ゲーム 「頭が良くなる能力」で生き残れ
Mr.
1
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ここは、とある街の中心部に位置する広場。広場の形状は半径約二十メートルの真円で、その円周上にはコンクリートで出来た壁がある。地面には白い石が敷き詰められており、東西南北の四方向に向かって主となる大通りが真っ直ぐに伸びていた。広場の外には市街地が広がり、大通りに沿って民家や小さなスーパーなどが軒を連ねているが、大きな建物は一つも無い。街で一番高い建物は広場からほど近い場所に位置するレンガ造りの時計塔で、それでさえ五階建てだ。
広場の周囲にある壁は高さ三十メートルほどもあり、隙間なく広場を囲っているため、広場から外の様子は全く窺えなかった。
一方壁の中の広場には何もない空間が広がっていた。そこには何の建物もなく、一つの置物すらない。ただ白い石畳があるだけの円形の空き地になっている。そんな殺風景で寂しい広場の中心に横たわる男が一人。年齢は十代後半。中肉中背の体に、長くも短くもない黒髪は少しはねている。顔は、パーツごとに見れば整ってはいるものの、それらがうまく調和した結果見事な童顔を作り上げている。この童顔ということを除けば、男の見た目はほとんど特徴が無かった。
「……ここは……どこだ?」
八時三十分。
男は目を覚ました。
体を起こし、とりあえず自分が置かれている状況を理解しようと辺りを見回す。
だが周囲に見えるものといえば、どの方角を見ても、白い石畳の広場とそれを囲っている灰色の壁だけであった。
広場は決して狭くはないが、壁が大きすぎるせいか、距離感が全くつかめない。
「あれは、壁なのか?」
十階建てマンションくらいのコンクリートでできたそれは、禍々しい雰囲気を纏い、まるで広場の中にいる人を威圧するように聳えている。東西南北に四つの、車一台がぎりぎり通れそうなくらいの隙間がある以外は視界の大半を無機質な灰色が占めていた。
この場所に居ると、檻の中に居るようで居心地が悪い。そう思った男はいたたまれなくなって、広場から出ようと立ち上がった。と同時、足元に何かの気配を感じた。男が視線を落とすと、その先にあったのは一つのヘッドフォン。艶消しの黒で統一されたそれは、単調ながらも高級感を醸し出している。
「よっと」
思わず、手に取ってしまった。人間の好奇心とは実に恐ろしい。
自らの手の上にある異物を目の前にして、男は思う。
「これは……あかんやつや」
地面にヘッドフォンが落ちているなど怪し過ぎる。たとえ安全であったとしても、どこぞのジェントルマンがつけたかもしれないヘッドフォンをつけるのは嫌だ。
というのは建前。
本音はというと。
「なにこれつけてみたい。もしかしたらロリでヤングな幼女がつけていたかもしれない。いや、きっとそうだ」
――どうやら俺は変態みたいだ。俺ってこんなやつだったっけ。
――いや、そんなはずは……。
「な……い……?」
――待った。これはどういうことだ。そもそもなんでこんな広場に倒れていたんだ。
しばらく考えたが、とうとう答えは出てこない。それだけではない、答えはおろか他の記憶も何一つ思い出せない。
――つまり、これはもしかして……いや、もしかしなくても。
「記憶がない!?」
さて、どうしよう。本来ならばパニックになってもおかしくない場面だが、その頭は意外にも冷静さを保っていたように思えた。
「そ、そうだ。記憶を失うにしても範囲があるはずだ。とりあえず俺の名前くらいは――」
……。
暫しの沈黙。風に木の葉が舞う音だけが、何もない広場に木霊する。
「ううわああああああああああああ――」
前言撤回。男は早速冷静さを失ったのだった。
「――あああああああああああんっ!」
想像してみてほしい。広場の真ん中で、一人で騒ぎ立てる情緒不安定な青年の姿を。周りに人がいなかったことが唯一の救いだ。
何はともあれ状況は受け止めるしかない。次の行動に移ろう、と男。
優先すべきは、謎の解明。
