11


 火は燃え上がり、上へ。

 そして松山の手の方へと近づき、表皮を舐る。夕日とは一切溶け込まない。ただ真紅がバイオレンスに生きる。しかし炭と灰になるまで彼は一切微動だにしなかった。燃える、白い紙と、しろい肌が灼いて溶ける。夏の氷菓にして爛れる様を、彼は見届けていた。

 運良く、風で燃え移りが早いか、紙が先に焦げ落ちてやっと火中から手を離す。最早手は、熱傷でみにくいものそのもの。だが気にせず彼は、手を幾度か振り鎮火させた。


「何も知らないまま、手厳しいことをされたな」


 どうしてか、笑いながらそう言っていた。邪念を感じさせない、無邪気で、無邪気しかない口角を上げていた。

 爛れた手が、自分の舌を徐ろに掴み、外へと引張り出される。生焼けた異臭と、膨れ上がった皮の厚みとが、異物感として舌乳頭から味蕾の根まで侵す。顎は、無傷の片手で固定された。


「君が強欲に連絡したことで露見した」


 一字一句、松山は整った発音で語る。滔々に、だが避けることを認めないと、指を持って抗う舌を摘んで言い聞かせる。逆に流れる胃酸すらも僥倖と言わんばかり、あくを離す気配を放たない。


 雑多なもの、赫怒や悲泣とは比べものにならない、感情ですらない無の類のみが語りかけた。それにはそぐわない程の糜爛が鼻腔をころす。正常な背景のかすかな焦げ臭さは判断を鈍らせた。


――いや


 いや、それは、いや、荒んだ耽美がそこら這う。煙草はこうも麻薬だろうか。

 瀲灔えんれんとした唾液が松山の指を濡らすが、松山は構いやしない。謝罪を必要としないまま男の力だけが伝う。だがその指を、焼いて馬鹿になりかけた指を食いちぎることが出来ない。

 二本指の力量も、流れるように行われた扇起を処理しきれなかった。沈下しようとした屈辱を、五感で教え込まれている。これが差だと見よかしにして、情けなく吐露した抵抗という敗北も刷り込ませていた。


「不定形を野放しにした……これには責任が入るが、瀬谷さんが得られた資料で、また新たに現実世界での魔法学の研究も出来る」


 恐慌の脳中が、粉微塵の理性を凝固させて鎮静する。

 松川は、自らが隠していた強欲国との関係を露わされたことで、首都からの裏切りを受けた。これにより蓮の目的の失敗は流されるが、不定形の脅威を一般人に晒すことは糾弾案件だと想像に難くない。だから松山は、瀬谷の成果という対不定形の対処法をマイナスの分の利益として補填するのだろう。


「だが、それが窮鼠の仕業じゃ私の面が潰れる」


 やっとのことで、指から解放された。

 一分も経たない、緊縛すらない圧が然と自由のはずの呼吸を困難にさせる。くちの中に、味を帯びた唾液が溜まり不愉快にそれを吐き出す。数度、深く息を吐くと海に揺蕩う、夕赤が鮮明に帯びた。気付かない内に霞んで、朧になったらしい。みっともなく喘いでいないと落ち着くことすら、覚束ない。


「君が人間の場合それに頼ろう……だが、笠井蓮は人の死に弱いようだ、鼠が機関に入ることは推奨しない」


 この男は、自分を試している。観察している。

 言う通り、過不足なくこの男は、目の前にいる自分を過去の価値を捨てて見定めている。自分の裏を掻いた人間が、如何程の度胸を持って踏み入ったか。

 あくまでも利益の阻害による処刑は、男に残った些少な好意的可能性で凍結されている。人間的に、自分なりの猶予を与えている。死に弱い弱者に、利益至上主義者が期待すらしなかったモノに向けて、最後の機会を与えていた。


 松川は、自分が死に弱いことを知っていた。それが自分が人間として残された数少ない、にんげんの肉片だ。それを松川は間違っていると自分に警告したが、不愉快だと自分は拒絶をした。彼は自分の思う人間ではなく、そして彼は自分が抱いていた化物ではないと、見損なった記憶がある。それを後悔して臆することはない。


――ここに残る理由はある


 ならばと、決意する。整えた呼吸をつかい、自己を吐き出す。決してそれがこの空気の、香りに攫われないように。


「俺はただの、しがない調査員で決定権はないですし、上司である貴方の一存にも甘んじて従う他ないです」


 鼠のように、過小に進み、状況を見る、自分らしい矮小な職業柄を背負って。


「ただ利益を感じる団体に『松山映士』が『直属の部下を人身売買同然の取引を囮に使った』と発言するだけぐらいですよ、俺にできることは」


 目の前のネコと同じように、利用しつくす、それだけを考えている。

 上層部の計画が有耶無耶になった今、だが関係は変わらないはずだ。彼は部長という価値のあるものを手にしている。それを崩す敵も、一時的に協力する味方も同じ、首都や機関や、はたまた別のモノがいる。


――そして俺は


 松山の中では維持のために消費される犠牲者、それを回避させる、意志のある人間に過ぎない。


「脅されるとは思わなかった」


 そう、松山は笑った。

 口数が少なく、声を出すのは慣れないのか、だけど不快を滲ませることのない笑みを零して声を漏らす。


「そう無味な所でもない、歓迎するよ」


 そして彼は心にもないことを言い、手を差し伸ばした。先程やいた、生傷を大きく見せて、てらてらとした体液を纏う手。

 その手すら、太陽は公平に照らす。だが彼もまた、超える者を平等にそして黙って見届け、そして堕ちて行った。

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