第五章 デート、監視、

21話 『兄は掃除しすぎ』

「磁力怪獣テツノドンとやらを倒したからと言って、良い気になるなよカラテガール」

「あら忍者。懲りずにまた一人で来たの?」


 桜がヒーロー活動をやっていると、忍者風の恰好をした殺し屋グロリオサが、いつものように毒霧状態で絡んできた。


 ちなみにテツノドンとは、冥夢神官ダイムの力から生まれた魔神の事だ。

 誰かが適当に呼んだ名称がそのまま定着してしまった。


 その『適当に言ったら定着した』という状況が、改名したのにいつまでもカラテガールと呼ばれ続ける自身の状況と被る。

 というわけで桜は、テツノドンという名称があまり好きでは無かった。

 グロリオサの口からその単語が飛び出した事で、少々不機嫌になる。


「テツノドンだかテン丼だかカツ丼だか知らないけどさあ」


 桜は金属製マスクの下で悪戯っぽい表情をし、肉体強化した脚力により一瞬でグロリオサに詰め寄った。


「あんたは親子丼にも負けそうね、食べきれないって意味で。だって子供みたいに小さいんだも~ん」

「うああっ!?」


 桜は殺し屋の頭を撫で回した。

 背が小さいのでヨシヨシしやすいのだ。


「お子様サイズ頼みましょうね。量は少ないのにお値段はそこまで割り引かれず、とっても不経済的よ~」

「撫でるな無礼者!」

「ま~子供がイキがって可愛い~」

「こ、子供では無い。貴様より多分年上だ……と思う!」


 グロリオサは宙に浮き逃げる。

 が、桜はそれを追いかけ、執拗に撫でる。


「年上って、あんた何歳なのよ?」

「二十六……い、いやそんな事はどうでも良い。怪獣退治で調子に乗っている貴様を、今日こそ私が倒」

「えー二十六なの? うそー、そんな小さなバストなのに!?」

「ば、バストは関係ないだろう! まったく、同性でもそれはセクハラ発言になるのだぞ。貴様のような風紀を乱す者が多いせいで私も毎日苦労して……」


 グロリオサは桜の手から逃げ、ブツブツと愚痴を言いながら……はたと違和感に気付いた。


「……待てカラテガール。貴様今、霧になっている私に『しっかりと触れた上で』撫でなかったか?」

「あーそうね。うん。気付くの遅いわねあんた」


 桜は右手の平をグロリオサに向けた。

 親指から炎、中指から冷気、小指から電気が漏れている。


「あたし、熱いのと寒いのとビリビリしてるのを操れるんだけどさー。それを上手い具合にコントロールしたら、霧忍者にも触れるみたい」

「上手い具合にって……そ、そんな馬鹿な」


 グロリオサの霧の体は、細かい粒子状になっている。

 桜の冷気により空気中の水分を氷結、それを電磁場によりグロリオサ体表面の粒子と結合し、あたかも実際に触れているかのような感覚を実現しているのだ。

 ちなみに炎の力はあんまり関係ない。


 この緻密な動作を、桜はの感覚だけで操作している。


「くっ……カラテガールめ……!」


 グロリオサは悔しそうに桜を睨みつける。

 桜はお構いなしに再び殺し屋の頭を撫で回した。


「忍者さー。あんたいつもそうやって気を張ってばかりで疲れないの? 小さな体でさあ」

「ち、小さいというのは余計なお世話だ」

「たまには心の洗濯って言うかさー。何もかもから解放されてリラックスしないと駄目よ。ストレス解消ストレスかいしょー!」

「ストレス解消だと……?」


 ちなみに桜のリラックス方法とは、弟にセクハラする事。

 特に裸で抱き付けば、全てのストレスが死滅するのだ。

 弟にとっては溜まったものではないが。


 一方グロリオサには、桜のこの何気ない台詞が、存外心に突き刺さったようだ。


「リラックス……心の洗濯か……悔しいが、貴様の言葉にも一理あるかもしれないな」

「でしょでしょー? ってわけであんたは休暇を取ってさ。以前言ってたように、代わりにあんたの上司を連れて来なさい」

「いや、それは絶対に断る」



 そして今日も、グロリオサは空の彼方へ吹き飛ばされた。




 ◇




「心の洗濯……」


 清掃部顧問の九蘭くらん百合ゆりが、ため息混じりに呟いた。

 それを見た清掃部唯一の部員である真奥まおく輝実てるみは、


「どうしたのですか先生。悩み事ですか?」


 と、気遣うように聞いた。

 生徒から心配されてしまった九蘭教諭は、


「い、いや何でも無いよ真奥くん。ちょっとした独り言だ、気にしないでくれたまえハハハハハ」


 と慌ててほうきを動かす。

 その妙な態度にテルミは首を傾げながら、九蘭百合の様子を眺めた。


 身長の八割以上の長さがある箒を両手に持ち、せかせかといている。

 その姿を見るたび、テルミは小学生である妹、もしくはテレビで観た小動物を思い出し……大人に対し失礼であると反省する。


 そう、九蘭百合はれっきとした大人の女性なのだ。

 大学院修士課程を卒業後、教職に就き早二年。二十六歳独身だ。


「時に、真奥くんは……」


 九蘭百合は箒を掃く手を止め、テルミに尋ねた。


