赤富士を背に踊れ三つ鱗

「長田さん! お疲れさまです。すみません。荒らす様な変な売れ方してしまって」


 コータは恐縮して頭を下げると、長田は笑って手を振る。


「いやいや、気にする事ないよ。良かったじゃないか。信元君も安心するだろう」


 お昼時のピークを過ぎ、客足はやや落ち着いていた。お客の流れは、今度はメインステージ前に向かい、オープニングアクトのステージをかぶり付きで見ようという層が早くもステージ前へと集まっていた。ステージ上では、準備をしているスタッフが、和やかに観客へ手を振ったりしている。


「しかし、それにしても凄い数を捌いていたね。隣で見ていたけど、感心したよ。どれ、私にも噂の角煮丼をひとつ貰えるかい?」


 長田は500円玉を取り出すと、コータに手渡した。


「はい、角煮ワンはいりまァす!」


 コータが角煮丼を手渡すと、長田は無言で食べ始めた。夢中でオーダーを捌いていた時には無かった緊張感がコータを襲う。黙っているのに耐えられず、コータは必要も無いのに言い訳のように口を動かしていた。


「数は出たんですけど、出演アーティストの一人が食べにきたおかげっていうか。ああ、味は自分としては割と頑張ったつもりですけど。でも、やっぱりちょっとガツンと行きすぎてますかね? ガッと流行って売り抜けるみたいになっちゃいましたけど、それで良かったのかも……」


 コータがしどろもどろになっていると、それを遮るように長田が顔を上げた。


「コータ君」

「はい!」


 長田はまじまじと角煮丼を見つめ、そしてゆっくりとコータに視線を移す。


「うまいじゃあないか。これ」

「あ……ありがとうございます!」


「いや、驚いたよ。信元君と路線は全く違うけれど、これはこれでおいしいよ。どうだい、ウチのアキに後で作り方教えてやってくれないか。それとも、秘密かい?」

「いえ! そんな。隠すほど大したもんじゃないです。喜んで教えさせて貰います」


 長田は、よろしく頼むよ。と言い、角煮丼をもう2つ買って、隣のテントへと帰って行った。コータがそちらを見ると、角煮丼を掻き込んでいたアキと目が合い、親指を立てて嬉しそうにしている。


 そうこうしているうちに、ステージ上ではオープニングアクトによるパフォーマンスが始まった。流石に客足も止まり、店舗まで演奏が届いてくる。威勢のいい呼び込みの声を上げていたコータたちも、それを止めてミナミの買って来たシュークリームを食べながら音楽に耳を傾ける。あくまでも朝霧JAMの主役は音楽だ。極力それを邪魔する事なく、100%楽しめるように皆が協力しているのだ。


 お昼のピークを乗り切ったこともあり、ツムギとシンタは、スタッフの業務へと戻り、ミナミとトビセは、一緒に好きなステージを見に出かけていった。緊急時には電話で呼び出す約束になっていたが、その必要もなく、残ったコータとヤスの2人で捌けるくらいのオーダーが、細々とではあったが続いていた。


 一番人気はやはり角煮丼だ。ティムの名を出して購入していく層も多かったが、それ以上にコータを喜ばせたのは、「凄くパンチが効いてて美味いって聞いて」と、味を評価して買いに来てくれるお客が一定数いた事だ。フワフワして、実感のなかった喜びが、しっかりと形になって腹の底に降りてくる。結局、2組目のアーティストのパフォーマンスが終わる16:30くらいの時点で、1日目の分として用意した角煮丼は売り切れてしまった。


「えっ! 売り切れたの!? 凄いじゃんコーちゃん」

「良かったね馬飼野。頑張ったじゃん」


 おみやげに、とろろ飯を買って戻って来たミナミとトビセも、その知らせを聞くと喜んでいた。だが、コータには別の不安が持ち上がっていた。


「あれ、どうしたのコーちゃん? 難しい顔して」

「いやな、角煮が全部出たのはすげー嬉しいんだけどさ、夕飯時のピークに売る物が1つ無くなるってのがな。こんなに出るとは思わなくてよ。まずったなあ」


 来店するお客のオーダーの8割は角煮丼だった。売り切れたことを告げると、そのまま隣のはなさく亭などに流れるお客も多い。


「大体、角煮丼ある? って聞かれて、無いからチキンライスどうですか、って言うパターンなんだよ。で、迷ってる所にパクチー大盛にしますよって言うと、それならって言って買ってくれる人もいるんだけどな。これで夕飯時切り抜けられるか不安だわ。トムヤンクンはほぼ出ねえし」


