第24話 崩壊の足音
「マリウス様ぁ、元気出してくださいよぉ」
「酷い。あれは酷すぎやしませんか。あんまりじゃないですか……」
「大丈夫ですよ! えっと、その、マリウス様のケツ毛は気持ちよかったですから!」
「僕のって言うの止めてもらえません?」
始まりの平原。
そこには打ちひしがれた男がひとり。
その隣に励ます女がひとり。
いつぞやの様に、平たい岩の上にならんで座っている。
その2人を、いくらか遠巻きにしつつ、決まったメンバーが見守っている。
マリウスの心痛を誰もが気の毒に思い、気遣うような視線を送った。
腹を抱えて笑うエルイーザ以外は。
「なぁピュリオス。あのイジメでしかない名称改編は誰がやった?」
「考案はエルイーザさん、実作業はソガキスくんですねーぇ」
「オレたちには何も知らされてなかったんだが?」
「内緒にしてた方が面白いと、理不尽様がおっしゃってですねーぇ」
ちらりとピュリオスが後ろを見る。
一同もそれに倣(なら)う。
そこには依然として、地面を転げ回るエルイーザの姿があった。
「ブヒャヒャヒャッ! クソ笑えるクッッソ笑えるぅー!」
「おい鬼畜女神」
「ケツ毛で回復ってぇー。マジできめぇ! 何でだよどんな理屈だよ変態揃いかよぉーーッ!」
ちなみに例の魔法名であるが、マリウスだけこのように書き換えられている。
炎魔法は『おトイレ』『ウォシュレット付きおトイレ』『ウォシュレット付きおトイレ但し温度調節機能は故障中』
回復魔法は『ケツ毛』『猛きケツ毛』『からみつくケツ毛』などなど。
当然の権利のように、あらゆる名称が書き換えられてしまっている。
酒の席での勢いが手伝ったせいか、眉を潜めてしまうほどの下劣さであった。
今回の悪ふざけにはリーディスも流石に怒り心頭し、笑い続けるエルイーザに厳しく詰め寄った。
「聞けよこの野郎! さっさとマリウスに謝れよ!」
「でっかい声出すなよ。興が醒(さ)めんだろうが」
「なんだトイレって、なんだケツ毛って!」
「おもしれぇだろ。想像してみな?」
「なにをだよ!?」
「暗いダンジョンで相対する強敵。仲間のピンチにマリウスが叫ぶ。『いきます、ウォシュレット付きトイレ!』ってね」
「……ブフッ」
「笑ってんじゃん。テメェも面白いと思ってんじゃん」
笑ったとあっては、リーディスから責める権利が消滅してしまう。
エルイーザのセンスに同意した形になるからだ。
とは言っても、名称をこのまま放置する訳にはいかない。
断罪は後回しにして、本来の形に修正する必要があった。
「なぁマリウス。悪いが魔法の名前戻しといてくれよ」
「僕がですか……。それは」
「勇者様。なぜマリウス様に頼んだのですか? 流石に筋が通らないのでは?」
言葉を発しようとしたマリウスを遮って、ミーナが柔らかな笑顔で返す。
だが気迫は十分。
愛らしい表情の裏には『小僧、ふざけた事を言うと首をねじ切るぞ』という脅しが含まれているようである。
リーディスは内心怯むが、引かずに食い下がった。
両手のひらを相手に見せて、争う意思が無いことを示しつつ。
「マリウスには悪いとは思うが、他に出来そうなヤツがいねぇんだ」
「片棒を担がれたソガキスさんは?」
「アイツならアタシのパシリやってもらってるよ。ケージって魚獲るまでは戻らねぇ」
「というかエルイーザさん、あなたが直すべきじゃないんですか!? 一番責任が重たいんですから!」
「アタシにやらせようっての? より面白くしちゃうよ?」
「……じゃあ勇者さん。あなたはご友人でしょう?」
「悪ィ。オレはそういう機械モノは苦手なんだ」
「ごめんねミーナちゃん。私たち説明書読まない派だから」
「すみませんです。うちのリリアが役立たずで」
「メリィ、アンタだって出来ないでしょ!?」
リーディスを始め、リリアとメリィが作業を拒絶した。
更には、良識人の呼び声高いルイーズも申し訳なさそうに頭を下げ、力になれないことを言外に告げた。
これは俗に言う『オレはパソコン詳しくないから』系の丸投げである。
投げつけれた側からしたら『詳しくないから何だ!』と憤りたくなる場面だろう。
出来ないなら出来ないなりに努力の跡を見せるべき所だが、不得手を免罪符のようにひけらかすのはいかがなものか。
世間でまかり通っている悪習は、ゲームキャラの間でもすっかり常態化しており、データ絡みの作業はマリウスひとりに委ねられていた。
その状況に対して吠え声をあげたのは、やはりミーナである。
「わかりました! だったら私がやります!」
「ううん……あなたは止めた方が良いんじゃないかしら?」
「そうよ。この前だって時計の時間を調節しようとして、文字盤ごと粉砕しちゃったじゃない」
「ウグッ! あれは……柔らか時計だったのです!」
「普通のアナログタイプだったわよねぇ」
「ミーナさん。平気ですよ、僕がやります」
「そんな、マリウス様!」
「どうせ元に戻すだけです。大がかりな作業を必要としません。それに……人任せにするのも怖いですから」
疲れ顔のマリウスが、半透明の画面を呼び出した。
編集時に呼び出す管理画面だ。
それを慣れた手つきで操作し始める。
「ええと、魔法名称をデフォルトに……っと。おや?」
無事に修正と保存が完了し、後はただ画面を閉じるだけとなる。
しかし、そう思っていた矢先、予期せぬ事態が起きた。
世界が突然に色を失ってしまったのだ。
いや、色だけではない。
眼に映る景色も、ゲームを彩る仲間たちも、その全てが動きを止めている。
