-454話 『ドスケベ魔王と真面目勇者~トキメク恋かもしれない編~』

「勇者が魔王を守る……か」


 カルドゥースは、潰れた黄色い狐のヌイグルミに向かって呟いている。

 刻は既に深夜。しかし彼女は眠らない。眠る必要が無い。

 そして少し離れた部屋では、勇者チェルトがベッドに入っている。彼は眠る必要がある。


 カルドゥースは茶を一口飲み、今日の出来事を思い出した。


「勇者と名乗るだけあって、強かったんだね」


 落下する壁を真っ二つに斬り、自分を救ってくれた勇者チェルト。


「チェルト…………チェルト、か……チェルト……チェルト。ふふっ」


 勇者の名前を繰り返し呼んでみる。

 何度も口にした後、ハッと我に返り、


「何を言っているんだか、私は」


 と首を横に振った。


 そしてまた勇者の姿を思い浮かべる。

 土壁を豆腐(正確には、この惑星にある豆腐に似た食品)のように斬ったチェルト。

 あの鋭い剣撃は、カルドゥースの目でも追えず……



「……ん?」 



 そこでカルドゥースは違和感に気付いた。


 剣を目で追えなかった。見えなかった。

 チェルトの剣筋が分からなかった。


「ま、待てよ……あの時……」


 勇者と初めて出会った日を思い出す。



 まず軽い会話。

 次にカルドゥースが勇者へ近づき、魅了チャームをかける。

 だがその魔法は効かず、勇者が斬りかかって来て……カルドゥースは、その剣を軽く避けた。

 

 そうだ。

 勇者チェルトが最初カルドゥースに攻撃した時は、あのような鋭い剣撃では無かった。

 それはつまり、


「わざと、避けられるように攻撃していた?」


 どうしてだ。

 まずは様子見として手加減したのだろうか。

 それとも、女性には本気を出せない性格なのか。


 もしくは……いや、これは今更考えたくないのだが……


「……もしかして、彼にもバッチリ効いているのか……私の『魅了チャーム』」


 その台詞を口にした瞬間、カルドゥースの胸が激しく鳴った。




 ◇




 その可能性に気付いたら、いても立ってもいられなくなった。


 確かめたい。

 確かめたくない。

 怖い。

 安心したい。


 様々な気持ちが渦巻いている。

 カルドゥースは混乱しつつ、勇者チェルトに貸している部屋へと足を運んだ。

 大きく息を吸い、扉をノックする。


「チェルト、まだ起きているかい?」

「ああ。今から寝ようと思っていたところだ」


 部屋の中からチェルトが扉を開ける。

 彼の顔を見て、カルドゥースの心臓は更に激しく鼓動した。


「何の用だ?」

「あ、ああ。実は……だね。その……」


 言葉が上手く出ない。しどろもどろになる。

 堂々たる普段とは違うカルドゥースの様子に、チェルトはキョトンとした。


「ええと……手を……」


 やっとそれだけ言えた。

 彼女の言わんとする所を理解し、勇者は素直に「分かった」と右手を出した。

 カルドゥースはその手を握り……


「おおっ……?」


 チェルトの全身に、ふわりと浮くような奇妙な感覚が走る。

 そしてカルドゥースにしか聞こえない、「パキン」と何が弾けるような音。

 彼女はこの音を何度も聞いた事がある。疑いようが無い。


「やはり、キミは…………って、いた……か……」


 喋れない。

 声が霞む。



 想像通り、チェルトは『魅了チャーム』にかかっていた。



 彼はその真面目な性格と責任感により、カルドゥースへの恋心を隠していただけ。

 魅了チャームへの耐性など無かったのだ。

 そもそも抵抗できるような能力では無い。


 だからこそ、最初の斬り合いを手加減していたのだ。

 だからこそ、一緒に住もうという唐突な申し出を受け入れたのだ。

 だからこそ、毎日カルドゥースの分まで料理を作っていたのだ。


 だからこそ、カルドゥースの危機を救おうとしたのだ。


「そっ、か……ふ、ふふっ……」


 カルドゥースの頭が真っ白になった。

 気を抜くと床にへたり込んでしまいそうだ。

 唇を噛みしめ、堪える。


 そして勇者も、突然魔法・・が切れて戸惑っている。


「俺は、今まで何を……?」


 自分の掌を見て、頬を触り、現実かどうか確かめている。


「カルドゥース、どうして俺はお前と……? いや、待て……なんだ、この……」

「チェルト……聞いてくれ、私は」

「……お、俺は……」


 カルドゥースの言葉を聞かず、勇者チェルトはフラフラとした足取りで部屋から出る。

 壁に手を付きながら、廊下を歩き出した。

 

