うまい話がやってきた

――話はひと月ほど前にさかのぼる。


 日本一の高さでおなじみの富士山を擁する静岡県は富士宮ふじのみや市。その富士宮市のやや北寄りに、夜にしか開かない一軒のカフェバーがある。そう言うと、なにやらこだわりのある隠れた名店のように聞こえるが、実情はすこし違う。


 より正確に言うと、昼は和食中心のこぢんまりとした割烹のお店であるが、夜だけ看板を挿げ替えて営業している「お酒も飲める創作料理カフェ」がある。間違った事は言っていないが、これでもまだ誤解を招くかもしれない。


 さらにぶっちゃけて言うと、割烹料理店の残念な息子(24歳)が自分のオリジナル料理の店を出したかったのだが予算も腕も無く、「お試し」とばかりに実家の店舗を借りて一部改装したうえに妹を巻き込み、夜だけ好きなように営業しているカフェ(自称)がある。


 その店の名は、「Café MAKA-MAKA」。開店から1年ほど過ぎ、すっかりお店のご近所さんとオーナーの同級生ばかりの溜まり場となっているその店に、おいしい話が持ち込まれていた。


◇ ◇ ◇


「無料でフェスに参加できるって? それ本当なのか? すげーじゃん」


 シンタこと、小関進太郎おぜきしんたろうが信じられないと言った様子で声を上げると、カウンター内のコータこと馬飼野幸太まかいのこうたは得意げに頷いた。


「おう。俺とツムギは好き放題できるって訳じゃあないけど、後はほぼ自由だ」


 コータの隣で、卵のリキュールにミルクを加えてステアしてかき混ぜていたツムギこと相馬紬そうまつむぎが、にっこりと笑って頷く。


「えー! 本当? それ後で何かあるんじゃないのー?」


 シンタの隣に陣取り、持ち込んだのっぽパンをもぐもぐ食べているミナミこと北見きたみみなみが疑わしげな声を上げる。


「うん。なんか怖いな。コータ君、弟を騙して呼び出して殺した織田信長みたいな事を企んでるんじゃないよね?」


 ひとりテーブルでカシスオレンジをストローで啜りあげているヤスこと西山泰久にしやまやすひさも不安げに尋ねる。


「なんだよ信長って。信長の事は知らねーけど本当だって。な? ツムギ」


 コータの言葉に、こくりとツムギが頷いて、ミナミの前にコースターとグラスを置いた。


「ありがとームギさん。でもムギさんが保証するなら本当なのかなー」

「おいおい、俺はそんなに信用できねーのか」

「だってー、コーちゃんウソ付くわけじゃないけど口ばっかなこと多いしー」

「うるせーよ。ミミミ! お前だけお会計倍にするぞ! いっつも食い物持ち込みやがって。俺の作った飯を食え!」

「み・な・み! ミミミでもタミミでもキタミでもありませーん!」

「キタミは合ってるだろ。お前なんかもうだけで十分だ。このミ! ミー!」

「可愛い後輩を猫みたいに呼ぶな! この飯マズオーナー!」


 コータとミナミが互いのほっぺたを、がしっと掴んで引っ張り合いを始めたのを横目に、ヤスがツムギに確認を取る。


「ツムギさん、本当の所はどういうこと? あ、ひょっとしてJAMS’枠みたいなのでもあるの? シンタ君知ってる?」


「そんな枠は無いけどなあ。ムギちゃん、どうなのよ? 皆もボランティア・スタッフに登録してもらうって事かい?」


「いえ、そうじゃありません。実はウチの大将が、朝霧JAMのフェス飯店舗として参加することを決めまして……」


 朝霧JAMとは、10月初頭あたりの2日間を使って、富士宮市の朝霧高原で開催される野外音楽イベントだ。日本の野外音楽フェスイベントといえば、フジロックフェスティバルが有名だが、朝霧JAMも同じ運営母体であるSMASHが開催している。初開催が2001年なので、もう15年以上の歴史がある。


 特徴的なのは、その参加スタイルだ。来場する客のほぼ100%が、テント持参でキャンプしながらフェスを楽しむ「オール・キャンプイン」スタイルを取る。「音楽を楽しむ」のは無論、「キャンプを楽しむ」というアプローチを掲げているのだ。


 そのためか、他のフェスと比べると、ステージの演奏タイムラインや招かれるアーティストやパフォーマーの括りはかなり。のんびりと2日間のイベントを、キャンプしながら楽しんで欲しい、というコンセプトが大きな特徴でもあるフェスであり、実際、がっちり音楽を聴きに来るというよりも、友人や家族とキャンプをすることを楽しみに来場する参加者も多い。


