃーきゃー! プロトタイプくーん!」
「素敵!」
ミーハー気質な女学生から、注目の的となっている。
もちろん彼女達も、本気で恋している訳では無い。映画や漫画のキャラクターに夢中になるような、娯楽的感情に近い。
泥人形はあくまでも泥人形。魔法で動いている、ただの土だ。
「女にばっかり媚びやがって! 軟派な男め!」
「おうおう! このスケベ野郎!」
見学していた男子学生の間から、嫉妬と冗談半々に混じっているヤジが飛んだ。
ヤジを飛ばしたのも、テニスに似たスポーツの選手である。
バスケットボールを棍棒で打ち返すような、荒々しい力任せのスポーツ。そのプレイヤーの気質も、やはり多少なりとも荒々しい。
女性にちょっとだけ奥手な、硬派な男達である。
彼らはひとしきりヤジを飛ばした後、「ガハハハ」と豪快に笑い、ベンチに座った。
すると、
「媚びてるように見えたかな?」
「……おあっ!?」
一番大きなヤジを飛ばした学生の、すぐ後ろ。
ベンチの背もたれ越しに、泥人形が話しかけた。
「お前、え……いつの間にここにっ!?」
泥人形はまるで瞬間移動したかのように、いいや、実際にベンチまで瞬間移動して来たのだ。
ヤジを飛ばした男子学生達が驚く。
他の学生達、そして教職員達も驚く。
そして何より、大魔王が驚いた。
「今、何をどうやったのだ? 超スピード? いや……」
ぶつぶつと呟きながら、テニスコートを撮影していたビデオカメラを巻き戻す。
その映像を見ると、『コートに立っていた泥人形が、突然消えた』。ただそれだけ。何も分からない。
一方、泥人形に背後を取られた学生達。
恐怖を感じながらも見栄が邪魔して今更謝れないという、難儀な状況に陥っていた。
「そ、そうだ。媚びてる! お前は男らしくねえ!」
「な、なあ。へへっ……」
男子生徒達は泥人形とは目を合わせず、不安を紛らすような虚勢の笑みを浮かべている。
「へえ。そう見えちゃうんだね」
泥人形はやはり全く表情を変えずに、意外そうな声を出した。
ヤジに怒っているのではない。皮肉を言いに来たのでもない。
ただ『媚びる』と言われた事に対し、純粋に戸惑ったのだ。
自分が知っている『媚びる』の意味と、先程までの状況は合致しない。
言葉の認識を修正しないといけないのか……いや違う。
知能の高い泥人形は、すぐに理解した。
なるほどこの場合の『媚びる』は事実に則していなくとも良い。
ただ
そして人間は――と括ってしまうのは早計か。とりあえず目の前にいる男子学生達は、『嫉妬したら相手を揶揄う』性質があるのか。
どうして嫉妬したのかというと、泥人形が女性徒達から声援を貰っていたから。つまり異性絡みの羨望。
まあ、嫉妬すると相手を殺してメスを奪う野生の獣達よりは、遥かに可愛いと言えるだろう。
泥人形は右手を伸ばし、ヤジを飛ばした男子生徒の頬を優しく撫でた。
そして、出来るだけ柔らかい口調で言う。
「でも、僕は女だよ?」
その言葉に、生徒達が固まった。
「え……っ!?」
「じょ、冗談だろ!?」
……しかし、確かにこの人形が『男である』と明確に確認していた訳ではない。
中性的な外見。中性的な声。
単に一人称が「僕」であるので、男だと思い込んでいただけ。
本当は女でも、おかしくはない容姿……であるとも、言えなくもない……が……
困惑する学生達の前で、人形は「ふふっ」と笑顔を
先程学生達が虚勢を張って笑ったのを見て、笑顔に少なからず『不安を紛らす効果』があると学習したのだ。さっそく実践してみる。
「なんてね。今のは半分だけ冗談だよ」
泥人形の笑顔は美しく、愛らしく、皆をますます魅了した。
秀麗な容姿も相まって、不安を消す効果も抜群。
男子生徒達はホッと脱力し、へらへらと言葉を返す。
「半分って何だよ」
「僕は男でもあり、女でもある。どちらでも無いと言うのが正しいかな。泥だからね。それに……」
そう言って泥人形は、着ているスポーツウェア、胸の部分を指でつまみ引っ張った。
細い腰とヘソが、ちらりと見える。
「この泥の体は、好き勝手に作り変えられるんだ」
「お、おおぉ……~!」
男子学生達が驚嘆と興奮の声を上げた。