それは時が制止したとしか思えぬ異常事態であった。
『これは!?』
マリウスは状況を確かめようとするも、視線を巡らす事はおろか、指先ひとつ動かす事すら出来ない。
まるで金縛りにあったかのようである。
そして声を出そうにも、喉からは掠れた音が漏れるばかりで、まともな言葉を発する事も叶わなかった。
『だ、誰か……!』
必死になって抗うも、一向に解決の兆しを見せない。
それどころか、より事態は悪化するのである。
画面から見たこともない光が飛び出し、マリウスの指先に触れた。
それは酷く暗く、嫌悪感を抱かせる色あいをしていた。
マリウスは動かない腕を払おうと懸命に力を籠めるも、まるで彫像のように膠着したままだ。
『何だこれは……!?』
その光は指先で目映く煌めいた。
すると漆黒の火炎となり、マリウスの体を包み込んでしまう。
人を飲み込むほどの大火だ。
目の当たりにしたなら身の毛もよだつほどの業火であり、たやすく彼を焼き尽くしてしまいそうに見えた事だろう。
しかし結果は大きく異なった。
それは毛先ほども焦がすことのない見せかけの炎。
しかし、彼の心中は、思いもよらぬ形で激しく揺さぶられるのだった。
『なんだ、この声は!?』
聞き覚えのない呪詛のような言葉が、何千、何万と押し寄せてきたのだ。
耳を介する事のない、心に直接植え込まれるような浸透力の高い雑言だった。
ーーふざけんなよ。こんな納期に間に合うかよ。
ーー何だこのシナリオあり得ねぇぞクソ過ぎ。
ーーあぁ、やってらんねぇ。会社破裂しねぇかな。
無数の悪意に塗れた言葉が襲いかかる。
それらに取り込まれることなく、自我を保ち続けられたのは、マリウスが持つ生来からの清さによるものだ。
突然の不可思議なる事態にも関わらず、孤軍奮闘し、実によく耐えた。
しかし、抵抗も時間の問題だった。
ーーこんなクソみたいな世界、全部無くなっちまえば良いんだ。
マリウスの鉄壁の心に僅かな穴を開けたのは、その言葉だった。
彼自身もどこか、『もう一度、二週目をやり直したい』と考えていたのである。
その実直な気質が仇となり、呼び水のように雑言を引き寄せてしまう。
つまりは、この瞬間に受け入れてしまったのだ。
正体の知れぬ何者かの『意思の塊』を。
受け入れた途端に、マリウスの体が徐々に豹変していった。
変異の発端である腕から伝い、胸、腹、足が人ならざるものへと変化を遂げる。
は虫類の皮膚に獣の体毛をまとった、明らかに異様な姿である。
そして変化したのは容貌だけではない。
心は寒々しさを覚え、飢えと渇きがない交ぜになったような焦燥感に満ちた。
渇く、渇く、渇く。
無限に湧き出る衝動が理知的な青年を大きく惑わした。
その動揺ぶりは、絶叫という形で外に知らしめられるのである。
「うわぁぁーー!」
次の瞬間、マリウスは画面から飛び退いて背中から倒れた。
正気を失った瞳が空をボンヤリと映す。
そこには絵に描いたような青空が広がっており、渡り鳥の群れが通りすぎていく。
世界は元の姿を取り戻したのだ。
その様子を眺めることで、マリウスの早鐘を打つ鼓動も、次第に落ち着きを取り戻し始める。
「大変! マリウス様!」
「どうしたマリウス! しっかりしろ!」
「み、みなさん。ご無事で……?」
「何言ってんだ。それはこっちの台詞だぞ。いきなり大声だして倒れるなんて、何が起きたんだ!?」
「そ、そんな事が……?」
狐につままれた様に、皆はあっけに取られるばかりだ。
しかし、最も困惑したのはマリウス自身だ。
見間違いや白昼夢などでは決して片付けられないほどのリアリティを、彼は確かに感じていたのだから。
「教えてくれ、何事だったんだ?」
「い、いえ。お騒がせしました。少々気疲れが過ぎたようで……」
「マリウスさま、少し休まれませんか? 顔色が真っ青ですよ」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私の代わりなど居ませんので」
「それは、そうですが……」
「皆さん、お騒がせしてすみませんでした。私の事はお気になさらず」
あちこちから優しい言葉が投げ掛けられる。
しかしマリウスは全てを振り切るようにして、事態の終息を一方的に告げた。
その言葉は明瞭であり、瞳も明晰さと柔和な色味を取り戻している。
本人が良いと言うのだから、周囲からの『休め』という声も、次第に鳴りを潜めた。
「みなさん。それよりも次のイベントについて話し合いませんか?」
「そうだな。今後の話を詰めよう。だけどマリウス、くれぐれも無理するなよ」
「お気遣いは無用ですよ」
「ええと、次のイベントっていうのは、最後の勇者イベントよね。たしか洞窟のなかで……」
いつものようにテーブルを囲んでから話し合いが始められた。
普段と変わらぬ様子のマリウスを見ているうちに、先程の異変は忘れ去られていった。
誰も納得がいった訳ではない。
不安を抱くものも少なくはない。
その不安定な気持ちを、『システム上の何らかのエラー』といった理由にて、各々が胸中で強引に結論付けた。
だが、エルイーザだけは違う。
1人だけ確信めいた疑念を抱いたのだ。
ーーあいつ、どうしたんだ。急に人が変わりやがったが。
疑惑はあれど証拠はない。
尻尾を掴むまでは、追求することすら危険に思えた。
そう考えた彼女は口をつぐみ、議題の進行に耳を傾け続けた。
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