-538話 『冥夢神官ダイムと嘘』

 大きな物音がした。

 ダイムは安らかな眠りから目覚める。


「……風かな……」


 気にせずまた寝ようとするが、それは出来なかった。


 猛烈におしっこがしたい。


 しかし夜一人でトイレに行くのは怖い。

 かと言って神官兼家政婦のソーハを起こすのは躊躇ためらわれる。絶対に怒られるからだ。


「僕ももう大人なんだよ……いや子供なんだけど、気持ちの面でさ……ほら」


 自分を鼓舞して立ち上がった。

 部屋から出て廊下を歩く。

 この廊下の先にトイレがあるのだが、ふと違和感に気付いた。


 廊下を照らす灯りが、最初から点いている。

 面倒臭がりなわりには節約家のソーハは、必ず寝る前に教会中の明かりを消すはずなのだが。


 それに、廊下途中の部屋から明かりが漏れている。

 あそこは祈りを捧げる祭壇だ。

 こんな深夜に何をやっているのだろうか?



「ソーハさん?」

「っ!?」



 祭壇の部屋を覗くと、ジキタリスと目が合った。


「え……じ、ジキタリスさん……だよね?」


 ダイムは戸惑った。

 いつもおっとりと優しそうなジキタリス。

 今はその目が血走り、冷たい光を放っている。

 ここ数日間一緒に暮らしていたのに、こんな目は初めて見た。


「あら~ダイムちゃん。子供はもう寝る時間よ~」

「でもジキタリスさんこそ、こんな時間に一体…………そ、ソーハさん!?」


 もう一人の存在に、ダイムはやっと気付いた。

 祭壇の前にソーハがうつ伏せで倒れている。


「ソーハさんどうしたの…………あ、あれ?」


 そして自分の異変にも気付く。


 歩く事が出来ない。足が動かない。


 この不思議な状況に足が竦んでいるわけではない。

 震えて動かないのではなく、本当に、ぴくりとも動かすことが出来ないのだ。

 それに足だけで無く、首から下が全く動かない。


「動けない……どうして……」


 驚くダイムを見て、ジキタリスがクスクスと笑った。


「ダイムちゃんも幻術使いなのに、同じ幻術に対する耐性がまるで無いんだもの~。面白いわ~」


 それは認識を間違えている。同じ幻術では無い。

 二人が使う術は、根本的に違うものだ。


 ダイムの幻術は、電気を操り脳を直接操作するもの。

 その本質は『電気』の能力なのだ。

 ダイム自身、その原理を理解してはいないのだが。


 一方のジキタリスの幻術は、潜在意識へ語り掛ける催眠術。

 それは特別な能力では無く、技術。

 亜空間に住む『超魔王』や『虚空の賢者』と呼ばれる存在が、その来世で多用している技と同じものだ。



「ソーハちゃんには~、ちょ~っとだけ寝て貰ってるの~。無事だから安心してね~」


 そう言って、ジキタリスは冷たい目を閉じ微笑んだ。

 瞳を隠してしまえば、それは今までと同じ優しそうな笑顔。

 しかしその言葉に含まれている「自分がソーハを眠らせた」という意味に、ダイムは衝撃を受けた。


「……ジキタリスさん。どうして急にこんな事を?」

「だって~ソーハちゃんに勘付かれちゃったんだもの~。まあ最初から薄々怪しまれてたけど~」


 ジキタリスは口の前で両手を合わせ、首を少し傾ける。

 こんな状況なのに、ダイムはそのジキタリスの仕草を可愛らしいと思ってしまう。


「お姉さんはね、ダイムちゃんと一緒に魔神さんを復活させたいの~。この争いだらけの醜い世界を、暴力で支配したいのよ~。素敵でしょ~?」

