41話 『姉と妖怪とついでに忍者』

 満月に照らされた闇夜。

 高層ビルの屋上で、ヒーローと悪役ヴィランが対峙している。


「天誅だ、カラテガール!」

「あらチビっ子忍者。性懲りも無くまた来たの?」

「チビじゃない! 今度こそお前の息の根を止めてやるからな!」


 今夜の殺し屋グロリオサは、やる気に満ちていて、かつ少々不機嫌であった。


「その厚い面の皮を剥ぎ、命貰い受けてくれよう!」

「また随分と張り切ってるのね。古臭い言葉使っちゃってまあ、子供のくせに生意気」

「黙れっ、私は大人だ!」


 いきり立ち、空気を叩きつけるように腕を振る。

 グロリオサの霧の体がゆらりと揺れた。




 この小さき殺し屋こと九蘭くらん百合が気負っているのには、訳がある。

 本日夕刻、実家での出来事。


「百合ちゃん、今日もまたグダグダと遊んでいるのですか?」

「げっ、伯母上……」


 廊下を歩いていると、いつも長ったらしい嫌味を言う親戚に捕まってしまったのだ。


「一族の役にも立たずに食っちゃ寝て遊び。ごく潰しという自覚は無いのですか?」

「ごく潰し……わ、私は自分の食い扶持ぶちくらいは稼いでいる……います!」


 その反論に、伯母は鼻で笑う。


「稼ぐとは教師の仕事でですか? あんな安月給では、うちのお屋敷一部屋分の維持費にも到底足りていませんが? 赤字にも程があるのですが?」

「くっ……」

「あれ? 随分と反抗的な態度ですが文句でも?」

「い、いえ……そんなわけでは……」


 百合は悔しさに拳を震わせた。

 伯母に「このクソババア!」と肘打ち膝蹴りをぶちかます……妄想をし、怒りを鎮めようとする。まあババアと言いつつもほぼ同年代なのだが。


 九蘭の家元いえもとである琉衣衛るいえは、百合に「ゆっくり精進しろ」と言っていた。

 だが百合としては、やはり今すぐにでも親戚を見返してやりたい。

 それにはカラテガールを倒してみせるのが一番だ。


 一度は諦めかけたヒーロー退治。

 家元も「一族の誰もカラテガールには勝てない」「スポンサーへの格好付けのため、挑むだけで別に負けても良い」と言っていた。


 だがそのように困難な仕事だからこそ、達成したあかつきには認められるというものだ。

 百合の闘志に火が付いた。自分がカラテガールを倒す。


 普段はコンプレックスの塊である小さな教師なのだが、時々は前向きになるのだ。




「という事で、覚悟しろ!」

「どういう事でよ?」


 今日の百合には勝つ算段があった。


 霧化した体でヒーローの体に潜り込む。

 そして霧化を解く。

 パン!

 相手は死ぬ。


 何ともグロい方法だが、これは効果的であろう……と思う。多分。


「おとなしくパンしろカラテガールー!」

「何よそのパンって」

「死ねええ!」


 グロリオサの毒霧がヒーローに迫る。

 そしてそのヒーローである真奥まおく桜は、鬱陶うっとうしそうな顔を浮かべた。


「あのさあ。今更訂正するのもメンドクサイんだけど……」


 すっと息を吸い込み、



「あたしはキルシュリーパーっつってんでしょー!」



 町中に響き渡る怒声を放った。


 その叫びで発生した振動と風により、霧状の百合は「うにゃあああっ」と言いながら吹き飛ばされる。

 桜は念動力を駆使し、百合の体を宙に固定した。



 この騒ぎで、隣のビルにいる残業中の会社員達が気付き、野次馬と化し窓からスマホで遠距離撮影を始めた。


「なーんとなく予想できたわ忍者。今あたしの口から入って、霧化を解いて体内から圧殺しようと思ってたでしょ」

「えっバレ……い、いいやそんな事は思っていない!」


 思っていた。図星であった。


「でもさ。非力なあんたが、あたしの胃袋破れるの? よしんば破れたとしても、その上にある筋肉は? 皮膚は? 普通にやっても傷一つ付けられないクセに。あたしの体の中で、あんたがそのまま死んじゃうだけだと思うけど」