人形の胸が風船のようにみるみる膨らみ、巨大な二つの膨らみへと化した。
腹回りは更に細くなり、ヘソの横に
つまり完全に女性の身体。
「触ってみるかい?」
「な、な、な、なな何を!?」
泥人形はふざけるように、ヤジを飛ばした男子学生の手を握る。
「胸を。お腹を。唇を。どこでも好きなところをさ」
「お、え、あ、え、い、わ、あ、いいいい!?」
硬派とは名ばかりの、子供と大人の境目にいるピュアな男達。
彼らは顔を上気させ、手をわなわなと震わせた。
「はぁはぁはぁはぁ……ええ……」
泥人形の豊かな膨らみへと目掛け、ゆっくりと手を伸ばす。
その柔らかさを今まさに体験しようとする、その直前。
「冗談だよ?」
「「「「ですよねー!」」」」
生徒達がさっと腕を引いた。
彼らの顔に、安堵と、照れと、残念だという気持ちが混ざって一斉に浮かぶ。
「ごめんね、遊び過ぎちゃったかな?」
「うお……」
泥人形は悪戯な顔を
触れられた生徒の呼吸が、荒く乱れる。
「ふふっ。続きはまた今度……」
尚も挑発的な台詞を口に出し、学生達の反応を
しかし一旦言葉を止め、テニスコートの方へ顔を向けた。
その視線の先では、
ガシャン、と風に飛ばされた看板がガラスに当たる音。
テニスコート横にある建屋の窓が割れた。
そして、
「きゃああっ!」
耳をつんざく悲鳴。
テニスの後片付け途中で、泥人形の行動に目を奪われ立ちすくんでいた女生徒。
運が悪いことに、彼女の顔目がけて大きなガラス片が落ちたのだ。
「め、目……い……あぅ……えう……」
女性徒の右眼球に、周りの骨を砕きながら、巨大なガラスが付き刺さっている。
目が潰れるだけでなく、明らかに脳にまで達している傷。
魔法や科学と同様に、医学も発達している社会。
しかしそれでも、脳への怪我は致命傷だ。
予期しない突然の事故。
その場にいる全ての
一番最初に正気に戻ったのは、大魔王こと准教授。
「おい、救急車を呼ぶのである!」
大魔王は隣に立つ同僚の背中を叩き、命令した。
同僚は叩かれた痛みで我に返り、「お、おお!」とすぐに電話をする。
そして大魔王の大声で、他の生徒達も徐々に事態を把握した。
大魔王は上着を脱ぎ、怪我をした女性徒へ駆け寄る。
「あう……ぅぅあ……」
「医者が来るまで、目に触れてはならん!」
脱いだ上着を縄のようにして、女生徒の腕を縛り上げた。
これ以上、傷口を刺激しないようにするためだ。
一部の学生は大魔王の意図を察し、一緒になって女生徒の手足を抑える。
「う、う、うがああああ!」
女生徒は唸り、激しく抵抗する。
脳に怪我をしたせいだ。自分が何をやっているのか、どういう状況にあるのか、理解出来ていない。
ただ『痛い右目をどうにかしたい』という一心で、腕を伸ばそうと暴れる。
「うわあああ! あああああ!」
「うぬぅ……誰か、治癒魔術の道具を持っておらぬのか!」
大魔王の問いかけに、運動部の生徒達が慌てて治癒道具を取り出した。
しかしあくまでも応急処置用。
気休めになるかどうかも怪しく……
「キミの望みは、その痛みを取り除くことかい? それとも、視力を取り戻すこと?」
いつの間にか、泥人形が傍に来ていた。
大魔王は泥人形を睨む。
「人形、貴様は黙っておれ!」
「ご、げぁ……」
「そうか。なるほどね。それが一番スマートな方法だね」
大魔王が怪訝な顔をする。
もはや言葉になっていない、女生徒の呻き声。
しかし泥人形はまるで、そんな呻き声の真意を理解して会話しているようだった。
「キミの望みは『痛みは消え、視力も戻り、脳の損傷も無くなり、そして傷跡も残らない』。つまり『この事故を無かった事にしたい』。ふふっ、欲張りだけど確かに
そう言って泥人形は空を見上げた。
膨らませていた胸はしぼみ、元の『男にも女にも見える』身体へと戻っている。
目を閉じ、ゆっくりと呼吸をする。
大魔王や学生達は、泥人形の謎の行動に目を奪われた。
「……
「うぁ……え……ばぅう……」
「あはは。でも大丈夫、要は結果がお望みに近ければ良いんだよね」
泥人形がそう言って、女性徒の顔を指差した瞬間。
女生徒の目に刺さっていたガラスが、分子レベルで粉砕され、消えた。
