第20話 精神論を覆す大戦果『越乃国戦記 後編』(5式中戦車乙2型/チリオツニの開発 1945年秋)

■11月5日 月曜日 午前10時30分 集落の廃墟から金石街道中橋踏切へ


 まだ、敵の砲兵は沈黙(ちんもく)しているが、戦車縦隊が壊滅(かいめつ)された今、直(す)ぐにでも敵機が来襲して、艦載機(かんさいき)はロケット弾と銃撃で、双発(そうはつ)や4発(よんぱつ)の爆撃機は絨毯(じゅうたん)爆撃で、防衛線陣地を設営(せつえい)していると考えられている植林帯や周辺の集落を根こそぎ潰(つぶ)しに来るだろう。

 煙幕(えんまく)火事の煙が晴(は)れない内に、私はアメノウズメを金沢駅(かなざわえき)南側近くの金石街道(かないわかいどう)中橋(なかばし)の踏(ふ)み切(き)り脇(わき)まで後退させてから暗(くら)くなるのを待(ま)って、弾薬と燃料を補給する事にした。

 先(ま)ずは擬装(ぎそう)を行い、それからアンテナ線を張(は)って送受信(そうじゅしん)の確認を済(す)ませて待機(たいき)に入ると、姫様達(ひめさまたち)に戦況を報告させた。

「こちら、アメノウズメ。敵戦車縦隊(じゅうたい)16輌の内、15輌を撃破(げきは)。後続していた敵は後退。被弾(ひだん)1発のみ。負傷者無し。戦闘、移動、共に可能。姫様各位(かくい)、順次(じゅんじ)状況を報告せよ」

「ククリヒメ、進攻して来た16輌の内、12輌を撃破。被弾3発有るも、貫通弾(かんつうだん)無し。戦闘行動に支障無し」

「セオリツヒメ、敵戦車20輌と交戦、半数を貫穿(かんせん)炎上させるも、被弾多数。戦闘に支障無し。現在も交戦中。軽傷1名」

「ワカヒルメ、安宅関(あたかのせき)に上陸して侵攻する敵を、海軍兵と協力して撃退。敵戦車6輌を撃滅。被弾多数。負傷2名。戦闘可能なれども履帯(りたい)切断、現在、修理中」

「スセリビメ、塩屋(しおや)漁港と片野(かたの)海岸から大聖寺(だいしょうじ)の町へ川沿いに侵攻する敵を撃退。敵水陸両用戦車18輌及び兵員輸送装甲車8輌を破壊(はかい)。敵は後退。被弾多数も支障(ししょう)無し。負傷者2名。現在、弾薬の補給中」

「イワナガヒメ、敵上陸部隊の艦船は見えず。富山(とやま)湾中央で敵の駆逐艦(くちくかん)と我が海軍の哨戒艇(しょうかいてい)の遭遇戦(そうぐうせん)を遠望する。我(われ)、損傷無し」

 小松市方面の戦況は、かなり強力な敵の上陸兵力との戦闘だと知ったが、3輌のチリオツニは防衛戦線を維持(いじ)し続けている。

 今、海軍兵が守り通(とお)す小松飛行場と全力操業中(そうぎょうちゅう)の小松製作所を失(うしな)うと、大きな側面脅威(きょうい)が無くなった敵は容易(ようい)に手取川(てどりがわ)を渡河して、其(そ)の小松方面に上陸した全兵力を以(も)って金沢市を南部から攻(せ)めてくるだろう。

 それに金沢市南部の西金沢(にしかなざわ)駅、野々市(ののいち)駅、松任(まっとう))駅には、アメリカ軍が迫(せま)り、占領されるのは時間の問題だった。

 そして小松方面では、既(すで)に安宅駅から根上(ねあがり)駅までの鉄路が敵の占領下になっていて、国鉄の平床式(ひらゆかしき)貨車と低床式(ていしょうしき)大物貨車を利用した移動は不可能になっている。

 それ故(ゆえ)に、『小松市と大聖寺の城下町を防衛する3輌のチリオツニを、金沢市の戦区へ移動させる』との、戦闘状況の現実を無視した命令は、管区参報へ再考(さいこう)を打診(だしん)する事無く、戦況を鑑(かんが)みた私の独断(どくだん)で無視(むし)する事にした。