「あっ……」


 カルドゥースは勇者の歩みを止めようと、右手を伸ばし……途中で思い直し、手を引っ込めた。

 右手の平を左手で包み、寒がるように小さく震える。


 そしてチェルトは、城から出て行ってしまった。


 カルドゥースは、しばらく立ち竦んでいたが、


「……さよなら、勇者さん」


 そう小さく呟き、自室に戻った。

 椅子に座り、冷めきってしまった茶を飲む。


 思い浮かぶのは、チェルトの顔ばかり。


 彼と出会い、生まれて初めて焦った。

 生まれて初めて嬉しくなった。

 生まれて初めて苦しくなった。


 これは何だろう。

 私は、どうしてしまったのだろう。


 そして今、生まれて初めて泣きたくなった。




 ◇




 一夜明け、カルドゥースはボロボロになったヌイグルミを片手に、城の中を散歩していた。


「この広い城で、私はまた一人きりだね」


 なんとなく調理場に入ってみた。

 手入れされた包丁や鍋が光っている。

 今日の朝食用に準備していたのであろう、卵と野菜が置かれていた。

 チェルトがここにいた痕跡が、確かに残っている。


「ふふっ、バカだな私は。魔法を解く必要なんて、無かったのに」


 ふと思い立ち、カルドゥースはヌイグルミをポケットに入れた。

 台所に立ち、料理をしてみる。

 卵を割り、野菜を切る。

 それら全てを鍋に放り込み、適当に味を付けながら炒めてみた。


 グチャグチャだが、皿に盛ると多少は見栄えが良くなった。

 しかし食べずとも分かる。


「……あまり、美味しくないね」


 本来なら、完成した料理をテーブルまで運ぶ所。

 だがカルドゥースは、料理をコンロ横のスペースに放置したまま、自分だけテーブルについた。


 そして考える。


 もうこの星にいたくない。

 更に多くの権力者達を誘惑し、互いに争わせ、破滅への時期を早めてしまおうか?

 とも思ったが……だが、そんな気にはなれなかった。


 どうしてだろう。

 この星に、あの男がいるからだろうか。


 厄災の象徴であるカルドゥース。

 その心を、掻き乱す存在。

 彼が……



「そうだなカルドゥース。味付けがイマイチだ」



 突然話しかけられ、ぼんやり呆けていたカルドゥースはビクリと体を震わせた。

 振り向くと、一人の男がコンロ横の料理を味見している。


「チェルト!?」

「塩を一摘みだけ入れるとするか……バターも絡めて……うん、少しはマシになった」


 彼は皿に盛った料理を全て鍋に戻し、味付けし直している。

 一見すると、料理にいそしむ少女。

 それは勇者チェルトの、いつもの姿だった。


「ど、どうして……キミは……魅了チャームの魔法が切れて……」

「知らないな」


 チェルトは無理して低い声を出しながら、皿に料理を盛り直し、カルドゥースの前へと運んだ。

 一目見ただけで分かる。美味しくなっている。


 チェルトは自分用の皿にも料理を盛り、カルドゥースの対面に座った。

 いつもはそのまますぐに食べ始めるのだが、今日は二人目が合ったまま、料理に手を伸ばさない。


「…………俺は」


 気不味い空気を打ち破り、チェルトが口を開いた。


「魔法なんて関係ないんだ……俺は、最初に一目会った時から、お前を……」

「わ、私を……?」


 カルドゥースは、若干裏返った声で相槌を打つ。

 自分でも分かる程に、彼女の顔は上気している。


 だがチェルトは台詞の続きを言わず、腰に携えている鞄に手を突っ込んだ。

 中から一つの物を取り出し、カルドゥースに見せる。


「これ……お前に買ってきたんだ。昨夜は突然飛び出して、すまなかったな」


 それは狐のヌイグルミだった。

 昨日潰れてしまった黄色いヌイグルミと同じ形、そしてピンクの色違い。

 わざわざ町へ行き、探してきたのだろう。


「ピンク色しかなくてな……昨日破れてしまったヤツも、俺が直してやる」

「私に、これをくれるのかい?」


 カルドゥースの問いに、チェルトは頷く。


「ああ。この狐、好きなんだろう?」


 その言葉に、カルドゥースは「ふふっ」と笑った。

 ポケットから黄色いボロボロの狐を取り出し、ピンクの新しい狐と並べる。


「うん。そうだね」


 そうだ。理解した。

 胸のモヤモヤ。この気持ち。

 ずっと、追い求めていたモノだ。


 トキメクとは、どんなカンジなのだろう。

 それは今、感じている心。


 私は、目の前にいる男が…… 



「好きだよ」



 女帝の胸が、トキメいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る