【5/人差し指が、ない】

 少女は、一体なんだろうと首をかしげた。

 灰色のワンピースを着て、サイドだけ妙に長い黒髪を持ち、目元に包帯を巻いた少女はかがんで自分の足元に向かって手を伸ばした。

 少女の手は何か大きな物体に触れる。少女はそれが何かを確かめる様に、表面を撫でた。

 布の感触、柔らかな感触、凹凸。これはどうやら倒れている人間らしいと、少女は判断した。そしてその脇にはトランクが落ちているらしかった。

 少女は少し迷ってから、人間と思しき物体とトランクをなんとか苦労して持ち上げると、よろめきながら道を歩き始めた。



 少しだけ時間を遡る。

 フレイは人間の棲む街である、シスルに来ていた。黒いマントのフードを目深まで被り、うつむく様にして歩く。

 シスルに到着したのはちょうど夜明けが始まる頃だったが、瞬く間に(フレイはそう感じた)日が昇り、今は辺りを太陽が明るく照らしている。

 彼にとってとにかく太陽光が眩しくて仕方がないのだ。人間にとってはそれほど眩しくない光でも、吸血鬼には大敵である。現に、フレイは先ほどから目眩がしていた。 

 視界がぐにゃりと歪み、足元がおぼつかない。

 フレイは日中に活動したことが未だかつてなかった。だから、ここまで太陽光に苦しめられるとは思っていなかったのである。

 少し休もう。そう思って彼は人通りの少ない路地に入った。しかし、路地に入って数歩歩いたところでフレイの視界は大きく歪み、地面が彼の目前にまで迫ってきた。

 フレイは気を失ったのだ。



 フレイは目を開けた。

 視界に映るのはさほど高くない天井。フレイは困惑しながら上体を起こした。ここはどこなのだろう? 

 どうやら自分は、ベッドの上で眠っていたらしい。

 辺りを見渡すと、ここは殺風景な部屋だということがわかった。彼の眠っていたベッドと、その横にあるシックなデザインのテーブルと椅子以外何もない。

 その時ぎいっと音を立てて部屋の扉が開き、その向こうから黒髪の目元に包帯を巻いた少女が顔をのぞかせた。

「ああ、良かった。目が覚めたのだな」

 少女は凛とした声音で、そう言った。

「ええっと、君は一体……」

 少女はベッドの横にある椅子に腰掛けた。 

 フレイはぎょっとした。椅子を引いた少女の右手の人差し指が、ないのだ。陶器でできた人形の指がかけてしまったかの様に、本来存在しているはずの人差し指がない。

 事故か何かで亡くしてしまったのか、はたまた生まれつきそうなのかフレイはわからなかったが、動揺を悟られない様に何も気がつかないふりをした。

「私はオリヴィアという。貴方が道で倒れていたから、連れてきたのだ。あのまま放っておいたら日射病になってしまうだろうから」

「ありがとう、オリヴィアさん。助かったよ。僕はフレイ」

 オリヴィアは無言で小さく頷くと、少しだけ間を開けて「ところで」と話を切り出した。

「フレイさん、何故貴方はあのようなところで倒れていたのだ?」

 オリヴィアの問いにフレイは一瞬言葉を詰まらせてから、できるだけ自然な風を装って口を開いた。ほんの一瞬言葉を詰まらせた間に、フレイは通常よりも何倍も早い速度で思考し、偽の理由を導き出した。

「僕は……旅をしていて……」

「旅か。とても素敵だ」

 オリヴィアは憧れを抱くように、少しだけ微笑んで見せてから、「話を遮ってすまない。続けてくれ」とフレイに促した。

「ええっと、最終目的地がこのシスルなんだ。けれど、ここ数日何も食べていなかったから、倒れてしまったみたいで……」

「なるほど。そういう事か。どこか、行くあてはあるのか?」

 今考えた言い訳なのだから、当然そんなものあるはずもない。フレイは首を横に振った。

「そうか。だったら、しばらくの間ここに住めば良い」

 オリヴィアはこともなさげにそう言った。フレイは一瞬理解が追いつかずにただ目を丸くする。

「でも、オリヴィアさんからしたら僕は素性の知れない人なのに、どうしてそこまで……。もし僕が悪い盗人だとか、殺人者だとしたらとか……そうは考えないの? 君に害を与える存在かもしれないのに」

 オリヴィアは数秒間考えるかのような間を開けたあと、「ははは」と吹き出すように笑った。オリヴィアはどこか少年のような喋り方なので、年相応の少女が浮かべるような笑い方を見てフレイはたじろいだ。

「そういう風な言い方をするということは、フレイさんは『悪い人』ではなさそうだな。それに心配しなくても良い。私はドーテだから貴方がもし『悪い人』だったとしても撃退できるさ」

 オリヴィアは冗談めかしてそう言った。

「ドー、テ?」

 フレイは一瞬動揺したものの、それを悟られないよう取り繕う。しかしオリヴィアはその動揺を察知したのか、怪訝そうに言う。

「ドーテであることがそんなに珍しいか? まあ、最近はドーテの数も減ってきているし、驚くのも無理はないかもしれないな」

「ああ、えっと。まだ若いのにすごいなって……。それに……」

 フレイは躊躇するように言い淀んだ。しばらく逡巡した様子を見せてから、オリヴィアの目元に巻かれている白い包帯を見つめながら問うた。

「目が、見えないのに……」

 目元に巻かれた包帯は『盲目』を表す。いつからかは判明していないが、それが一般的な認識となっている。

「目が見えないことなんて、私にとっては何の障害もならない。私は二年ほど前に視力を失ってね。最初の半年こそ大変だったものだが今は全くもって問題ない。服を一人で着ることも、料理をすることもできる。この部屋の様子をまるで、実際に見ているように語ることもできる。むしろこの見た目のおかげで、吸血鬼も油断してくれて助かっているくらいだ」

 オリヴィアは言い終わると「この部屋は好きに使ってもらって構わない」と告げて立ち上がり、部屋を後にしようとした。

「待って!」

 フレイは慌てて彼女を呼び止めた。オリヴィアは「何だ?」と小さく首をかしげる。

「オリヴィアさんが僕をここに置いてくれるというのは、僕に取ってはメリットがある。けれどオリヴィアさんにとって、僕をここに置くことにどんなメリットがあるの?」

「疑い深いのだな、フレイさんは。別に貴方をどうしようという気はないよ。取って食ったりはしないさ。ただ、そうだな」

 オリヴィアはわずかな間を開けてから続けた。

「私は一人暮らしでね。やはり寂しいのだよ。特別親しい者がいるわけでもない。誰かが家にいて話し相手になってくれるだけで、私に取ってはメリットがあると言うことなのだ。それにフレイさんを無下に追い払って、行く宛てのない貴方を野たれ死なせてしまうのも、少々寝覚めが悪い。それに……」

 フレイは「それに?」よ聞き返した。オリヴィアは「何でもない。疲れているだろうからゆっくりしてくれ」と言うと、静かに部屋を出ていった。








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