nature

第1話 日本野兎

 その日私は、破裂音はれつおんで目が覚めた。

 その破裂音は……銃声じゅうせい猟師りょうしが山に来ている。

 まあいいわ。いつもの事よ。

 そう思って再び眠ると、また銃声。

 人間共は冬眠から覚めようかどうかというギリギリの時期から良い目覚まし時計になりやがるわね。

 私はこれ以上寝てもまた起こされるだけねと思い、冬眠から目覚めた。

 バンッと、また銃声。

 しかし今度はキィィッ! という、何かの鳴き声も一緒に聞こえた。

 穴から出ると私は辺りを見回した。

 猟師の姿は……見えない。どうやらまだこの辺へは来ていないようね。

 にしてもさっきの声、誰かしら。

 猿か。鳥か。兎じゃなければいいのだけれど……。

 とにかく行ってみよう。

 いや、ダメ。行ったら殺されるかもしれない。

「今日は猿一匹だけかあ」

 東の方から、なまりのある男の声がした。

「んまあ、まだ冬眠の時期だしな。いねえのは仕方ねえが」

 右を向くと、血を流した猿の尾を掴んだひげもじゃの人間が、こっちに向かって歩いて来ていた。

 急いで穴に戻ろう! と、私は必死に埋めかけた穴を掘り返した。

 あまりに急いでたせいで、穴に入る時にガサガサっと草の擦れる音を出してしまった。

「ん? その辺に何かいらったがや」

 大変。さっきの人間が私の方に来る。

 どうしよう死んじゃう。

 私はパニックになってしまった。


 死んじゃう。死んじゃう。死にたくない。死んじゃう。何か。死んじゃう。撃たれる。死んじゃう。殺される。方法は。殺られる。終わる。どうにか。死んじゃう。死にたくない。死んじゃう。死んじゃう。死んじゃう。助かる。死んじゃう。ないかしら。死んじゃう。死んじゃう。助けて。死んじゃう。助けて。死んじゃ――


「ありま。兎でねが」

 私は、死を悟った。


 私の頭の中に、今までの記憶が一気に流れて来た。

 ママと食べた美味しい木の実。人間はドングリって呼んで嫌がってたな。

 パパと行ったモグラトンネル。モグラのおじさんはおっちょこちょいなのが面白かった。

 色んなオスに告白された青春時代。あのオス達の中でヤったのは二十三匹だったわね。

 独り立ちした頃。毎日のように巣にオスを呼んでS○Xしたわ。

 私が子供を作れない体だと知ったあの日。どうせ出来ないんならって、十五匹のオスと同時にヤったわね。


 ……私の思い出、エロいのばかりじゃないの。確かに兎はエッチな動物だけれども、二年足らずでこの思い出は……。もっと思い出すべき思い出は無いのかしら私。


「せっかくだし、この兎も捕まえてくが」

 ああもう。思い出に浸る時間はないわ!

 どうすればいいの?

 その時、猟師に捕まった猿が呟いた。

「……その、位置から……、銃に、……当たれ……」

「え?」

 何を言っているのこの猿。そんな危険な事……。

「……早……くっ」

 ええ? 当たって大丈夫なの? 私死なない?

 もういいわ。ダメ元で!

 私は勢いよく跳ね、猟師が担いでいた猟銃りょうじゅうに突進した。

「えい!」

 ガシャっと音をたて、銃は地面に落ちる。

 私はそのまま転がり、近くにあった木にぶつかった。

 木からは木の実がパラパラと落ちてきて、その中のひとつがたまたま、引き金にぶつかり、反射。また反射。そして、引き金を強く押した。

 バンッという音が鳴る。

 銃口は猟師の方を向いていた。

 一瞬の出来事。猟師はうつ伏せに倒れた。

「かっ。この兎……。痛たたた」

 猟師の足からは真っ赤な血が流れている。

「……もう一度、引き金、を……」

 猿がまた言う。

 私は猿の言う通り引き金を引いた。

 銃弾が、猟師の頭を貫く。


 ……猟師も猿もそれ以来動かなかった。


 おそらくここにいれば、別な人間が猟師を探しに来る。私は場所を移動した。


 初めて殺しをした。しかも、人間を殺した。人間の道具で。

 私の白い毛並みには少し赤が混じった。

 美しくないじゃないの。


「兎……さん?」

 ふと後ろから声がした。

「その赤いの……。血……」

 小猿だ。顔つきがどことなくさっきの猿に似ている。

「兎さん、怪我してるの? それとも、血を飲んだの?」

 血を飲む。そんなことするわけがない。が、この小猿にはまだ知識が少ないのね。

「あの……僕、お父さんをさっき殺されちゃって……」

 やっぱり、さっきの猿の子供らしかった。

 何か言ってあげなきゃ。

「えっと……。私はさっき、あなたのお父さんに助けられて……」

 続きが出てこない。言わなきゃいけないことが言葉にはなっているのに、声にならない。

「その……」

 言わなきゃいけないのに。なんで。

「あの猟師、兎さんが殺したんですか?」

「え?」

 この子供、なんで……。

「えっと。ありがとうございます。お父さんの敵を討ってくれて」

 この子供でも言えた言葉。私は言えなかった。

「あなた、お父さん以外に家族は?」

「みんな……殺されちゃって」

 じゃあ、私に出来る恩返しは……。

「あなた名前は?」

「モルーダトです」

 これくらいしかないかもしれない。

「じゃあモルーダト。私と一緒に来る?」

「え?」

 兎年齢では大人の私が、この子供を育てなくっちゃいけない。そんな気がした。

「私はセゼーヌ。今日からあなたの、お母さんになる」


 兎と猿の親子なんて、馬鹿げてるわよね。

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