 コータは、チキンライス用の湯煎パックを仕掛けながら状況を説明する。トビセは腕を組んで考えていたが、ひとつの提案をコータに出した。


「トムヤンクンは、エビじゃなくてチキンなのがガッカリ感を感じるのかもね。500円でエビ無しは辛い、って。ねえ馬飼野、角煮丼の方の白いご飯、もう使わないんでしょ? だったら、おむすびをひとつ添えるってはどうかな?」


 コータは保温ジャーを開けてライスの残りを確認する。張り切りすぎて角煮丼の角煮を予定よりも盛りすぎたためか、ライスの方はまだまだ残っている。


「なるほどな。やってみるか。チキン・トムヤンクンにおにぎりセットか。よし」


 早速、コータとトビセはおむすびを握り始めた。お弁当・お惣菜作りのテンジンヤでバイト経験のあるトビセは、器用にラップにご飯を包んでは、三角形のおむすびを握る。一通りできると、冷めてカチカチにならないように、ラップのまま保温ジャーの中へと並べていく。


 その間、ミナミとヤスは、脚立を持ち出して、店舗テント上部のメニュー表の角煮丼の箇所に、「SOLD OUT」という紙を貼り付け、チキン・トムヤンクンの箇所に「(おむすび1つ付き)」と書き加えた。


「よし! MAKA-MAKA夕飯の部の布陣はできた。この2品で勝負だ!」


 3組目のアーティストのパフォーマンスが終わる頃になると、今度は、朝霧の大自然によるパフォーマンスが始まる。日が落ちるにつれ、緑の木々と茶色い山肌を見せつけていた夏富士の肌が、壮麗な蒼色へと染まり出す。そして、その蒼に橙色のライトが浴びせられる。そう、雲を巻き込んで赤く朝霧の空を染める赤富士の出番だ。


 日が落ちた後は、多数のアーティストたちが組み上げたキャンドルやライトによるライトアップが行われるフェス会場だが、この大自然のライトアップはスケールが違う。この時ばかりは、会場にいる者たちの視線は皆、富士山へと向かうのだ。


 そして、日が落ち、気温も下がって行く。Tシャツやサマーセーターに日よけの帽子と言った出で立ちの参加者たちも、1枚上着を羽織り出す頃、フェス飯店舗にとっての1日目のクライマックスが訪れる。さあ、夕飯の時間だ。


◇ ◇ ◇


「おー、やってるやってる。夕方も行列できてんじゃん。流石だな」

「本当ですね。……ってシンタさん、この眺め、朝と一緒じゃないですか?」

「そうだね。てことは……」


 夕飯時。スタッフの仕事を抜けさせて貰ったツムギとシンタが目にしたのは、またしもはなさく亭の前に並ぶ行列だった。そして、その行列を迂回してMAKA-MAKA店舗の前へ行ってみると、やはりお客はまばらにしかいない。


「よう、コータ。やってるな」

「すみません! 角煮は売り切れで……ってシンタとツムギか。見ての通りだ」

「シンちゃんにムギさん! ほとんど謝ってばっかでつまんないよ!」


 コータと一緒にカウンター側に立っているミナミが不満を漏らす。相変わらず、お客のほとんどは角煮丼目当てだった。そして、寒くなってきたためか、チキンライスよりもトムヤンクンに興味を示すお客が増えたのだが、ひとつ予想外のトラブルが起きていた。


 電気式の保温ジャーが壊れていたのだ。昼間は、特に電気を使わなくてもそれほど冷めなかったため気が付かなかったが、冷え込んできたため発覚した。せっかくオーダーが入っても、冷たいお握りはあまり人気が無く、また、丼と別の手にお握りを持たなくてはいけないのも煩わしいらしく、おにぎり無しでスープだけ持ち帰ったり、中には、注文自体を止めてしまうお客まで出ていた。


 オーダー自体も少ないのに、角煮丼の件で謝り、おにぎりの件で謝るといった、せっかくオーダーが入っても、サーブする回数より謝るだけの回数の方が圧倒的に多いという状況だったのだ。


「参ったぜ。このままじゃ角煮丼だけの一発屋で終わっちまいそうだ」


 コータがトニック・ウォーターを煽って途方に暮れていると、ツムギがお酒の瓶を次々とカウンターへと並べ始めた。カウンターの半分は、一気に華やかになり、その一角は即席のバーカウンターとなった。


「コータ君、カウンターの半分は私が貰いますね」

「お……おう」


 ツムギは楽し気に瓶を並べ終わると、氷やフレッシュジュースも並べる。そして、コータの方を見て、にこっと笑うと、瓶の蓋を全て取り、その口になにやら細い管のついた蓋のような物を取り付け始めた。


