めぐりあわせ

鯵哉

ヘビースモーカーはお断り

同じく咲かぬ桜 上


 神崎律はポスターを見上げていた。


 街の大通りに面したビルの2階、喫茶店。大通りは繁華街へ繋がっており、様々な人間がやってくる。昼休憩にはサラリーマンとOLで賑わい、夕方にはマダムたちがやって来る。夜になってやっと落ち着きを取り戻し、24時に閉店。


ナポリタンの注文が入り、神崎はフライパンを下ろす。マニュアル通りに作り、銀皿の上に盛る。夜の十時を回り、来る人間はアルコールの方を注文し始めるのでキッチンは暇になる時間帯だ。三十分の休憩に入り、エプロンを外し裏口の扉を開ける。非常階段の踊り場まで出て、ポケットに入れていた煙草を咥えた。


「こんばんは」


後ろから声がかかる。振り向いて、瞬きをした。


「神崎さん、ここ禁煙です」

「七尾、ライター持ってない?」

「無いです」


七尾は上から降りてきて、階段の手摺を背にして寄りかかる。神崎は頬を少し膨らませて煙草を上下させた。むくれても無いものは無いのである。

煙草を咥えたまま、手摺に腕を乗せて裏通りを見下ろした。少し冷たい夜風が頬を撫でる。


「最近、電子タバコ吸ってる人多くなりましたね」

「確かに。あんなの吸えたもんじゃねえって店長が言ってたけど」

「店内禁煙の場所も増えましたし」

「喫煙者は排他されるだろうな」


げんなりした顔をして、神崎は溜息を吐いた。七尾は肩を竦める。


この街に来て二ヶ月が過ぎようとしている。コンビニの場所、働く場所、住む場所。大体を把握して神崎の新しい生活が始まった。

時期を同じくしてここへやって来たはずの七尾雄は来たと同時にこの街へ馴染んでいた。それが特技なのだろう。

七尾が同じビルのひとつ上の階に店を構えるバーで働いていると知ったのは、一週間前だった。こうして非常階段で煙草を咥えていた時、後ろから声をかけられた。


扉の開く音がして、神崎は星の見える空を仰ぐ。七尾の視線がそちらに向いた。


「神崎さん、休憩終わ……り。で、注文も入ってる」

「今行く」

「あと、そこ禁煙だよ」

「吸ってない」


ホール担当の園柄が顔を出した。話しかけた先は神崎だったが、視線はその隣にいた七尾に向かっていた。

咥えていた煙草をケースに戻し、神崎は園柄の横をすり抜けて中に入る。後ろで扉の閉まる音がした。


「あの人って上の階のバーで働いてんの?」


壁にかけていたエプロンをしてキッチンの入口で手を洗う神崎に園柄が話しかける。


「あの人?」

「さっき非常階段にいた」

「ああ、みたいだな」

「上のバーって会員制で、ここら辺では色んな意味で有名な人間しか入れないとこだよ。あの人、見たことないけど新入り?」

「さあ? よく知らない」


しらばっくれたわけではない。本当に神崎は今の七尾のことを殆ど知らない。どこに住んでいるのか、何を生業にしているのか。

しかし、キナ臭い場所にいつも居るのが七尾という男だ。神崎は巻き込まれ体質だが、七尾は首をつっこみ体質だ。


「神崎さんの彼氏じゃないの?」

「違う」

「にしては……」


園柄は先程の眼を思い出す。神崎の隣に立ち、園柄の方を見た冷ややかな眼。

バーテンダーの服装をしており、顔は整っているが、背格好も特に目立つ程大きいわけでもない。

神崎はキッチンに入ってオーダーを確認する。園柄はその姿を見て、ホールに出た。









「今度さくら祭じゃないですか。親睦会するんですかね?」


ホール担当の女子大生、津山が休憩室で口を開く。深夜番の神崎はコックコートを着て夕飯のオムライスを食べていた。

その隣で携帯を弄っていた園柄が顔を上げる。


「店長がやるって言ってたよ」

「本当ですか! あ、神崎さんも来ますよね?」


スプーンを持ったまま神崎は津山の方を見る。その後ろに大きくさくら祭と書かれたポスターが貼られている。飽きる程このポスターを見て、どうしてここに貼ってあるのか分からなかったが、なるほどそういうことらしい。