「第3中隊2号車を除く梯団(ていだん)各車に告(つ)ぐ、敵が肉薄(にくはく)攻撃を行う公算(こうさん)大(だい)なり。各車、周辺に義勇隊、国防隊を配(はい)して、警戒を厳重(げんじゅう)にせよ!」

 暗闇(くらやみ)に紛(まぎ)れながら強固(きょうこ)な敵陣に突貫(とっかん)して粉砕(ふんさい)する夜戦は、大日本帝国陸軍の十八番(おはこ)だが、アメリカ軍の強行偵察隊の攻撃は大胆(だいたん)且つ強力、そして柔軟(じゅうなん)な判断と果敢(かかん)な戦闘行動で、決して侮(あなど)れない事をレイテ島で経験して知っている。

(そんなチリオツニの破壊を目的とした敵の小部隊との戦闘で、唯一(ゆいいつ)、敵戦車部隊を撃滅できるチリオツニを、1輌足(た)りとも失う訳にはいかない!)

「セオリツヒメ、ワカヒルメ、スセリビメの三姫(さんひめ)は敵に知られていない陣地へ転戦して、防衛隊と義勇隊(ぎゆうたい)と共に新(あら)たな防衛戦線を構築(こうちく)せよ」

 昼過ぎから再開された敵の艦砲射撃と空爆と重砲隊の砲撃は夕方(ゆうがた)まで続いて、敵の戦車隊と歩兵部隊の侵攻して来る気配は無かった。

 日没後の黄昏時(たそがれどき)になると、敵の攻撃機はいなくなり、殆(ほとんど)ど一方的な敵の砲火は散発的(さんぱつてき)になって、午後7時には静かになっていた。

 敵の地上部隊の主力は、周囲に鉄条網(てつじょうもう)を張(は)り巡(めぐ)らした塹壕(ざんごう)陣地で、夜通(よどお)し照明弾を打ち上げて明日の侵攻再開への待機の守りに就(つ)いているのだろう。

 此(こ)の落ち着いた時間に我々は晩飯(ばんめし)を食(く)らってから、早々(はやばや)と交代で眠(ねむ)る。

 晩飯は飯盒(はんごう)に入った炊(た)き立ての白米(はくまい)に、焼いた味噌漬(みそづ)けの豚肉(ぶたにく)、梅干(うめぼし)、白菜(はくさい)の漬物(つけもの)、小魚(こざかな)の佃煮(つくだに)などの有り難い御馳走(ごちそう)、それに、味噌汁が出て旨(うま)い飯だった。

 朝飯(あさめし)と昼飯(ひるめし)は、握(にぎ)り飯、太巻(ふとま)き寿司(ずし)、稲荷(いなり)寿司が順番で出ていて、浅漬(あさづけ)けや味噌漬けが添(そ)えられていた。

 それらを携行する水筒に入れた番茶(ばんちゃ)か、焙じ茶(ほうじちゃ)や麦茶(むぎちゃ)を飲みながら食べていた。

(全(まった)く、これまで戦災(せんさい)に見舞われていない石川県は、食い物にも豊富だな。……レイテでの強盗殺人(ごうとうさつじん)の醜態(しゅうたい)とは大違いだ)

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 たった1輌でも5式中戦車乙2型は、我が陸軍に嘗(かつ)て無かった強力で強大な戦力と成り得て、今日の初陣(ういじん)を戦い抜けた。

 調達可能な範囲で使える資材を駆使(くし)して製造できた僅か6輌で『越の国』戦隊を編成したが、この戦力を有効に用いる研究は不十分で、経験は皆無(かいむ)に等(ひと)しかった。

 だが製造と戦線への投入に先立(さきだ)ち、フィリピンのレイテ島での防衛戦でアメリカ軍の戦車隊と戦闘経験が有る私が梯団長(ていだんちょう)として拝命(はいめい)できたのは、最良の判断だと今は自負(じふ)できると思っている。

 私の厳選した部下達は、誰(だれ)もが優秀で、各自が己の能力の限界を超える精神力で最善を尽(つ)くして戦っている。

 弾薬と燃料は現在保管されている物のみで、それらを消耗(しょうもう)するだけの戦闘行動は短期間でしかない。

 それに布陣する場所や移動走行する道路が軟弱(なんじゃく)で戦闘時の姿勢保持に不安が有った。

 特に橋梁(きょうりょう)の耐荷重強度は不足していて、5式中戦車が通過できる橋は1,2本と限られていた。


 つづく

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