第5話 男、アイドル、十八歳
深夜のことだった。弟とは一緒の家で暮らしているので、弟の携帯電話が五分も鳴り続けていたらさすがにわかる。弟の部屋を大きな音を立ててノックする。弟はあまり警戒というものをしないので、眠りも深い。一方僕は、浅い眠りを繰り返す。
「ガレナ、着信だよ、うるさいから早く出て」
「……」
部屋の中からは動きが感じられない。僕は弟の部屋に入り、弟を揺り起こした。
「ガレナ」
「んん、兄さん……?」
「電話だよ」
「うん……」
「こんな夜中の電話だよ、何かあったんじゃないの」
「そっかあ」
寝ぼけた様子の弟は、それでも目をこすりながら電話に出た。しかしながら、電話口で話している間に、みるみる顔色が変わり、寝間着をむしるように脱ぎ始めた。手近な服を、電話したまま身に着ける。電話には、しきりに、今行くから、と繰り返している。
そのまま弟は玄関から転がるように出ていった。行ってきます、も、何もなかった。
僕はというと、明日も仕事が入っている。寝なおして、きちんとタクシーに乗らなければいけない。
そのまま明朝まで、自室で浅く眠った。朝になっても弟は戻ってこなかった。僕は身支度を整えると、誰もいない家に「行ってきます」を言い、家の前で待たせていたタクシーに乗った。
バラエティ番組の収録だった。クイズ式の番組で、僕は運よく、スポーティで格好のいいモーターバイクを当ててしまった。
僕は自慢して回りたくて、そのままいただけませんか、と言った。プロデューサーは、展示品で傷が、とか、ガソリンが、とか、いろいろ言っていたが、僕がお金を積むと、乗って帰っていいことになった。現物かどうかはどうでもよかった。ただ自分の仕事が正しく誰かのためになったのだと、弟に認めてほしかった。
弟に連絡をした。電話越しに、弟の横で泣き声が聞こえた。ニィネと言っただろうか、弟に異常なまでに執着しているルウ街のホストだ。毎年の立派極まりない誕生日祝いを見る限り、きっと彼は弟と仲良くしたい一心で過ごしているのだろう。
一方、弟は悪いことをした経験が浅いが、それゆえにその少し悪ぶったホストが眩しく見えているようではあった。浅はかだと思う。間近に僕がいるというのに、他人のほうが素敵だと言われているようで、少し傷ついた気分になる。
弟に、今から迎えに行く、と伝える。弟は、いらない、と言った。でも僕は弟に、どうしてもこのバイクを見せたかった。ろくに弟の話も聞かずに、番組の賞金でルウ街にギャンブルをしに行くから一緒に来い、と言った。僕も弟も未成年なので、ギャンブルの店には基本的に入れない。ただ、大抵のことはなんとでもなるものだ。
弟は僕がひとりになることを、今日ばかりはなぜか嫌がった。なら一緒に行く、と言われ、今いる場所を教えてくれた。ルウ街のはずれの別荘地だ。
バイクをふかす。免許は持っていない。でも番組のメンバーは何も言わなかった。僕が好きなようにやるのは昔からなのだ。ヘルメットだけつけて、勘で運転をした。最高に楽しい。ただ、ナズナに見つかったら怒られるだろう。ユカリが見ていても嫌がられただろう。ユカリは、どうしてしまったのだろうか、ほかに本命の男でも見つかったのだろうか。それならば僕がどうこう言うことではない。ただ、そうではないような気がした。それでも、体だけの関係を長く続けていただけの僕が、彼女の何を知ったつもりでいるのかは、わからない。ただ、僕は彼女を聖女だと思っている。
弟は別荘の前にぽつねんと立っていた。どこか悲しげだった。ヘルメットとバイクで近寄ると、怯えた様子で身を引く。ただ、僕がヘルメットを脱ぐと、安心した顔をした。しかし、すぐに険悪な表情になる。
「兄さん、免許は」
「どうでもいいよ、ほら、後ろに乗って」
「嫌だ」
「何か悲しいことがあったんだろう、バイクを飛ばしていれば忘れるさ」
「忘れちゃいけないんだ」
ずいぶんとかたくなだ。僕が何と言ったものか考えていると、後ろでパトロールカーのサイレンが聞こえた。僕を見つけてしまったのだろう。それはそうだ、僕は警察からは「いつもの顔ぶれ」でしかないし、白い毛並みのツガイメギツネがふたりで立っていたら、職務質問くらいはあってもおかしくない。特殊な色なので、ほぼ、悪名高い僕と、その弟だとわかるだろう。僕は何とも思っていない。ゴシップが騒いでくれたほうが、名前が売れる、その程度だ。
「ほらガレナ、早く乗って。僕はまだ捕まりたくないよ」
「……」
弟はとてもではないが尋常でない目つきで僕を睨み、諦めた様子で後ろに乗り、僕の腰に手を回した。僕はアクセルをふかし、標識のはるか上のスピードで走った。スリリングだった。本能的に興奮する。これが生だと錯覚する。錯覚でも気持ちのよさは変わらない。愛のないセックスと似ている。あの聖女、ユカリも、僕と関係を持って、少しでも快楽を得られていただろうか。
警察はまだ追ってきている。どうすれば見逃してもらえるかを気楽に考えていると、弟は峠の曲がり角で、思いきり僕の体を、峠を曲がり切れない角度に倒させた。
「え」
一瞬だった。弟は路上に転がったようだ。僕は、峠のガードレールを突き抜け、はるか下まで墜落していく。
僕が最期に想っているひとは、僕を呼び止めることはできない。
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