 そして、運営上の特徴もある。ステージ設営やアーティストとの調整といった、音楽的な面以外の運営、すなわち、会場や経路の整理に案内、警備、ゴミの管理、来場するキッズ向けのイベント開催から救護チームの編成、さらには、ツムギの言っているフェス飯ブースの出店管理などは、地元の専任スタッフチームが中心となって進める。イベント会社だけがイベントを作るのではなく、地域を巻き込んで、地域に根付いたひとつの「フェスティバル」として根付いてきたイベントなのだ。


 この地元スタッフたちの集団が、「JAMSジャムズ'」だ。元々は地元の有志達が集まってなんとなく結成された集団であるが、次第にその規模や活動領域を広げてきた。今ではコア・スタッフは40人ほど、フェス当日のみに参加するボランティア・スタッフは200人ほどにもなる、ちょっとした名物団体になっている。このJAMS'にツムギはコア・スタッフとして参加し、シンタは、ボランティア・スタッフとして登録しているのだ。


「それで今年は、『割烹まかいの』も出店する事になって、その出店スタッフ枠として5人まではチケット代わりのバンドが支給されるんです」


 ツムギが説明を終えると、ヤスとシンタは納得して頷いた。


「はー、なるほど。いよいよ親父さんがフェス飯出す事にしたんだ。そりゃ楽しみだね。つまりは、店舗スタッフの5人分、で会場に入れるってわけね」

「それは俺も知らなかった。ムギちゃんと俺はスタッフだから元々会場には入れるんだけど、店舗スタッフって事は、コータと親父さんと奥さんで3人だろ。あと、ヤスとミナナで5人って事か」


 相変わらずコータとほっぺたの引っ張り合いをしているミナミが、そのままの口で、ミナミですー! と抗議しているが誰も取り合わない。


「はい。みなさんご存じの通り、ウチの大将は頑固ですから、2日間くらいなら、仕込みも含めてほぼ一人で全部の料理を作るつもりみたいです。サーブ食事の提供は奥さんとコータ君がいれば大丈夫でしょうし、私も時間があったら店舗の方に顔は出せます。だから、どうせならあと2枠をヤスさんとミナミさんに使ってもらうのはどうだろうっていう事になって」


 ミナミとの壮絶な戦いを制したコータも会話に参加する。


「な? いい話だろ。音楽も聴けて、飯はオヤジのがあるし、皆でキャンプもできる。それに、夜に飲む酒もさ、夜間はMAKA-MAKAとして営業するって名目で持ち込んじゃえばいいしさ」

「うわー、コータ君はそういうところだけ頭回るな」

「でも、いいじゃんそれ。よっしゃ野外でモンハンやろーぜ。知らないキャンパーと一緒にできるかもな」

「キャンプ! 楽しそう! 寝る時はムギさんと一緒のテントね!」

「ふふ。いいですね。それにコータ君、どうせならちゃんとMAKA-MAKAとして営業もしませんか? 夜なら私もスタッフの仕事ありませんから、簡単なカクテルなら作れますし、コータ君の料理を皆に食べて貰える良い機会かもしれませんよ」

「そうか! その手もあったか! ひょっとして人気に火が着いて一攫千金……」


「それはない」

「無理にきまってるじゃん」

「親父さんの飯の後でコータ君の飯は差が……」


 コータが野望を最後まで言う前に、被せるように3人が否定する。ツムギはと言えば、困ったように苦笑している。


「なんだよお前ら! あーもういい。じゃあスタッフに登録しない! キャンプ、なし!」


 コータが腕を組んで分かりやすくプイッと横を向くと、残りの4人からブーイングが上がった。


「反省しろ! てか、冗談はさておき登録しちゃっていいよな? ヤス、ミナミ」

「うん、こっちから頼みたいくらいだよ」

「私もー。日程も空いてるし」

「よし、じゃあ決まりだ! シンタの結婚式の次の週は、皆でキャンプだ!」

「そう言えばそうだった! どうせならトビちゃんも呼んじゃおうか!」

「あー、いいなそれ。聞いてみるわ」

「いえー! かんぱーい!」


 5人はあらためてグラスをぶつけ合って自分たちの幸運を祝った。降って湧いたかのようなうまい話に裏は無かったが、ハプニングが待ち構えている事を知らずに。

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