44話 『姉と長生きジジイ』
「よっしゃー、忍者VS妖怪だー。やれやれーヒューッ!」
桜はキルシュリーパー衣裳マスクの口部分だけをガコンと開き、ストローで紙カップのジュースを飲み始めた。
そのくつろいだ姿を見て、三つ目の大男は眉をひそめる。
「カラテガール、貴様はジュースなんて持ち歩いてんのかァ?」
「おバカね、んなワケないじゃない。こぼれちゃうし、氷も溶けちゃうでしょ。これは今さっき買ってきたのよ」
「今ァ?」
そんなはずは無い。ずっとこの女を見張っていたが、買い物に行く素振などしていなかった。
そもそもこの一帯には、あんな映画館で売っているような紙カップのジュースを置いている店は無い。というか店自体が無い。
……確かに、少しだけ……『
「もー! ジュースなんてどうでも良いから、さっさと戦いなさいよ。爺さん忍者とマッチョ妖怪!」
催促する桜の大声に、三つ目の妖怪は肩と足を震わせた。
先程植え付けられた恐怖心が、中々消えてくれない。
一方『グロリオサ』の老人は、落ち着き払った様子で周囲を見回し、
「お前たちは帰っていなさい。ここからはわし一人でやる」
と、部下である自分の子孫達に言った。
その
とにかくこの場から早く逃げたかった。あのヒーローが恐ろしくてたまらない。
一族の気配が完全に消えたのを確認し、老人は三つ目の大男の顔を見た。
「では始めようか。あちらのお嬢さんのリクエストに応えねば」
そう言って、ちらりと横目で桜を見る。
桜は「ども~、よろしく~」と腕を小さく振った。
妖怪は桜を極力見ないようにしながら、老人を睨みつける。
「思わぬ展開だけどさァ……このジジイを殺せってか。まあ悪くはないなァ。何故か御大将が気にされている『毒霧翁』。どれだけ強いのかは知らないが、ちょうど良い機会だ。今倒せば御大将の心配事も一つ減る」
大男のただでさえ巨大な体躯が、更に大きく太く膨れ上がった。
体中に血管が浮き出、蒸気を発する。
「御大将から『監視はするけど直接関わるな』なんて言われてるが。こういう状況なら仕方ないよなァ」
「うんうん。よく知らないけど仕方ない仕方ない。さっさと戦いなさーい」
桜がはしゃいで、ポップコーンを頬張りながらヤジを入れた。
またいつの間にか買ってきたようだ。
「そうじゃな。仕方ない」
毒霧翁……
体が揺らめき、黒い霧となる。
そして、
「毒霧翁。人間にしては長生きらしいがァ、今日が貴様の」
「喋っているところ申し訳ないが、もう終わっておるよ」
一瞬で勝負が決まった。
「……えぇぇ?」
三つ目の大男は地面に膝をついた。そのまま体を支えられず、うつ伏せに倒れる。
体を支えられなかった理由は、両手が無くなったからだ。
肩から先が、綺麗に溶けている。
少し遅れて、どす黒い血が噴き出した。
「あ、あああ! 貴様、毒霧……」
「腕だけで済ませてやる代わりに、大将さんに伝えてくれないかい?」
霧と化している琉衣衛は、大男を見下ろして柔和な表情と口調で述べる。
「この
ヒーローとグロリオサの戦い。
とは言っても、グロリオサ側から戦いに出すのは九蘭百合ただ一人。
つまりこの言葉の真意は「百合の修行に、妖怪は邪魔だ」となるのであるが、三つ目妖怪にそこまでの意味を計り知る
琉衣衛としては、この台詞を妖怪の上層に伝達してくれれば、それで良い。
「
「ちょっとちょっとー。あたしの身辺を勝手に決めないでくれるー?」
「さあ。もう帰りたまえ妖怪くん」
「あっ何勝手に帰らせようとしてんのよ!」
桜はマスクの下で頬を膨らませたが、内心既にこの三つ目妖怪はどうでも良くなっていた。
この老人と妖怪では、実力差がはっきりとしすぎている。
これ以上戦わせても、ちっとも面白くない。
「……貴様ら、覚えていろよなァ……」
妖怪は捨て台詞を吐き、夜の暗闇に消えていった。
桜をはそれを追おうともせず、ジュースのストローを咥え、音を立て飲み干す。
「ではわしも帰らせて貰うよ」
九蘭琉衣衛も立ち去ろうとした。
しかし桜は、先程妖怪を黙って見逃した時とは態度を変え、老人を引き留めようとする。
「待ちなさいよお爺さん。あんたはあたしと戦わなくて良いの?」
桜はストローから口を離し、すっと息を大きく吸い込んだ。
これは九蘭百合を相手にした時、たまに使っている技だ。
超能力により強化された強靭な肺活量を駆使し、自分への向かい風を無理矢理発生させる。
微粒子状の霧である百合の体は、風と共に桜へ向かって来る。
という原理の引き寄せ技である。
「……へえ?」
だが九蘭百合と違い、九蘭琉衣衛の黒い霧はびくともしなかった。
桜が作った突風が、琉衣衛に届く前に止まっている。
グロリオサの毒霧が
「吸い込めない……ふーん。『風を溶かす』なんて物理現象無視した滅茶苦茶な事も出来んのね。さすが宇宙災害」
桜はクスリと笑った。
「どうやら九蘭の
百合の霧は緑色。老人の霧は、闇夜を溶かして作ったような漆黒だ。
「ふむ、さすがというか当然というか。百合の正体にも気付いていたか」
「まっあの高校教師はどうでも良いんだけどさ。それよりあんた中々骨ありそうじゃない。グロリオサにはもう期待してなかったんだけど、ちょっと見直しちゃったわ」
桜は『宇宙災害グロリオサ』の真の力を継承した
