87話 『弟とこども先生と狐』

「すみませんん、テルミくん。わ、私はこれで失礼しますぅ」

「はい。お手伝いありがとうございました、いずなさん。生徒会活動、頑張ってくださいね」

「え、えへへ」


 柊木いずなは生徒会の会議があるため、掃除の途中で帰って行った。次期生徒会を決める選挙が近いため、色々と忙しいらしい。


 ――生徒会選挙。


 桜は二年前の丁度この時期、当時まだ一年生だったのにも関わらず、上級生達を押し退け生徒会長に就任した。そこから二年。ついに真奥政権の崩壊。

 高飛車お嬢様生徒会長の弟という事で好奇の目で見られていたテルミも、ついに解放されるのだ。これからは単に『ジャージ姿で放課後掃除して回っている人』という目、もしくは『男子の恰好してる女子』という勘違いの目で見られるだろう。


「新しい生徒会長か……真奥桜さん以上の能力を持つ会長は、中々現れないだろうけどね」


 九蘭百合がしみじみと言った。

 姉を褒められ、テルミは「ありがとうございます」と礼を言う。


「まあ桜さんも、いつも取り巻きを引き連れているのがちょっと怖かったけど」


 一言多い九蘭先生。

 彼女は思った事をつい口に出してしまうのである。


「ともかく、掃除を終わらせてしまいましょう」


 テルミはそう言って、ちり取りの中身をゴミ箱に移した。

 助っ人の柊木いずなは帰ったが、既に今日の清掃活動は殆ど終わっている。

 残り作業はゴミ箱内のゴミ袋を交換し、古い袋を捨て場へ持っていくのみ。


「よおし、ゴミは私が持っていくよ。真奥くんは先に帰りたまえ」


 百合は腕まくりし、テルミを見上げながら「フンス」と胸を張って年上ぶった。

 そして早速ゴミ袋の上を縛り、箱から出そうとする。


「大丈夫ですか先生。この袋、かなりパンパンにゴミが詰まっていますが」

「なあに平気さ。だって私はオトナだから……お、オトナ……オトナー!」


 持ち上がらなかった。


「ふんぬぬぬぬぬー!」


 百合は手足をぷるぷると震わせ、顔を真っ赤にしてさらに力を入れる。が、やはり持ち上がらない。


「ぜえ、ぜえ……ど、どうしてこんなに重いんだい……」

「どうやら、大量の紙が捨てられているようですね」


 一枚一枚は軽い紙だが、隙間なくぴっちり数百枚重ねると凄まじい重さになるのだ。


「やはり僕が持ちますね」

「あ、ああ……」


 百合はゴミ箱から離れ、場所を譲った。

 重い袋をテルミは軽々と持ち上げる。百合は「おおー」と子供っぽく驚嘆した。


「女の子みたいだけど、やっぱり男の子だな。真奥くんは」

「あ、ありがとうございます。一応鍛えていますので」


 女の子みたい、という部分は聞かなかった事にする。

 もう一度言うが、九蘭百合は思った事を何でも口に出してしまう迂闊な性格なのである。


「はぁ、しかし……私は、やっぱり駄目だな……ダメダメだ……伯母上の嫌味を思い出す……うぅ……」


 またもや落ち込んでいる先生。

 その姿にテルミは母性を刺激され、百合の頭にポンと手を置きゆっくりと撫でた。

 教師を子供扱いしてはいけないと思っていたのだが、つい無意識に、とうとうやってしまった。


「そんな事無いです。先生はとても頑張っているじゃないですか」

「うん……ありがとう真奥くん」


 百合は顔を赤くし、テルミの掌を頭頂で感じながら俯いた。

 そこから数秒後、百合はやっと頭を撫でられた事に気付く。

 そしていつものように「うわー駄目だ駄目だ私は教師なのにい!」と喚き出すのであった。




 ◇




「高い高いなのれす!」

「わー……高ーい……くふふ」

「ワンワンキャンキャンキャウゥン!」


 異次元にある妖怪の屋敷。その広い庭。

 巨大で首の長い恐竜――ブラキオサウルスが、莉羅とチャカ子を頭の上に乗せはしゃいでいる。


「高いれしょう! 高いれしょう!」

「高-……い」

「そうれしょうそうれしょう!」

「ワンワンワオーンキャウン」


 ブラキオサウルスは、大狸の妖怪レンが変化したものである。

 落ちないようにシートベルト付きの親切設計恐竜だ。


「わーい……」

「キャウウウウン」


 莉羅は楽しんでいるが、チャカ子は恐怖で子犬の姿に戻ってしまっている。

 高いビルの壁を駆け登る程のアクロバティックな犬神だが、他の妖怪に身を任せた状態で高所に上がるのは怖いようだ。


「おいおい、莉羅ちゃんを怪我させんようにしときんさいよ」

「分かっているのれす木綿さん。莉羅たんだけは安全第一なのれす」

