93話 『弟は姉から逃げられない』

「うぁぁ……違うぞ……私はオトナだよぉ……」


 桜達が去り、更にそれを追う大衆もいなくなってしまったファミレス店内。

 未だ九蘭百合はテーブルに突っ伏し、悪夢にうなされていた。

 ファミレス内に残っている人々はヒーロー登場の余熱に興奮しているため、眠っている子供(に見える大人)には見向きもしない。


 とは言え完全に気付かれていないわけではない。

 百合を目覚めさせようと、話しかける者達もいた。


「おーい、起きろ百合。お~い」

「起きてよ百合ちゃん」

「ヤダぁぁぁ……オトナなのにぃぃぃ……」

「駄目だコイツ起きないわ」


 と呆れているのは、殺し屋組織グロリオサの構成員数名。百合の親戚である。

 彼らはカラテガールが出没したとの情報を受け、情報収集および監視するためこのファミレスへとやってきた。すると何故かそこには、熟睡している百合がいたというわけだ。


 大世帯でやってきたグロリオサ達のほとんどは、ヒーローを追いかけるため霧化して外へ出て行った。

 だが百合をこのまま放ってもおけないので、少数だけこの場に残っている。

 親族は百合の小さな肩を掴み、「おいコラ」と揺らした。


「むにゃ……チーズフォンぢュ、私は初めて食べるよ……んぐぐ……ニンジン固いね……おいひい……」


 しかし百合は起きない。

 悪夢から吉夢に変わったようだが、それはともかくやっぱり起きない。


 キューちゃんの妖術は、ちょっとやそっとでは解けない。

 睡眠妖術は魅了チャームとは関係ない、軽い素質さえあれば妖怪どころか人間でも使える技術。

 しかし、キューちゃんの妖術はその練度が違った。魅了チャームの魔力に数千年影響され続け、体内エネルギーが莫大に成長しているためだ。


「むにゃにゃにゃ……でも私は教師だから……ダメだよ……」


 というわけで百合は、このままでは丸一日以上眠り続けてしまうのである。


「何でこんな熟睡してるんだ。薬でも盛られたのか……? だがまあ仕方ない、持って帰るか」

「でも誘拐犯と間違われない? 小さい子供担いでたらさ」

「確かにな……まあ百合は、お前より年上なんだけど」


 途方に暮れるグロリオサ達。

 するとそこに、一筋の黒い霧が漂ってきた。霧はそのまま百合の顔を覆う。

 それを見た殺し屋達は、目を大きく開いて辺りを見回した。


家長いえおさが来ているのか?」


 この黒い霧は、九蘭琉衣衛るいえ特有の術だ。

 グロリオサの霧は習得当初淡い緑色なのだが、技を磨くにつれ色が濃くなっていく。

 そして琉衣衛の霧は、夜のような漆黒。


 その黒き闇が、百合の鼻腔をくすぐった。


「くちんっ……」


 小さなクシャミ。それと同時に百合にかかっていた睡眠妖術が解ける。

 グロリオサの霧に込められているエネルギーが、妖術を打ち消したのである。


 百合は右手で鼻をこすり、寝ぼけ眼で顔を上げた。

 するとそこには、一緒の屋敷で暮らしている親族達の顔。


 どうして親戚がいるんだろう?

 というか、ここはどこだっけ?

 確か私は、真奥くんと知らないお姉さんと一緒にファミレスへ来て……しかし、彼らはどこに行ったのだろう?

 そう言えば私のメロンパフェは?