「まずはこのヘッドフォンだな」
外見は自分の知っているヘッドフォンと何ら変わりはない。中に細工がしてあるかもしれないと思い、分解できるか試したがびくともしない。困った男は、仕方がない、今のこの状況の手がかりになるかもしれないしな、と意を決してそれを頭にはめてみた。
「……なんだ。何も起きないじゃ――」
カチ。
ヘッドフォンの中から聴こえた、何かが接続されるような音。
「え。ちょ、ま」
――なんかカチっていったんですけど。
「やばい。やばいやばいやばい」
これは外さないといけない、と直感的に感じ取った男はすぐさま外そうと試みる。
ヘッドフォンの両側を握りしめ、両手で一気に――
「って、痛だだだだだ!!」
このヘッドフォン、耳の中に繋がってる。……などと理解する余裕などあるはずがなかった。
「いった! え、ちょっと待ってマジで痛い。っぱねえ耳血でる耳血でる!! 痛ン゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
誰もいない広場に男子高校生の汚い裏声が響き渡った。男、本日二度目のパニックである。痛みがあったとはいえ、落ち着くのに数分の時間を要したことは秘密だ。
***
「俺は、八号?」
今まで他の事に手いっぱいで気が付かなかった。
男が着ている服の、胸の位置に黒字で大きく「八号」と書かれている。さらに根本的な問題として、男は自分が体操服を着ていることに気が付いた。学校で使用されている、白いシャツに紺色のズボンのあの体操服である。
半そで半ズボン。それに加えて、童顔。
「これじゃあ小学生。いや、身長も考慮して中学生がやっとってところか」
――これなら子供のふりをして女の子に……なんてことを考えなくもなかったが、まだ女の子どころか人間を一人も見ていない。
「とりあえず人を探すか」
こうして男――八号は広場を後にし、街に足を踏み入れた。第一発見者が可愛い女の子でありますように、と願いながら。
***
八号は北へ向かって真っ直ぐに伸びる大通りを歩いていた。石のタイルで舗装された大通りは横幅が十メートルほどあり、車道と歩道の間に規則正しく街路樹が並んでいる。前方には視界を遮るものもなく、言葉通り真っ直ぐに伸びており、その全てに石のタイルが敷き詰められていることを考えると、どれだけ大規模な工事が行われたのか想像もつかない。
八号が歩く道中、住宅街、商店街、スーパーなど色々な建物が視界に入るが、何故か人の姿だけがどこにも見当たらない。この街は、人がいないということ以外はごく平凡な街だった。
「……三百九十九歩、四百歩。ここが、広場まで約二百メートルの場所か」
立ち止まり、一旦辺りを見回す八号。どうやらこの辺りは住宅街のようだ。大通りに沿って今風の一軒家が並んでいる。
自分でも理由はわからないが、広場からここまでずっと長さを測ってきた。広場を出る前に、一歩の長さを五十センチに統一しようとなんとなく頭に浮かんだ。その時すんなりと受け入れてしまったことが不思議だ。
また一つ、謎が増えた。
そんなことを考えながらなんとなく民家の窓を見やると、不用心にも窓に鍵がかかっておらず、カーテンも開いていて、中に広がるリビングの状況が筒抜けになっていた。ここに来るまでに無数の家々を通り過ぎてきたが、広場からここまで例外なく、どの家のどの窓も施錠されていなかった。
「この辺の家、窓が開けっ放しじゃないか。見た感じ人はいなさそうなのに……まあ、どうせ今は俺しかいないし関係ないか」
――別に大した理由があるわけではないだろう。寧ろ、人がいるなら出てきてほしいくらいだ。
「ていうか、本当に子供にしか見えないな」
民家の窓ガラスに映り込む少年に語り掛ける。無論、返事が返ってくるはずもなく無音の時間が訪れた。人気の無さからか虚しささえ感じる静寂の中、八号は窓ガラスに映る少年のさらに奥に見える建物に違和感を覚えた。
「なんというか、場違いじゃないか?」
