フェスの勝者

「よう、コータ君! 角煮丼のレシピを盗みに来たぞ」

「アキさん! それに長田さんまで、ありがとうございます」


 ツムギが正式に問い合わせたところ、大久保は施設を正式に借りていたわけでなく、勝手に鍵を持ち出していただけという事が分かった。以前から同様の問題を起こしていたようで、管理者は逆に、OBがご迷惑をおかけしましたと謝って、改めて快くキッチンを貸し出してくれた。


 深夜のキッチンは、コータ達を手伝いに来た人たちでごった返している。大将に奥さん、シンタやトビセはもちろん、肉屋の市野や、他店の店舗のメンバー達も何人かが駆けつけている。


「奥さん、どうもご無沙汰してます。はなさく亭の所の息子です。なんでもコータ君たちが大久保さんと大立ち回り演じたんですって?」

「あら、アキちゃんお久しぶり。私もよくわからないんだけどね、ツムギがフライパンをフルスイングして一発でKOしたらしいの」

「してません!」

「おい母ちゃん、良く知らねーのに適当に話を盛って広めるの止めとけよ」


 奥さんは、あら、そうだったかしら、とのんびり言いながら、卵の殻をてきぱきと剥いていた。その後ろでは、大将がトング片手にジップロックを煮沸消毒している。


「おいコータ、煮沸終わったぞ。次はなんだ」

「ありがとう親父。後は袋を並べといてくれりゃそれでいい」

「おう、わかった。……しっかし、俺がコータの仕切りで調理補助してるなんてな」


 大将は、車椅子に座ったまま、嬉しそうにジップロックを並べて言う。


「仕方ねーだろ。まだ親父に包丁握らすわけにもいかねーし」

「そうじゃねえよ。お前の仕切りでって事だよ。なあ、コータ」

「なんだよ?」

「こういうの、たまらねえな」

「意味わかんねーよ」

「そうか。きっとお前もそのうちわかるさ」


 親父のいう事は相変わらずよくわかんねーと首を振るコータを、大将は楽しげに見ている。手慣れたメンバーが揃った仕込み作業は順調に進み、夜が明ける前には、予定した仕込みを全て終えることができた。


◇ ◇ ◇


 早朝の朝霧アリーナでは、蒼く染まった富士の山裾から朝日の光が零れだし、その頂きからは太陽が顔を覗かせる。ダイヤモンド富士だ。朝霧の自然がキャンプ地の皆へ挨拶をしている前で、コータ達は開店準備を開始した。


 店舗テントの幕を開け、食缶やクーラーボックスを所定の場所にセットし、新しいダスターを調理台やカウンター各所に配置する。既に、ステージ前の芝生の広場では、キャンパー達が、朝日を浴びながら朝ヨガを始めていた。


「フフフフ、コーちゃん、見てこれ!」


 ミナミが得意げに取り出したのは、写真付きのメニュー看板だった。外装エクステリア部門の社員に頼んで、夜のうちに作って貰っていたらしい。


「すげーじゃねーかミナミ。ありがとう。うっわ。ちゃんとトムヤンクン雑炊の分まであるじゃねーか」

「北野建業にお任せあれ。ちなみに、写真はナミさんが撮ってくれた奴だから」


 トビセは得意げに親指を立ててウインクする。早速店舗テント上のスペースに取り付けると、MAKA-MAKAの店構えは一気にグレードアップした。コータがその看板を見上げているとき、MAKA-MAKAのグループLINEがピロリンと鳴った。画面を見てみると、ヤスが「こっこ君」というメンバーを招待した音だった。


「なんだこれ? おいヤス、これ誰?」

「これね、botなんだよ。こっこ君は、チキンライスの湯煎を開始するタイミングと数を教えてくれるように作ってみた」

「まじか」

「うん。一応タイムテーブルと昨日の客足から係数計算してるから、目安として使ってみて。」

「ありがとう。助かるわー」


 開店準備を進めていると、早くも朝ご飯目当てのお客が集まって来た。多くは、「昨日食べられなかった噂の角煮丼を食べたくて」という、指名買いのお客だ。1日分の経験値を得たメンバーのオペレーションは見違えるほどで、あっというまにオーダーを捌いていく。


 スタッフ業務で抜けているシンタとツムギ、そして、相変わらず大将と一緒にどこかを遊びまわっている奥さんを除いた、コータ・ミナミ・ヤス・トビセの4人だけで、余裕すら感じさせながらオーダーを回す。時には、コータが手を出す暇も無くご飯が提供されるほどだった。