「ストレスが溜まった時に、どのようなリラックス方法を取っているんだい?」

「ストレス、ですか?」

「ああ。私が……じゃなくて、私の友達が心の洗濯をしたいとか言い出してね。何言ってるんだか。はははは」


 テルミは思った。「先生はストレスが溜まっているのだろうか?」と。

 先程の会話の流れの後にこんな質問をするという事は、「私ストレス溜まっちゃってるの」と言っているも同然である。

 しかし本人は『友人談』としておきたいらしいので、テルミは深く追求するのはやめた。


 先生のストレス解消に少しでも役立つため、ここはしっかりと話に乗ろう。


「しかし、ストレスですか……僕は毎日走っているおかげか、日常生活であまりストレスを溜め込むことも、そもそも感じる事も少なく……」


 その時テルミの脳裏に、姉である桜の姿がちらついた。しかも全裸。

 昨日、入浴中に姉が浴槽へ乱入してきたのだ。


「……感じる事も少なく……も無い、かもしれませんが」


 基本的に姉の事は好きではあるのだが、たまに「姉弟のスキンシップが過剰すぎる」と苦言を呈したくなる。


「ほほう、やはり真奥くんでもストレスを感じる時があるのだね」

「まあ、そうですね……そういう場合に僕は……」


 テルミは昨晩の自分を思い出す。

 姉との無理矢理な混浴後の、自分の行動だ。


 居間を掃除し、廊下を掃除し、妹の部屋を掃除し、トイレを掃除し、留守にしている両親の寝室を掃除。

 一汗かいたので再度シャワーを浴びていると、当然のように姉も浴室に入って来た。

 もう怒る気力も無かったので、なすがままに背中を洗って貰った。


 シャワーはともかく、自分の行動を分析するに……


「僕のリラックス方法は、掃除ですね」

「そ、掃除?」


 テルミの言葉を聞き、九蘭百合は手にしている箒を見た。


「はい。部屋や物がどんどん綺麗になっていくと、一緒に自分の心も綺麗になっていく気がします」

「そうなのか……君は聖人か何かなのか?」


 九蘭百合は感心半分呆れ半分な顔をした。

 そしてその後に考え込むように顎に手を当てる。

 その仕草が、無理にクールな大人ぶっている子供のように見えて……テルミはその失礼な考えを必死に頭から追い払った。


 そんな生徒の心情には気付かず、九蘭百合は話を続ける。


「だが私は、清掃部顧問という立場でありながら恥ずかしいのだが……性格が、その……多少、ほんのちょっと、ズボラな方でだな……」


 つまり九蘭百合にとって、掃除という行為は到底ストレス解消にはなり得ない。というわけだ。


「そうですか。ならば先生に合いそうなリラックス方法は……」


 テルミは考える。

 そう言えば父が以前、


輝実マイサン……毎日母さんに付き合っているとだな、どうしようもなく辛くなる時があるんだよ……いや母さんの事は愛してるよ。超愛してる。秀吉と寧々くらい……あ、いややっぱ今のは無し。生涯側室を持たなかったという山内一豊くらい妻を愛してる。もしくは毛利元就。もしくは……えっとごめん、他に良い愛妻家の例が浮かばないけど……ともかく母さんを愛しているんだ。それでもだけども、やっぱりたまに疲れるんだよ。格闘家の夫をやっているとさ……そういう時は一人旅でもして、のんびりするに限るね。母さんに怒られるから日帰りだけど」


 確かそんな事を言っていた。


「先生。旅行などで、気分転換してみるのはどうでしょうか?」

「旅行……そうか旅か。うん、良いかもしれないなあ……全部忘れられるかもなあ……」


 と、九蘭百合はしばらく想像上の旅情に想いを馳せた後、


「……はっ! いやいやいや。べ、別に私がストレス溜まっているわけでは無いんだぞ」


 目の前に生徒がいる事を思い出した。


「ただ一般論としてだね。いやでもそうだな、私もほら、ちょっとは疲れていると言うか、たまには足を伸ばしたい時もあるかもな。私もこう見えて色々とだな」


 教員としての威厳を必死に取り繕おうとして、どんどんボロが出ている。

 そんな小さな先生を、テルミは聖母のような笑みで見守りながら、


「分かっていますよ。先生は、たくさん頑張っていますものね」

「うにゃあっ!?」


 つい、また頭を撫でてしまった。


「わ、私は……いや、優しくされたからって泣いちゃ駄目だ私! 私は教師なんだー!」


 そして九蘭百合は、再び葛藤の渦へと落ちてゆくのであった。




 ◇




 その日の夜。


「にーちゃん……」


 妹の莉羅りらが、テルミの部屋にやってきた。

 何故か少し不機嫌そうな目をしている。


「どうしたのですか莉羅?」

「ん……ん……」


 兄に向かって頭を突き出している。


「……?」


 テルミはとりあえず妹の頭を撫でた。

 すると莉羅は急に機嫌が良くなったようで、満足気に自分の部屋へと帰って行った。

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