52話 『姉のとにかく力技』

「にーちゃん……」

「……莉羅りら?」


 テルミがまぶたを開くと、目の前に妹がいた。

 そしてその隣にも二人の少女。


「無事だったかテルミ!」

あにさん! あにさん!」

「テルミ! テルミ! テルミ!」

あにさん! あにさん! あにさん! あにさん!」

「テルミ! テル」

「ちょっと、黙って……」


 興奮気味のコウとチャカ子に、莉羅が苦言を呈す。


 テルミは周囲を確認した。自宅の近所、よく見知った路地である。

 自分の両手には買い物袋。中には大量の日用品と食料。


「ここは……元の世界?」


 なにやら不思議な感覚だ。

 数日間『絵本の世界』で生活していたはずなのだが。

 ついさっきまで『現実世界』で姉と一緒に買い物をし、この路地を歩いて帰っていた……そんな気もする。


 この時間間隔のズレは、『本の魔法』特有のものだ。

 絵本世界で経過した肉体年齢がリセットされ、更に記憶ラグを修正する力が働いたせいである。


 そんな中テルミは、莉羅が『日本・世界の童話全集(ヒアリングCD付き)』を手に持っている事に気付いた。

 買い物袋を地面に置き、童話集を受け取る。


「そうだ、この本を見た後にワープして……莉羅、聞いてください。僕達はさっきまで、まるで絵本を模したような世界にいまして」

「うん……にーちゃん、達は……この、本の……」


 莉羅は兄に事情を説明しようとした。

 だが、そんな兄妹の会話を遮り、


あにさん、急にどっから現れたんでありワンす!? あにさんあにさんあにさん!」

「ちゃ、チャカ子さん。落ち着いてください」


 少女姿の犬神チャカ子が、テルミに飛びついた。

 そもそもこの妖怪は、『テルミ達が絵本の世界に閉じ込められていた』という状況を理解していなかったらしい。

 ただとにかくテルミに懐き、飼い犬のように舐め回す。


「チャカ子、ちゃん……だめー……」

「落ち着いてくださいチャカ子さん」

「ワンワンキャウン!」


 チャカ子の行動はまさに犬そのものであるのだが、姿形は人間の小学六年生。

 男子高校生の顔を舐めるのは、傍から見て非常に問題がある。

 現に隣で、驚愕し目を丸くしている女子高生が一人。


「おいちびっこツー、テルミに何してんだ! 俺の恋人だぞ!」

「うワンっ! 何するんでありんすワン、クソダサジャージ!」


 コウがチャカ子を持ち上げ、テルミから引き離した。


「邪魔しねーでおくんなんしワン!」

「痛ってえ! 噛むなって!」

「キャウンッ! なんかビリビリしたでありんすワン!」


 チャカ子が噛み、コウが電気を出した。


「だいたい恋人って、世迷言は穴の中にでも叫んでろでありんすワン。あにさんはウチに結婚の申し込みプロポーズしたのに!」

「……勘違い……だよ……チャカ子ちゃん……」

「俺もテルミと結婚するって約束したぞ! 毎日クッキー作って貰うんだ!」

「……にーちゃんは……そんな約束、してない……もん」


 莉羅のツッコミはスルーされ、二人の争いは続く。

 しかしコウは高校一年生。さすがに見た目小学生の少女相手に本気は出せない。


「くっそー、なんなんだよーお!」

「痛っビリビリでありんすワン!」


 コウはチャカ子を電気で怯ませ、その隙に走って逃げ出した。


「あっ待ちなんしワン! ぶっ殺すクッキーング!」


 チャカ子が四つん這いで追う。


「……ばいばーい……チャカ子、ちゃん……」


 莉羅はクラスメイトを見送る。

 一人と一匹は、またたく間に姿が見えなくなった。


 一方テルミは、その喧嘩騒ぎが聞こえていなかったかのように、じっと童話全集の表紙を眺め続けていた。


「姉さん……」


 桜がまだ帰って来ていない。

 テルミは手を震わせる。姉を置き去りにし、自分一人だけで現実世界に戻ってしまった。


 満足すれば、絵本の世界から抜け出せる。そう魔女は言っていた。

 しかし姉の性格的に、はたしてあの世界で心を満たすことが出来るのだろうか。

 主役でチヤホヤされるのならまだしも、『童話の脇役』だ。

 肉親の贔屓目無しに見ても、華やかさの塊みたいな姉。脇役とは対極の位置にいる。


「莉羅。姉さんが今、何をしているのか分かりますか?」

「ううん……分から、ない……絵本の中――疑似別宇宙を、覗くには……大きな『力』が、必要なの……。それこそ、ねーちゃんクラスの、力……が」

「そうですか……」


 テルミはますます暗い顔になった。

 莉羅も姉を心配し、兄と一緒に本の表紙を見つめる。


「……一通り……本の内容を、全て体験すれば……ここに、帰ってくる……はず、なんだけど……」


 それも確証が持てない。

 絵本の魔法は、当の桜の魔力により暴走中なのだ。


「でも……ねーちゃんなら、大丈夫だと思う……」


 そう言いつつも、莉羅の無表情な顔に不安げな色が混じっている。


「……そうですね。姉さんなら…………熱っ……!?」


 突如、童話集が発熱した。


 紙で構成されている本。温度が上昇するような素材では無い。