更に、潰れた目玉が元に戻った。損傷した脳も元通り。後遺症無し。
噴き出ていた血も、そして肌の傷も綺麗さっぱりと消えてしまった。
「……え?」
学生や教職員達が目を丸くする。
当の少女も、信じられないといった表情で、自分の顔をペタペタと触っている。
そして大魔王は、
「……うぬぅ……!」
と唸る。
即座に悟った。これもまた泥人形の『想定していない力』の一部。
ここまで高等な治癒魔術を、何の道具も無しにやり遂げたのだ。
「あの……プロトタイプくん」
「うん。よかった、これでもう痛くないね」
「はい……! あ、ありがとう……」
女性徒は顔を真っ赤にし、礼を言った。
テニスの試合中は、遊び半分で黄色い声援を上げていた少女。
だが今の彼女の潤んだ瞳には、確固とした恋の色が浮かんでいる。
「お礼なんていいさ。だって僕はキミ達の奴隷人形なんだからね」
泥人形は笑顔を
「僕は、キミ達が望んでいるモノを何でも叶えてあげたい。それが僕の存在意義なんだ」
その場に居合わせている生徒、教職員、企業の研究者、マスコミ関係者、騒ぎを聞き駆け付けた警備員、その他。
皆が一様に鼓動を速くした。
泥人形の言葉に、胸を震わせた。
◇
学内。
大魔王の個室。
「初めてだね。お父さんが僕をここへ呼んでくれるだなんて」
「……うぬぅ」
その言葉通り、大魔王が泥人形を部屋へ招き入れるのは、これが初めてだった。
部屋に招いた用件はただ一つ。
いや正確には「瞬間移動や治癒魔術をどうして使えるんだ?」と聞く用件もあるが……
それより今伝えたい言葉は、一つだけ。
「今日は、吾輩の生徒を救ってくれて……感謝する」
「お礼なんていいよ、お父さん。僕がああしたかっただけだからね」
「……すまなかったな。最初に失敗作だなんて言って。謝るのである」
伝えたい言葉が、途中で増えて二つになったが……
ともかく、これで伝え終えた。
泥人形は無邪気な笑顔で、創造主の言葉を受け入れる。
本人は誰にも言わなかったが……大魔王が泥人形の顔を見て「失敗作だ」と言ったのには、造詣が気に喰わないという曖昧な理由では無く、もっと明確な理由があった。
泥人形の顔に、面影があるのだ。
大魔王の死んだ妻、そして死んだ娘の面影。
妻がまだ若かった頃の顔に少し似ている。
そしてもし娘が成長すれば、おそらくはこんな顔になるかもしれない。
二人は大魔王が『魔術学書』を
泥人形の顔がどことなく妻子に似てしまったのは、大魔王自身が無意識の内に
妻と娘。いなくなってしまった二人の姿を、つい人形に投影してしまった。
それに自分で気付き、己の弱さを見せ付けられる感覚に陥った。
だからこそ、人形を失敗作だと決めつけ処分しようとしていたのだ。
魔王とあだ名をつけられ、魔王のように図太く、変人気質な男。
しかし態度とは裏腹に、繊細な魔術理論を組み立てる一面もある。
その内面も、やはり繊細な部分があったという訳だ。
「ところで人形。今日の瞬間移動は……」
大魔王は照れを誤魔化すように、別の話題を振ろうとして、
「……っ!?」
泥人形の顔を見て、言おうとしていた台詞を忘れてしまった。
「お父さん。何故驚くんだい?」
「き、貴様……その声、その顔……」
大魔王が泥人形の存在を肯定したことで、ますます
人形の顔形や声が変化したのでは無い。
ただ大魔王が、そう『認識してしまう』ようになっただけ。
面影が残っている、というレベルを越えている。
幼いまま死んでしまった娘であるため、成長した姿は当然だが誰も知らない。
しかしそれでも思ってしまう。理解してしまう。
泥人形の顔。
それは紛うことなき、二十歳前後に成長した娘の顔。
「もしかして、僕を見るのが辛いの?」
そして声。
これも、娘の声だ。
「ごめんね。ただこれは、お父さん自身が望んでいるんだよ」
泥人形は小さく首を傾け、自分の胸に右手を当てる。
柔らかな膨らみに、手の平が埋まった。
「でもこの姿はただのサービスさ。だってお父さんの『本当の望み』は、別にあるからね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます