第一幕 〜巴里虹の場合〜
001
「宗教的な意味での食人?」
突然カニバリズムがどうのこうのって話をされても、正直なにがなんだか分からない。それでも私は自分の考えを律儀に返す。
「宗教的って言葉で
どうかなってにっこり笑いながらいわれても、どうしたもんだろうって感じ。
それに笑顔がいちいち爽やかイケメン。
それが病的な白い肌に映えていて、なんだか萎える。
テーブルに肘をついて、嫌でも押し出されてしまう溜息を、嫌じゃないからわざと盛大に漏らした。
だってそうじゃない? 聞かれたから答えたのに、いちいち否定的に返事する必要なんてないじゃん。
一つテーブルを挟んだ先のテーブルに座っている、大学生くらいの女の子二人組が
でもそれは思うだけで、結局その言葉は無糖のコーヒーと一緒に胃へと流し込まれた。
私はとりあえず一政の、どうかなにレスポンスする。
「それじゃあ……人を食べる事で、その食べた人を我が身に宿そう、みたいな感じ? 輪廻じゃないけど、私はあなたの一部を食べることで、私の中に生き続けるよ、みたいな。
「私の中に生き続けるとか、非現実的だね。それに……」
一政は声のトーンを下げる。
「死んでるから。食べられてる人は、その時点で」
ああ……こういうところが面倒くさいし、いらいらする。
それに、また否定的。なんなんだって、こいつ。
「っていうかさ?」
私は肘をついたまま顔を大学生くらいの女の子二人組の方に向けて、その二人を超えた先の窓から見えるカーブミラーに映った男を見ながらいう。
「ランチの時に人を食べるとか食べないとかいう話やめてよ。第一声から、今日はカニバリズムについて。とかいっちゃてさ。クールー病? プリオン? 私にとっては知ったこっちゃないんだから、そんな話。だいたいさ、そんな話するなら、他の店選んできてくれない? ここハンバーグが有名って知らないの? そんな話されたらハンバーグが不味くなる」
カーブミラーに映る男は、五月半ばで暖かくなってきているというのに黒いパーカーを着てフードをしっかり頭にかぶっている。暑くないんだろうか?
大学生くらいの女の子二人組は、私の言葉を聞いてあからさまに嫌そうな顔をすると、彼女らの前にある美味しそうなハンバーグに当てていたフォークとナイフを皿の上に揃えて置いた。
ごめんなさい、人を食べるなんて聞いてから、その肉の塊は食べれないよね。多感な時期だもんね。
なんていわないけれど、気持ちは本当にある。申し訳ないって気持ちは。
でも、この男はちゃんといわないとやめないから、これは腐れ縁の私だから自身を持っていえる。
この男はそういう男なんだ。
っていうか、この女の子二人にしてみたら、私はカニバリズムがどうのこうのって話を聞かせてくる変な女に見えたかも。
違うの! 私はあなたたちの先に見えるカーブミラーを見てただけ!
女の子二人は私の事を、生ゴミでも見るような目で睨みつけてレジに向かっていってしまった。
ああ、もう、最悪。
一政と会うと、ろくな事がない。
毎月、決まって一回だけ、一政から直接顔を合わせて話をしようという誘いがある。
これは中学時代からずっと続いていて習慣になっている。
ただ私にとっては正直面倒で、やめれるもんならこんな事はやめたい。
でも私には、一政からの誘いを断れない理由がある。
だって私は……。
「ほうひはの、はり?」
ハンバーグを口に含んだまま喋っているせいで、なんていってるか分かりにくいけど、「どうしたの、パリ?」ってところだろう。多分。
「別に」
私はなるべく素っ気なく、なんてことないようにしてみせるけれど、どうしても視線は流れていってしまって、気づくと一政の左手を見てしまう。
親指の爪は、他の指の爪に比べて大きくてしっかりしている。でも爪の先の白い部分が長い。
こういう小さなところなんてと男は思うらしいけど、私からすると不潔に見えるから切った方がいいのにな。
まあ、そんなこと教える義理はないから、いわないけど。
人差し指は長い。中指と同じくらいある。若干中指より短いけど、それでも長い。爪も親指と一緒で長い。
なんだろう。こういう小さなポイント一つ一つが、一政を人間っていうレールから少しずつ脱線させていこうとする要素になっている、そんな気がする。
病的な肌の白さだったり、指の長さだったり、無駄なイケメン顔とか。
『誰が』とかじゃなくて、『世界の理屈』みたいなものがっていうのは少し考えすぎかもしれないけど。
中指は普通。人差し指みたいな中指。そういえば、指に産毛みたいなのが全然ない。ちょっと羨ましい。これは女として素直に羨ましい。私だって産毛みたいなのちょっとはあるのに。
この中性的な感じも人間らしくない要素を加速させている気がする。
薬指……
自分が勝手に見始めたのに、私は俯き薬指から目を逸らしてしまう。
これは私が目を逸らしていいはずがないものなのに。
「そう。ちゃんと見てよ。僕の事」
はっと顔を上げると、一政は私の目に、指を、目を
立てる。
少しテーブルに身を乗り出した一政は、私の顔の前で左手を開いてみせる。
一政の左手には、
左手の薬指には、
第一関節から先が存在しない。
「本当Sだよね」
顔を逸らしたいけど、爪が食い込んでいて逸らすことが出来ない。
顔を逸らせないならと強がってみても、そんな事が一政に通用しないのは分かっていた。
一政は首を横に振って、
「僕はMだよ、
なんてふざける。
本人はいたって真面目そうな表情をしてはいるけれど、この男はいつだって表情が曖昧だから。
人としての感情が欠落しているから。
「はいはい。今日は先にいわせてもらうけど、一政とは今日も付き合わないよ。罪滅ぼしだから、食事はするし話も聞くけど、それだけ」
「ふふふ、これを聞くだけでも、僕にとってはご褒美みたいなもんだけどね」
またイケメン顔して笑ってるよ。
本当に萎える。
「はいはい。もう私食べ終わったし帰ってもいい?」
一政は食事のペースが遅い。
私だってそんなに早い方って訳じゃないし、なんなら友達とかには遅いっていわれることが多いのに、そんな私より遅い。
だから毎回自分が食べ終わってから一政が食べ終わるまでの、この時間が苦痛で仕方ない。
「今日はもう帰っていいよ」
「えっ? いいの?」
毎回この質問をするけど、今まで一度だって、一政が食事を終えるまでは帰してくれなかったのに。
珍しいこともあるなと思っていると、一政が意味深なことを口走った。
「近々またパリとは会うことになると思うから」
そういって私に手を振る一政。
なんで左手なんだよと思うけど、きっとこれもわざとなんだろうな。
左手の薬指の第一関節より先を、しっかりと私の目に焼き付けさせるため。
財布から三〇〇〇円を出して伝票の下にさっと入れ込むと、もう十分まぶたの裏に焼き付いてしまったその薬指に、「バイバイ」と心の中でささやいた。
さっきの言葉は聞かなかったことにして。
店を出ようと歩いていくと、口の中に残っている美味しかったハンバーグの味を打ち消すように、一政の薬指の先と血の味が口の中に蘇る。
一政の薬指をあんな風にしたのは、
なにを隠そうこの私。
一政の薬指を。
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