「……くっ……うるさいうるさい!」


 しかしそう言われると、百合本人も、この作戦はどうも無理な気がしてきた。


「特に貧乳のあんたに、あたしの豊満なバストを破るなんて無理ね。無理。絶対に無理。ゼロパーセント」

「うぐ……胸は関係ないだろっ」

「関係あるわよ。巨乳は全てに勝るのよ」


 桜は腰に手を当て胸を張り、殊更バストを強調させた。

 今日のキルシュリーパー衣裳はOL風の黒いスカートスーツ。ピンクのボタンが可愛いポイント。

 大きな胸に引っ張られ、意図せずヘソを出す格好になっている。


「ううっうるさいうるさいうるさいうるさい胸が小さくて悪かったな! 貴様のそんなセクハラ発言が社会にどれほどの悪影響を与えているのか、良く考えろ! まったく、貴様みたいなふしだらな女のせいで私は」


 小さな体で必死に大声を張り上げる百合を見て、桜は難しい顔で考え込んだ。



 本当の『グロリオサの力』を受け継いでいるが分かった今、この殺し屋には用は無い。

 なので本来ならば、もう始末しても良いのだが……桜は知ってしまったのだ。グロリオサの正体は高校教師、それも弟の部活顧問である事を。


 殺して、仮にすぐに生き返らせたとしても、何かの拍子で弟にバレたらどうなるか。おそらくは、嫌われてしまうだろう。


 風呂に全裸で乱入したり、布団に全裸で乱入しても、


「はっ。何?」


 と、冷たい視線でぶっきらぼうな対応をされてしまうかもしれない。

 それはそれでちょっと興奮するかもしれないけど、ずっと続くのは嫌だ。

 まあ弟の性格的にそんな事態にはならないだろうが、とにかくそういうベクトルで好感度が下がるのは駄目だ。



 となれば、九蘭百合に対して出来るのは……


「両手両足を折って鼻と耳を削ぐくらいまでね、うん。忍者よくお聞き。とりあえずあんたの手足砕くから、それ終わったら素直に帰……」


 桜が不穏な提案をしようとした、その時。


「ねーちゃん……その場から、すぐに離れて……」


 脳内に、妹の声が響いた。


莉羅りらちゃん。急にどうしたのよ」

「いいから、早く帰って……」



「わぉぉぉおおおおん! カラテガール見つけたでありんすワン!」



 遠吠えと、少女の声がした。


「犬の鳴き声?」

「……遅かった……か……」


 そして桜は、その後起こった出来事に目を疑った。

 一匹の白い子犬が、ビルの壁を屋上までやって来たのだ。


 驚いて、グロリオサにかけていた念動力を解いてしまう。

 宙に固定されていた百合は白犬の登場場面を見られなかったが、自由になったおかげで視界に犬を捉えた。


「あれ、子犬? ちょ、ちょっと待ってろ動くなよカラテガール!」


 と言いつつ霧化を解き、白犬に近づく。


「こんな所にいたら危ないぞ。早く帰りたまえ……どこから来たんだろう、この犬は」

「きったねえ手で気安く触んねえでおくんなんしワン!」

「……えっ?」


 触ろうとした百合に対し、白い子犬が抗議の声を上げた。


「わ、わあああ犬が喋ったぁ!? オバケ!」

「落ち着きなさいよ忍者。霧人間のあんたもオバケみたいなもんでしょ」


 百合は慌てて白犬から手を離す。

 その隙に白犬は百合から離れ、桜に向かって、


ぶっ殺ーすクッキーングッ!」


 と叫びながら走りだした。

 桜は最初驚いたものの、既に冷静さを取り戻している。


「ふーん。どうせまた新手の面白パワーでしょ。忍者が『うるさい』って喚いてる所に乱入、ってパターンも閃光のなんちゃらの時と同じだし」


 そして桜は考えた。


 敵は犬。

 犬の特徴と言えば、軽やかな身のこなし。鋭い爪、牙。力強い顎。

 そして鼻と耳の良さ。


「特に鼻は厄介かもねえ」


 桜は正体を隠してヒーローをやっている。隠した方がなんとなくそれっぽいからだ。

 だが顔はコスチュームでなんとかなっても、匂いまでは誤魔化せない。

 特に今日は迂闊にも、普段使っている香水を付けたまま来てしまった。


 この喋る白犬の目的はまだ分からないが、動物の嗅覚で自分の匂いを覚えられてしまったら、正体を暴かれるきっかけになるかもしれない。


「……いっそあの犬、殺しちゃおうか?」