「なんかスムーズすぎて怖いくらいだな。でも、そうだよな。これが普通なんだよな。昨日の俺たちがバタバタしすぎてただけなんだよな」


 ホッとしたのか、コータは急に眠気に襲われた。大きなあくびをし、首を振ってトニック・ウォーターを煽っていると、トビセが声をかけてきた。


「馬飼野、私達だけで大丈夫だから、ちょっと寝たら? 奥にリクライニング付きのキャンプチェア持ってきてるから横になりなよ。ピンチになったら起こすし」


 なんだかんだで丸二日を徹夜しているコータの眠気は、そろそろ限界だった。ましてや、昨晩は大久保と大立ち回りを演じている。


「悪い。じゃあ30分だけ休ませてもらうわ」


 そう言うと、奥に引っ込んでキャンプチェアに深く腰掛けた。ステージ前では、朝霧JAMおなじみのラジオ体操が始まっている。その音楽を聴きながら目を閉じると、あっという間に眠りに落ちて行った。


◇ ◇ ◇


「やっべ……今何時だ? って14:00じゃねーか!」


 コータは飛び起きて店舗の方へと向かった。


「あ、コータ君起きた? おはよー」

「おはよーってヤス、なんで起こしてくれねーんだよ。飯は大丈夫だったのか? 昼のピークは?」


 ヤスはグッと親指を立てる。コータが食缶の中やクーラーボックスの中の在庫を確認すると、信じられないくらいの数が出ていた。


「なんだこれ、凄いな。お前らだけで捌いたのか?」


 カウンターで店番をしていたトビセも気が付いてやってくる。


「馬飼野おはよう! 見て! ついさっきティムが来て! サインしてくれたのー」


 そう言うと、着ているTシャツの背中を見せる。そのBEEF or CHICKENのTシャツの背中には、大きくティムのサインが入っていた。


「さっきまでステージの上にいたティムが目の前に来て、しかもサインくれるなんて! ステージも最高だったし、フェスに来てよかった。馬飼野! ありがとう」


 トビセはコータの手を両手で握ってぶんぶん振る。


「お……おう、それより昼のピークとか大丈夫だったのか。俺、眠っちまってたみてーだけど」

「え? うん。小関もツムギちゃんも来てくれたから割と余裕だったよ。馬飼野は爆睡してたから放っておこうって話になって。あ、写真撮ってあるけど見る? ほら」


 トビセが取り出したスマホには、椅子からずり落ちそうになりながらも、器用にしがみついて寝ているコータの姿が写っていた。


「はー、まじかー。やっちまってるじゃねーか俺。悪いな。一番忙しい時間に」

「ううん。皆、馬飼野は寝かしておこうって。途中ちょっと忙しくなったけど、”馬飼野を起こしたら負け”みたいな空気になって、かえって面白かったよ」

「なんの勝負始めてんだよ。いや、でも本当にありがとう。ああ、そうだ! 吉田議員たちは来たのか?」


 コータは勢い込んでトビセとヤスの顔を交互に見る。 


「議員? ああ、なんか市のお客さんみたいな人だったら、馬飼野のお父さんとお母さんが来て対応してたよ。結局、角煮丼とチキンライス食べて、おいしいおいしいって言って帰ってったみたいだけど、それがどうかした?」


 トビセは不思議そうにコータの顔を見る。


「いや、親父が対応してくれたのか。そうか……。よし! 後は俺がやるわ。夕方の4時くらいのピークまでは好きなとこ見て来てくれ」

「そう? じゃあ西山君、行ってきちゃって。私はティムにサイン貰えただけでもう満足だし、2人だけでも……」


 ピロリンと皆のスマホが鳴る。確認すると、こっこ君から「そろそろチキン5追加だよ!」というLINEメッセージが入っていた。


「こっこ君も合わせて3人いれば大丈夫だから」


 そして、時刻は夕方の16:00。MAKA-MAKA店舗には、6人のメンバーが揃っていた。2日目のタイムテーブルでは、16:30くらいからトリ前のアーティストが演奏を始め、18:00にはトリのアーティストがラストのパフォーマンスを開始する。終了するのは19:00だ。そのため、この2組を見る前に、食事を済ませておこうという層が多い。食べるものを食べておき、あと2組を思う存分楽しんで、家路に着こうというわけだ。