「ウチも! ウチの事も怪我させないようにしときんさいでありんすワン!」

「わー……い」


 どうして莉羅が妖怪達と遊んでいるのか。

 特に理由はない。ただ遊んでいるだけだ。


 ただ一つ。この『異次元で遊んでいる』という特異な状況による弊害はある。


 異次元と言っても、ここは出入り口がはっきり分かっている場所。莉羅お得意のテレポートで『普通の空間』と『異次元』を行き来する事は可能である。

 また『異次元』から、千里眼で『普通の空間』にいる特定の人物を探り当てる事も可能だ。逆も然り。


 しかし、別の得意技であるテレパシーは難しい。

 次元を跨ぎテレパシーを送ったり、思念を感じ取ったりする事は不可能なのだ。

 正確に言うのなら、姉の魔力を借りれば次元を超越したテレパシーも可能なのだが……常に姉から魔力を借り続けると言うのも身がもたない。


 更に留意したい点として、莉羅はいつも常に家族全員の『感情の揺らぎ』をテレパシーで受信している。

 もし大きな揺らぎがあった場合、千里眼で状況把握し手助けに入るのである。


 つまりテレパシーが使えない今、兄達にピンチが訪れても莉羅は分からないのであり……




 ◇




 そして兄は今まさに、ピンチを迎えようとしていた。


「お兄はんお兄はん。わらわは古都から来た旅行者なんどすけど、ちょいと道を教えておくれやす」

「は、はぁ……あの、ここは学校のゴミ捨て場なんですけど……」

「おほほほ、かなんわー。いけずやわーお兄はん」

「いや、えっと……」


 兄のピンチ。それは学校内で変なお姉さんに絡まれる事である。


 そのお姉さんは、数百万円はするであろう西陣織の紅い着物を身に纏っている。しかしせっかくの高級な着物だが、胸があまりにも大きすぎるため少々アンバランス。ある意味贅沢な着こなしである。

 そんな巨乳お姉さんが、どうやったのか、部外者は入れないはずの学内ゴミ捨て場に迷い込んだらしい。


「オホン! ちょっとキミ、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」


 テルミと共にゴミ捨て場へ来ていた九蘭百合が、教師の威厳を見せるべく前に出た。

 しかし着物のお姉さんは怯みもせず、笑顔で百合の頭に手を置く。


「あらまあ、かいらしい小学生どすなあ」

「なっ!? わ、私はオトナだ! 撫でるな無礼者! むぎー!」


 地団駄を踏む二十六歳。

 その姿はお姉さんの言う通り、完全に小学生であった。


「まあまあ先生、何やら道が分からずお困りのようですし」


 テルミは教師をなだめながら言った。

 どこまでもお人好しである。


「それで、どこへ行きたいのですか?」

「あらお兄はん、お優しいどすなあ。でも髪に糸クズが付いとりはるわ。なんやおっちょこちょいやねえ」



 そしてお姉さんは、テルミの頭に手を触れた。



「……? ええと、ありがとうござ」

「ふっ……ふふ……おーほっほっほっほ!」


 突然お姉さんが、着物で圧迫されている胸を大きく揺らしながら高笑いをした。

 唖然とするテルミと百合を前にして、お姉さんは言い放つ。


「体の一部に触ったったでイザナギの子孫! さあ、わらわの命令を聞くんどす! 三べん回ってえてこのフリして、わらわの足の指しゃぶりなはれ! ほれほれ、おーほほほ!」


 一応説明しておくが、この着物のお姉さんは畿内きないの妖怪大将こと九尾狐狸精こりせいキューちゃんである。

 彼女はテルミを『ドツキ回す』ため、わざわざ東京まで出張してきたのだ。

 まず手始めに魅了チャームの妖術により、テルミを下僕にしてしまう計画。


 ……のはずであったのだが。


「…………えっと……どうしました?」


 冷静に言葉を返すテルミ。

 当然のように、回ったりモノマネしたり足を舐めたりはしない。


「あ、その声と喋り方……あなたもしかして、九尾のキューちゃんさんですか?」

「……えっ? えっ? えっ? わらわの術……えっ?」


 キューちゃんは「わっ! わっ!」と驚きながら、再度テルミの体をぺたぺた触った。

 しかしやはりテルミの態度は変わらない。

 百合が精一杯背伸びをしながら、「やめたまえ! キミは痴漢か!」と怒鳴っているが、キューちゃんには聞こえない。


 トキメキの夢がふいに脳裏をよぎる。

 あの勇者と同じ顔であるテルミ。

 もしや、この男子は……


「ちゃ、魅了チャームが……効かないんどすか……?」

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