気になって振り向く。現代風の鉄筋コンクリート造の家が建ち並ぶ中、一つだけ明らかに異彩を放つ建物がある。道を挟んだ向かい側に、中世ヨーロッパ風の、レンガ造りの時計塔がそびえ立っていた。建物の全てが古びたレンガで構築されているそれは四角柱状をしている。しかし正面であるはずのこちら側の側面には最上部に大きな時計がある以外は小さな窓が四つしか見えず、芸術性を削ぎ落としたただの塔と成り下がっていた。窓の数と高さから推測するに五階建てだ。
あの高さ、空気の読めないレンガ造り。頭にひっかかったが、結局、最後まで何かを思い出すことはなかった。記憶がないものは仕方がないと割り切り、八号は大通りをさらに先へと進んだ。
***
しばらく歩く中、八号は何かを思い出せないことがいかに辛いかを痛感していた。例えるならば、くしゃみが出そうで出ない時のような感覚。このイライラが積もっていく一方だと悟った八号は過去の詮索を一切止めることにした。
「記憶によっては忘れていないものもあるみたいだけど、それが逆に歯がゆいんだよなあ。ま、でも思い出せないんだから色々考えたってしょうがない。切り替えが早いのはいいことだよな、っと?」
異変を感じ、視線を前方へと向ける八号。やっと街の端が見えてきた。と言おうとしたが、続く言葉に詰まる。
――何だ、あれは。どういうことだ。
「嘘だろ……」
八号のわずか数メートル先には街の端がある。それは確かに端なのだが……。
「街の端って……」
八号の目と鼻の先。ある地点を境に何もかもがなくなっていた。その先には、まるで世界そのものを丸ごと墨で塗りつぶしたような真っ黒な空間が無限に広がっている。別に高い崖になっているわけでも地面に穴が開いているというわけでもない、ただの闇なのだ。それは爆弾や隕石衝突によるクレーターなどとは次元が違う、完全なる『無』。
その理解の及ばない光景を目の前にして、もはや八号の思考は完全に停止していた。
「何も……ないじゃないか」
八号の発言は正しい。なぜならそもそも地面が――いや、空間自体が存在しないというのが正しい表現なのだから。
地面が抉られているだの、穴が開いているだの、そんな薄っぺらい言葉では言い表せない。何もない代わりに闇で埋まっているような風景。
本来あるはずの地平はなく、自分の立っている地面の高さから上には空が広がり、下には闇が広がっている。水平方向に無限に黒が広がっている闇平線とでもいうべきものは、まるでゲームのような原色を垂れ流した群青色の空と見事なコントラストを作り上げている。
だが、そんな浪漫を堪能する暇もなく、八号の心は恐怖に浸食されていった。気が付くと、端まであと数十センチのところまで来ている。
「……!!」
あまりの恐怖に飛びそうになる意識を抑えて、その場に力なく座り込んだ。
「女々しいだの、何だの、言いたきゃ好きにしやがれ。怖いものは怖いんだっつーの」
自分の不甲斐ない姿に、誰に向けてでもなく、自虐的にひとりごちる八号。
経験したことのないものに恐怖する。それは人間の防衛本能であり、当たり前のことである。
「って、こんな言い訳していいわけがない。俺は男だぞ」
神さえ凍てつくダジャレを一人ブチかまし、気を取り直して、一歩前へと踏み込む。恐る恐る下を向いてみれば、そこには全てを飲み込む黒。少しでも気を緩めれば、八号は無限に広がる闇へと吸い込まれていくだろう。ごくりと唾を飲み込み気を引き締める。
「さてと実験実験ー」
能天気な声に合わせて八号が手にしたのは、一つの石。そう、聡明な皆さんはもうおわかりだろう。俺的、崖があったらやってみたいことランキング一位。石投げである。
「下に人がいたら危ないから良い子の皆はやっちゃダメだぞっ☆ そーら、よっ!」
気持ちのいい掛け声と共に放たれた握りこぶし大の石ころ一つ。それは緩やかな弧を描き、瞬く間に闇へとフェードアウトした。
……。
おかしい。普通なら聴こえる石が地面に当たる時のあのカツーンという音が聴こえない。
「そんなはずはない。たまたま下に水でもあったんだろう。もういっちょ」