 それなりの勢いでオーダーが入っているものの、MAKA-MAKAメンバーはなんでもないようにオペレーションをこなしていた。まず、角煮が売り切れ、続いてチキンライスが完売した。さらに、最後に残ったトムヤンクン雑炊も、ラス前のアーティストが演奏を始めるころには完売した。


「嘘みてえだ。皆、本当にありがとう! お疲れ様!」

「おう、やったなコータ」

「頑張ったねー」


 皆がコータの肩や背中をバンバン叩く。文句を言うコータも満面の笑顔だ。


「んじゃ、私達もステージ前行っちゃう? コーちゃん、後は任せていい?」

「おう、俺とツムギで十分だ。存分に踊って来てくれ」


 シンタはスタッフ業務に戻り、後の皆は歓声を上げてステージ前へと向かって行った。この時間帯、RAINBOW STAGEの店舗の方に来るお客の数は少ない。皆、ステージへと向かっているのだろう。すると、時間ができたのか、長田がコータ達のテントへとやって来た。


「お疲れ様、コータ君、ツムギちゃん。どうやらお互い乗り切ったようだね」

「長田さん! はい、ウチはもうドリンク以外売る物がなくなっちまいました。昨日皆さんに手伝って貰ったおかげです。本当にありがとうございました。御迷惑をおかけしました!」

「はっはは、それは良かった。そうだな、少し、昔話をしてもいいかい?」

「え? はい」


 コータがパイプ椅子を出してきて勧めると、長田はそれに腰かけ、ステージの方を見ながら語りだした。


「君たちは信元君の事を、『大将』と呼んでいるみたいだけどね、この朝霧JAM主催のSMASHという団体にも、やっぱり『大将』と呼ばれる人がいるんだ。日高ひだかさんといって、現SMASHの代表の方なんだがね、それはもう熱い人なんだよ。名プロモーター、いや、『呼び屋』といった方がいいかな」


 コータとツムギは黙って頷く。


「元々、朝霧でフェスイベントを始めようと言い出したのも日高さんでね。SMASHはフジロックも開催しているんだが、大雨が降った年があったんだ。その反省からか、代替地を探していた時にたまたま朝霧を見て、一目惚れしたそうなんだ」


 長田は、そこで当時を思い出したのか、ふふ、と笑った。


「そこから、地元の皆を説得し、アーティストを説得し、あっというまに開催までに漕ぎつけたんだよ。いや、凄いパワーだった。ちょうどその頃、富士宮では、富士宮やきそばを使った町おこしが始まった頃でね、こっちはこっちで、渡辺わたなべさんという、今の『富士宮やきそば学会』の会長さんを始めとした数名の人が、もの凄いパワーでいろいろな仕掛けを始めたんだ。その頃はまだ、『やきそばG麺』と名乗っていた頃かな。どちらも、始めは我々が戸惑うくらいの熱量でね。でも、どちらも、もの凄く、そりゃあ楽しそうにぐいぐい自分で引っ張って進めていくんだよ。私達も乗せられて、いろいろな事をやったものさ」


 そこまで話すと、長田はステージの再びステージの方へ目をやる。


「特にこのフェスは、普通、この田舎に呼ぶには考えられないほどのラインナップのアーティストを、惜しみなく呼んでくれる。それだけでなく、地元の事を本当によく考えて、地元の皆を巻き込んでひとつの『祭り』を作ってくれているんだ。主催者も、アーティストも、我々地元の人間も、そしてお客さんまでもが、少しずつ皆に気を使って、良いフェスにしようと楽しんでくれている。私はね、そんなこのフェスが大好きなんだ」


 長田の言葉に、コータとツムギも頷く。


「寂しい話だが、今の世の中、こんな風に丁寧に、お祭りの『場』を作ってくれるイベントばかりじゃない。私は立場上、B級グルメイベントに良く呼ばれるんだがね、単にB級グルメという言葉だけを使って、あとは何も考えずに参加者に丸投げしているような物も多い。コンテストと銘打っているくせに、最初から優勝が決まっている、ただの宣伝目的の出来レースまである。中には、”箱は作ってやったんだから、後はお前らの責任だ”くらいの態度の運営も少なくないんだ。そんなのは、盛り上げようと頑張っている参加者が損するだけだ。そんなイベント、やってはいけない。だからね、その分、余計このフェスが愛おしいんだよ」


 そこまで言うと、長田はコータとツムギの真剣な視線が照れ臭くなったのか、ふふ、と声を漏らして微笑した。


「ちょっと暑苦しくなってしまったね。まあ、そんなわけで15回以上もこのフェスは続いているんだ。その輪の中に、君たちみたいな新しいチャレンジをしようとする人が参加してくれるのは、凄く嬉しいんだよ。隣で君たちのを見させて貰っていたがね、おっと、悪い意味じゃあないよ」