 っていうか、この目の前にある黒いモヤモヤは……


「…………うにゃあっ!?」


 そこで百合はようやく家長の黒い霧に気付き、一気に目が覚め叫んだ。


「百合、やっと起きたか」

「百合ちゃんネボスケだ。子供らしいね」

「こ、子供ではない! それよりどうして家長の霧が……それに真奥くん達はどこに……そして伯父上達は何故ここに……?」


 混乱し何が何やら分からない百合。

 子供のようにあたふたしていると、黒い霧が振動し、グロリオサにしか分からない信号が送られて来た。


『百合よ』

「い、家長いえおさ……!?」


 信号の主は九蘭琉衣衛。

 百合はテーブル席から立ち上がり、ぴしりと直立する。


「家長、この近くにおられるのですか?」

『そうだな、まあ近くと言えば近くだ』


 とはいえ百合や親戚達が想定している『近く』とは認識が違った。

 彼はファミレスから数キロメートル離れた真奥家縁側にて、茶を飲みながら霧と信号を送っている。


『それより百合よ、お前の生徒――輝実てるみくんが、狐の妖怪に攫われてしまったぞ』

「き……狐の妖怪オバケぇ!?」


 攫われた云々という部分が、多少事実と異なるのだが。

 とにかく子孫にそう伝え、九蘭琉衣衛は小さく微笑んだ。




 ◇




「待ちなさ~い。あたしの命令に逆らったらどうなるか、分かっててやってんでしょうね~?」


 と、朗らかな笑い声で叫びながら、桜がテルミを歩いて・・・追いかけている。

 笑い声……なのだが、どうしてか聞いてるだけで背筋が凍る。


「見逃してください!」

「ダメよ~。うふふ~」


 テルミは自分より背の高いキューちゃんを抱え、息を切らしながら走っている。

 腕と腰と腿の筋肉が悲鳴を上げ始めていた。

 しかし桜を振り切れない。駆け続けるしかないのである。


「後ろからゆっくり歩いて近づいてはるわ……いや、やっぱ走って……いややっぱ歩いて……ううん……ゆっくり歩いてはる……ように見えるんやけど……あれれ?」


 キューちゃんはテルミの首に抱き付き、迫り来る桜を確認している。

 桜はのんびり遅々とした歩みで追いかけているのだが、全力疾走しているテルミと一定の距離を保っていた。まるで騙し絵のよう。


 そして更に自転車やバイク、自動車で、桜とテルミを追いかけている報道陣や野次馬。

 この姉弟喧嘩は全国ライブ中なのだ。

 ただこの追う者追われる者の二人が実の姉弟であるとは、まだ誰も気付いてはいない。


「キミキミ、どうして逃げているのですか!?」

「その着物の女性は、カラテガールいわく悪の怪人らしいのですが!?」


 オートバイでテルミと並走する報道関係者達が、マイク片手に話しかけて来た。


「怪人ってなんどす、ひとを犯罪者のニンゲンみたいに! 失礼やなあ! わらわは由緒正しき妖か」

「撮影はお断りしています……ッ! それに片手運転はやめましょう!」


 テルミはキューちゃんの迂闊な台詞を遮り、ますますの混乱が起きる事を避けた。

 そして「ふうっ」と息を整える。

 このままでは収拾が付かない。せめて車やバイクが入れない狭い路地に入ろうか。


「キューちゃんさん、強く掴まっていてください」

「えっ、えっ、えっ? へぇ……」


 九尾の狐としても、いつまでもテルミに抱っこされている必要はないのだが。

 しかしこの突然のシチュエーションをまだ把握し切れておらず、とりあえず指示を素直に聞く。テルミの首へ回している腕に、力を入れた。

 その感触を確認したテルミは、息を止め一気に駆ける。そのまま速度を落とさず、無理矢理な体勢で直角に曲がった。


「わっ、わっ、わっ! お兄はん、危ないなぁ!」


 体がふらつくが、キューちゃんはしっかり掴まっていたおかげで振り落とされなかった。そして二人は裏路地へ侵入。


「ま……おい、待って!」

「キミ、インタビューさせてぇー!」


 乗り物ではそれ以上追えなくなり、報道陣は自らの足で追う事にした。

 しかし車やバイクから降りる動作中に、テルミは更に路地を曲がる。曲がる。七回も曲がった。報道陣が気付くと既に少年の姿は無い。

 なんとか振り切る事が出来たのである。


 ……が、


「あら奇遇ねえ。そんな大きくて邪魔な荷物を持って、一体どこへ行くのかしら?」


 八度目の角を曲がった先に、黒い姿のヒーローが待ち構えていた。

 桜の聴覚、嗅覚、そして瞬間移動並の機動力から逃げられるはずが無かったのである。


「姉さ……」

「な、なんやカラテガール! いつの間に……ひゃうっ!?」


 ドンと大きな音を立て地面が揺れた。

 桜が軽く・・足踏みしたのである。足元から地割れが発生している。


「……あの、話を聞い」

「随分楽しそうに、お姫様抱っこしてるじゃない?」

「ええと……」


 同じ流派の武術家同士、そして姉弟同士。だから良く分かる。

 桜は今、本気で怒っている。

 誤解であるとは言え、『弟の交際関係にブチ切れる姉』というのも中々理不尽なのだが……とにかく怒っている。


 その強い怒りの気に当てられ、テルミは気が遠くなりかけた。

 下唇を噛み、どうにか堪える。


「とにかく、その妖怪女をこちらに渡しなさい」

「なんやなんや、わらわをモノみたいに言いはって。よう思わん! ふーん! ふーん! ええわ。カラテガール、わらわが喰い殺したるわ!」


 キューちゃんはテルミに抱き付いたまま啖呵を切り、


「……ところでお兄はん、そろそろ降ろしておくれやす」


 と、耳元で懇願した。

 しかしテルミは首を横に振る。ここでキューちゃんを降ろして引き渡すわけにはいかなかった。

 人間相手ならまだしも、今回の相手は妖怪。今の冷静ではない姉は、キューちゃんを結構エグい目に遭わせてしまいそうである。


「キューちゃんさんは渡せません」

「いやちょっとお兄はん、降ろしてって」


 桜は弟へ尋ねる。


「どうしてテルちゃ……少年が、そんな妖怪に肩入れするのよ?」

「せやせや。お兄はん、とにかく降ろ……」


 そこでキューちゃんはテルミと目が合い、一瞬言葉を忘れた。

 柔らかい笑顔を浮かべ、母親のような瞳を自分へと向ける、この少年。


「友達だからですよ」


 ファミレスで一度食事しただけなのだが、人懐っこいテルミにとってはそれで充分。

 妖怪だろうが獣だろうが、もう友達。


「…………えっ、えっ、えっ?」


 そしてその少年の言葉は、何故だか九尾の胸を高鳴らせた。

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