「ツムギ、なんだそれ?」

「ポアラーです。いつもコータ君ばかり調を買ってきてずるいので、私も買ってきちゃいました」

「ポアラー? あのワイン注ぐときに空気を入れながら注ぐエアレーションする奴か?」

「はい。それにも使えますが、こういう使い方もできるんです。ヤスさん、カンパリオレンジを作りますね。私のです」


 ツムギはそう言うと、ひとつのカップをくるくると指先で回しながら取り出し、逆手に構える。そして、アイストングでアイスペール内の氷を放り上げ、カップを大きく振って氷を収め、カウンターにタン、と小気味よく置いた。


 驚くコータ達を尻目に、ポアラー付きのカンパリの瓶を背中を通して投げ上げてキャッチし、まるでバトンのようにくるくると回してから、いつの間にか逆の手に持っていたフレッシュジュースと一緒にカップ内に注ぐ。最後にバースプーンをくるくると手の上で回転させてから、そのままの流れでカップへ差し込んでステアし、すっと取り出してダスターで丁寧に拭った。


「お待たせしました。カンパリオレンジです」


 ツムギが少しはにかみながらヤスの前へカップを差し出すと、テント内には歓声が上がった。


「ツムギちゃんすごーい!」

「うん。びっくりした。うわ、本当にいつものカンパリできてる」

「ムギさんかっこいい! 結婚しよう!」


 抱き着こうとするミナミの首根っこを掴んだまま、コータも興奮気味にツムギに尋ねる。


「フレアか! そのためのポアラーなんだな。ってか、すげーなツムギ。いつの間にそんな事できるようになってんだよ」


 フレアとは、「フレアバーテンディング」の略称だ。バーテンダーがボトルやシェーカー、グラスなどを曲芸のように扱うパフォーマンスを行いながらカクテルを作るスタイルを指す。静岡県では、東部に位置する沼津市を中心にした地域で盛んであり、世界レベルの大会で活躍するバーテンも何人かいる。


 フレアする際に取り付けるポアラーは、エアレーション用途というよりは、蓋、兼、メジャーカップを使わずに一定量のお酒を軽量して注げる注ぎ口、といった目的で取り付けられる。


「ふふ。皆がシンタさんの披露宴の余興の練習してる時に、ひとりでこっそり練習してました。本当は披露宴の夜に見せたかったんですけど練習が間に合わなくて」

「いやいや、凄いよムギちゃん。コータ達の余興もある意味凄かったけど、ツムギちゃんのはストレートに凄い。秋に静岡市でやってる大道芸ワールドカップにも出れるんじゃないの」

「いえ、そこまでは」


 店舗内でワイワイやっていると、ツムギのパフォーマンスを見たお客が、物珍しそうに集まって来た。


「あのー」

「はい! いらっしゃい! 飯ですか? 何にしましょう」

「カクテルをお願いしたいんだけど、何があるの?」


 コータに代わって、ツムギがずらりと並べられた瓶を手で示す。


「はい。こちらに用意してある物を使ったカクテルなら、なんでも500円でお出しします。特に指定が無いようでしたら、私にお任せいただくこともできますが」

「へえ、じゃあ、テキーラを使った甘い奴でお願いします」

「かしこまりました」


 ツムギはぺこりと頭を下げると、また、踊るようにしてカクテルを作り始めた。その姿を見て、新規のお客がまた集まって来る。RAINBOW STAGEの一角で、突然カクテルブームが始まった。


「なんかいつものMAKA-MAKAだね」

「うん。ムギさんが頑張ってコーちゃんのご飯は全然出ないね」

「お前らうるせーぞ。暇ならホットワイン出すの手伝え!」


 夕飯時であるにもかかわらず、MAKA-MAKAはほぼカクテルを提供するだけの店舗になっていた。ツムギがフロントでひとりカクテルを作り、コータは奥に下がってホットワインを作っている。ワインをガスレンジにかけ、砂糖とシナモン、クローブを入れて沸騰直前まで煮立てただけのシンプルなドリンクだが、朝霧の寒さも相まって、思っていた以上に数が出た。ツムギのカクテルは、半分パフォーマンスのような物なので、サーブするまでにそこそこ時間がかかるが、ホットワインは素早く出せる。そのためか、ワインだけを頼んで、それを飲みながらツムギのを見る層にも人気があった。


 一方、たまに入る食事のオーダーを捌く役になっていたトビセは、少し残念そうだった。時折パカっと保温ジャーを開けては、恨めしそうにおむすびとコータを見る。


「うーん。せっかくおむすび頑張ったのになー。こんな可愛いのに」

「悪い。明日はジャーを変えるから。合宿所にあった奴を頼んで借りてみるわ」

「僕は冷たいのも好きだけどなあ。なんとか温かく食べる方法があればいいのにね」


 ヤスは、トビセに気を使うようにそう言う。すると、コータはその一言が引っかかった。冷たい飯を温かく? 最近どこかで聞いたような……。そして、ポンとひとつ大きく手を打った!