 コータは、わかっていますというように、苦笑したまま頷く。


「なんだか、昔の私たちの事を思い出したんだ。とにかく、目の前の出来る事を楽しんでやってみるという感覚をね。どんどんやってみればいいのさ。失敗しても、売り切れても大丈夫だ。あの頃と違い、今は私たちがいる。他の店がどんなに下手を打ってもね、富士宮やきそばのはなさく亭が、いつだって後ろに控えてるんだ。迷惑かけるだのなんだのは気にせず、ドンとやってくれればいい。フェスってのは、楽しんだもの勝ちだ」


「長田さん……ありがとうございます」


「なに、こちらこそありがとう。本当に、昔の私や信元君を見てるようで楽しませてもらったよ。日高さんや渡辺さんに引っ張られて夢中になっていたあの頃をね。ま、こんな風に偉そうな事を言っているけど、私が店舗に顔を出すのは、結構久しぶりなんだがね。最近は、裏方の調整だけやって、店舗は息子に任せっぱなしだからね」


 長田は隣のテントで店番をしているアキの方を顎で指す。コータは、ふと疑問に思った事を尋ねた。


「そういえば、なんで今年に限って長田さんは、――それにウチの親父も参加する気になったんですか?」


 コータがそう訊ねた時、トリ前のアーティストの演奏が終わったようだった。それを見て、長田はおもむろに椅子から立ち上がる。


「コータ君、なんで私や信元君が参加したかと聞いていたね」

「はい」

「実は私と信元君は、15年前、このフェスに一緒に参加しているんだよ。私は店舗を出し、信元君には手伝って貰っていた」

「そうだったんですか? それは聞いてませんでした」


 長田は胸にかけていたエプロンを外しながら続ける。


「私たちの目的は、一組のアーティストだった。ERULI STANDARDというメロコアバンドでね。そのERULIエルリが参加した年だったんだよ。エルリは、10年前に解散してしまったがね」

「えっ?」

「そして今年の最終奏者ヘッドライナーは、10年ぶりに再結成した、そのエルリだ。つまり、こういう事だよ」


 エプロンを外した長田が、上着を脱ぎ捨てた。そこには、年季の入ったERULI STANDARDのTシャツが現われた。


「じゃあ、私は行ってくる。コータ君、あとは頼んだよ」

「なんすかそれ……マジですか長田さん! 飯はどうするんですか! はなさく亭がいつでも控えてるんじゃなかったんですか!」


 既にかなりステージ方向へと向かっている長田が、振り返って叫ぶ。


「エルリが15年ぶりに朝霧ここるってのに、暢気のんきに飯食おうとしてる奴に出す物なんてのはウチには無い! そういう連中はコータ君たちに任せたよ!」


 長田は力強くコータを指さすと、ステージ前最前列の方へ向かって姿を消した。


「マジかよ。ウチはもうドリンクしかねーって言ってるのに」

「楽しんだもの勝ちとか言って、長田さんが一番楽しんでますね」

「まったくだ。あのおっさん、最高かよ」


 コータはトニック・ウォーターをひと口煽ってステージの方を見る。ステージ前では早くも熱狂的なファンが、サウンドチェックの音が鳴るたびに大歓声を上げている。その後ろには、芝の上に座ったり、椅子を出してきて座りながらステージを見ている人がいる。ライトに照らされている車椅子のシルエットは、ひょっとしたら大将と奥さんかもしれない。さらにその後ろには、キャンプエリアでのんびり寛ぎながら、ステージの演奏を心待ちにしている人がいる。


 ステージ裏ではスタッフが最後の舞台を盛り上げるために奔走し、ステージ脇では戦いを一足先に終えたコータ達店舗スタッフが眺めている。そして、ステージ上ではアーティストが会場全体を盛り上げ、自らのパフォーマンスを楽しんでいる。


「すげえな、これ」


 立場も年齢も出身も違う人々が、この朝霧の地に集まって、それぞれの位置ポジションで、それぞれの役割ロールを楽しんいる。そんな奇跡が15年以上も続いている。そのバラバラな皆を結び付けているのは、音楽と、そして情熱だ。


「すげえな、フェスって」


 コータはそう呟いて、もうひと口トニック・ウォーターを煽る。ステージ上では、この夏最後の演奏がスタートし、大歓声が沸き上がった。

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