 だが、熱くなったのだ。持っていられない程に。


……」


 手の平を火傷し、テルミはつい本を地面に落としてしまった。

 落ちた瞬間、炎が本を包む。

 テルミと莉羅は、驚きの表情を浮かべた。


「燃え……えっ? そんな……!」


 テルミは慌てて炎を消そうと、買い物袋の中からミネラルウォーターを取り出し、本へかけた。

 だが火は勢いを増すばかり。


「まさか……姉さ……姉さん……姉さん!」


 ペットボトルの水程度では消火出来ない。

 テルミは本を素手で掴んだ。数十メートル先に用水路があるので、そこまで持って行こうと考えたのだ。

 手が炎に包まれ、テルミの顔が苦痛に歪む。

 それでもテルミは本を抱え、駆け出した。


「にーちゃん……危ない、よ……!」

「しかし姉さんが……姉さんが……!」


 テルミは姉の顔を思い浮かべた。

 揶揄からかい、笑い、そして優しく頭を撫でてくれた姉。

 大好きだよ、と言葉を交わし合った……


「姉さん!」



「なあに、テルちゃん?」



「……え?」


 桜の声がした。

 テルミは走る足を止め、辺りを見回した。 

 いつの間にか、一瞬のうちに本が鎮火し、温度も下がっている。


「ね、姉さん、帰って来たのですか? どこにいるのですか?」

「えっとねー。今なんか、よく分かんないけど真っ白なトコにいてー」


 声は聞こえるが、姿は見えない。


「時空が……歪んで、る……」


 莉羅がぼそりと呟いた。


「ねーちゃん……の世界で……暴れてる?」

「あら莉羅ちゃんもいたのね。うん、暴れてるわよ」


 桜は、平然と言葉を返してきた。


「テルちゃんも閃光のなんちゃらも無事帰ったみたいだし。もうメンドクサイんで、絵本の世界ごと破壊しちゃおうかなって思ったの。とりあえず、周りにある『見えない壁』を叩き割ったってワケ。すると急に家やら草木やら全部消えて、世界中が真っ白になっちゃってさあ」

「おー……滅茶苦茶、やるね……凄い、力技……だ」


 どうやら桜は無事のようだ。それどころかエネルギーに満ち溢れている様子である。

 テルミは童話集と莉羅の顔を交互に見て、「一体何が起こっているのですか?」と聞いた。


「本の魔法が……ねーちゃんの大暴れに、耐え切れず……異物を、吐き出そうとしている……」

「……それはつまり、姉さんは」


 兄の台詞が終わる前に、莉羅は大きく頷いた。

 無表情な顔に、嬉しそうな色を混じらせて。


「ねーちゃんが……帰って、くる……よ。くふふ……」




 ◇




 その夜。


「テルちゃ~ん、膝枕してぇ~!」


 弟の腕を引っ張り部屋に連れ込むなり、甘えた声を出す桜。


「どうぞ、姉さん」


 テルミは嫌がりもせず、姉の頭を膝上へ迎え入れた。


「やっぱり家が一番落ち着くわねー」

「そうですね。とても不思議な体験でしたが」


 テルミは桜の髪を撫で、


「姉さん、ありがとうございました」


 と、礼を囁いた。


「えー。何が何が? あたし何かしたっけ?」


 とぼけた顔をする桜。

 テルミは小さく微笑み、再び「ありがとうございます」と呟く。


「そーいえばテルちゃん。最後の桃太郎だか一寸法師だか分かんない世界で、あたしに『大好き』って言ってくれたよね?」


 桜は寝返りを打ち仰向けになり、悪戯っぽく質問した。


「はい。言いました」

「あの台詞、もう一回言って~。お願い!」


 そう言って桜は上体を軽く起こし、テルミの首に手を回した。わりと腹筋を使う体勢であるが、桜にはどうということはない。

 そんな姉に対し、テルミは素直に言葉を返す。


「大好きですよ、姉さん」

「ふふっ。そっかそっか」


 桜は気に笑った。


「テルちゃんはお姉様を異性として見てるんだなー。やーんえっちー。今こうしてる間もムラムラしてるのね」

「違います。姉弟として大好きです」

「あははは」


 桜は腕に力を入れ、テルミの頭を引き寄せた。

 テルミは前屈みになり、お互いの顔がぐっと近づく。


「ねえテルちゃん。あの最後にいた『世界』が、本当に織姫と彦星の話だったら……」


 桜は突然真面目な表情になり、どこか躊躇ためらいがちに尋ねる。

 吐息がテルミの顔にかかった。


「ストーリー通り、あたしと結ばれる?」


 唇と唇が、触れ合いそうになる。


「実の姉と、契りを交わしたい?」

「…………僕は」



「ねーちゃん……ずる、い……!」



 テルミが返事をする前に、ドアが音を立て開き、莉羅が現れた。


 莉羅は部屋に突入し、桜の足を引っ張る。

 桜は特に抵抗せず、


「きゃあっ。莉羅ちゃん力持ちー」


 そのまま楽しそうに引きずられた。


「莉羅ちゃんったら、お姉様と遊びたいのー? もー甘えん坊さんね!」

「遊びは……不要……」


 いつも通りの姉の姿。

 日常に戻って来たのを実感し、テルミはホッと息を吐いた。

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