「魔神? 何度も言ったけど、それは誤解だよぉ、嘘情報だよぉ!」

「あら、それこそ嘘よ~。だって十年前に……」



「あー……黙っててくれま……せんかー……猿さーん」



 ジキタリスの台詞を遮るように、ソーハが声を上げた。

 祭壇前の机に寄り掛かるようにし、ふらふらと立っている。

 机上に置かれた木皿をジキタリスに投げつけようとしたが、力が入らず床に落とした。


「まあ~。もう目が覚めちゃったの~?」

「ソーハさん! 無事だったんだね」

「これでも神官ですからー……幻術に抗う方法も、知ってるんですー……」


 しかしソーハの息は荒い。

 ジキタリスは表情を崩すことなくソーハに近づき、大振りで頬を平手打ちした。

 衝撃で倒れるソーハ。

 その突然の暴力に、ダイムは絶句した。


「あー……痛いじゃないですかー。猿のババアー」


 床に顔を付けたまま憎まれ口を叩くソーハ。

 ジキタリスは楽しそうに口角を歪める。


「ごめんなさいね~。でも邪魔だったからしょうがないの~」


 ジキタリスは、床に寝転ぶソーハの脇腹を強く蹴り上げた。

 ソーハは激しく咳き込む。


「ソーハさぁん!」


 と叫ぶダイムに、ジキタリスが「さあ、お話の続きよ~ダイムちゃん」と言って近づいた。


「十年前に、この辺り一帯で暴れてた化け物……知ってるかしら~? 人の形をしてたけど、石みたいな、砂みたいなのが集まって出来てたの。とにかく大きくて、強いオバケだったわ~」

「十年? ば、化け物ぉ?」

「つまり~それが『古代の魔神』なの~。本当に古代のモノかは知らないわ~、誰かが勝手に言い出したニックネームだもの~。とにかく、皆からそう呼ばれてたのよ~」


 何を言っているのだろう。

 ダイムはただ呆けてジキタリスの言葉を聞く。


「魔神はね、ダイムちゃんの幻覚のせいで生まれた架空の化け物じゃなくて、十年前に本当にいたのよ~。勉強不足だったわね~。いいえ、周りの大人が隠しちゃってたのかな~?」


 ジキタリスはダイムの頭を優しく撫でた。


「人間も魔物もお構いなしにね~、どんどん殺すわ壊すわで大変だったの~。でもその魔神さん、急にいなくなっちゃって~。なんでも三歳にも満たないような魔物の子供が、特別な力で封印したらしいのよ~?」


 そう言って、人差し指でダイムの額をつついた。

 つまり、その封印した子供こそがダイムであると言いたいのであろう。


「僕知らないよぉ……何かと間違えてるんじゃないの……?」

「そう、知らないわよね~。でもダイムちゃんはのよ~」

「……?」


 ジキタリスの言っている意味が分からず、ダイムは困惑する。

 床に転がっているソーハには意味が分かるらしく、「黙りやがってくださーい……」と弱弱しく呟いたが、ジキタリスは気にせずに台詞を続けた。



「だって~ダイムちゃんは自分に幻術をかけて、無理矢理忘れちゃってるみたいだもの~」



「自分に幻術……? え……?」


 ダイムの頭に鈍痛が走った。


「魔神の話題になった時にね~、ダイムちゃんの心がすっごく揺れてたの~」


 自分の胸を持ち上げ、わざとらしく揺らすジキタリス。


「どうしてかは分からないけど~……多分、封印術の副作用か~、それとも魔神が復活しないように、解き方を知ってるダイムちゃんの記憶ごと封印しちゃったのか~……もしくは~」