「だめー……!」


 妹の声がした。殺しては駄目らしい。

 ならば他の手を考えないといけない。


 ちなみに九蘭百合に香水の匂いを覚えられたら……という可能性は、微塵も考慮していなかった。

 何故なら桜は、この教師をポンコツ子供先生だと思っているからだ。


「じゃあ、こうしましょう」


 桜は右手で白犬に投げキッスをした。

 すると白犬は「わふん!?」と鳴き、床から三メートルほど上空に浮く。

 手足をばたばたと動かすが、空を切るばかりで前進も後退も出来ない。

 桜の念動力により、望まぬ空中浮遊を体験しているのだ。


 それと同時に桜は、自分自身の周りを漂う空気も操作し、匂いが白犬の鼻まで届かないようにした。


「ウチ浮いてるでありんす! 一体どういうまやかしワン!」

「さーてこの犬はどうしようかなあ」

「ワンワンキャンキャウン!」


 つかつかと近づいて来る桜に、白犬は吠えて威嚇した。だが全く効果は無い。

 見かねた莉羅が、再度姉にテレパシーを送った。


「……ねーちゃん……そのには何もせず、帰って……」

「なーんでよ莉羅ちゃん? まっ良いけどさあ」


 桜は少々物足りない顔をしつつも、可愛い妹の頼みを聞き入れた。

 そして、宙に浮く喋る犬を見てうろたえている百合に言う。


「あたし帰る。忍者、あんたその犬を降ろしてあげなさいよ」

「何!? ま、待てカラテガール!」


 だが桜は一寸の間も待つことなく、月夜の闇に消えていった。


「ワン! ワン! ワオオーン!」


 白い子犬――犬神である八女やめ茶菓子チャカこは、百合に降ろして貰いながら、悔しそうに鳴いたのであった。




 ◇




「莉羅ちゃん莉羅ちゃん、入れておくんなんしワン! この部屋にいるんでありんしょう。ニオイがするでありんすワン」

「はー、い……」


 部屋の外から、クラスメイトの声がした。

 莉羅はそれを待ち構えていたかのように、すぐに窓を開け白犬を部屋へと招き入れた。


「ウチでありんす、チャカ子でありんすワン。驚いたでござりんしょう。ウチは満月の光を浴びると、犬の姿になってしまうのでありんすワン」

「……別に、驚きはしないけど……見てた、から……」

「ワンと!?」


 桜とチャカ子、ついでに百合も加えた先程の騒動を、莉羅はずっと千里眼で監視していたのだ。


「でも、満月で変身って……それは、犬神じゃなくて……狼男のような、気もするけど……」

「面目無いでありんすワン。実はウチは、まだ修行中の身でありワンして」


 部屋に入りカーテンを閉めると、チャカ子は人型に戻った。

 銀髪の長い髪と、ピンクのスカートから出ている白い尾が揺れている。


「実はインターネットで、カラテガールの戦いが生放送ライブされてたのでありんすワン。ご丁寧に動画タイトルに場所まで書かれておりんした。そんでウチはすぐに馳せ参じたのでありワンすが……不覚でありんした。手も出せず足も出せず……クゥーン」

「うん……知ってる……まあ元気、出しな……よ」


 莉羅は、チャカ子の肩をポンポンと軽く叩く。

 そうしていると、ふいにノックの音がした。


「莉羅、入っても良いですか?」


 テルミが洗濯したたんだ服を届けに来たのだ。

 莉羅は少し迷ったが、兄ならばチャカ子の姿を見せても問題無いだろうと考え、ドアを開ける。


「おや、チャカ子さん」

「おこんばんはでありんすワン、あにさん。丁度ちょーど良かった」


 チャカ子はテルミの姿を見て、尻尾をぶんぶんと回した。


「丁度良かった、とは?」

「えっとね、ウチは人間に化けて役者のお仕事をしているのでござりんすが、子役なんでお給金は保護者に振り込まれるのでありんすワン。その保護者役をセンパイ妖怪の姉さんにお頼みしてるのでありんすが、ウチはそん中から、ほんの少しのお駄賃だけ頂いておりワンす。そのちょっとのおあしも、今回の引っ越しで走り去っていったのでありんして。つまり……」


 長々と経済状況を説明しているチャカ子の腹が、大きな音を立てた。


ご飯エサおくれなんしワン!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る