今度は前回と違う場所に投げてみる。それでも、やはりカツーンは返ってこなかった。そうなれば考えられることは三つほど。
一、下に大きな河川がある。
二、途中で何かに引っかかって止まった。
そして三、石はまだ地面に着いてない。もしくは、そもそも地面など存在しない。
「いや、でも……」
頭を崖の外に向かって突き出し、下を見下ろして考える。八号は、べつに高所恐怖症というわけではなかったが、流石にこの時ばかりは下腹部のある部分が縮まった。
大丈夫だ、他に人はいないから押される心配もないし、まさかこの地面が崩れるわけもなかろう。そう自らの頭に言い聞かせて、恐怖を捨て、思考を切り替える。
「そもそもだ。まず、なぜ崖が作られたのかを考えよう」
声に出して思考を整理する。これを独り言とは言わない、と勝手に思っている。
「にしてもすごい高さだな。こんなのどうやったらできるんだろう」
吸い込まれそうな闇に、思考を止めて思わず見入ってしまう。
――いや、待てよ。そもそも普通に考えて、この高さの垂直な崖なんてあるはずがない。
それに加えて。
再び前を向く。よく見ると、空と地面の境目が不自然すぎる。これまた、現実では有り得ない。
———なら、ここはどこだ?
その答えは、今の八号にはとても信じられるものではなかった。
「俺の知る限りじゃあ、こんなことが起こり得るのは……ゲームしかないけど、これはゲームの中って感じじゃあない」
信じられないというより、信じたくなかった。自分自身がゲームの中に入る?そんなものは物語の中だけで充分だ。
「あー、忘れよ忘れよ。なんだよゲームって、あほくさ。俺も疲れてるのかな。どうせ夢だよ、夢。こうやって時間をつぶしていれば、いずれ目が覚めるはず」
確かに、八号は最近、VRMMO系の小説にはまっていた。
――しかし、夢と現実を混同してしまうほどに疲れていたみたいだ。高校生にもなって恥ずかしい話だな。
自棄気味に言い捨て、八号は気分転換のために暫く眠ることにした。
結局、今までのことはすべて夢でした。夢オチエンドです。めでたし、めでたし。ちゃんちゃん。
***
……と、いくはずがなかった。
八号が再び目覚めたのは、あれから一時間後。それも、最悪の目覚めになった。
キイイイイイン。
突然、耳を劈くような音がどこからともなく聞こえる。それが己のヘッドフォンから聴こえていることは寝ぼけた八号の頭でも感じ取ったらしい。すぐさま両の手に力を籠め、渾身の力でそれを引っ張った。
「ぎゃっ!! くぁwせdrftgyふじこlp!!!!」
声にならない痛みとはこのことか。八号は耳に両手を当てた直立不動の姿勢を保ったまま見事に気絶した。この後、一人悶絶する羽目になったのは言うまでもないだろう。
さすがの八号も、まさか自分の二の舞を演じることになるとは思っていなかった。
……ザザザ。
未だ耳の痛みは治まらないが、さっきの音の後に何やらノイズ交じりの音声が聴こえてくるようになった。聞いた感じだと、何かの音楽というよりはラジオの放送に近い。つまり、この世界(仮)には八号以外にも人間がいる可能性があるということ。
そして次の一言が八号の予測を確実にし、同時に希望を与えた。
≪えー、八号さん。聴こえていますか?私は五号です。もし、この放送を聞いていたら、街の中央部にある広場まで来てください。繰り返します。八号さん……≫
「お……おお! やった! 俺以外にも人がいる!」
久々に聞く自分以外の声。それは男性の優しい声だった。人間の、いや、日本人の心理だろうか。仲間がいると非常に安心する。人間がいるという安心。だがそれが幼女———そもそも女性ではなかったという失望。色々な気持ちが折り重なって、目頭が熱くなる。
「この際、性別なんて気にしていられない。おっさんと二人きりでも何でもいい。とにかく生き残らなきゃ何も始まらないからな」
一瞬だけ脳裏を過ったウホッ♂な展開を振り切り、八号は元気よく広場へ走った。
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