 ジキタリスは、ダイムの首に右手をかけた。


「ダイムちゃん自身が、魔神だったりして~」


「う、痛……ああ……」


 ジキタリスの言葉に呼応するように、ダイムの頭痛が酷くなっていく。

 ダイムは苦しそうに目を閉じた。

 その様子を見たソーハもまた、絶望したように目を閉じ顔を伏せた。


「ダイムちゃんのお父さんが中々帰ってこないのも、息子の事が怖いからじゃないの~?」

「ち、違うよパパは……僕の事を……」

「ダイムちゃん可哀想~。お姉さんの術で、魔神の事も封印の事もぜ~んぶ思い出させてあげるわね~」


 そしてジキタリスは、ダイムの首を絞めるように強く掴んだ。


「かふぁっ!?」


 ダイムは呼吸が出来ず、喉を鳴らす。

 目の前がぼやけてきた。


「ごめんなさいね~ダイムちゃん。強力な催眠術をかけるために、ダイムちゃんの意識をちょっとだけ遠くしたいの~」


 更に左手でダイムのまぶたを無理矢理こじ開けた。

 視線を合わせ、意識に語り掛ける。


「……ジキタリ……さ……なんで……」

「ねえ、ダイムちゃん。思い出したかしら~?」

「あ……がが」

「え~、なになに~?」


 ジキタリスはおちょくるように、ダイムの口に耳を近づけた。



 次の瞬間、その耳が吹き飛んだ。



「え? ええ? な……」


 そして更に、ジキタリスの両手が一瞬で炭になった。


「えええ? あれ? お、お姉さんの腕……何で?」


 黒い塊になってしまった両手がぼとりと落ちる。

 腕が千切れた面から、勢いよく血が噴き出た。



「何で~!? 痛い、痛い熱い痛い熱い痛い熱い熱い痛い痛い痛い痛い痛い~ッ!」



 ジキタリスはその場に倒れ、両腕を失った姿で転げ回る。


「馬鹿ですねー……ジキタリスちゃんさーん……」


 悶絶するジキタリスには聞こえていないが、ソーハは皮肉っぽく笑って言った。


 そしてダイム。

 この少年は、大きく開いた両目でジキタリスを見下ろしていた。


「幻術使イ。マズ、両手ダケデ許シテヤル」


 ダイムは右手を上げ、ジキタリスを指差した。

 既に幻術は解け、首から下も自由に動かせるようになっている。


「ダイムノ記憶ヲ全テ蘇ラセロ。俺ヲ、完全ニ復活サセロ」

「あ、あああああ!」


 ダイムの指先から雷撃が走った。

 ジキタリスは飛ぶように起き上がり、吸われるようにダイムへと近づく。

 電気の力による『護身術』で、ジキタリスの思考は完全に操られている。


「サア。思イダサセロ!」

「お……思い出し……なさ~い……」


 ジキタリスはダイムと目を合わせ、声を絞り出す。


「思い……出し……」

「急ゲ、ダイムガ目覚メル前ニ! 俺ハモット闘イタイ。強キ者ト、闘イタイ!」


 だがジキタリスの幻術では、ダイムの強力な『護身術』を完全に打ち消すことは出来ない。

 技術も足りぬ上に、そもそもが系統の違う幻術。

 封印されている記憶と力の、ほんの一部分を引き出す事しか出来なかった。


「お、思い……おも、おも……」

「……モウ、イイ」


 ダイムは悲しそうな目で呟いた。

 ダイムの悲しみなのか、それとも魔神の悲しみなのかは分からない。


 そしてジキタリスは全身が炭となり、粉々に砕けて消えた。




 ◇




 頬に柔らいものが当たっている。

 その感触によりダイムは目を開けた。


「……そ、そそそソーハさん!?」

「おはようございまーす。ダイムさまー」


 ここはソーハの寝室だ。

 そしてダイムは、ソーハの膝の上で眠っていたらしい。

 慌てて起き上がろうとしたが、体中に痛みが走り、再びソーハの膝に頭を預けることとなった。


「無理しないでくださーい。また倒れたらメンドーなのでー」

「うん。ごめんねソーハさん……ところで何があったんだっけぇ……?」


 ダイムは、祭壇の部屋での出来事を全て忘れていた。




 先程の騒動の後、ダイムは無意識で『護身術』をコントロールし、己の中の魔神を再び封じ込めた。


 ダイムの『電気の力』には、何故か意思がある。

 そしてそれこそが魔神の正体。


 その『電気の力』は、意思こそあるが魂は無い。とても不安定な状態。

 隙あらばダイムの魂、そして肉体を奪おうとしている。


 ダイムはいつも『護身』のために魔神を心の内側に封印していたのだ。

 そして小さく漏れ出す電気の力により、幻術を使っている。

 これがダイムの『護身術』のメカニズムなのであった。



「……ジキタリスさんは……どこ?」


 先程起きた事件は全て忘れてしまったはずだが、どうしてかダイムは急にジキタリスの事が気になった。


「……ジキタリスちゃんさんはー。用があるって言ってー、急に故郷へ帰っちゃいましたよー」

「そっか……そうなんだ……」


 自分でも訳が分からないが、もうあの羽無し女性に会えないという事を、すんなりと受け入れることが出来た。


「あの楽しかった日々が、まるで嘘だったみたい……」

「まー、元気出してくださーい」


 ソーハはダイムの頭に手を置き、優しく撫でた。


「……町長はー、ダイムさまの体の事とか心配してるしー、きっと息子であるダイムさまの事を愛してますよー」

「うん、そうだね……でも何で今それ言うの?」

「いえー。なんとなくでーす」


 ダイムは自分の頭に乗せられているソーハの手を、そっと握った。


「……ありがとね、ソーハさん……なんだろう。なんだかソーハさんといると安心するな」

「そうですかー。まーそれならー、もうちょっとこのままでいてもー、許しますねー」




 ダイムが再び眠った後に、ソーハは祭壇の部屋を掃除し、早めの朝ご飯を作った。

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