だがその木像から力を分け与えられた人間――九蘭琉衣衛は、予想以上にやり手のようだ。
桜の血が沸く。
魔力がたぎる。
グロリオサの力に反応し、大魔王の力が体中で暴れ出す。
「さあ、あたしと戦いましょう!」
血走った目で叫ぶ。
だが琉衣衛は、冷静に首を横へ振った。
「やめておこう。わしは負けると分かっている勝負はしないのだよ。安全第一の結果、ここまで長生き出来たのだからね」
老人は戦うどころか、身体の霧化を止めてしまった。
そのやる気の無い態度に、桜は出鼻を挫かれ口をぽかんと開ける。
「……ま、まあイヤイヤ戦っても仕方ないわね……」
なんだか、急に気持ちが萎えてしまった。
老人がグロリオサの力を引っ込めたので、それに呼応して大魔王の力も静まってしまったようだ。
そして一旦冷静になり考えてみる。
そういえばこの老人は、霧化した状態でも人の言葉を喋っていた。
莉羅はグロリオサについて、「もし真の力を引き出したら喋る事など出来ない」と言っていた。
どの程度の段階から喋れなくなるのかは知らないが、この老人でさえもまだ、真の力を引き出せてはいないのであろう。
はっきり言って、戦っても十中八九自分が勝つ。
無理に戦った所で、得るものは何も無いかもしれない。
となるとグロリオサ……というかこの老人への興味も一気にしぼんでいく。
我ながら飽きっぽいな、と桜は思った。
「それでは失敬する。どうか今後も百合をよろしく頼むよ、空手
「ちょっとー、あたし託児所じゃないんですけどー!」
月夜に消える老人の後ろ姿を見ながら、桜は更に考えた。
あれだけ一族の者が大勢いるのに、今後もあの弱っちい九蘭百合を自分に差し向ける気なのか。
多くの部下に監視させ警戒している、この自分に。
家長である琉衣衛さえも「戦ったら負ける」と言った、この自分に。
何故だ。理に適っていない。
他の殺し屋達が監視だけで直接絡んで来ないのを考えると、何故か百合だけが特別扱いされている。
もしかしてあの老人は、九蘭百合を育成しようとしているのだろうか?
だが、それこそ何故だ。どうしてあの子供みたいなポンコツ先生を?
「分っかんないなー」
と呟いた所で、再び魔力が高揚し胸が騒ぎ立った。
「もー。ギエっさんの力ったら、気まぐれなんだから!」
やはり九蘭琉衣衛と戦っておくべきだったか。
しかし逃げ腰の相手ではつまらない。
「あ、そうだ。あのお爺さんが大事に育てようとしてる、九蘭百合を……」
桜は仮面の下で無垢に笑う。
あの教師を無残に殺せば、きっとあの老人も憤怒して……
「ああ、でも駄目よ……九蘭百合を殺したら、テルちゃんに嫌われちゃう……そんなのヤだ……だめ……我慢……我慢……」
桜は右手で
「我慢、我慢、我慢、ガマン……」
めきめきと音がする。
左手の骨が粉砕し、鈍い痛みが桜を襲った。
「ガマンガマンガマンガマンガマン」
それでも桜は手に力を入れ続ける。
骨が飛び出し、血が噴き出し……
次の瞬間。傷が消え、骨が癒えた。
「……あれえ~? ああそっか、こんな時に新技習得しちゃったか~あたし!」
桜は手首を眺めながら、嬉しそうに声を上げた。
これはロンギゼタも使っていた『大魔王の力』の一つ、治癒能力。
「ふう、ちょっとは気が紛れたわ。帰ってテルちゃんと一緒にお風呂入ろっ……その前に、他人も治癒出来るかどうか試してみよう!」
そう言って桜は上機嫌で町へ向かった。
しかし、今の桜に他人を治癒するまでの能力は無い。
そのせいでこの日、とある暴走族が消滅することとなる。
ともかく桜はまた一歩、大魔王に近づいてしまった。
◇
「おっはよーワン、莉羅ちゃん! イエーイ!」
「おはよー……チャカ子、ちゃん……いえーい」
翌朝。小学生の登校時間。
チャカ子が莉羅を迎えに来た。
「おはようございますチャカ子さん」
「
制服姿のテルミも顔を出し挨拶をする。
チャカ子はスカートの下から出ている尻尾を大きく振った。
「
昨夜テルミは、朝食分としてチャカ子に食事をあげていたのだ。
チャカ子は空のタッパーをテルミに返し、そして頬を軽く染め、上目遣いになる。
「それにウチ、
「……はい?」
テルミは首を傾げた。
ついでにその隣で莉羅も首を傾げた。
家族になろうとはプロポーズの言葉ではない。
元々真奥家の飼い犬であったチャカ子に、「この家に戻ってこないか」と提案したのである。
チャカ子も、それは理解していたはずだが……
「修行終わったらお返事いたしんすワン。待ってておくんなんし!」
……理解していなかったようだ。
チャカ子の中では『飼い犬として戻ってこないか』というテルミの提案と、『家族になろう』というテルミのプロポーズは、全く別の関係無いものと認識していたのだ。
「あの、チャカ子さんそれは誤解……」
「あのね……チャカ子、ちゃん……それは……誤解……」
兄妹二人は、改めてチャカ子に説明しようとしたのだが、
「ウチも
「うわっ、ちょっと……チャカ子さん」
チャカ子はテルミに飛びつき唇を舐めた。それはまさに、飼い犬が飼い主にする行動そのもの。
だがチャカ子の見た目は、人間の女の子。
「チャカ子ちゃん……だめー……!」
当然、莉羅が二人を引き離したのであった。
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