「お疲れさまでーす」


休憩室の扉を開けたのはまたもや女子大生、柳。


「お疲れさまです。柳さん今日深夜ですか?」

「ううん、忘れ物」


ポーチを見せて話した。それから来月のシフトのボードに記入をしていく。


「柳さんもさくら祭行きますよね?」

「あー、今年も親睦会やるんだ」

「神崎さんも入ったし、歓迎会も含めてだって」


神崎の名前を聞いて、柳の手が止まる。それから神崎の方を見た。


「ふーん」


空気がぴりぴりと悪くなる。園柄はそれに気付いていたが、津山は気にしない様子でエプロンを畳んだ。神崎は空になった皿を持って立ち上がる。

「出てきます」と業務挨拶を残して休憩室を出た。キッチンの流しに皿を置き、エプロンを付けた。ディナーの時間に入っていたキッチンスタッフに挨拶をして、皿洗いをする。


「神崎、この前言ってた新メニュー。深夜は来ないと思うけど」

「はい」

「昼は結構来たから。覚えられる内に覚えといた方が良い」

「昼からいるんですか? お疲れさまです」


神崎にレシピを渡したのはキッチンの先輩にあたる縫田。受け取ってすぐに神崎はそのレシピが出ないことを願った。


「ああ。そういえば店長が神崎に話があるって」

「"さくら祭"のことですかね」

「かもしれない。もう聞いたか?」

「休憩室でちょっと」

「毎年さくら祭の日に親睦会してんだよ。希望者だけ集まって。若い奴等はみんな来てるけど」


強制だったら困る。神崎と入れ替わりで縫田が上がった。平日の深夜は殆ど一人で回せる。

神崎は流し台に寄りかかりながら柳のことを考えた。近所の大学に通う三年生らしく、神崎がここに入ったときから何かと目の敵にされている。その理由が園柄とよく喋るからか、縫田と同じキッチンに入ったからなのか、それとも両方なのかはよく分からない。前に働いていた場所は男ばかりであった為、そんなことを考えなくても済んでいたが、ここでは男女比は大体同じくらいだ。考えなくては先程の休憩室のように空気を悪くしてしまうだろう。

キッチン募集の出ていたこの喫茶店へ面接に来た日に神崎は働くことが決まった。その決め手はやる気でも若さでもなく、美人と評される顔だったに違いないと当人は思っている。実際、面接した副店長は女性だったが、その顔面とそれに物差しを求めない神崎を面白いと思ったのだ。美人で人と接することを苦手としないならホールで働くの方を勧める。キッチンは年配と男性ばかりだから。


「神崎さん、オーダー」

「ん」


園柄は柳と同じ大学三年だが、高校生の時から働いているのでホール担当の中で一番長い。そして深夜シフトでよく被る新入りの神崎にも親切にしてくれている。敬語じゃないのは初日からなので、特に気にしてはいない。七尾のように同年なのに敬語を遣う人間もいれば、年下なのに敬語を遣わない人間もいるのだろう。ここ数年で神崎の視野はとても広くなっていた。

今日も今日とてマニュアル通りに料理を作る。


「神崎さんってここに来る前、何してたの?」


園柄が尋ねてくる。暇になると猫がじゃれるようにキッチンの方に来ては話をする。神崎も同じ立場なので、それに乗っかっていた。


「金融事務所の雑務」

「金融って、闇金?」

「まあそんなとこ」

「嘘でしょ」


まあな、と神崎は返す。



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