「ヤス! それだ!」

「えっ、何コータ君。コータ君も冷たいおむすび派なの?」

「そうじゃねえ、温かくして出せばいいんだ。ほら、ヤスが前に言ってただ! なんとかいう武将の!」

「えっ? 北条氏政の汁かけ飯の事?」

「その北条なんとかのそれだ!」


 コータは丼を取り出すと、そこにおむすびをひとつセットした。そして、その上からチキン・トムヤンクンスープをざばりとかけた。


「これでどうだ! 名付けてチキン・トムヤンクン雑炊だ!」


 コータはスプーンを取り出すと、おむすびを崩してぱくりとひと口、口に入れる。


「うん。いけるんじゃねーか? ただ俺の味覚だからな。誰か食ってみてくれ」

「じゃあ私が責任を持って」


 すっかりおむすびの気分のトビセが、半信半疑の様子でご飯とトムヤンクンをぱくりと口に入れる。すると、すぐにその顔がぱっと輝いた。


「馬飼野! これおいしいよ。トムヤンクンの辛酸っぱさが、白いご飯でまろやかになって良く合うし、おむすびの冷たい部分がスープの温かさと交互に出てくるのもなんか楽しい。焼きおにぎり茶漬けみたい。具も美味しいし体も暖まるし、どんどん出そうよ!」


 トビセは、自ら率先してフロントに立つと、夜間限定・トムヤンクン雑炊始めましたー、暖まりまーす、と威勢よく呼び込みを始めた。ツムギのフレアを遠巻きに見守っていたお客の何人かが、興味深そうにやって来てオーダーをする。そのオーダーをトビセが嬉しそうに復唱する。


「はい、ありがとうございます。トム雑ちゃんワンでーす!」

「トム雑ちゃんて誰だよ」

「うちの可愛いトムヤンクン雑炊に決まってるでしょ。はやくはやく!」


 コータが鼻を鳴らしてをディッシュアップしてる間も、トビセはお客に向かって、いい子なんですよー、などとアピールしている。その様子がウケたのか、朝霧の寒さが味方をしたのか、それとも、丼ひとつを片手だけで持ち歩けるのが功を奏したのかはわからないが、トムヤンクン雑炊は一気に売れた。なんと、チキンライスをあっという間に追い越し、夕飯時が終わって夜の部の最初のステージが始まる頃には、完売するほどであった。MAKA-MAKAの面々は、そこで一息ついた。


「よーし、皆お疲れ! いやー、なんとか切り抜けたな」

「はい。冷たい物……いえ、温かい方がいいですか? なにか用意しますね」


 皆はツムギが作った即席のホットレモネードをゆっくり飲んだ。レモンジュースにグレープフルーツジュースをブレンドして砂糖と一緒に温めて作ったレモネードは、疲れた体に心地良い、甘酸っぱい仕上がりになっていた。


「うめえ。あとは夜か。もう、ご飯物はチキンライスしかねえし、ドリンク頼みになりそうだなあ。ツムギ、大変だろうけど、もうひと頑張り頼むぞ」

「任せて下さい。最初からそのつもりで夜は外してもらってありますし……あら?」


 ぐっと力こぶを作ったツムギと、そして、シンタのスマホが同時に鳴った。2人はそれぞれのスマホに目を通して顔を見合わせる。


「コータ君、すみません」

「おう、なんかあったのか?」

「MOONSHINE STAGEの方でトラブルらしい。俺のとこにもヘルプ入った。なんでも、ダンスフロアでセクハラまがいの事してた奴を注意したら、逆切れして騒いでるとかなんとか。ちょっと行ってくるな」

「わかった。無茶すんなよ」

「はい。収まり次第、すぐ戻って来ますから」


 シンタとツムギは、テントを離れ駆けだしていった。その後姿をコータ・ミナミ・ヤス・トビセの4人で見送る。


「で、コーちゃん。誰がカクテル作るの?」

「……俺、かな?」


 疑わし気な3人の目がコータに突き刺さる。しかし、最も疑わし気な顔をしていたのは、誰あろうコータ本人だった。

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